【 '93年事件 part.1
― 経緯と推移・会誌より ―
( VOL.57 / Oct 1993 ~ VOL.109 / Oct 1999 )

 1993年、13歳の少年の実父によって、「少年がマイケルを告発する」 こととなる。

 事の始まりは、前年1992年の5月、マイケルのバンがLAで故障した事からだった。
 助けに駆けつけた人物が勤務するレンタカー会社のオーナーが、妻とその連れ子である当時12歳の少年を現場に呼んだことにより、マイケルと少年はめぐり逢う。
 マイケルと少年家族との交流は始まり、少年とその周囲の人間にとって夢のような生活が始まった。
 少年の実父(母親の前夫・歯科医)までもがマイケルを大歓迎したが、やがて彼は新しい家を婉曲にねだるまでに増長、マイケルから疎遠にされる。
 実父は、少年や前妻からも疎ましがられるようになると共に、マイケルを足掛かりにしての 「映画脚本家への転身」 という かねてからの夢も叶わず、次第にマイケルを敵視し、金儲けの対象として企みを講じるようになっていく…。

 以下に綴るのは、子供を利用した 品位のかけらも無い、強欲どものドロドロとしたドラマの脚本のようにも見える告発の経緯です。
 ネット上やGQマガジン等、さらに詳細を知る資料は他にありますが、ここでは告発勃発後、リアルタイムで伝えた各月の会報のニュース等をまとめてみました。


I N D E X

part.1 ‥‥ TIME TABLE (推移一覧)  This Page
part.2 ‥‥ NEWS報道関連
part.3 ‥‥ マイケルの声明 / 業界人・近親者のコメント
part.4 ‥‥ 関係者・近親者インタビュー
part.5 ‥‥ 特集記事

【関連ページ】 アメリカ訴訟社会の問題点   一件を終えて…
独占インタビュー by.タラボレリ氏   マスメディアへの 『アクセス権』
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 = TIME TABLE (推移一覧)
 
1984年頃
 
  少年が5歳ごろ、マイケルとレストランで出会う。 その後少年はファンレターを書く。

1985年
  少年の両親(実父(歯科医)と母親)、離婚。
母親が少年を引き取るが、少年の親権争いは以後9年間続く。

1992年
5月 ?日 マイケルの故障した車を助けたレンタカー屋のオーナーが、少年の現父(母親の再婚相手)。それをきっかけに再会した少年との本格的な付き合いが始まる。

1993年
2月 12日 少年と妹と母親、初めてネバーランドに招かれ、ゲストハウスに宿泊。
母子3人はすぐに毎週末ネバーランドで過ごすようになる。
のちに少年は、この頃からマイケルによる性的虐待が始まっていたと供述。

3月 28日 母子3人はラスベガスへ同行、少年は初めてマイケルと同じベッドで眠る。
29日 スイートでの少年の連泊に少年の母親は難色を示すも、マイケルが説得。

5月 12日 母子3人、モナコでのワールド・ミュージック・アワードに同行・出席。
?日 マイケルと少年、実父の自宅にて連泊。

6月 初旬 少年の小学校卒業式の日に少年の実父、少年と母親にマイケルとの関係を問い質す。

7月 11日 実父、自宅に少年を1週間滞在させ、少年を説得。
のちに、この際 歯科診療台の上で少年を麻酔薬で懐柔したと伝えられる。
実父、児童虐待被害の診断結果を導き出すべく少年を精神科医に診察させる。
実父、現父との電話で 「全ては既に計画済み。俺は欲しい物すべてを掌中に収める。息子の母親(元妻)は親権を失い、マイケルのキャリアはおしまいだ。」 等と語る。(録音テープ在り)

8月 4日 マイケルと私立探偵ペリカノ氏・少年・実父で話し合い。実父は刑事訴訟文を読み上げる。
実父が映画脚本家へと転職すべく采配をマイケルが断わる。
同日夜、少年側弁護士ロスマン氏がペリカノ氏へ 「2,000万ドル」 を提示。
9日 マイケルの私立探偵ペリカノ氏、少年側のロスマン弁護士の事務所へ出向き話し合い。
ペリカノ氏は父子間の時間を横奪した詫びの350万ドルしか支払う気はないとし、交渉決裂。
17日 少年からマイケルとの性的関係について聞いた精神科医から児童福祉センターを経由しての通報により、LA警察の捜査開始。
LA警察立ち会いのもと、少年が児童福祉センター員へ改めて詳述。
21日 マイケルの自宅であるサンタバーバラのネバーランドと LAのマンション、家宅捜索。
マイケルはこの日、「Dangerousワールド・ツアー」公演のため タイ・バンコック入り。
23日 KNBCのイブニングニュース、少年の告発の件をスクープ。
24日 マイケル、声明文を発表。代理人のハワード・L.ワイツマン弁護士による代読。
25日 重度の脱水症状に見舞われ、公演を翌26日に延期。
26日 脱水症状が完治せず、公演を翌27日に再延期。肉声テープのメッセージを発表。
27日 「脱水症状? コカ・コーラをどうぞ」 と コカ・コーラ社が現地タイの新聞に広告を出す。
〃日 ラトーヤ、「5ヶ月前マイケルに少年たちとの交際をやめるよう忠告したが聞き入れなかった」 「実家にいた頃だけで寝室を共にした少年は50人ほど」 等とタブロイド誌やTVで語り始める。
28日 少年の実父を、マイケルへの2千万ドル恐喝容疑で捜査中とLA警察が表明。
この日マイケルはシンガポール入り。 リズ夫婦も駆けつける。
29日 マイケル35歳の誕生日。公演で満員の観客から「ハッピーバースディ」の大合唱。
30日 マイケル御用達のラスベガス・ミラージュホテルの部屋にも捜査が入る。
〃日 この日の公演開始直前、マイケルはひどい偏頭痛(血管性偏頭痛)により倒れる。
〃日 少年の実父と現父が7月に交わした電話の録音テープが、米CBSで流される。
〃日 マイケルの家族が記者会見を開く。
31日 病院で脳の検査を受ける。肉声テープのメッセージを発表。

9月 3日 台湾・台北入り。
マイケルの家族も夕方に来台し、マイケル支援の記者会見。
7日 来日。長崎ハウステンボスへ直行・滞在後、福岡へ。(福岡公演: 10・11日)
10日 少年の弁護士グロリア・オルレッドさん、就任後わずか数日で辞任。理由説明は拒否。
少年の母親の弁護士マイケル・フリーマン氏も同時に辞任。
12日 ロシア・モスクワ入り。
14日 少年側は新たな弁護士としてラリー・フェルドマン氏を立て、民事事件としてLA高裁に損害賠償請求訴訟を起こす。
全7件 - [性的暴力/暴行/誘惑/意図的な不法行為/詐欺/過失/意図的に感情的苦痛を与えた件]
15日 キンドイ夫妻(ネバーランド別邸の元管理人)、マニラで日記持参の記者会見。
この10日ほど前に英タブロイド「サン」誌で、子供たちへのマイケルの異常行動を語る。
17日 イスラエル・テルアビブ入り。
22日 トルコ・イスタンブール入り。
23日 キンドイ夫妻に対し、LA警察とサンタバーバラ捜査官がマニラへ出向いての事情聴取。
24日 スペイン・テネリフェ入り。
25日 サンタバーバラ郡ロス・バドレス国立森林で山火事発生。
10月8日ごろ鎮火するも、ネバラン内のオフィスの一部が煙等で5千~7千ドルの損害。
27日 スイス・ジスタッドにあるリズの別荘にて、友人とその子供たちを招いて休暇。

10月 8日 アルゼンチンのブエノス・アイレス1回目の公演。
この年 初めて "Man In The Mirror" を歌う。
13日 ブラジル・サンパウロ入り。
18日 チリ・サンティアゴ入り。
21日 公演直前に背中を痛め、急きょキャンセル・延期。
24日 メキシコ・メキシコシティー入り。
30日 マイケル側弁護士、17ページの書類にてLA高裁へ “警察の捜査完了まで裁判延期”申請。

11月 2日 膿瘍による臼歯の激痛で公演キャンセル。2日後 口腔手術。
8日 "The Girl Is Mine","Thriller","We Are The World" 著作権侵害訴訟用の証言ビデオ収録のため、ハワード・マニング弁護士がメキシコ入り。10日まで。
9日 エンシノの実家を、家族の留守中に家宅捜索。
エリザベス・テイラーと 夫のラリー・フォーテンスキー氏、メキシコ入りしマイケルと合流。
11日 この日の5回目のメキシコ公演にて、「Dangerousワールド・ツアー」 は中止・終了。
12日 ツアー中止とその理由を、肉声テープにてメッセージを出す。
13日 ロンドン通関後の足取りを見失ったマスコミ、以降約1ヶ月間 「マイケル失踪!」と大騒ぎ。
14日 米ペプシコ社、ツアースポンサー契約の打ち切りを発表。
15日 マイケルの弁護士、LAにて記者会見。
18日 英タブロイド「サン」誌、マイケルの入院先を 「ロンドン北部のナイチンゲール病院」 と報道。
19日 LA警察とサンタバーバラ捜査官、この日までにマイケル罹りつけの皮膚科・整形外科を家宅捜索、マイケルのカルテ等の診療記録を押収。クライン皮膚科医師へは2時間にわたる聴取。
22日 元ネバーランド使用人ら5名が不当解雇で訴える。性的虐待の目撃談をマスコミへ次々に語り始める。
23日 LA高等裁判所、マイケル側からの刑事訴訟6年猶予の申し立てを却下。
翌年'94年3月21日を民事訴訟裁判の開始日と定める。

12月 8日 ラトーヤ、イスラエルのテルアビブで記者会見。
それを受け、すぐにジャクソン家もエンシノ邸の前で緊急会見。
10日 マイケル、アメリカに帰国。
中旬 ジョニー・コクラン弁護士、マイケルのチームに加わる。
バート・フィールズ弁護士を更迭。
16日 全米TV局で、11月8日・10日にメキシコシティーにて収録の著作権侵害訴訟用の証言ビデオテープを公開。日本でもBSのBBC Newsで、朝5時と6時に放映。
17日 マイケル側弁護士が出した裁判非公開及び証人のギャグオーダー(発言禁止命令)の申請が、裁判所で却下となる。
22日 ネバーランドにて生中継で声明。
〃日 マイケル声明の後、マイケル側の弁護士2名がラリー・キング・ライブに生出演。
28日 「Dangerousワールド・ツアー」 大元プロモーターである ドイツの 「ママ・コンサート」、2千万ドルの損害賠償訴訟を起こす。
30日 ラスベガスのトレジャー・アイランドを訪問。プライベート姿の目撃は久々のこと。

1994年
1月 1日 ラスベガスでのバーブラ・ストライザンドのコンサート観覧。他の観客たちから拍手喝采。
5日 「NAACP Image Awards」 にプレゼンターで出演、4分間のスピーチ。
10日 少年側弁護士、サンタモニカ上級裁判所へ訴状提出。
うち少年の告白文の一部分4ページ(コピー)を、マスコミへ配布。
13日 3曲の著作権侵害訴訟は、LAの連邦陪審にて “マイケル無罪”の評決が下る。
15日 マイケル、ネバーランドに子供たち100人を招待。
25日 民事起訴の和解成立を、マイケル側・少年側の両弁護士が発表。
27日 少年の証言とマイケルの身体写真とは食い違いがあった事が判明。

2月 9日 サンタバーバラ郡の大陪審、刑事起訴にかかる証拠調査のための証人調べを開始。
19日 「ジャクソン・ファミリー・オナーズ」 がラスベガスのMGMグランドホテルにて開催。

3月 7日 別の被害者とされる少年の母親、サンタバーバラ大陪審でマイケルへの嫌疑を完全否定。
21日 マイケル側弁護団、捜査当局に撮られたマイケルの身体写真の返却要求の提訴。

4月 11日 サンタバーバラ郡のトム・スネッドン次席検事、大陪審の審議90日間延長を発表。
〃日 スレード裁判長、マイケルの身体写真返却に関する最終決断を先延ばしに。
12日 大陪審にて証人を召喚しての審議。
28日 「チルドレンス・チョイス・アワード」 に、受賞のため出席。
30日 サンタバーバラ郡の大陪審が解散したことをマイケル側弁護士が発表。

5月 26日 マイケルとリサ・マリー・プレスリー、ドミニカ共和国で極秘裏に挙式。

6月 13日 マイケルの身体写真が 6月27日にも裁判の一資料として公開されると伝えられる。

8月 1日 マイケルとリサ・マリーの結婚が公式発表される。
16日 少年の現父と6歳の義妹、家族の生活を破壊されたとマイケルを告訴。
20日 少年の実父、新たに損害賠償請求の訴えを起こす。
24日 チリの芸能プロダクション、「Dangerousワールド・ツアー」 コンサート中止による損害賠償の訴えを起こす。

9月 8日 マイケルとリサ・マリー、揃ってMTV-VMAの壇上へ。
19日 LA郡検事局とサンタバーバラ郡検事局、少年側の弁護士との協議で結論が出る。
21日 刑事起訴の捜査終結宣言を、LA郡検事局とサンタバーバラ郡検事局が発表。
24日 マイケル、NYより声明。

‥‥ 以降、イベント出席等の細かい時系列は省略します ‥‥

?月 ?日 元メイドのブランカ・フランシアさんの息子に対する性的虐待訴訟で、法廷外示談。

1995年
1月 9日 米NBC 「ハードコピー」 等が、性的虐待疑惑を焦点にスキャンダラスな特集を放映。
11日 マイケル、報道機関に対する警告的な怒りの声明文を出す。
12日 マイケル、「ハードコピー」 等に対し、1億ドルの訴訟を起こすと発表。
ダイアン・ダイモンドのことも名指しで非難。

3月 下旬 マイケル、「ハードコピー」 を放映したTV局等へ、正式に1億ドルの訴訟を起こす。

6月 14日 米ABC 「プライムタイム」 に、マイケルとリサ・マリー出演。 司会はダイアン・ソーヤー。
16日 アルバム 「HIStory - Past, Present And Future Book 1」、日本先行発売。
トム・スネッドン次席検事を仮名で痛烈に批判した “D.S.” も収録の本作は、初登場1位。

12月 6日 ビーコン・シアトルでの 「HBOスペシャル」 リハーサル中に倒れ、入院。 12日退院。

1996年
1月 18日 リサ・マリーによる離婚請願書に対しマイケルも同意したとして、離婚発表。

5月 7日 少年の実父、前年6月放送の 「プライムタイム」 内で和解時の契約違反を犯したとしてマイケル他を告発。
?日 マイケル、「プライムタイム」 訴訟に対する声明を発表。

6月 中旬 3曲の著作権侵害訴訟は、連邦判事が2人の上告を却下、 “マイケル無罪” 確定。

7月 16日 ブルネイにて非公式の 「ロイヤル・コンサート」。

9月 7日 「HIStoryワールド・ツアー」、チェコ・プラハよりスタート。
25日 ネバーランド元使用人の不当解雇訴訟、サンタモニカの裁判所にて審理開始。

10月 ?日 「ハードコピー」 での主張を法廷で立証できないジャーナリストに対し、マイケル勝訴。

11月 14日 マイケルとデビー・ロウ、公演先のオーストラリア・シドニーで挙式。

12月 11日 来日。 東京公演: 13日・15日・17日・20日 ,福岡公演: 26日・28日。 29日に離日。

1997年
2月 13日 長男 プリンス・マイケルJr. 誕生。
25日 ネバーランド元使用人による不当解雇訴訟の法廷にてマイケル、ビデオテープによる証言。

3月 初旬 ネバーランド元使用人による不当解雇訴訟は、原告側が逆にマイケルへ6万ドルを支払うよう命じられるという敗訴以上の判決=マイケル大勝利で終わる。
のちに彼ら全員は自己破産を申請、マイケルへの支払いから逃れた。

5月 12日 元ボディガードによる不当解雇訴訟は、原告側の不正が露呈し 全面的に却下。

6月 1日 ビクター・ギティエーレス氏(=「ハードコピー」 等でビデオテープの存在を主張したジャーナリスト)、少年の日記を元にしたという暴露本を発刊。

10月 15日 「HIStoryワールド・ツアー」、南アフリカ・ダーバンで終了。 35ヶ国・55都市・82コンサート。

1998年
3月 30日 MJJ Production元弁護士による性差別不当解雇訴訟は、最高裁判事が 「根拠なし」 と裁決。

4月 3日 長女 パリス・マイケル・キャサリン誕生。
9日 「ハードコピー」 等でビデオテープの存在を主張していたジャーナリストに対し、マイケルへの名誉毀損の賠償額は270万ドル(約8億6千万円)とLA陪審員が算出、支払いを命じる。
14日 マイケル側弁護士ジア・モダバー氏、「アクセス・ハリウッド」 にて “マイケルと訴訟” について語る。
15日 MJJ Production元弁護士による性差別不当解雇訴訟は、その主張のすべてを判事が改めて棄却。

5月 上旬 少年の実父による '95年の 「プライムタイム」民事訴訟、形骸化へ。

7月 24日 来日。 日本でのテーマパーク開発事業に係る 「マイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社」 の設立会見のため。 28日、予定より1日早く離日。

1999年
6月 25日 「MJ and Friends」コンサート、韓国・ソウルにて開催。 27日、ドイツ・ミュンヘンにて開催。

8月 18日 少年の実父による '95年の 「プライムタイム」民事訴訟、マイケルの勝利にて終結。

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UPDATE - '07.06.25