【 '93年事件 part.5
― 経緯と推移・会誌より ―
( VOL.57 / Oct 1993 ~ VOL.109 / Oct 1999 )
I N D E X
part.1 ‥‥ TIME TABLE (推移一覧)
part.2 ‥‥ NEWS報道関連
part.3 ‥‥ マイケルの声明 / 業界人・近親者のコメント
part.4 ‥‥ 関係者・近親者インタビュー
part.5 ‥‥ 特集記事  This Page
  JET誌 ('93年9月13日号)   VANITY FAIR誌 ('94年1月号)

【関連ページ】 アメリカ訴訟社会の問題点   一件を終えて…
独占インタビュー by.タラボレリ氏   マスメディアへの 『アクセス権』
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= JET誌 '93.9.13号 =
Family And Fans Support Michael Jackson In Child Abuse Investigation
少年虐待疑惑の渦中にいるマイケルを支援する家族&ファン

JET誌は、EBONY誌と並んで主に黒人層向けの週刊誌で(※EBONY誌は月刊)、
インタビューをめったに受けないマイケルも直接応えるほど信頼されている本と言えます。
なお、NEWSページ等で既にお伝えしてある内容と重なる部分は一部要約してあります。

 タイのホテルの外では、動物のぬいぐるみや花・垂れ幕などを掲げたファン達が、溢れるような深い信頼と確信に満ちた面持ちでホテルの窓を見上げていた。
 マスメディアの騒動など ものともせず、妹のジャネットや信頼する友人たち・そしてマイケルの35歳の誕生日をマイケルと共に過ごすためにアジアへ飛んだエリザベス・テイラー達も、支援するための力を貸した。
 また、家族もマイケルへの絶えることのない愛情を示し、声明を出した。
 クインシー・ジョーンズも、次のように発言している。「私はこれほど誇り高く、気高く、音楽的天分に恵まれた人に会ったことがありません」。
 LAタイムズでTV評論をしているハワード・ローゼンバーグ氏は、世界中のタブロイド的やり方のマスメディアの中にいる同業者や、はっきりとした証拠もなしに筋書きを作り上げ書き立てる同業者を批判した。
 マイケルの邸内で一緒に過ごした事のある少年たちもまた、「マイケルは決して変な事はしなかったし、そんな人ではない」とリポーターに語っている。

 米国連合通信社(以下AP)の入手した事件ファイルによると、この論争の焦点は、13歳の少年をマイケルが抱き締めたりキスしたりして、だんだん性的行為にエスカレートしていったという申し立てにある。
 そして、「全く自分の意思からではないんです」と、少年は自分とマイケルとの関係を語っているのである。この少年の言い分もまた、論争が長引いている原因でもある。

 この少年の両親は '74年に結婚をし、'85年に離婚している。
 父親はビバリーヒルズで歯科医をしており、時おり映画の脚本も手掛けていたらしい。
 そして、レンタAレックというレンタカー代理店の設立者と再婚した母親は、ずっとこの少年の親権を巡って、元の夫(父親)と争っていた。

 APの事件ファイルによると、この少年は、マイケルの車が故障して少年の継父(母親の再婚相手)に助けを求めた'93年2月に、初めてマイケルに会っている。
 そしてそれからは毎日のようにマイケルは少年を呼び寄せ、母親や義姉妹を連れてラスベガス・フロリダ・モナコへ旅行に連れて行ってくれるような関係になっていった、と少年は語っている。
 少年が述べたと言われる具体的な性的虐待の報告を受けたエイブラムスは、法に従って直ちにこの事を、チルドレン・サービスとLA市警に報告した。
 そして、少年とマイケルとの関わりは、同'93年6月に終わったと記録されている。
 カントリー・チャイルド・サービスの職員は、
 「捜査は、刑事的な罪状がない限り決して公表されるべきではないし、憶測から生まれた話は事件解決の役には立たない」
とほのめかした。
 この申し立てに対する捜査の開始は、報道機関に嗅ぎつけられた後だった。
 LAとサンタバーバラの家からはビデオテープや写真が押収されたが、当局によると 「何の有罪の証拠となる物は無かった」と語っている。

 少年の母親は '85年に親権を与えられていたが、'93年7月11日 少年を連れて少年の父親のもとを訪れた日、父親は、少年を母親に戻すことを拒んだ。
 「'93年7月12日、子供を置いてLAから1人で引っ越す事の条件に同意するサインをさせられました。私がサインをしてしまった唯一の理由は、もし私がこの条件に対してサインをしなくとも、父親は子供を手放さなかったと思ったからです。また、それだけではなく、子供と会えるのはたったの1週間に過ぎなかったのですから」。
 彼女は7月半ば以来、真剣に昔の夫から子供を取り返そうとずっと頑張ってきたと語る。
 「彼は子供を私に返そうとはしないし、8月7日までは会う事さえも許さなかった。そしてその後、午後4時~10時のたった6時間だけ会える事になったけど、私はただちに子供を返すよう要請を出したのです」。

 母親側の弁護士によると、母親は最初、この事件が起こった事を知らなかったとしている。
 LAの高等裁判官は少年に、“マイケルとのいかなる連絡も取ってはならない”と公布した。
 さらにAPによると、母親も、マイケルとの連絡を電話でさえも少年と取らせてはいけない事になっているとも伝えた。

 マイケル側の弁護士が伝えるところによると、少年の父親は、ゆすりについての捜査対象となっているらしい。
 警察は初め、このゆすりの件を捜査したり立証したりはしていなかったが、ワイズマンは 「私が最初に警察と接触した後(会って話した後)、この “ゆすり”の調査は開始された」と語った。
 ハリウッド・レポーターは第一面の記事で、この父親が2,000万ドルかかるプロダクションをマイケルと設立したいと言っていた事を指摘した。この要望をマイケルがきっぱり断われば、虐待についての申し立てをすると脅かしていたのだ。この父親の脅しは、だんだんゆすりへと進展していった。
 どうしてこのゆすりの件をもっと早い時期にマイケル側が報告しなかったのか。
 ワイズマンは言う。
 「すべて自力で解決し得るだろうと考えていました。出来る限り大袈裟にせずに解決できるものならそうしたいと思っていたのです」。
 マイケルの私立探偵であるペリカノ氏は、一連の児童虐待疑惑は、2,000万ドルをマイケルから得ようとしたゆすりの結果生じたものだと初期に語っている。

 最近のハリウッドでは、多くのファンがマイケルへの支援と信頼と愛とを掲げてウォーク・オブ・フェイムでデモをし、マイケルの星型のところにメッセージカードや花を置いて帰っている。
 彼らのヒーローのために。

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= VANITY FAIR誌 '94年1月号 =
Nightmare in NEVERLAND ―  ネバーランドの悪夢

 「ラリー・キング・ライブ ('93年12月上旬)」 レポート でも触れた、バニティ・フェア誌 '94年1月号の 「Nightmare in NEVERLAND」 をお届けします。
 これはバニティ・フェア誌の女性記者モーリン・オースさんが、多くの人物に取材しながら事件の経過をこと細かに追っているもので、マスコミは情報のためにいかにして金を支払っていくのか等、かなり突っ込んで触れています。

 何しろ原文がかなりの長編のため、既に会誌でお伝えしている部分は省いてお伝えしたいと思います。
1つの参考までに読んでみて下さい。

 全ては、マイケルの車の故障から始まった。

 1992年5月、マイケルの乗った車は立ち往生し、レンタカー屋に連絡を取った。ここのオーナーは妻に電話し、このスーパースターがいるうちに現場へ行くよう指示した。
 彼女には、前の夫(時々台本を書くビバリーヒルズの歯科医)との間に、当時12歳になる少年(※誌面では実名)がいた。少年は、世界中何百万の子供たちと同じようにマイケルの大ファンで、5歳の時にレストランでマイケルと会い、ファンレターを送ってコンサートのチケットをもらっている。
 そして今、少年は母親と妹とともにマイケルとの再会を果たした。これ以後、マイケルは少年に毎日のように電話してくるようになった。
 同時に、4年間15ヶ国にわたるツアーを開始した。そして 「世界を癒すために子供たちのユニークな考えを発表する公開討論会を開く」 という 「世界子供会議」 を創設すると発表した。彼は、“自分は全ての子供たちの為に働いている”と言うのだ。「僕は世界中の子供たちに言いたい。君たち皆が、僕たち人類の子供だという事を,君たち1人1人が僕の子供だという事を,君たち皆を愛しているという事を」。

 ツアーの間、マイケルはいろいろな所から少年に電話をかけてきた。だからといって、すぐに何かが起こったという訳ではないようだ。
 少年の弁護士は次のように語っている。
 「マイケルは、少年に恋をしたんだ」。

 マイケルが始めて少年をネバーランドに招待したのは、オプラとのインタビューが放送された '93年2月10日の2日後だった。
 その日、少年と妹・母親は、マイケルの眠るメインハウスからずっと離れたゲストハウスに泊まった。その時からこの3人は、毎週末をマイケルと過ごすようになった。
 母親と父親 は殆んど別居状態となり、少年も外の子供たちと遊んでいない。

 1993年5月、少年はネバーランドで4日間を過ごしているが、一緒にいた11歳の子供2人はのちに KNBC-TVで、マイケルと一緒のベッドで寝たけど何も無かったこと,そしてそれはとても大きなベッドだったことを証言している。
 その週末には Dangerousツアーに同行した9歳と13歳の兄弟もいた。マイケル、少年、他9人の子供たちは、音楽やビデオゲーム,映画などを楽しんで一晩中起きていた。

 3月28日、サンタモニカ空港から少年親子3人とマイケルは専用機でラスベガスへ行き、ホテルのマイケルのスイートに泊まった。この時マイケルと少年は初めて同じベッドで眠ったわけだが、マイケルはスウェットを着ていて、少年はパジャマを着ていた。マイケルは 「エクソシスト」 のビデオを借りて少年はそれを観て怖がったという。
 母親と妹は、もう1つのベッドルームで寝た。
 次の日もマイケルと少年は一緒に眠りたがったが母親の反対に遭い、マイケルと母親は衝突してしまった。問題が起きたのはこの時だとしている者もいる。
 この時、マイケルは母親に訴えた。
 「家族みたいなものじゃないか、僕を責めないで信じて、家族と思うなら僕を兄だと思って。どうして僕をそう悪く思うの? 家族の絆というものなんだ。Sexなんかじゃないんだ。特別の事なんだ」。
 そして、“自分が言っているように、少年は眠くなったら寝ているだけだ”と付け加えた。
 母親は説得され、条件付きでこの2人を3ヶ月以上も同じベッドで寝ることを許した。マイケルは引っ越してきたようなものだった。

 5月、少年親子3人とマイケルは、モナコでのワールド・ミュージック・アワードに出席し、少年と妹の写真は世界中に流れた。
 この少年の証言によると、マイケルは
 「もしこの話を他人にしたら、君は少年院に行くことになるし、2人とも大変なことになる。そして他の子供たちともこういう事があった」
と言ったとしていて、母親と父親を嫌うように仕向けた、という。

 マイケルが少年の生活を支配し始めるにつれて、少年は実の父親に会う回数が減っていった。
 実の父親は再婚して現在の妻との間に息子が1人いるのだが、この実父(歯科医)の患者が言うには、彼は最初、少年がマイケルと親しいことを自慢していたという。
 実父は脚本も書き、ショービジネス界での仕事を続けたがっているようだった…。そして映画となった脚本のアイデアを出した少年も、ディレクターになりたかったのだ。
 実父は、マイケルが5日間泊まっていたことを喜んでいるようだった。だがマイケルと少年が、きちんと服を着ていたけれどベッドを共有しているのを見て、疑いの念を持った。母親は、実父のそんな心配をくだらない事と思っていた。

 6月初めの卒業式の時、実父は別れた妻と少年に、マイケルとの関係を問い質した。
 議論になり、実父が再び少年に会ったのは6月も半ばになってからだ。
 その頃 Dangerousツアーに少年が家庭教師と同行できるように手配を進め、学校を休学させようとしている事を知った実父は絶望的な気分に陥ってしまった。実父はとうとう患者の前で泣き崩れてしまったのだが、たまたまその患者はビバリーヒルズで弁護士をしていた。

 母親と実父は、少年の養育権をめぐり険悪な仲になっていた。
 実父はこれまで養育費というものを払ったことが無く、おまけに68,000ドルの借金を抱え、養育権に関してはとても有利とは思えなかった。
 実父が子供に会わせるよう母親に要求した時、彼女はマイケルを大変信頼していたため、その調整をマイケルの弁護士フィールズに依頼している。フィールズは、論争が激しくなっているのに、“この世界にはよくある事だ”と受け流し、あまり積極的な動きを見せなかった。
 そしてフィールズは、この世界では名うてのアンソニー・ペリカノに電話した。彼は、敵に回せば恐ろしいが、味方につければ信頼できるアドバイザーであり、抜け目の無い捜査官である。すぐにペリカノはマイケルの主任弁護士となった。
 ペリカノは現父と母親から、実父の抱いている疑いの話を聞いた後、少年と一対一で会い45分間話をしている。“マイケルとの間にセクシャルな事があったのか”と尋ねたが、答えは “No”だった。

 しばらくして実父は、少年を精神科医に診てもらった。実父は息子が児童虐待の犠牲になっているのか知りたがっていた。
 カウンセリングの結果、いろいろな事が絡み合っているが、たぶん虐待があったのだろうという結論に達した。しかし、推測では問題にしようがない。
 にも関わらず実父は、マイケルを有罪にできる証拠を持っているとテープで脅している。

 7月11日、少年は実父の家で1週間の滞在をし、その間に実父の主張を認めるようになった。  この時点でフィールズは、事件の全てをペリカノに託した。

 8月4日、少年と実父・そしてマイケルとペリカノは、ホテルの最上階で話し合いを持った。
 そこで実父は、マイケルが虐待をしたという刑事訴訟を読み上げた。
 ペリカノは最初から実父の目的は金だと知っていたが、その場では金銭的な話は全く出なかった。その日の夜、実父の弁護士に会った時に初めて金銭的な要求を聞いた。
 「2千万ドル」。
 事件は大詰めを迎えた。

 8月17日、少年は初めて精神科医に、マイケルと性的関係を持ったと話した。
 3時間に及ぶ話し合いの中で、セラピストは 「少年は真実を語っていると思う」旨を当局に報告し、カリフォルニア州の法律に基づいて捜査が始まった。
 母親側弁護士は少年を母親のもとに返すよう要求していたが、この報告があった事でそれは保留となり、結局実父のもとで暮らすこととなった。
 当局が母親にこの虐待について説明した時、彼女は泣き崩れ 「そんな馬鹿げた事は信じられない」 と言ったという。
 ペリカノはこれに対して打つ手は何も思いつかなかった。
 ペリカノは実父の弁護士に連絡し、「2千万ドル」 について話をしているテープを渡すよう要求した。答えはNoだった。
 この日、初めて “ゆすり” が問題として持ち上がった。

 8月20日、マイケルは少年側の告発通知を受け取っていたが、アジアへツアーのため旅立って行った。

 そして 8月23日 KNBCのイブニングニュースがメディア戦争の始まりである。
 ペリカノは言っている。
 「35歳の普通の男が少年と寝ることが明るみに出たら… でもそれがマイケルだとしたら、そこには何の意味もないのです。変わっていると言うかもしれないが、それは適当な言葉ではありません。使いたい形容詞は全て使えるけれど、それが罪でしょうか? いけない事でしょうか? 答えはNoです。」
 ペリカノは、マイケルが少年の家に30日間泊まっていた事をあっさり認め、
 「彼らがマイケルに泊まっていくよう勧めたんだ。マイケルが押しかけた訳じゃないし、彼が泊まりたいと言った訳でもない。彼らが泊まって欲しかったんだ。
  マイケルが少年のような友達を持つことに何の危険を感じることもないし、マイケルには男が良いとか女が良いとか あれやこれやといった性的な好みは、私が知る限り無い。親たちもこれを認めているし、彼の牧場ではよく子供を見かける。外で遊んだり乗馬に出かけたり水のかけっこをしたり、そのうちゴチャゴチャになって遊んでいるけれど、マイケルはいつでもきちんと服を着ている。少年の家でも、寝る時はスウェットかパジャマを2人とも着ている。
  マイケルのことをよく知らなかったら、彼を変わり者とか、混乱させられるかもしれないが、マイケルは親が反対するような事は何もしない」
 マイケルの弁護士のフィールズは、全て最初から仕組まれた事だという気がすると言っている。そして  「我々は何年もさかのぼって、知っている限りマイケルの知り合いの子供たちに訊いてみたが、今回のような事が起きたと言う者は1人もいなかった」

 現父も、「実父は金めあて」 だと言っている。
 現父は妻を助けようと思い、実父からの電話をテープに収め、ペリカノとフィールズに報告した。
 ペリカノはそのテープをメディアに渡したが、編集され、大部分が消され、皮肉にも実父の味方を増やすような物になっていた。

 ペリカノはマイケルのコンドミニアムへ行き、少年へ質問することに決めた。
 ペリカノによると、少年はたっぷり45分間も話をした。
 「彼はとても利口ではっきりしていて、知的で巧妙な少年だった」
 (以下はペリカノと少年の会話)
 「マイケルは君に触ったかい?」
 「いいえ」
 「マイケルの裸を見たことがあるかい?」
 「いいえ」
と笑いながら答える。よほど少年はおかしかったのか、ずっとクスクス笑っていた。マイケルは裸になっていないのだ。
 「君とマイケルはマスターベーションをしたかい?」
 「いいえ」
 「君の前でマイケルがマスターベーションしたことは?」
 「ありません」
 「じゃあ君は、マイケルの身体を見たことは無いんだ」
 「一度だけ、彼がシャツをめくって皮膚のまだらを見せてくれた」
 それからペリカノは、マイケルに降りてくるように言い、マイケルの隣に座って同じ質問をした。
 ペリカノは2人に、「言いたい事があれば言うように」 としたが、何も出なかった。

 ところが少年は突然、実父をけなし始めた。
 「子供として扱ってくれないし、やりたい事をやらせてもらった事は一度もない。僕が家にいて、脚本を書いていれば満足なんだ。彼はお金が欲しいだけなんだ」
 ペリカノが何のことか訊くと、少年はマイケルに確認しながら話し始めた。
 「家の建て増しをしたいが、ここでは規則で建て増しが出来ないので、マイケルに新しい家を建てて欲しいと頼んだ」
という事を。
 だが、そんな規則がない…と判ったペリカノは、
 「実父が歯科医を辞めてマイケルと映画の仕事がしたいという事も判ってきた。実父・少年・マイケル・自分(ペリカノ)の4人で会った時も、実父が虐待についての書類を読み上げた時、少年は急に顔を上げ “そんな事は言っていない” というようにマイケルを見た」
と言っている。
 実父のまくし立てに、マイケルは恐ろしくなってきていた。実父はマイケルを指さしたまま
 「きっとおまえを破滅させてやる、引きずり下ろしてやる!」
と言ったのだ。
 実父の弁護士はその後、脚本を1本500万ドルで買って欲しいと言い、ペリカノとやり取りをしたがうまく行かず、取り引きは決裂した。

 先月号のパニティ・フェア誌で、フィールズは語っている。
 「実父が事件を内密にしたがっているという話は信じられない。実父はプレスを呼ばずに公にしたかったのだ。セラピストが警察に報告するよう仕向けたんだ。私だったら、もし自分の息子にそんな事が起こったら、絶対に隠したいと思うだろう。それが子供を守るのに最も重要な事なんだ」
 実父が話を作り上げ、これは成功への大きなチャンスだという事を少年に納得させたのだ、とフィールズは考えている。
 「いろいろな事が考えられる。実父が尋問を受けながら話を作り、少年を誘導したのかもしれないし、新たな話を作り上げたのかもしれない」

 マイケルはサンタバーバラとLA州の捜査を受けているが、容疑者ではない。
 刑事事件は民事事件よりも無罪の立証が難しい。刑事事件で立証させるためには、12人の陪審員全員に疑いを抱かせてはならない。
 今回のような場合ははっきりとした物的証拠もないまま対立する意見を一致させなくてはならず、確証もないのに立証するのは難しいのだ。
 LAの元捜査官は、
 「このような有名人の事件は、捜査や告訴などにいろいろな影響を及ぼすだろう。それは警察や州検察官には圧力となるだろうし、審理の全てを変える力にもなるだろう。被告にとっては普通は助けになる陪審員も、注意深く見るようになるだろう。とても難しい事だが、有名人に有罪を宣告することは不可能な事ではない」

 マイケルの弁護士は、捜査が行なわれているうちに彼を民事の容疑から逃がす事に失敗し、しつこく異議の申し立てをし、刑事訴訟の6年の猶予を申し出た。
 しかし11月23日、LA高等裁判所はその申し立てを却下し、予審の日を 3月21日とした。
 マイケルの弁護士は、騒ぐのをやめてほしいと強く主張している。
 「今回の事件は長引きそうだ。それでなくとも子供は細かい事を忘れてしまうことが多い。セラピストは忘れさせようとしているけれど、私は少年に、マイケルのペニスがどんなだったかという事までしっかり憶えていて欲しいんだ」

 この件の代理人であるワイツマンは、大陪審が2通の召喚令状を発した事をフィールズに伝え、綿密な起訴状である事も付け加えた。
 フィールズはずっと、この事件はマイケルにとって致命的となるかもしれないと言い続けてきた。
 「もし有罪となれば、彼の人生は本当におしまいかもしれない」
 いちど予審の日程が決まれば、もう引き返せない。
 「マイケルは一銭だって金を海外へ送ってはいないし、スイスに引っ越したわけでもない。帰国して証言するつもりだった」
とフィールズは言っている。


 “Thriller”のビデオに出演し、マイケルと親友になったと自称するR氏が、マイケルについて語っている。
 マイケルは落ち込み切って彼のもとに電話をしてきた・マイケルは一貫して無実を主張しているが混乱していた、と言う。しかしR氏は、マイケルが無実だとは思っていない。
 「今まで9年の間、24時間彼の周りには子供がいるんだ。ショービジネス界の人間は、それがどういう事なのか判らない。スターは特別に見られているのさ」

 子供たちには、いつもたくさんの贈り物が届く。家・キャデラック・ジャガー・旅行といったものを誕生日に贈ったりしている。まるでおとぎ話のように。


 ポルノスターをしていて警察の情報屋で詐欺師のポールの電話には、憤りを感じた。
 「マイケルの家から出てきた人現は、道徳と金のために話し出す。社会にも責任はある。社会はイヤな奴を好むのさ。タブロイド誌は、情報のために1千万ドルも払うんだ」
 彼は、こういう事に詳しいのだ。
 彼はネバーランドでの少年とマイケルについての話をイギリスのタブロイド誌4誌に話し、それだけの金額を手にしている。そして、彼が話の中で紹介した人たちの名前を記者は内緒で録音し、今度は彼らの名前を警察に話したりしている。
 そしていま彼は、当バニティ・フェア誌が彼らや彼自身の話に興味があるのかどうかを気にしている。

 解雇されるまで1年間ネバーランドでコックをしていたフランス人の夫妻がいた。
 彼らは、マイケルが子供たちに性的虐待を加えているところを見たというのだ。その中には、マコーレー・カルキンも確かにいたと言っている。
 夫妻はテープで、マイケルの手口について語っている。
 「彼は、子供たちをビデオやゲームで遅くまで起こしている。そうすると子供たちは愛撫されても気づかない位で、ひどく興奮していた」
 ポールによると、この夫妻は数年前にこの話を100万ドルでタブロイド誌に売ろうとしたけれど、本当にあったと証明するのに相当の捜査を受けるだろうと思って断念したそうだ。でも、今ならば容易に50万ドルの値段で売ることが出来たというわけだ。

 バニティ・フェア誌では金を払わないと言うと、ポールは
 「話をしようじゃないか。謝礼を分け合えば良いじゃないか。誰にも言わないよ」
 …どうも勘違いされたようだ。

   ポールとは、ビバリーヒルズで昼食を摂りながら話した。
 “スプラッシュニュースサービス誌”のケビンの話には、腹が立った。
 「スプラッシュ~なんて聞いたことも無かったけど、ここはゴシップを載せたがっている事がすぐに判ったね」
 ケビンはイギリスのタブロイド誌の記者で、友人とともにLAで最初の公認ゴシップブローカーとなった。
 ケビンいわく、
 「話をして金を得るなんて当たり前さ。ハリウッドなんてもっとひどい。皆で足を引っ張り合っているんだ」

 ポールは私に、警察と州警察に渡したものと同じテープをコピーしてくれたが、それには 「不一致」 という注意書きが付いていた。
 ポールの話によると、例えばフランス人コック夫妻の供述は、10万ドルの金額の時にはマイケルの手はカルキンのズボンの外にあり、50万ドルに上がるとズボンの中に入っていたとなっている。

 ポールは、疑惑事件についてさまざまな見解を話している。子供たちはマイケルのおとぎ風の家で、格好の餌食になっているのだと。
 しかしポールははっきりさせたい事があるのだと言う。
 「俺はどっちの味方でも無いんだ。ただ、金のためだけさ」
 スプラッシュ~誌はチルドレン・サービスから得た情報を最初から持っていたのではないか、とポールは思っている。最初に報道したのは、確かにスプラッシュ誌ではない。だがそれは、ロンドンとカリフォルニアの時差のためだ。スプラッシュ誌の客でもある “サン誌”も情報を独占できたはずなのだ。「Jackoが僕をおもちゃにした」って具合に。
 ケビンは語っている。
 「金を払わなかったら、情報なんて出てきやしないんだ。金をもらわずに話をする奴なんて、いやしないよ」
 少年の名前と顔写真が世界中に流れるのも、そう遠いことではないだろう。可哀想なことだが。
 マイケルの疑惑が判った時に、ケビンは “これは誰にとっても衝撃的な話になる” と自信を持ったという。
 「NYタイムズは情報を持っている人間が4人いたんだが、彼らはチャンスを掴み損なった。彼らも金は用意していたんだが、どっちにしろタイムズの記者では無理だったろうね」
 LAタイムズはどうだったのだろう?
 「冗談だろう」
とケビンは言った。
 最初の2日間、LAタイムズは性的虐待よりもゆすりの話を大きく扱った。3日目にも、さらにゆすりの話を突っ込んで載せた。
 それまでもタイムズはマイケルに対して攻撃的な態度を取っていたわけでは無かったが、10月の間はこの事件には触れなかった。殆んどの人は、単にマイケルが子供を虐待するなどとは信じたくなかった。その気持ちが、生ぬるい報道となった。


 メディアを利用した画策や宣伝が、こういった場合には決定的となるので、ペリカノは報道を味方につけようとかなり精力的に動いた。
 早いうちにペリカノは、マイケルを支援する2人の少年をTVに出した。
 「マイケルとは同じベッドで寝たこともある。でも、絶対にマイケルはおかしな事はしなかったよ」
 マイケルの疑惑を晴らそうとしたペリカノの戦略だったが、期待したほどの効果は得られなかったようだ。「マイケルの疑惑には変わりない」と、ある有名な弁護士は言っている。A.Pの最大の戦略は 「語らせない事」のようだった。

 少年の弁護士は、マイケル側はペリカノをうまく使っていると非難した。
 「現実から目を逸らして少年とその両親を傷つけている。捜査官がプレスに対して目撃者が証言している事を認めているのに、彼らの口封じをしているのは公平ではない。彼らはどちらの味方でもないのだから」
 ネバーランドの従業員に話を訊こうとすると、みんな動揺して 「ペリカノに連絡してくれ」 と語るだけだ。マイケルに近い人の話を訊こうとすると、いつもこうなのだと言う。「ペリカノに止められている」。

 ペリカノは、誰がチルドレン・サービスの情報を洩らしているのかとケビンに訊いたが、金額的に全く折り合わなかった。
 スミスが断わった時、ペリカノは言った。
 「おまえはアメリカ国民とは言えない。この件では誰も傷つけたくないんだ」
 少年の実父の家の電話から盗聴器が見つかり家中が荒らされていた事もあったが、ペリカノは 「関係ない」 と強く否定している。
 「それが私のした事だと言うのなら、むこうだって全く同じことを思っているだろう」
 KNBCのTV局に勤めているダイアンは、新しいニュースを手に入れて他を一歩リードした。彼女はペリカノのコメントを他のリポーターを介して手に入れたのだ。それは、「やあダイアン、身体に気をつけて」 というメッセージと共に、全ての疑惑を否定している。

 少年側も出だしで問題を抱えた。
 それは、女性弁護士のグロリア・オーレッドだ。
 簡単に言えば、少年をみんなの前に出してしまったのだ。彼女はすぐにプレスを集めて、少年がすぐにでも出てきて話をしたがっていると発表してしまったのだ。
 驚いた両親は、優秀な弁護士ラリー・フェルドマンを雇ったのだ。彼は Country Bar Association Lawyersの会長をした事もあり、彼の妻(弁護士)は性的虐待を主に手がけている。
 フェルドマンは女性弁護士を解雇し、今回の事件について話したらカリフォルニア州の法廷によって懲戒の処分を受けるだろうと警告した。
 しかし、彼女はひとつ置き土産をした。
 「なぜマイケルは毎日、大人なのに子供と一緒のベッドで寝るのだろう」


 ネバーランドで管理人をしていたフィリピン人の夫妻が、マニラに現れた。
 夫妻はカリフォルニア警察の質問に対し、マイケルにとって不利になるであろう証言をすると約束した。
 彼らは給料未払いでマイケルを訴えたのだが、彼らの供述にはいろいろな事が含まれていた。ペリカノは記者を集め、彼らを 「欲張りなゴキブリどもだ」 と中傷した。彼らは解雇されたという話だが、“自分たちは道徳的な考えで辞めたのだ” と主張している。
 彼らは、話を売ろうとしている。夫妻はマイケルの虐待を毎日日記につけていたと語った。夫妻はこれと同じ話を1年前にあるTV番組で暴露しようとした。しかし本番では語らなかった。25,000ドルという報酬を拒否されたからだ。

 これらのマイケルの悪い噂について、エリザベス・テイラーとSONY以外のハリウッドの友人たちは、沈黙を守っている。
 9月と11月、ジャーメインと母キャサリンは、記者に対して 「訴えは不当なものだ」 とのコメントを発表している。
 姉のラトーヤは “TODAY”という番組で、「訴えが事実でないことを祈っている」 とコメントしているが、彼女の夫はラトーヤがタブロイド誌に語る金額は2万5千ドル~4万ドルだとしている。
 「マイケルの知り合いや家族で私が連絡を取った人は、みんなお金を欲しがった」
とダイアンは語っている。
 「マイケルのことを話しましょうか? 彼はとっても良い子よ、って5千ドルで話すけど」。
 最も驚いたのは、頼んでもいないのにマイケルの父親の代理人から条件の提示があった事だ。父ジョゼフは1万5千ドルで番組に出演して今回の件について話すと言ったが、あっという間に値段が5千ドルまで下がった。
 番組は母キャサリンにも出演して欲しかったのだが、ジョゼフが契約書への妻のサインを約束することが出来なかったので、この交渉は決裂した。

 しばらくしてファミリーは、アトランティックシティで 12月11日、ちょっと距離が開いてしまった子供たちが一緒にパフォーマンスする 『The Jackson Family Honors』 という600万ドルのショーを計画した。それはNBC系でTV放映される予定だった。
 悩みだらけの家族の歴史を見せるのかと思う人もいるけれど、TVスペシャルはファミリーにとって久しぶりの仕事となるはずだったし、Tシャツや漫画といったグッズはマイケルと子供たちの関係に有益なものとなるはずだった。


 マイケルが何故こうなったのかは、誰にも判らない。
 怯えて育った歪んだ家庭生活に問題があるのは確かなのだ。
 彼は、プレスに対しての受け答えを教え込まれた。感じが良く、ちょっとなよなよした所があるが、惚れ惚れするような才能に恵まれた子供だった。
 広範囲にわたってジャクソン・ファミリーを扱ってきたABCニュース・デイ・ワンの記者マイケル・マックィーンは、次のように語っている。
 「彼らは、真実を確信させることが出来ると思っている。…ジャクソン・ファミリーが誰ひとり充分な教育を受けていないのに、'70年代に有名になった時は他にはあまり目立った黒人は居なかった。ジャクソン・ファミリーは LIFE誌の表紙を飾れるような人たちだった。彼らはブラック・アメリカンなんだ」

 マイケルの人生は親の強要や暴力はあったにせよ、彼自身はいつもセンセーショナルで、人の注意を惹かずにはいなかった。
 マイケルには子供時代が無かったので、そのために子供を愛するようになったのだとずっと言われてきたが、昔マイケルを親しく見てきた女性はその意見に反対する。
 「彼はチャイルド・スターだから子供時代というものを愛しているの。そのことを憶えていたいの。マイケルは極度に自己陶酔的なの。他の子供たちから離れて育ったのよ。彼はTVから全てを学んだの。彼がTVで観たのは優秀で美しい白人だったの」

 マイケルはビジネスの事になると、若いのになかなか手ごわかった。今では時々 “カミソリのようだ” と評されている。彼は複雑な契約書を読み、いつも積極的に自分をマネージメントしている。
 しかし、彼は孤立によって人生の代わりにキャリアだけを手に入れた。
 「彼はキャリアの話なら乗ってくるけど、ディナーパーティで何をするかなんて知りたくもないのよ。卵の上に高層ビルを建てるようなものね」
と言う女性もいる。

 “マジック・アンド・マッドネス”の著者ランディ・タラボレリは、
 「マイケルが誰かにイタズラをしたなんて信じていない」
と語っている。マイケルが子供たちとの関係をオープンにしているからだ。
 「もしマイケルが何かで有罪だとしたら、それは間違っている。何年間も、今回のように “訴えられるかもしれないから” と沢山の人が警告してきた。しかし本当のところ彼は、“どうこうしなさい” と言ってあげられるタイプの人間ではないんだ。マイケルと誰かが関係しているなんて誰にも判らない事だ。私は半分の可能性だって信じない」

 ネバーランドで働いている6人の人と話をした。
 セキュリティーがとても厳しく、マイケルが居ようが居まいが、従業員が庭を歩くことさえ禁じられていると明らかにした。
 スタッフは、雇われるとすぐに “マイケルを見に行ったり、彼の事を話したりしようとしてはいけない” と言われる。
 1990年に9ヶ月間コックとして働いていた人は、こう言う。
 「部屋にいる時はいつも誰かの目を気にし、いつも誰かが聞き耳を立てているとしたら、とても普通の生活なんて送れないでしょう」
 彼女は、ネバーランドの生活を “不安が渦巻き光を放っている” と表現している。

 「彼は自分のことをイエスと思っているんだ」
と言うのは、マイケルを子供時代からよく知っているハリウッドのプロデューサーだ。
 「彼のイメージの多くはキリストだ。彼は、子供を通して世界を救おうとしている」
 事実マイケルは、大きなボードをネバーランドに吊っている。
 ハリウッドの脚本家は、
 「サンタモニカ病院で自分の子供が産まれた時に、そこで1つの殴り書きが目に入ったので看護婦に訊くと “マイケル・ジャクソンよ。彼はたびたび新生児を見にやって来るの。彼らの魂が見えるのだそうよ。ネバーランドには500ドルでいっぱいのスペシャル・ルームがあるの。マイケルはいつか、女の子を養子にしたいと思っているのよ。”」


 タラボレリは、マイケルが警察の尋問を受けている様子など想像できないと言う。
 「彼はきっと泣き出してしまうよ。彼は、普通の生活をしなくて良いように自分の世界を創り上げてきたんだ」

 11月までに悪夢のような現実が出揃うだろう。マイケル側が議論を始めたのはそれからだった。
 マイケルは耐え切れず大量の鎮痛剤を摂りだした。
 2人のソングライターがマイケルが盗作したとして訴え、マイケルは10時間にわたって弁護士から質問された時の様子を提出した。
 しばらくしてエンシノの自宅を捜査した警察は、そこから小さな男の子の裸の写真を発見したと報告。

 噂の渦中でマイケルは自殺しそうなほど落ち込んでいたので、親友のエリザベス・テイラーが駆けつけ、マイケルは夜遅くヨーロッパのどこかの病院に入院した。
 マイケルの弁護士は月曜日からプレスを集め、
 「マイケルは薬物中毒のふりをしているのではなく、証言をするために必ず戻ってくる」
と繰り返している。

 少年側がマイケルの生殖器の絵を警察に提出し、警察もマイケルを調べたがっているという噂は本当だった。
 11月19日までに警察は、ヨーロッパで入手したマイケルの皮膚の色について関係していると思われる皮膚科や整形外科の医事記録の捜査に向かった。

 子供たちを連れてくる手配をしていたのはネバーランドで働いていた女性で、この女性は大事な証人なのだが、警察に黙ってギリシャへ行ってしまった。“姿をくらませたんだ”という噂が流れ始めた。
 「“逃げた”だなんてひど過ぎる」
とワイズマンは言っている。

 証拠が集まり、LA州検察官の事務所では、ワイズマンへ “マイケルに尋問したい” と通知した。
 しばらくしてフィールズは警察に対して、“警察は子供を使って脅かしている” という内容の手紙を送って世間の反感を買った。

 どんどん出てくる情報を、もう誰も止められないようだ。
 ペプシコ社は、ツアーが終わり次第マイケルとの契約は続行しないと発表し、NBCはジャクソン・ファミリー・アワー番組を保留とし、マイケルも急に映画 『アダムス・ファミリー』 のテーマソングとビデオから手を引いた。
 ピープル誌 11月29日号の表紙には、「マイケル破滅」 の文字が見られる。

 裁判官が、マイケル側の 「民事訴訟を延期して欲しい」 という申請を却下すると、今度は出し抜けにジャクソン・ファミリーの前のボディガードが “知りすぎた為に解雇された” と告訴した。一方ではマイケルは、ボディガードの訴訟に対して何の準備もしていないというニュースもある。

 11月23日、ゴシップ・コラムニストのリズ・スミスは、事件の核心に触れた。
 「マイケル・ジャクソンの未来と評判を考えてみると、SONYは契約を続行した方が良いと思う。SONYには何もかも一緒くたに考えてほしくない。かなりの売り上げを記録しているマイケル・ボルトンの陰に隠れてはいるが、マイケル・ジャクソンは大きな財源なのだから。」

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UPDATE - '07.06.27