【 HIStory World Tour NEWS 】
- part.2 -

HIStoryツアー関連ニュースを、
当時の会誌記事よりピックアップ。
(各地のコンサートレポート内で記述した事は基本的に省略)


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ツアー 1st Leg
= 1996年 =


■'96.10.5発行分■  
  • 9/6 マイケルはハベル大統領と会見した。会見会場はコンサート会場近くのプラハ城
    2人はしばらく雑談をした後、ハベル大統領が城の中を案内した。
    元・劇作家のハベル大統領は、ロック等の音楽にも詳しいということだがマイケルの音楽は好みではないことを認めている。しかし社会現象としてのマイケルに大変興味があるということで、直に会ってとても嬉しそうであった。



  • 9/7 2年10ヶ月ぶりのツアー "HIStory World Tour" が、チェコプラハにあるレトナ公園でスタートした。
    30ヶ国近くからの約600人のマスコミ音楽関係者が集まり、会場までの移動用に大型観光バス10台以上が詰めかけ交通がマヒ状態となった。地元の人達は、こんなに取材陣が世界中から大挙して押し寄せたのは社会主義体制が崩壊した1989年以来だと語った。
    コンサート初日とあってファン達も待ちきれず、雨の中で開演のかなり前から会場に集まって来た。会場の入口にファンが殺到して約60人が軽いケガをした。
    7万平方mほどの原野を約12万2千人もの観客がびっしりと埋め尽くし、一斉に地面を足踏みする。
     「これから歴史が始まります」
    という場内アナウンスが、チェコ語・ドイツ語・英語・日本語など世界各国の言葉で流れた。
    爆音とともに宇宙ロケットが舞台に現われ、その中から頭~つま先まで全身覆いかぶされた宇宙服姿のマイケルが登場!
    オープニングナンバーは "Scream"。ステージではCGなども使われている。
    大型輸送機で持ち込んだ機材は 10tトラック20台分,同行スタッフ250人・現地調達を入れると300人以上にもなる。
    マイケル本人は側近と専用小型ジェット機で,総勢250人のスタッフはボーイング747型機で各国を移動するとのことだ。
    ステージセット217tの組み立てに3日間,細部の調整に2日間,解体に1日かかるそう。
    チケット代は1枚 2,450コルナ(約1万円)だった。


    ※プラハレポートは REPORT-1
    HIS tour@プラハ '96』 をご参照


  • 9/9 プラハの次のコンサート地 ハンガリーブダペストで、同市内のオーディオショップに黒マスク・黒シャツ・黒い上下姿で現れたマイケルに、1千人を超えるファンが殺到した。
    マイケル見たさに熱狂したファンが押し寄せたため、店の窓ガラスが割れる騒ぎが起きた。
    マイケル自身が店の前で、ファンに向かって手振りで "下がって下がって" と訴えた。
    また、ボディガードら警備員をかいくぐって目の前に接近した若い女性の頭をマイケルは優しく撫で、さらにその女性を引き寄せ抱きすくめた。(約10秒くらい) マイケルが体を離した直後、女性は失神。すぐにボディガードが担ぎ出す、というハプニングもあった。



  • 9/13 ルーマニアの首都ブカレストの孤児院を訪ねた。
    コンサート前に子供たちの舞台を観たマイケルは、
     「私たちの兄弟を戦場に送る代わりに、世界中はこの地のこの姿を見てほしい。
     これは私たちの本来である子供たちです。私はあなた達すべてをとても愛しています」

    と語った。



  • 9/14 ブカレストのコンサートの為に7万人のファンが集まった。

  • 9/15 何百人ものファンが待ち受けている中、モスクワに到着。
    白とブルーの2色のカサに黒のダブルの上下・黒のシャツ・帽子という出で立ちで専用機から降り立ったマイケルをひと目見ようと、雨の中たくさんのファンが集まり絶叫した。
    空港での歓迎式典のあと、警察の車で『赤の広場』に近い最高級のホテルへと移動した。
    ホテルの前にも熱狂的なファンが詰めかけていた。ホテル前に姿を現したマイケルは黒いマスク姿で登場、ファンの声援に手を振り 投げキッスをして応えた。
    モスクワ滞在中はあまり外に出ないという事で、この貴重な機会にマイケルを見ることが出来たファンは大きな歓声を上げた。
    しかし孤児院訪問とちょっとした観光は予定しているという事だった。

  • 9/16 マイケル自身が主催したチャリティー行事のお礼にとモスクワ市長がマイケルを市庁舎に招いた。
    市庁舎の前にはファンが大勢あつまり歓声を上げていた。
    紺のダブルの上下・赤いシャツ・黒いマスクで入り、中ではマスクを取りサングラスをかけた。
    ユーリルツコフ視聴からチャリティー活動を行なった事に対しての感謝の意を込めた記念のプレート(赤い絵柄の大皿)を贈られた。
    カップの飲み物を一口飲んだ後、市長がこのプレートをテーブル越しに片手で差し出している間、マイケルはいつまでも拍手していた。すると市長は手が疲れてプレートを落としそうになり、その寸前にマイケルがそれを受け取った。

    この後、マイケルは1人の熱烈なファンに会った。この人はエリツィン大統領の元ボディガードで、かつてはKGBに所属していたアレキサンドル・コルチャコフ氏だった。
    彼は憧れのマイケルと会うと、通訳を通して 「あなたの音楽をとても愛している」 と伝えた。
    この異色のファンに、初めはマイケルも面食らっていたようだが、皇帝ニコライ二世の持ち物だったというサーベルを贈られると、丁寧にお礼の言葉を述べた。



  • 9/17 モスクワの4万5千人収容できるダイナモスタジアムで大観衆を魅了した。

  • 9/18 モスクワの最終日に、マイケルは観光に出かけた。
    沢山のファンが歓声を上げる中、『赤の広場』を訪れたマイケルは、広場近くのセントワシリー寺院などを見物した。
    途中、ファンの列に手を振りながら前進していたマイケルに向かって、金髪で黄色いセーターを着てぬいぐるみを持った1人のファンが列から抜け出し走り寄って来たために、マイケルはその女性の頭を撫でて抱いてあげた。
    それを見た他のたくさんのファンがマイケル目がけて列から離れて抱きつくなど揉みくちゃにされ、ボディガードに助けられる状況になった。
    あまりに多くのファンが殺到したため、"遠くからでも誰でもが自分を見れるように" とマイケルは自ら自分のワゴン車の屋根に上がり 手を振ったりサインをする等のファンサービスを行なった。
    その後、第二次世界大戦の終戦50周年を記念して昨年オープンしたビクトリーパークを訪れ、ロシア軍の楽隊の行進を見学し 飛び入り参加した。制服の上下のみを借りて着たマイケルは、楽隊の先頭に立って一緒に行進するというサービスぶり。
    こうしてコンサートの合い間のオフ日を楽しんでいた。

  • 9/18 モスクワ空港を発つ時のこと。
    アレキサンドル・コルチャコフ氏からプレゼントされたサーベルを見た税関当局がストップをかけた。マイケル側が必要な書類手続きをしなかった為だということだ。
    サーベルは、かつてのロシアの皇帝ニコライ二世が所有し、勇敢な行為に対して少将に授与されていたものだった。

  • 9/18 マイケルは、20日のコンサートを前にポーランドワルシャワに、2人の子供と一緒に到着。空港では何百人もの絶叫ファンが彼を歓迎した。
    休日にはマイケルは、ポーランドの大統領と会見し、チャリティーや音楽について話をした。この会見は大統領とその夫人,マイケルとマイケルのカメラマンだけで行なわれ、どちらかといえばプライベートのものだった。多くのチャリティー活動をしている夫人と共に、マイケルの行なっているチャリティー活動について話し合われた。
    その後マイケルはおもちゃ屋に出向き、その後宿泊するワルシャワのマリオットホテルに着き、大規模な群衆に歓迎された。
    寒かったにもかかわらずマイケルは外でサインをし、話し、ファンから花も受け取った。それからホテルの中に入ったのだか、少ししてマネージャーと話し 再び外に出て来てファンに会いサイン等をした。マイケルはホテルの40階に泊まっていた為に、ファンに手を振ったり物を投げたり出来ないからだった。



  • 9/20 ポーランド公演は初めてで、ワルシャワ郊外の使用されていない空軍基地で行なわれ、約12万人の観客を動員した。
    翌21日、4日間滞在したポーランドから、次の公演地スペインへ出発した。




  • 9/20 マイケルの日本公演がこの日、"12月に東京ドームで4回公演を行なう" ことが正式に決まった。
    日本公演までで世界16ヶ国36公演,観客動員300万人突破・最終的には500万人を超えるのは確実で、"HIStory World Tour" は最終的には観客動員数としては記録的なものになる。

  • この会誌を編集している段階で、"皆さんの手元に届く頃に間に合うのかどうか分からない" といった状況です…。 いつも詳細のつかめないマイケルのコンサートですが…、私たちも印刷所に入稿するギリギリまで粘ってこれを書いていますのでご了承下さい。
    詳細はお近くのチケットセゾン,ファミリーマートでお確かめ下さい。それぞれ電話のかけ方などが違うようですので注意して下さい。




  • 10月11日・13日に公演予定の韓国ソウルでは、『少年少女の精神に悪影響を及ぼす』 として 「マイケル帰れ」 と書いたプラカードを掲げ、数十人の学生が公演反対の抗議集会を開いた。
    その近くでは、公演スポンサーが企画した 『マイケルものまねダンスコンテスト』 に約200人が集まるなど根強い人気もあった。

  • マイケルの初の韓国公演を国が許可したと前回のNEWSで載せたが、今度は韓国のキリスト教団体と50の市民団体がソウル公演を阻止しようと反対運動を展開している。
    この団体は、チケットを販売する会社に対して 「不買運動をする」 との電話やFAXまたは街頭運動によって公演阻止を呼びかけている。
    公演反対対策委員は
     「彼のスキャンダルを考えると青少年の教育に良くない」
     「無罪になったけれどスキャンダルを起こしたことは事実だ。国民の消費過多が問題化している時にこんな公演代は無駄遣いだ。公演に関わる企業に対しては不買運動を展開する」
    と言っている。チケット代は最高価格12万ウォン(約16,000円)。
    反対運動がエスカレートする中、公演阻止を訴える女性がマッポ大橋から飛び込み自殺を図った。
    こうした中、主催者の中心である大手広告代理店が撤退し、公演実施の前提となる損害保険の契約も未だに結べない状況だ。 大手損害保険会社は
     「公演反対の世論を考えると会社のイメージダウンになるし、保険の大量解約や不買運動も心配でこの公演に関われない」
    としている。
    チケットの発売日でも、大手のチケット売場では
     「販売もしていないし今後も未定」
    とのことで、チケット店頭発売は中止、現在は電話予約のみの受付だそう。
    主催のテウオン芸能者の社長は
     「民主主義国家なのだから、公演を観たい人には観る権利がある。政府の後押しがもう少しあれば我々も助かるのだが…」
    また、マイケルを待ち望むファンがいるのも事実で
     「みんな観たがってるのに、なんで反対するの?」
    との声もある。
    主催者によると、韓国に駐留しているアメリカ軍から大量の注文が入っており、チケットの売れ行きは上々とのこと。
    一方、アメリカの黒人人権団体は 今回の反対運動は人種差別の背景があるとして韓国の反対運動の組織に抗議の書簡を送るなど、騒動は収まりそうもない。
    マイケル側は、たとえどんな困難があろうとコンサートは予定どおり行なうとのこと。

■'96.11.5発行分■  
  • ≪※会誌冒頭文から抜粋≫
    今回のツアーでは これまでのところ、各ホテルでのお出かけ時、今までのマイケルだったら駐車場から走り去るように出て行くことが多かったのに比べ、全てのホテルで正面玄関に車を横づけにしてロビーを歩いてくれています。
    これには警備の方々もかなりのご苦労があるようですが、日本人ファンは比較的おとなしく(?) マナーも良いから、ぜひぜひ歩いて戴きたい! とは思っていますが、警備を慎重に慎重をかさねるのも日本。 日本だけは実現しないのかも…と かすかな不安を持っています。
    マイケルはとってもファンに積極的だし、以前よりも堂々としていて(チョコチョコしてないし落ち着いてファンを見渡す余裕もある)、ひと回り男っぽく頼もしくなった感じです。

  • 福岡ドーム 追加公演決定
    ローソンにて案内されている内容が下記です。他にダイエー,ぴあ等の案内もあるかもしれませんので、各自 調べてみて下さい。
    今後のチケット売買に関する投稿は次号発送分には間に合いませんので控えて下さいね。



  • 9/7 チェコプラハのコンサートには、国外から4万人のファンが駆けつけました。中でも海外アーティストから高い税金を取るので有名なドイツから 「来てもらえないのならこっちから行くわ」 というファンが沢山駆けつけたそうです。
    ステージでは、マイケルはダンスをする時暑いので、先から冷たい空気が身体に吹き付けるチューブを縫い込んだジャケットヴェルサーチに頼み、35,000ドル支払ったそうです。

  • 東ヨーロッパツアー3人の少年を同行させている事が判り、以前子供に対する猥褻行為の疑いを持たれた事があるだけに、新たなスキャンダルに発展しないかと周囲の人々は不安を抱いているそうです。
    が、側近の不安もよそにマイケルは何度周りの人に注意されようと聞き入れないそうです。

  • 10/6 アフリカ北部のチュニジアにマイケルは初めて訪れました。
    イスラム教徒が多いこの国でもマイケルは大歓迎を受け、チュニジアの首都チュニスの空港に降り立ったマイケルは、詰めかけた大勢のファンの熱狂ぶりに驚いた様子でした。 コンサートのチケットは全て売り切れ、待ち切れないファンがひと目見ようと空港に詰めかけました。



  • 10/7 チュニジアでの夜のコンサートの前に 会場には昼からファンが殺到し、6万5千人収容のオリンピックスタジアムは満席となった。
    マイケルはコンサートの収益をすべて救援募金に寄付しました。




  • ※韓国&台湾レポートは REPORT-1 『HIS tour@韓国&台湾 '96』 をご参照

  • マイケルが10月9日に初のソウル入りするのにあたり、訪韓中は会場整理や周辺警備のための警察官ら4,500人が動員されるなど国家元首並みの扱いとなりました。
    肝心のチケットの売れ行きは不振を極め、興行会社では11日と13日の2日間で計12万人の有料入場者を見込んでいましたが、10月8日現在で売れたチケットはわずか半分、4万ウォン(約5,300円)~12万ウォン(約16,000円)までの5種類のうち中間クラスのチケットが特に売れ残っています。
    マイケルがやって来るのを誰もが歓迎しているわけではなく、キリスト教団体の反対に遭ったり、そもそもマイケルのコンサートは2年前にも計画されたが若者のモラルに悪影響を与えると文化大臣がストップをかけたという経緯もあり、今回は文化大臣は開催を認めたものの、パフォーマンス中に卑猥なジェスチャーや発言をしない事という条件をつけたのです。
    そんな周囲の状況とは裏腹に、ソウルではマイケルブームが起こり、繁華街ではコンサートを待ちきれないとばかりに "ものまね大会" などのイベントが開かれ200人が参加、ファン達で賑わいました。
    反対運動が行なわれたりした状況の中で新しいFCも作られる等マイケル熱が増し続けています。

  • 10/9 公演のために初めて韓国を訪れたマイケルは、金浦空港に珍しい黒地に水玉のジャケット姿で現れ、ひまわりの花束を渡されました。
    空港では熱狂的なファンが駆けつけ 一時は大混乱となり、3,600人の警察官と150人のボディガードが厳重に警備するといった物々しさとなり、マイケルが車に乗り込もうとしたときも警備をすり抜けた過激なファンが彼に抱きつき騒然となる騒ぎも起こりました。

  • 韓国公演のために空輸されたステージ装置は550t,ダンサーだけでも178人,警備は500人以上と常識はずれのスケールで行なわれ、単独公演の規模では韓国国内公演史上最大でした。
    韓国の大衆音楽評論家は
     「韓国側のスタッフもコンサートを成功させるため最善を尽くした。観客が、韓国のより質の高い音楽を求めているという事だ」



  • 一方 マイケル側は、観客のホームビデオやカメラの持ち込み禁止はもちろんの事、放送用のカメラ等 取材陣の接近を制限しました。(実際はホームビデオ,カメラの持ち込みは日本よりかなり甘かったのですが)
     「こんなにすごいショーは今後二度と観れないかもしれない。コンサートというよりミュージカルのような感じだったよ」
     「これまで観たどんなショーよりもファンタスティックだったし、大人たちが想像するよりもずっと健全なものでしたよ」

    と観客の声。
    多くのファンが熱狂しましたが、1992年にニューキッズオンザブロックの公演で起こったような観客の事故もなくスムーズに進行し、無事に終わりました。観客のマナーも成熟した印象だったのは40代以上のファンが意外に多かったのもその理由のひとつかもしれません。
    マイケルの今回の公演は、10月13日(日)は満員御礼となったものの 平日に行なわれた公演(10月11日)は約7割の入りで、予想外の売れ行きで終わりました。

  • 10/14 訪韓6日目、マイケルはキリスト教教会を訪問したり キムスハン氏に逢うなど最後のスケジュールをこなし、台湾に向けて出国しました。
    現在行なわれているワールドツアーの制作コストは、1週間で約2億5千万円。数字が本当ならば、以前と異なりスポンサーがいない今回のツアーはとても黒字にすることは出来ないそうです。



  • 10/14 マイケルは台湾に到着。
    その前の韓国で大人気だったマイケルは、台北の空港に降り立つと ここでも大変な数のファンに迎えられ、ファンに揉みくちゃにされながら何とかホテルに辿り着くと、ホテルの前では何百という風船が空に向かって飛ばされ、ブラスバンドの演奏が行なわれ、ホテル挙げての歓迎を受けました。
    ホテルの外では数百人がマイケルの部屋の窓めがけて昼夜を問わず黄色い声を上げ続けました。
    マイケルが泊まり 疲れを癒すホテルのスイートルームは、広さ100畳以上,マイケルが気ままに過ごせるよう山盛りのチョコレート,バスルームにはミネラルウォーターまでがズラリと揃えられていました。
    天井と柱は風船だらけで装飾され、窓には 「WELCOME BACK WE YOU MICHAEL JACKSON」 と黒と赤の風船で大きく書かれていました。

  • 台湾ではマイケルへのボルテージが上がりっぱなしで、マイケルが台北市内第一電気店に入ろうとしたところ、報道陣とファンの間で殴り合いの大乱闘
    マイケルがよく見える場所取り争いだそうだが、議会での大乱闘も日常茶飯事の台湾ということで大迫力の殴り合いでした。

  • 10月16日のコンサートが、ライトの故障修理や機材の遅れで 10月22日(火)まで延期された為、マイケルを巡る台湾での騒ぎも長引きました。
    コンサートは、台北のサッカー場で2回,高雄市で1回行なわれ、満員のファンが詰めかけました。

  • 10/29 東京ドーム等に置かれた10mのマイケル像が、12月の日本公演を行なう前にこの日、東京・千代田区二番町の日本テレビ前に設置されました。
    同局は今回の公演を主催していますが、この像は11月4日(火)まで同局の前に設置され、その後は渋谷,新宿などを巡った後、東京ドーム前に移動する予定だそうです。


    ※日本でのマイケル像レポートは 
    REPORT-2 『彫像マイコー日本上陸 '95』 ご参照


  • 10月末にマレーシアで計画されているコンサートが地元自治体の拒否に遭い、宙に浮いているそうです。
    セックスアピールを強調した公演がイスラム教を国教とするマレーシアの青年層に悪影響を与える恐れがあるというのが当局の言い分。
    10月27日にクアラルンプール郊外のシャー・アラム市で開かれる予定でしたが、10月7日になって地元セランゴール州当局が、主催者側から出されている許可申請を拒否する事となりました。
    また、他のイスラム教徒の国も反応が手厳しく悪影響を与えると懸念されているとされた為、予定されていたモロッコエジプトへの訪問はキャンセルされそうです。

  • マレーシアクアラルンプール公演は一時中止になりましたが、ファンの強烈な要望の前に屈し 急きょ予定どおり行なわれる事になり、国王も観に行ったそうです。

  • インドで11月1日に予定されているコンサートの中止を求めてボンベイ裁判を起こした弁護士は、
     「国立の施設では個人のショーを禁じている法律があり、それに違反している」 と訴えました。

  • 11月1日にインド西部のボンベイ(ムンバイ)で行なうマイケルのコンサートの主催者は、ヒンズー至上主義の極右政党 シブ・セナとのトラブルを懸念して 純益の約85%を差し出すという先手を打ったという見方もあるが、主催者側は 慈善の一端であることを強調。
    マイケルのインド公演は、初めて500~600万ドル(約5億5千万~6億6千万円)の売り上げが見込まれているそうです。

  • マイケルはコンサート以外のオフの間、彼らしい趣味嗜好を見せて大勢のボディガードを従えていろんな所に行っています。
    彼の望みは 「普通の旅行者と同じ事をする」 だそうです。


    CDショップ前は黒山の人だかり

■'96.12.5発行分■  
  • 10/10 米VH-1で11時,16時,23時に、ファンからのリクエストに対してのマイケルのインタビューが放映された。
    来年'97年にはアメリカツアーと、南アフリカのコンサートをHBOスペシャルとして放映する計画があると語った。
    [※ MJ Talks 『VH-1 '96インタビュー』 参照]

  • 10/18~22の間、台湾で3回コンサートを行なった。2回は台北で、もう1回は高雄
    3回目のコンサートでは、3万人収容の中山足球場に4万人以上のファンが集まった。
    マイケルは、2千人の子供たちを無料で招待した。


    台湾・高雄の知的障害児施設の子供たちと


  • マレーシアクアラルンプール公演は、一度はイスラム教徒の反対で中止になったが、プロモーターの願いが叶い実現した。国王も観覧。

  • マイケルがステージで着ているジャケットにはエアコンシステムが組み込まれており、ライトの熱やダンスでかく汗を抑えている。

  • マニラでは、マイケルを迎えるにあたり各界の人々が次のようにコメントしている。(この国では児童虐待疑惑が尾を引いていた)

    Picsoの会長
    :「私はマイケルを歓迎したいと思います」
    上院議員
    :「この国にはもっと酷いことを言う人間が沢山います。(虐待事件以上にという意味) しかし私は、マイケルの才能を皆が楽しめばそれで良いのだと思います」
    マイケルの弁護士
    :「マイケルは性的虐待など行なっていない。とんでもない言いがかりです。マイケルは近所に住む子供たちを集めてお菓子を配ったりしています」

  • 10/26 マレーシア・クアラルンプールの空港に13:45に到着し、数百人のファンが出迎えた。叫びながら名前を呼ぶファンにマイケルはキスをして応えた。
    また、コンコルドホテルではファンに約5分間 外で手を振った。



  • 10/27 クアラルンプールのコンサートは4万人のファンが集まり、マレーシアではかつてない最大級のコンサートとなった。
    2回のコンサートはソールドアウトで、数百人のファンはチケットを手に入れることが出来ず スタジアムの外でコンサートを聴いた。

  • 10/30 インドボンベイ空港に着いたマイケルは、3千人のファンに迎えられた。
     「インドのチャリティーに支援できる事をぼくは幸せだと言いたいですし、コンサートを楽しみにしています」
    と語ったマイケルは、ファンと共に5分間 歓迎のダンスを観た。
    その後、スケジュールの予定になかった事で、マイケルはスラムを訪れた。サインなどをし驚かせたマイケルは、15分以上そこで子供たちと過ごした。

  • 11/1 ボンベイアンダリー・スポーツコンプレックスで6万人のファンの前でコンサートを行なった。コンサートに入れない数百人のファンがスタジアムの外で聴いていた。

  • 11/5 タイバンコクに到着したマイケルは、子供たちによる伝統的なダンス等の歓迎セレモニーで迎えられた。
    その後マイケルは孤児院を訪れて10万ドルを寄付し、子供たちに動物のおもちゃを渡した。
    夜、ムアントンタニ・シティセンターにて4~5万人の前でコンサートを行なった。

  • 11/6 バンコク滞在2日目には盲学校を訪れ、子供たちにおもちゃを配った。

  • 11/6 ニュージーランドオークランド国際空港で13時から数百人のファンがマイケルを待ち続けた。(予定では15時到着のはずだった)
    しかし飛行機のトラブルのため、空港に到着したのは19時30分だった。
    オークランドのダウンタウンにあるカールトンホテルでは、数百人のファンが列をなして待っていた。
    ホテルに着いたマイケルは、"buzzy bee"(※蜂のキャラのおもちゃ)を2人の子供から手渡され それぞれの子の頭に手をやりキスをしたり、小学生の聖歌隊が歌う "Heal The World" に足でリズムを取ったりして楽しんだ。
    ホテルの15階から上げられた数百のブルー&ホワイトの風船! マイケルはバルコニーから、"マイケルコール" をするファンに手を振って応えた。



  • 11/9,11のオークランドでの2回のコンサートはソールドアウトで、2日間で8万6千人以上のファンが集まった。
    コンサートの前にマイケルは、13歳でガンに襲われた Emily Smithちゃんと会い、話をしたり写真を撮ったりした。

  • マイケルは翌'97年1月3日にハワイホノルルにあるアロハ・スタジアムでコンサートを行なう。
    チケットは最高65ドル・最低で20ドルだが、わずか5時間でソールドアウト。
    チケットを入手出来なかったファンに対してプロモーターは、日程等は決まっていないが試験的に2回目のコンサートを計画していると発表した。(その後1/4追加公演決定)

  • ≪ステージ共演者たちへのインタビュー≫

    ダンサーラヴェル・スミス
    :「素晴らしい。プロらしく完璧主義者で手抜きはしない」
    ギタリストデイビッド・ウィリアムス
    :「毎晩やる事が僕もマイケルもお互いに違うんだ」
    ヴォーカリスト
    :「家族や友人・会場のファンの為に、ステージメンバー全員が輪を作って祈り 神に感謝し、エネルギーを高揚させてステージへ上がるんだ」


    ダンサー2名と。
    (向かって右がラヴェル・スミス氏)


    バンドメンバー達と。
    (後列中央がデイビッド・ウィリアムス氏)


    バックボーカリスト達と。

    マイケルを中心とした祈りの輪のあと、マイケルはバンドメンバーやダンサー達と最後の打合せをし、車でステージ入口まで移動。
    そしてコンサートが始まるわけだが‥‥
    裏では、マイケルが歌っているうちから取り壊しや片づけが始まっており、コンサート終了後の5時間のうちには跡形も無くなっているそうだ。
    ステージは常に7セットが各国を廻っている。



■'97.2.5発行分■  
  • 10/19 台湾・台北でコンサートを行なった後、マイケルは南部の高雄に到着したマイケルは、相変わらず熱狂的な大勢のファンに迎えられた。
    ファンが追いかけてくる中 マイケルが向かったのは、高雄政府の市庁舎。ここで市長と会見したマイケルは、その活躍を称える賞を市長から贈られた。
    高雄市はそもそもマイケルに名誉市長になってもらおうと計画していたが、この案には市議会議員やマイケルの来訪そのものに反対している社会グループから強い反対があったため取り下げられた。その代わりにこの賞が贈られたが、これにも反対する人達がいたという事だ。
    しかしマイケルはこうした反対を気にも留めていないように笑顔で賞を受け取った。

  • 10/20 高雄でのコンサートは、3万人以上を収容するスタジアム。
    会場は野外であいにく雨が降っていたが、熱心なファンは開場のかなり前から集まり、盛り上がりを見せていた。


    「ウォーアイニー!」(我愛你=I Love You)
    を連呼するマイケル

  • 10/27,29 マレーシアクアラルンプールで行なわれたコンサート会場は大きなスタジアムで、両日4万人のファンが詰めかけソールドアウトだった。
    VIP席には王室の方々の姿もあった。
    コンサート反対派のデモや興奮したファンが引き起こす混乱が予想されたため、軍隊を動員してまでの厳重な警備体制がとられたが、特に大きな問題は無かった。
    反対派のデモは実行されず、熱狂的なファンも少し騒ぎを起こした以外は比較的静かだった。
    というのも、マハディール首相がこのコンサートの開催を許可するにあたって
     「もし今回なにか問題が起こったら、今後この種のコンサートは禁止する」
    と発表した為だ。

  • 11/1 インドでの初めてのコンサートが行なわれた。
    マイケルのコンサートを待ち切れないファンが、開演の何時間も前から会場入口に列を作った。
    ファンの過激なフィーバーを警戒して警備は厳重だったが、約6万人の客が集まったコンサートは無事に終わった。



  • 11/5 タイバンコクでコンサートが行なわれた。

  • 11/6 バンコク盲学校を訪問したマイケルは黒マスク・帽子というお馴染みの姿で現れ、盲学校の生徒たちはタイの伝統的な楽器の演奏でマイケルを迎えた。
    この楽器は様々な長さの竹を繋げて作ったもので、マイケルは興味深そうに見入り 音色を楽しんでいた。

  • 11/6 ニュージーランドを訪れたマイケルは、オークランド空港に降り立った。有名なマオリ族のエンターテイナーのフォーアード・モリソン氏ら地元の人達によって王族並みに迎えられた。
    その後、宿泊先のホテルでもマオリ族の伝統的なパフォーマンスによって歓迎され、中では合唱隊の歌を聴いた。



  • 11/9,11のコンサートはソールドアウトで、8万6千人がマイケルのパフォーマンスを観た。

  • 12/4 パースでの3日間のコンサートを最後に、1ヶ月にも及ぶオーストラリアでのコンサートが終了した。
    パースでのバーズウッドドームの観客は、5万4千人。
    地元新聞は、
    「彼のパフォーマンスは "Stunnig" (気絶させる)」 と呼び、また彼を 「"Musical Wizard" (ミュージカルの魔法使い)」 と称し、絶賛した。
    始めに売り出したチケット13万枚は2時間で完売。5都市で9回のソールドアウト。また、17万枚のチケットは発売と同時に8時間でソールドアウトとなった。 その上、3回のコンサートが追加され33万人がマイケルのコンサートを観たことになる。

  • オーストラリア滞在の最期の週には、アルバム『HIStory』が再びチャートのNo.1に返り咲いた。
    レコード会社ソニー・ミュージックがマイケルのレコード売り上げに対し表彰する為、シドニーオペラハウス近くに短時間現れたマイケルに、ファン数千人が殺到した。

  • オーストラリアでのオフの時間には、タロンワ動物園でコアラ等原産の珍しい動物を見たり、ファンとともに 『GHOSTS』の試写会も観に行った。
    そしてコンサート後のホテルでは、マイケルの近しい人達だけでデビー・ロウさんとの結婚式を挙げるなど、忙しい日々を過ごした。


    ※オーストラリア滞在中のマイケルインタビューは
    MJ Talks 『オーストラリア '96』をご参照


  • 12/5 18:35、フィリピンマニラ空港に到着。
    公式の民族衣装を着たラモス首相の娘とアラマ・モレノ氏とマーク・アンソニー氏の3人は、マイケルの自家用機に乗り込んで
     「フィリピンへようこそ」
    と挨拶をし、公式に歓迎をした。それに応えたマイケルは
     「私はここに来られて興奮しています」
    その後マイケルは空港出口のゲートを通り、ひと目見ようと待ち受けていたファンに応えて車を止め、握手したりした。ファンはマイケルの行く方向を取り囲み大喜びで、空港からホテルまでの道に並んだ。
    また数百人もの人々がマニラのホテルに到着するマイケルを待った。
    "スリラー" の曲でタヒチの衣装を着けた女性ダンサーの歓迎を受けたマイケルは、出来る限りの沢山のファンと共にいる事に時間を割いた。

  • 当所、フィリピンでのコンサート会場はパサイ市のフィリピン・インターナショナル・コンベンションセンターで開催される予定だったが、市当局との利益に対する税金の折り合いがつかず、会場をマニラにする事にした。
    しかしマイケルの少年虐待疑惑を理由に、マニラ市長のアルフレッド・リム氏がコンサート開催に反対した為、会場が近郊の町パラニャーケに移された。
    開催地の件に関して、パラニャーケ市長
     「マイケル・ジャクソンの才能を評価してコンサートを許可した」
    と発言したのに対し、マニラ市長
     「彼の才能は認めているが、和解金を支払ったという事はフィリピンでは罪を認めたことになる。モラルの問題だ。他の市や地区の決断や行動に口出しをするつもりは全く無く、私が管轄しているのはマニラ市だけだ。私たちはこの町の若者に、立派で法に従う道徳心の高い大人に成長してもらいたいと思っているのだ」
    と述べた。
    FMラジオのDJ ビクトリー・E氏は
     「思い出すのは、10年か15年前にフィリピンでコンサートが開かれる予定だったのが中止された。その時も大勢のファンが失望した。その彼がとうとうフィリピンにやって来て、ここでコンサートをやるという約束をしてくれたんだ。沢山のフィリピン人が喜んでいる。でも彼のコンサートを快く思ってない人が大勢いるのも事実だ」
    と言っている。
    結局このコンサートは、パラニャーケ市内の埋立地に臨時に会場を設営して行なわれた。使用された鉄筋コンクリートの量は150t,2週間で900人を動員しての突貫工事だった。
    コンサートの為のフィリピン公認の警備隊は、ボランティアを入れて少なくとも1万6千人にも及んだ。
    チケットは約2,000円~19,000円で平均年収からするとかなりの高価だが、12月8日,10日の2回のコンサートはソールドアウトで11万人が観るという大変な売れ行きだった。

  • 12/6 マイケルはパラニャーケ市"コミュニティー小児病院" に出かけ、推定4千人以上の群衆に歓迎された。
    子供の患者を訪問し、赤ちゃんを抱きしめ、施設のスタッフとも握手をした。
    そして入院患者のおじいさんも
     「マイケル・ジャクソンだって! みんな彼を待っていたんだよ。わしだってマイケル・ジャクソンに会いたいよ!」
    産科の新生児と母親がいる病室を訪問している時マイケルは、フィリピンのTV局のアナウンサーの質問に気軽に応えている。



    新生児を見つめるマイケルに
     アナ:「新生児ですよ。…フィリピンのどういうところが好きなんですか?」
     MJ:「人ですよ。とても特別なんだ」
     アナ:「なぜ子供が好きなんですか?」
     MJ:「純真で天使のようだから」
     アナ:「フィリピンに来る前にどんなことを想像していましたか?」
     MJ:「愛だよ」
     アナ:「フィリピンの人々への特別な曲は?」
     MJ:「"Heal The World"」
     アナ:「1つフィリピンでやりたいとしたらそれは何ですか?」
     MJ:「人の助けになりたい」
     アナ:「なぜ子供たちに愛を伝えたいのですか?」
     MJ:「天使だから。完璧で神様の最高の贈り物だよ」
     アナ:「子供の頃から働いていて子供時代を失ったから?」
     MJ:「そうだよ」
     アナ:「もうすぐ赤ちゃんが産まれるんでしょう?1月に。何かコメントは?」
     MJ:「嬉しいよ」
     アナ:「おめでとう。フィリピンへようこそ!!」

  • 12/7 病院を訪ねた次の日マイケルは、マニラのホテルの庭で孤児院やストリートチルドレンの為のクリスマスパーティーに出席した。
    マイケルは子供たちにプレゼントを配り、写真を撮ったりサインをし、彼ら500人以上に "クリスマス・キャロル" を歌った。



  • 12/8 マニラパラニャーケでのコンサートは6万人のファンで一杯となり、夜20時からのショーに8時間も前から並ぶファンもいた。
    埋立地に設営された会場だったため、入場できなかった人々の数も2時間以上のコンサートの間に大量にふくれ上がった。
    群衆はずっと立ちっぱなしで、会場外でも恩恵にさずかった。

  • [12/11~29の 日本での来日レポートは REPORT-1 『HIS tour@JAPAN'96』 ご参照]

  • 12/29 ブルネイに到着したマイケルは、誰にも知られていないプライベートな邸宅に泊まった。

  • 12/30 世界的に有名なアミューズメントパーク "ジュルドンパーク" で30分間ジェットコースター等に乗って楽しんだ。
    他のアトラクションは、お決まりのひとつでレンジャー,ゴーカート,アラジン。
    マイケルは乗り物に乗っている間、ファンに手を振ったりサインをしたり子供にキスをしたりしていた。

  • 12/31 同じく "ジュルドンパーク" で新年スペシャルコンサートを行なった。
    このコンサートはブルネイ国王によって4千人の特別に招待された来賓のために催されたものだが、国民も招待された。
    ひな壇式の客席は最大収容量を満たし、外に集まった多くの群衆のためにもコンサートホールの外側に新しい大型スクリーンがコンサート観れるように設置された。



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ツアー 1st Leg
= 1997年 =


■'97.2.5発行分■  
  • '97/1/3 午前10:30 ハワイ・ホノルル空港に到着したマイケルは、約200人のファンの大歓迎を受けながらホノルル警察に警護され、正装した地元のガードマンが縦列している間をエスコートされてホテルへ向かいました。 マイケルは、歓迎に応えて "アロハ" のジェスチャーをしようとしました。
    マイケルの宿泊先は、ヒルトン・ハワイアンヴィレッジ。500人以上のファンはワイキキホテルのロータリーの所に集まり、そこから時おり見えるマイケルに沸き上がっていました。
    マイケルは少なくとも4回はバルコニーから手を振りました。
     「彼はホントにここを通ったのよ! そして私たちを優しい目で見てくれたわ! すごい事でしょ!」
    と、シドニーから来たファン。




    ハワイ滞在中には元ソニー会長・盛田昭夫氏のもとへ
    お忍びで見舞ったりも


  • 3万4千人収容のアロハスタジアムで行なわれたコンサートのチケットは、プロモーターの心配をよそに わずか4時間で完売。ハワイにおいてはローリングストーンズ,エルトン・ジョン,ビートルズ,フリオ・イグレシアスを抜いて記録的な売れ行きだった。
    ジョーパパ,甥の3T,マジック・ジョンソンその他、正月休暇で訪れていた日本の芸能人の多数が観に行ったそうだ。



  • 今回のツアーは、'96年9月7日プラハから '97年1月4日ハワイの間で 20ヶ国26都市42回公演,総動員数192万3千人,1回平均4万5千人強。

  • ハワイの後、マイケルはロンドンに歯の治療に行った。
    その後は、イギリスのエジンバラフランスにかけて家を探しに行っている。
    1月半ばにはプライベートでスイスに行っているらしい。




    スイス・モントルーでは "Blood On The Dance Floor"を制作

■'97.4.5発行分■  
  • 1/25 インドボンベイでマイケルの 『記念品オークション』が開かれ、スラム街に住む子供たちの教育を助けるためのチャリティーに2万点が募られた。
    ダイヤモンド商のBharat Shahさんは枕カバーに1万81ドル(約120万円)を支払った。
    この枕カバーには
     「インド… ぼくの人生の全てだ。ずっと見守り続けていくよ…」
    と書かれてあった。
    その他に5,500ドルを支払ったビジネスマンは
     「I Love You India ぼくは子供の中に神の顔を見続けています」
    と走り書きされた鏡を手に入れた。
    日本人の主婦は織物のトレーに3,500ドルを支払った。
    このオークションで売れた品々は、マイケルが昨年('96年)11月にボンベイのツアーをストップさせられた期間中に滞在していた Oberoi Hotelを離れる時に書き残したものだった。
    マイケルは、ボンベイの体制のために個人的な気持ちを差し控えた上に 1,100万ドルをもチャリティーに寄付している。



    INDIA,
    All my life I have longed to see your face.
    I met you and your people and fell in love with you.
    Now my heart is filled with sorrow and despair
    for I have to leave, but I promise
    I shall return to love you and caress you again.
    Your kindness has overwhelmed me, your spiritual awareness has
    moved me, and your children have truly touched my heart. They are the face of God.
    I truly Love and Adore you INDIA.
    Forever, continue to love, heal and educate the children, the future shines on them.
    You are my Special love, INDIA.

    Forever, may GOD always bless you

    Michael Jackson


    インドよ
    あなたに逢えるのをずっと待ち焦がれていました。
    あなたや国民たちに逢い、僕はすっかり恋に落ちてしまいました。
    ここを去らねばならず、いま哀しみと絶望感に打ちひしがれています。
    けれど、再びあなたを愛し慈しむため、ここに戻ってくると約束しましょう。
    あなたの親切心は僕を圧倒し、あなたの精神的意識は僕を動かし、
    そしてあなたの子供たちは僕の心に真に触れました。彼らは神の顔をしています。
    僕は本当にあなたを愛し敬慕しているのです、インドよ。
    いつまでも子供たちを愛し続け、癒し続け、教育し続けて下さい。未来は、彼らで輝くのです。
    あなたは僕の特別の愛です、インドよ。

    未来永劫、神のご加護のあらんことを。

    Michael Jackson

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UPDATE - '17.07.04