UPDATE - '07.11.02
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【 News@アルバム "DANGEROUS" 】 - page.4 -
アルバム "DANGEROUS"
Black or White Remember The Time In the Closet JAM Heal the World
Who Is It Will You Be There Give In To Me Gone Too Soon Dangerous
S I D E S T O R I E S
"DANGEROUS"アルバムジャケット
Making of "DANGEROUS" "Black or White" 撮影現場 Making of "Remember The Time"
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●MTV MOVIE AWARDS '94 - Best Song in a Movie
■'93年2月5日発行分■
【※追記 - ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団の録音を使用。<国立音楽大学音楽研究所〈ベートーヴェン研究部門〉主催 《第9交響曲》研究会の配布資料より> 】
■'93年7月5日発行分■
この曲は映画のラストに流れるそうですが、この他に 「Human Nature」 も挿入されるようです。
■'93年8月5日発行分■
ショーで曲芸をさせるために捕らえられたシャチのウィリーと少年ジェシーは親しくなって強い絆で結ばれ、お互いを信じ合うことを覚えます。曲芸をしたがらないウィリーに水族館のスタッフがむごい企てを実行しようとし、そこでジェシーはウィリーを逃がす決意をします。
映画の最後の字幕部分で 「Will You Be There」 が流れますが、これはコンサートでのパフォーマンス映像と映画の内容の一部とをミックスさせたもので、実に美しい映像で感動的な仕上がりになっています。
アメリカでの公開は7月16日。
■'93年10月5日発行分■
シングル盤 24位(8/14付) → 14位(8/21付) → 8位(9/4付)
サントラ盤 71位(8/14付) → 8位(9/18付)
■'94年2月5日発行分■
■'94年11月5日発行分■
知人によると、「マイケルはケイコをとても愛しており、金がかかろうと誰が何と言おうと、彼のやり方でケイコを手に入れるつもりだ」 と言う。
マイケルはケイコのために専門の飼育係を置くそう。50mの専用プールをネバーランドに建設中で、完成後、全長8m・体重4トンのケイコを移送する。
ケイコの事はNYタイムズ紙にも記載されており、狭いプールの悪条件下で皮膚病や擦り傷のため瀕死状態らしい。
マイケルがケイコを引き取り購入することについて、マスコミでは 「これはリサへのクリスマス・プレゼントにするためだ」 と報じている。
■'95年2月5日発行分■
判決の内容とされていることは、 「Will You Be There」 がイタリアの歌手アル・バーノさんが '87年に著作権登録をした歌に酷似しており、判事は判決の中で 「歌詞の内容は異なるが2つの歌は同一である。偶然の類似とは考えられない。」 と述べ、イタリアの販売会社に販売停止を求めた。
「アル・バーノさんは、盗作された '92年5月に訴えていた。」 とされる報道内容だ。
■'95年8月5日発行分■
今、マイアミの水族館で25年間も働いたシャチのロリータを海に返そうという運動が始まった。しかし10億ドル産業に成長した水族館はこれに反対し、政府に圧力をかけてこの運動を阻止しようとしている。
シャチを主役にした映画 「フリーウィリー」 の製作会社は、この夏封切られる2作目の宣伝も兼ね、ロリータ解放運動を応援している。自然に返るウィリーの姿にロリータをだぶらせるのが狙いだ。シャチのロリータを自然に返す運動はこれからだ。
'93年、「フリーウィリー」 で主役を演じたシャチのケイコを故郷に返す運動の方はアメリカで高まっているようで、メキシコの水族館からアメリカのポートランドに移すことになり、何年もかけて自然に返すためのリハビリを行なうということだ。
映画の中で、少年がシャチのケイコを海に逃がそうとした努力が現実になる日も近いようだ。
■'96年2月5日発行分■
アメリカで 「フリーウィリー」 の映画を観て感激した人たちが、ケイコを野生に戻そうとアメリカの自然保護団体が主になり 「Free Willy / keiko Foundation」 という基金を設立、7億円が集まりました。
3.5トンのケイコは、当時サリナス大統領が日本びいきだった為、オスだったが "ケイコ" と名づけました。
ケイコは、メキシコからアメリカのオレゴン州まで最大級のコンテナに入れられ C130型輸送機で運ばれましたが、長い間人口の塩水に浸けられていた為に皮膚病に冒されていました。
また自然環境の中で自分でエサを獲ることが出来ない為、まず港のそばの広いリハビリ用の容積750万リットルのプールで野生に戻れる訓練を受けてから、故郷のアイスランドの海に返し、ケイコの家族と対面させる予定だそうです。
【※追記 - その後、さまざまな経緯をへて無事アイスランド近海に戻される。しかし人慣れしている為か、ノルウェーの人里近くに好んで定着していた。そして映画撮影から11年後の '03年12月12日、急性肺炎にて死亡。そのニュースもまた広く伝えられた】
■'97年4月5日発行分■
マイケルの出廷は予想外だったため、午後2:45に裁判所の第5法廷にマイケル本人が現われたのには裁判官も驚きを隠せなかった。
'91年、アルバム 「DANGEROUS」 からのシングル 「Will You Be There」 が、イタリアの歌手アル・バーノさんの 「I Cigni Di Balaka」(バラカの白鳥)からの盗作だとの訴えの陳述に対し、それを否定するためにマイケルは75分間証言をした。
その間マイケルは膝の上にきちんと手を揃え、一度も足を組むこともなく厳かな姿勢で裁判に臨んだ。また、必ず 「マエストロ・アル・バーノ」(アル・バーノ先生)と敬称をつけて原告を呼んだ。
元々、'91年にマイケルのシングルが発売された直後にアル・バーノさんは民事訴訟の手続きをしたが、マイケル側は裁判の手続きを拒否したそうだ。
「ローマでのコンサートを待ったり、告訴状を送ったり… やっとローマで裁判を行なう事を承諾させるのに2年間もかかった」
と、アル・バーノさん側の弁護士は語っている。
民事訴訟の方では '94年に判決が言い渡され、マイケルが敗訴した。マイケル側はこれに対し上告したが却下。現在イタリア国内では、「DANGEROUS」 のアルバムには 「Will You Be There」 が入っていないものしか売られていない。
民事訴訟の過程で、マイケルがなかなかこれに応じなかったためアル・バーノさん側の弁護士は刑事訴訟も起こし、今回に至ったというわけだ。
アル・バーノさん側は、「マイケルの曲は37ヶ所が自分の曲と同じだ」 と主張している。
マイケルはこの法廷で、
「まず、もっと早くこの法廷に来ることが出来なかった事をお詫びします。」
と切り出した。そして、
「訴訟が起こされるまでアル・バーノ先生の曲を1度も聴いたことが無いし、面識も1度もありません。何ヶ所か似た部分はありますが、全くの偶然です。僕の人生の中で、いかなる物も奪ったり盗んだりしたことは1度たりともありません。これらの告発は全く根拠の無いものです。」
と述べている。
マイケルは開廷中に何度か起こった音響システムの故障に微笑む余裕も見せ、
「僕はイタリア語も解らないのですから、アル・バーノ先生の曲を復唱することすら無理なのです。」
と述べた。
そして3月中旬、この裁判の判決が下った。
確たる証拠が無いということで、原告アル・バーノさんの敗訴。
「"Will You Be There" は今後も引き続きパフォーマンスしても良いし、アルバム "DANGEROUS" も この曲を入れて販売しても良い」 という事になった。
アル・バーノさん自身が作った歌は、イタリア国内のみで歌われている。
■'98年2月5日発行分■
ローマの裁判官は '97年11月20日、マイケルに有利な判決を下した。
アル・バーノさんは、マイケルとソニーへ正当な費用を支払うよう命令された。裁判官による公式通知については1月中旬に受け取るそうだ。(※1月19日に発送)
マイケルの著作権担当であるイブ・ワグナー弁護士は声明文を出した。
「再びマイケル・ジャクソンは、もう1度嫌疑を晴らしました。正義が通って大いに喜んでいます。遺憾ながら、名声はたびたび根拠のない訴訟の的になり過ぎてしまいます。」
■'99年6月5日発行分■
ローマの法廷において本日、マイケル・ジャクソンがイタリアの歌手アル・バーノ氏の歌 「I Cigni Di Balaka」 を盗作したとして有罪とされました。
しかしながら法廷は、損害賠償額についてアル・バーノ氏の請求額 約300万ドルを却下。代わりにそれが3千ドルに値するとしました。(マイケルが罰金を支払う必要がないことを意味します。)
法廷は、マイケルが約1万ドルの法律費用を支払うように命じました。
マイケルの弁護士イブ・ワグナー氏は、ローマで起こされた 「Will You Be There」 が盗作であるというマイケルに対する評決を批判しました。
「裁判所の裁定は、全くもって正しくない。正義の誤りである。剽窃の調査結果を証拠立てるものは無かった。起訴は、その問題の全要素 ― ミュージックのオリジナリティー・入手手段・著作権を証明することが出来なかった。裁判官は、アル・バーノ氏の歌のオリジナリティー不足を示して圧倒的な証拠を除外した。」
イタリアの刑法に従って、マイケルは誓約の下で証言することを許されませんでした。しかし、剽窃を否定して短時間の声明をすることだけを許可されました。
シルバーノ・ブソッティ裁判官自身によって指名された証人でさえ、次の意見を述べました。
「私が到達した結論はただ1つである。他人の文章を盗んで使ったと呼べるものは全く無いと思う。そして私たちは、打ち消しがたい確信を持って、絶対にアル・バーノ氏の歌からマイケルは何も借用していないと断言することが出来る。」
さらに、同事件を並行して扱った民事訴訟での3名の裁判官らは、マイケルのために '98年1月、判定を下しました。アル・バーノ氏に、マイケルへ法律費用を支払うように、と判定したのです。 (※前段を参照)
「裁判官は、民事訴訟での3名の裁判官によるマイケルのための裁定・マイケルによって公開された証拠の全て・マイケル本人の証言さえをも無視した。この裁判は不公平な結果に終わった。マイケルが民間法廷では既に有罪ではないと裁定されたというのに、どうやって裁判官が、マイケルは有罪であると裁定できるのだろうか。裁定はとてもおかしなものである。」
「マイケルは、すぐに上訴することを考えている。そして私たちは、この決定が逆転されることを確信しています。」
ワグナー弁護士は、マイケルがこれまでに起こされた著作権問題で、4件が4件とも全て勝利を収めていることを語りました。そして今回の場合も、最後にはマイケルが勝利すると確信しています。
[Source : MJJ Production fax communication to MJIFC] (thanks MJIFC)
■'99年12月5日発行分■
正式な通達を受け取ったとワグナー弁護士が語りました。
こうして7年間も続いた裁判は幕を閉じました。
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= Give In To Me =
■'92年7月5日発行分■
「マイケルはとても理解があって、俺のやりたいようにやらせてくれたんだ。
マイケルは、ドレパンツにTシャツ姿でとても気さくだったし、想像とは全く違っていた。
その後、一緒に 「MTV10th」 ('91年11月15~16日に収録) で共演したけど、マイケルはすごい完璧主義者で何回もやり直しをして、でもそれで仲良くなって時々TELでしゃべったりするし、一緒にビデオにも出るんだぜ。」
(※この "ビデオ" というのは恐らく 「Give In To Me」 のこと)
(※ 「MTV10th」 収録の体験レポートは コチラ。)
■'92年8月5日発行分■
■'93年5月5日発行分■
■'93年6月5日発行分■
■'96年6月5日発行分■
「 "Give In To Me" のバックに入れたギターは、サンプリングに合わせるのではなくバンドを連れて来て、それと一緒に弾いたから上手くいったんだ。」
と、マイケルとの仕事が良く出来たことを語っている。
■'98年12月5日発行分■
このSwolfs氏はベルギーで最も有名な漫画家の1人で、音楽でも多少は成功しています。
Swolfs氏は、マイケルが自分の音楽を盗作したと主張し、損害賠償金7,500万ベルギーフランを要求しています。
彼は 「Boulevard Des Reves Brises (英題: Boulevard Of Broken Dreams)」(1987年) を書きましたが、マイケルが発表した 「Give In To Me」(1991年) で曲のメインテーマを盗まれた、というもの。 両曲とも、Warner Chappell Musicによりリリースされています。
ベルギーのブリュッセルで6日にこの問題に取り組みますが、Warner Chappell Musicは非常に困難な状況に立たされることになります。
【※追記 - その後、続報は全く聞こえずじまい。早期に棄却された可能性が高いと思われる。】
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= Gone Too Soon =
■'92年1月5日発行分■
「ライアン・ホワイトに捧げる。彼の魂は私たち全ての内に今なお生きている。君がいなくて淋しい。」
■'92年8月5日発行分■
■'94年1月5日発行分■
= Dangerous =
■'93年2月5日発行分■
マイケルが第20回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)のオープニングを飾ります。グラミー賞以上の視聴率が見込まれています。
TVでのパフォーマンスは4年ぶり。マイケルは5部門にノミネート。
NHK BS-2にて生中継は1月26日(火)9:30am~、録画放映は27日(水)7:30pm~に放送されました。
ホストにボビー・ブラウン,グロリア・エステファン、パフォーマーにマイケル・ジャクソン,ビリー・レイサイレス,アンヴォーグ他。
【※追記 - 「Dangerous」 1stパフォーマンス。
しかし両日とも音声が微妙に遅れた放映であった。
ホストによる開会宣言をも差し置いた完全なオープニングアクトで、その直後からは正常に調整されたが、大元のアメリカ側の放映トラブルか日本側のトラブルかは定かではない。
数ヶ月後、(おそらく異例の)3度目の放映がなされ、ようやく映像と音声が合致した 「Dangerous」 パフォーマンスを堪能できた。】
■'94年3月5日発行分■
この訴訟は、アルバム 「DANGEROUS」 の発売当初から起こされていたもの。
コロラド州の女性シンガー・ソングライターのクリスタル・カルティエさんが9年前に作詞作曲した 「Dangerous」 を '91年7月に著作権登録していたが翌'92年に無断で曲を発表されたというもので、マイケルに4千万ドル(約43億2千万円)の著作権侵害賠償を求めていた。
裁判は2月14日にコロラド州デンバーで行なわれ、マイケルは白いバンで裁判所に入り、オプラの時の黒版の服を着て髪を後ろに1つに束ねていた。
そしてマイケルは法廷で、例のごとく "オプラの時のアカペラ状態" で、指を鳴らしフレーズを口ずさみ、ポコパコ言いながら歌を歌って自分の作品だと説明。詞も曲も自分で創ったもので、カルティエさんのデモテープなど聴いたことは無いと証言しました。
また、マイケルを支持する音大の教授がマイケルとカルティエさんの曲の違いを説明し、陪審員は評議の結果 わずか4時間弱ほどでカルティエさん敗訴=マイケル勝利の判決を下しました。マイケルにアカペラで歌われたらぐうの音も出ないって所でしょうか。
しかし、カルティエさんは敗訴したにも関わらずなんだか嬉しそうだったなんて話もあります。シンガー・ソングライターとしては、マイケル・ジャクソンのアカペラを生で聴けた事が光栄だったのかも?
ちなみにカルティエさんの 「Dangerous」 は、千枚程度しか売れなかったそうです。
■'94年4月5日発行分■
その販売元が、なんとデンバー地方裁判所というのがアメリカらしい… というか、ホントかなぁと首をかしげる話。
AMA'93のリハーサル
■'94年5月5日発行分■
収録内容は、作曲法の説明入りで 「Billie Jean」 の時は車の中でベースを思いついたと説明し、突然ベースラインをアカペラで歌いだす等。
その他 「Dangerous」 をアカペラで歌ったり、カルティエさんのデモテープを流したりした様子が克明に録音されているこのテープは15ドルで、ファンの間では必携アイテムとして流れていると報じていました。
アメリカでは裁判の模様がよく映像で流されるが、この時のマイケルの様子はイラストでのみ伝えられていた。
テープでは、自信を持ってハキハキ答えて笑い声も交えながらアカペラで歌うマイケルの様子が収められている。
■'96年1月5日発行分■
今回ここに要約されたものは、メンバーのKさんが2人の外国の方を通しまとめて下さったものです。この外国の方のお1人は英国人・もう1人は日系米国人の方だそうです。
Kさんいわく、
「必ずしもマイケルが優勢だった訳ではなく、にも拘らずスピード判決でマイケル勝利となった事について、米国人の方が解釈して下さった事によると、テープには裁判官たちの私語もハッキリ録音されており、カルティエさんに対し非常に悪い印象(「なんだ…あの格好は」 というハスッパな女のイメージ)を抱いているのが受け取れ、マイケル有利状況を生んだのでは…という意見でした。」
とありました。
私たちにしてみれば、「またこんな訴えが!」 と一笑に伏したい事でも、マイケルにしてみれば1つ1つ順を追って処理して行かねばならない雑務(?)なわけですから、本業以外の事でどんなに神経を使っていることか… と、改めて痛感させられますね。
マイケルの答えから判ったこと :
(ここで 「Dangerous」 のスタジオレコーディングが法廷で試聴された)
マイケルの答えから判ったこと :
(個人的な意見としては2つの歌は非常によく似ている)
'95年9月7日のMTV-VMAでのパフォーマンス
■'99年4月5日発行分■
マイケルは、また勝利を収めました。
デンバー連邦判事は、カルティエさんによって起こされた著作権問題の勝利の証として、マイケル側に弁護費用の20万ドルを差し出す事と裁定を下しました。
この判決は、5年前にデンバーの連邦判事が、「マイケルは "Dangerous" を盗作していない」 としたところによります。連邦判事は、原告の申し出は不当でかつ道理に合わないと判定。
マイケルの代行者でデンバーの地方弁護士であるイブ・ワグナー氏は、勝利のコメントをしました。
「我々は、この裁決を嬉しく思っています。成功を収めたアーティスト達は、このように根拠のない訴訟に対してかなりの額の支払いを強いられることがあります。不運にも、偶発的な料金システムでは、原告の多くは支払いをしません。もし彼らが勝ったなら “ジャックポットを当てた” ことになる。 (※スロットマシーンに置き換えた例え。彼らは訴訟自体をギャンブルのように考えているという事)
この訴訟の場合、判事はこの報酬20万ドルについて、被告のマイケルに対し今後も度重なるであろう訴訟を阻止しようという裁定をしました。幸運にもこの裁決は、同様の件で訴訟しようと目論む原告やその弁護士を思い留まらせるに足るメッセージとなるでしょう。」
またワグナー弁護士は、
「マイケルはこれで、自分に対する著作権侵害訴訟で4つの勝利を収めたことになります。」
と付け加えました。
以前の訴訟として、'84年の 「The Girl Is Mine」、'94年には 「Thriller」,「We Are The World」,「The Girl Is Mine」 が訴訟対象となりました。 最近のものでは '98年イタリアでの 「Will You Be There」 がありました。
[Source : MJJ Productions]
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