UPDATE - '17.07.07
【 HIStory World Tour NEWS 】
- part.3 -
HIStoryツアー関連ニュースを、
当時の会誌記事よりピックアップ。
(各地のコンサートレポート内で記述した事は基本的に省略)
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ツアー 2nd Leg
= 1997年 =
■'97.4.5発行分■
春の再来日という話も実際にあったにはあったのですが、どうやらこれは無しのようです。残念;
チケットは3月初めの日曜18時に発売され、15万人分のチケットが45分で完売したそうだ。
ツアースポンサーであるドイツのTVチャンネルで、ツアーについてのCMが30秒OAされた。
「Hi,マイケル・ジャクソンです。ぼくはこの夏ドイツに行きます。全てのファン達に感謝します。
(ドイツ語で) Good-bye in German.」
と、満面の笑みとともにメッセージを伝えた。
ブレーメンのバックステージで衣装らがスタンバイ
■'97.6.5発行分■
それは、プリンス君と少しでも多くの時間を過ごしたいマイケルの希望だとか。(※この年の2月13日に産まれたばかり)
赤ちゃんは公演地には連れて行きません。
彼はドイツのママ・コンサートのプロモーターで、4月に400万ドルの脱税で逮捕されていますが、マイケルは約30分面会してパリへ戻りました。
また今年('97年)の後半は、日本・オーストラリア・アジアも予定されているらしい。
■'97.8.5発行分■
新曲 "Blood On The Dance Floor" を加えて、ツアーは再びスタートしました。
「普通のお父さんがするように、ぼくも出来る限りそばにいてあげたい」
という事で、この日のケルンでのコンサートもパリから直接会場へ飛びました。
5万5千人のファンのものすごい声援のため、マイケルは何回かただ笑うだけでパフォーマンスが出来ないほどでした。
この日は、ホテル・グランドに デビー夫人とプリンス君も来ていて、マイケルは終了後ホテルへ。
REPORT-1 『HIS tour@東欧4都市 '97』をご参照
最初はダム広場を訪れ、その後メインストアでショッピングしました。そこではファンからプレゼントを受け取ったり、一緒に写真を撮ったりする光景も。
最後にマダムタッソー蝋人形館を廻り、ホテルへ帰りました。
夜は、ホテルの外で寝ているファンに毛布を2度投げてくれたり、枕カバーも降ってきました。
アムステルダム滞在のあと、マイケルは家族とパリへ戻りました。
19時15分キール着。
8万5千人のファンを集めてのコンサートでしたが、雨がひどく、コンピューターが故障してしまいました。
終了後は、ハイアット・リージェンシーへ。
17時半にファンタジーランドに到着したマイケルは、ローラーコースターやスリルライド等に乗り、18時には外へ出されたファン達も30分はマイケルを見ることが出来ました。
この日のコンサートでは、"OFF THE WALLメドレー" がカットされました。
マイケルのズボンの股がパックリと裂けてしまいましたが、別のズボンに替えるまで2曲もの間中その恰好でステージを歩き回っていました。
終了後、ケルンのホテルハイアット・リージェンシーに戻りました。
この日は "The Way You Make Me Feel" をやりませんでしたが、ミラノのファンはとても熱狂的で、マイケルは5分間もパフォーマンスが出来なかったほどでした。
VIP席にはデビー夫人が来ていて、"I'll Be There" を歌う時、この曲をマイケルはデビー夫人に捧げました。
世界中の子供たちのさらなる救済を目的とされるこのオークションで約30万ドルが集まり、それはインドのカルカッタのストリートチルドレンの為に使われる予定で、またその一部はアフリカのバルキノ・ファッソの劇団とチルドレンズダンスにも寄付されるそうです。
この日は、ショーが始まる前にマイケルは、チャップリンの家族全員に会いました。
ショーの後、ジュネーブの ホテル ダングレテールへ帰りました。
バックステージへ入るための通路も作られましたが、土地の所有者にしてみれば、自分の敷地内にバックステージがあり そこをマイケルが車に乗って来るわけですから、すごい事です。
雨はショーの直前に止み、スタートしましたが、"Stranger in Moscow" の曲のころ再び降りだした滝のような大雨は最後まで降り続きました。
拭いても拭いてもプール状態のステージで、マイケルは水の中を滑るようにして踊り歌い続けました。
いつもならショーの途中で 「How do you feel!」 と観客に呼びかけるのですが、この日ばかりは
「とても "How do you feel" だなんて訊けないよね」
と、J5メドレーの時に言いました。
ショーの後、マイケルは
「雨の中で立っているファン達を差し置いて 自分だけが雨やどりする事は僕には出来なかったんだよ」
と話していたそうです。
(それぞれのショーのレポート及び現地レポートがインターネットの http://www.~を始め いろいろなページに出ていますので興味のある人は見てみて下さいね。※当時の記述で現在はリンク切れ)
インペリアルホテルに入ってからもひと息入れる間もなくマイケルは3階の窓やバルコニーから手を振ってくれ、デビーさんにカーテンを開けてもらい、自分はプリンス君の脇を抱えてみんなの方に向け見せてくれました。
(プリンス君はオムツをしているのでカエルのように足をガニ股にデローンと垂れ、マイケルの成すがままの状態で いとカワユイ)
この日、マイケルは風邪気味でコンサート直前まで実施が危ぶまれましたが、ステージ脇でデビーさんが見守る中で 39度の熱をおして頑張りました。
「僕がみんなの事をこんなにすごく愛しているってことを、みんなに解ってほしい」
と、マイクを通して話し、ホテルに帰ったマイケルは医師の診療を受け 快復に2,3日かかると言われました。
翌日も家族でウィーンに滞在しました。
ショーの前に、
「この日のショーは録画されます」
とアナウンスがありました。
ショーの途中でマイケルは、急に
「僕は、会場のみんなを見たいんだ。照明さん、会場の明かりを点けてくれますか?」
ほぼ点いたが、「ぜ~んぶ点けて下さい」。
「さぁみんな! 僕にみんなの声も聴かせてよ! カモン!カモン!」
としゃべり始め、会場は突然の事で一瞬たじろぎましたが、大喜びでした。
その後、裏口からお買い物に出かけ、最初にスポーツショップ,そして次にミュンヘンで一番大きなおもちゃ屋 『Obletter』を訪れました。
帰りはホテル正面玄関から入り、ずっと待っていたファンに応え、ロビーでも(泊まり客だけなのに)ぎっしりの人々に囲まれながらエレベーターに乗り込んでいきました。
"You Are Not Alone" の後、またもやマイケルは会場のライトを点けさせ みんなを見たがりました。
そうしたところ、にわかに自発的にスタンドの端からウェーブが起こり始め、オリンピックスタジアムを一周するほどの素晴らしいウェーブとなったので、マイケルは思わず
「ワオ~ッ、すごーい! あれを見て見て! ほら向こうも!」
と、とても嬉しそうに叫びました。
そして 「Ich liebe dich」(=I love you)と叫びたかったらしいのですが、「Ich liebe euch」 と叫んでしまい、クルーに横から教えられて訂正していました。
デビーさんはこの日もステージ袖でマイケルを見守っていましたが、"Heal The World" の時、マイケルが小さな女の子を優しく抱き上げた時、デビーさんは涙ぐんでいました。
ショーの前、チャリティー団体に6台のミニバンを寄贈するために赤のジャケットに白のTシャツ姿でマイケルはデビーさんや側近たちとともに現れ、その様子はイギリスのスカイTVでも放映されました。
マイケルは
「子供たちは僕の心の中で特別の位置を占めています。Heal The Worldとしてこれらをプレゼントしたいと思います」
と語ってからカギを手渡しました。
マイケル一家は、ショー終了後 フランス・パリへ戻りました。
6万人以上を集め 20時半に始まったショーは、少し変化が見られた。
"Dangerous" は曲の終わりにいくつかのショートライブのビデオが組み込まれたり、 "Heal The World" ではTLC(※当クラブとも交流を持っていたオランダのFC=The Legend Continues)寄贈のお揃いのTシャツで出てきたり、ソックリさんとその息子が出たりする場面もありました。
この日もパリへ戻りました。
移動ばかりで地元のホテルにあまり居つかないマイケルをなかなか見ることが出来ないファン達は、やっとこの日 カールトンホテルに泊まるマイケルを見るために、インターネットでホテルへの道順まで出して ホテル前でみんなで集まりましょうと呼びかけていました。
また、夜のショーでは、キャサリンママと孫たちも来て、VIP席でショーを楽しみ、リサ親子もステージ袖で観ました。
ショーはとても熱狂的で、あまりの歓声にマイケルが観客席に向かってマイクを向けると、スタジアム中が大声で喝采しました。
"You Are Not Alone" で上がった女の子は、マイケルに強烈にかぶりつき(!?!?)ました。
ショー終了後マイケルは、リサの会社のあるホテルへ到着し、2人は手をつないで車から出て、ファンに応えてプレゼントを受け取り、一緒にホテルに入っていきました。
マイケルがホテルを出る時のこと、ファンがフェンスを乗り越えたため、マイケルとリサは慌てて車に乗り込みましたが、ファンがバンを取り囲み 行く手をふさいでしまい、バンのガラスも1枚割れました。
そんな混乱の中、アメリカから来ていた青年がセキュリティーの車に足をひかれ怪我をしてギプスをつける羽目になりました。
マイケルはその事を大変気にして、お詫びに彼をバックステージに招待しました。彼は天にも昇るほどの幸せで 自分はマイケルを10年前から今でも大好きだと言い、マイケルは僕もだよと言いました。
19時にホテルを出たマイケルは車のドアステップに足をかけ、乗ってファンに手を振りました。
この日のマイケルのステージは、スリップしたり "Smooth Criminal" でのカーテンの調子が悪かったりと、あまり良い事がありませんでした。
また "Billie Jean" では、スーツケースを自分の横に置き、その上に座って歌ったりしました。
そして珍しいことに、"Black or White" の曲の間じゅう、ヘッドセキュリティーのウェインは指を鳴らしながら踊って楽しんでいたそうです。
ショーの後、パリに戻りました。
■'97.10.5発行分■
ベネフェクター席は、ミキシングボードタワー(アリーナ中央にある やぐら) の上の席で、一般の人が入れた事はこれまでありませんでした。現在そのスペースの殆んどは HEAL THE WORLD基金のために使われています。
洪水の被害者を助けるため ツアーをどうしたら良いか個人的に検討したマイケルは、5月にツアーした国々の 特に子供たちを助けるため、最善の方法を考え出しました。
この結果、ドイツ・ベルリンでのショーでミキシングタワー席から集まったお金は、洪水で破壊された旧東ドイツ・ラッツドルフの幼稚園に贈られることになりました。 そのお金は、オーダー川の近くに子供用の学校を再建設するのに使われます。
そして夕方18時04分にドイツ・ベルリンの空港に到着、傘を差して飛行機から降り、12人のファンに迎えられました。
マイケルが車の窓を開けてくれたので、オランダのTLCの会長はクラブのTシャツを渡すことが出来ました。それから若者が1人駆け寄り、車にCDブックレットを投げ入れてサインをしてくれるように求めたところ、車の中から
「Give me a Pen !」
とマイケルの声がしました。 2分後、その若者はサインの入ったブックレットを受け取ることが出来ました。
はじめマイクがうまくセットされておらず、マイケルがダンスが出来ない程でした。
"You Are Not Alone" で選ばれた人は、マイケルにすごい勢いで走り寄り きつく彼を抱きしめ過ぎた為、マイケルは息さえ出来ない程でした。 それはまるで彼女がマイケルを絞め殺そうとしているかのような光景でした。 マイケルはダンスすることも出来ず ひざまずき、ボディガードが来てやっと彼女はマイケルを離しましたが、彼女は運ばれていく間 叫び暴れまくりました。
動物園には150人以上のファンがマイケルを待っていました。その人数はマイケルが身動き出来なくなる程でした。
マイケルは20人ほどのセキュリティーの人々に囲まれて歩いていました。 1人のファンがセキュリティーの壁を破ろうと駆け込むと、マイケルは彼の腕を掴んで言いました。
「Take it easy」
もう1人の若者が彼にサインをねだったので、マイケルは
「彼を中に入れてあげて」
と言いました。 でもそれが段々エスカレートし、ファンがみんな走り寄ろうとしたので、マイケルは動物園を出るしかありませんでした。
ホテルに戻り、彼は16人のファンとロビーで会い、その後 部屋でさらに多くのファンと会いました。
バックステージの入口には、沢山のファンが到着するマイケルを待っていました。 マイケルはファンを見つけると、車のスピードを落とさせて窓を開けてくれましたが、誰も車のそばまで走り寄ることは出来ませんでした。
今日は、前座のバンド・ヒューマンネイチャーの演奏途中に停電してしまい、前座は中断。
マイケルがこんなにたくさん観客に話しかけたのは、今夜が初めてでした。
"Wanna Be Startin' Somethin'" では、人々に両手を広げ みんなを抱きしめ、エネルギーを掴み取りたいと言っているかのようでした。
"J5メドレー" の前には、「みんなを愛している」 と、熱くなっている観客に語りかけました。
それからマイケルは、バンドのメンバーやダンサー達・エンジニアの人たちにお礼を言い、観客に向かって
「このお辞儀は皆さんへ…」
と言いました。
メドレーが始めるはずでしたが、代わりにおしゃべりが始まりました。
「こんなにしゃべった事はないけど…。 おっと、ここに虫がいる、もう少しで踏んじゃうところだったよ」
それからウェインを呼び、虫を取り上げてもらいましたが、その時
「殺さないで (Don't kill it)、殺しちゃあダメだよ」
とマイケル。 そしてめでたくメドレーが始まりました。
"I'll Be There" の前にマイケルは、その曲をボビー・シェリット氏に捧げると言いました。
1時間後にショーはスタート。
この日もマイケルは おしゃべりモードに入っていて、"J5メドレー" の前、
「かねてからこれをやりたかったんだ。 まずこちら・それからあちら。 HELLO!」
そしてマイケルは、クルーとバンドメンバーにお礼を言い、お辞儀をしました。 彼はセキュリティーにもお礼を言い、友人マルセル・エイブラム氏にも述べてから
「こんなにしゃべった事はないよ。みんなを愛しているよ。何よりもずっと」
と言った。
この日は8万人以上のファンが詰めかけ、42℃という熱気により 1,000人もが手当てを受け、9人が病院に運ばれました。
バックステージ入口には近寄れなかったが、何人かのファンはマイケルがルクセンブルクの空港へ急いで戻るのを目撃しました。 このところマイケルは、殆んどツアー地には泊まっていません。
マイケルが去り、コンサートも終了した後、街に1本しかない道は3時間の大渋滞になりました。
マイケル側の代表者が最近キプロスを訪問したと地元の新聞社が報道しました。
コンサートは、リマソールという南のリゾートタウンで約2万人収容可能のスタジアムで行なわれる予定。
マイケルはキプロスに縁があるらしく、彼の義父ゴードン・ロウ氏(デビー夫人の父)は ここに在住とのこと。
スタジアムの周りにいた人々には、マイケル特別新聞が無料で配られました。
ステージではマイケルは、
「I love you more - eh - I can beat that - I love you most !」
と応えました
現時点の予定では
10/6:ケープタウン,10/10&12:ヨハネスブルグ,10/15:ダーバン。
これでツアーを終了し、マイケルは次のアルバムの制作レコーディングのためにスタジオワークに入ります。
"You Are Not Alone" では、セキュリティーが女の子を引き離すのに早く来すぎたため、あっけに取られたマイケルはセキュリティーから女の子を引っぱり返したので、本当に引き離されるときには (嬉しくて?長くいられたので?) 彼女は暴れ狂っていました。
『ロンドン・ウェンブリースタジアムは '97年7月12,15,17日の3つのコンサートを、KING OF POP マイケル・ジャクソンが延べ21万3,500人のファンを動員し 100万4,600ドルの収益を上げた事を祝福します』。
マイケルは直接バックステージには行かず、マイケルのために特別に作られた部屋(ゲーム部屋ではないかと言われている)へ行き、30分位してから楽屋へ向かいました。
コンサートの始まる10分前、マイケルは1列目にいたファンが持っていたコラージュを気に入り、彼女を部屋へ呼びました。 彼女はそれをマイケルにあげて、メイク中のマイケルと少し話をしました。
ショーの途中では、ヒステリックに興奮した女の子がマイケルに触ろうとしてステージに上がり走ろうとしましたが、セキュリティーに捕まえられ 会場外へ連れ出されました。
マイケルは、またクルーやバンドにお礼を言い、
「How are you ? ドイツにいる時は Wie gehtdir ? って言うんだよね。 僕について書かれている事を信じてる? 僕のメッセージは Heal the World だよ」
と言い、3回 「I love you」と言いました。
ショーの後 マイケルは、車の中の明かりを点け、彼を見送ろうとゲートのそばで舞っていたファン達に手を振りました。 ゲートを出てからも3回、車のルーフから身を乗り出してファンを見つけては手を振ってくれました。
これは、クルーがヨーロッパとタリンに1時間の時差があることに気づかなかった為でした。
マイケルは時間どおりにショーを始めましたが、また "Blood On The Dance Floor" を省きました。
コンサートの前日、警察はステージに火を点けようとした放火魔を逮捕しました。 その放火魔は、その時すでに5ガロンものガソリンをステージに撒いており、火を点けようとしていたところでした。
ショーの中でマイケルは、テディ・ラキス氏に感謝の意を述べました。
"You Are Not Alone" で、女の子はマイケルから離れる時、気を失いました。
マイケルの弁護士ジョニー・コクラン氏がステージに上がり、マイケルとハグするシーンもありました。
マイケルは、デンマーク・コペンハーゲンのパルケン・スタディオンにコンサートの始まる1時間前に着きました。たくさんの人と会って挨拶する時間はあまりありませんでしたが、HEAL THE WORLD基金に多額の寄付をした地元のツアープロモーターはマイケルに会うことが出来ました。
コンサートはいつもどおり始まりましたが、"J5メドレー" の前にクルー達がチボリブラスバンドのマーチングで "Happy Birthday" を演奏してマイケルを驚かせました。 会場中の人々もみんなで歌いました。
マイケルはとても恥ずかしがってタオルで顔を隠していましたが、曲のあと 会場の上に大きな花火が上がると、自分の目が信じられない様子でした。 会場の一角には 『Happy Birthday KING OF POP』 の文字が映し出されました。
それからステージマネージャーのアントニー氏が 1.5mはあろうかと思われる大きなバースデーケーキを運んできました。 マイケルはとても気に入って、皆にお礼を言いました。
「信じられない! びっくりした! ホントにびっくりしたよ。 世界中のピース&ラブ,そして地球上の子供たちの幸福を祈ります」
と マイケル。
"Smooth Criminal" ではカーテンがくっついて離れないようでした。
"Heal The World" の前には子供たちの鼓笛隊がステージに登場し、"We Are The World" を歌いました。
マイケルがステージを去る直前、最後のお辞儀をしている時に50人のブラスバンドのメンバーが再び登場し、観客に挨拶しました。 マイケルは彼らの出演に感謝を述べました。
マイケルは、会場の4ヶ所から花火が打ち上げられる中 退場し、空港へ向かいました。 マイケルはバンの中の照明を点け、ファンに手を振りました。
何千ものプレゼントが会場に届けられましたが、それらはカリフォルニアのネバーランドに船便で送られました。
マイケルのこれまでの記録は、'93年秋メキシコシティーでのコンサートでした。
今週の初め、マイケルのツアープロモーターのポール・ゴンウエア氏は、140万人がすでにHIStoryツアーのコンサートを観たと発表しました。
'96年9月7日 チェコ・プラハでのコンサートを皮切りに 68回のコンサート,5大陸28ヶ国・45の街で 360万人のファンが会場に訪れています。
ダイアナ元妃が亡くなる直前までリッツホテルで一緒にいたらしいと言われるマイケルは、そのニュースにとてもショックを受け、コンサートの出来る状態ではなく、声明を出しました。
ダイアナ元妃の突然の死は、千年に一度の悲劇的事件です。
同じ経験がある者として、タブロイドのバカげた行動にサポートされたパパラッチ達が世間に認められるのをずっと恐れていました。 この文明化社会において全く不当な事であります。
この教訓は、もし、このような事がずっと続くなら このような大きな悲劇をまた生むことになるだろう。
なお、この日のコンサートはダイアナ元妃に敬意を表して延期され、9/3に改めてダイアナ元妃に捧げられる。
コンサートの前に、6万人の観客の前の両サイドのジャンボスクリーンに大きなダイアナ元妃の写真が映し出され、マイケルは "Smile" を歌い 観客はライターを灯した手を掲げ、1分間の黙とうが捧げられました。
"J5メドレー" の前、ライトが点いた時、まだマイケルは上着を着ていなくて、着せてもらうため両手を広げたままの おマヌケな格好でした。
「よし! 用意できたよ!」
と言って 曲はスタートしました。
"You Are Not Alone" で、ステージに上がった女の子が去った後、ステージ上から1本のバラを拾い上げ 胸のそばに持ちながら歌を続けました。
ショーの10分前、オランダからのMTVの懸賞当選者がバックステージでマイケルに会い、ステージ横からコンサートを座って観ることが出来ました。
ショーの前に、またダイアナ元妃の写真をスクリーンに映し出し、"Smile" が流されました。
少し遅い22時にスタートしたショーは、"J5メドレー" の前、マイケルはみんなに向かって
「心の底から愛しています」
と語りかけました。
"Heal The World" では、小さなマイケルそっくりさんが登場し、マイケルはとても喜んでいるようでした。
■'97.12.5発行分■
その南アで、アルバムチャートTOP20にマイケルのアルバムが5枚もチャート入りした。南アではチャート初の快挙。
15位-HIStory / 16位-OFF THE WALL / 18位-BAD / 19位-DANGEROUS / 20位-THRILLER
ハーイ、マイケル・ジャクソンです。
南アフリカの皆さんこんにちは。
10月にみんなに会えるのを楽しみにしています。 I love you.
ホテルでもファンの厚い歓迎を受け、ショッピングも楽しんだ。
マイケルは、10月4日&6日:ケープタウン,11日&12日:ヨハネスブルク,15日:ダーバンでコンサートをし、南アフリカに2週間滞在する。
パディ・ハーリー女医はマイケルが子供たちに気軽に話しかけ共感しているのを見て いたく感動し、
「明らかに子供たちはマイケルの優しさを理解しているわ」
と語った。
マイケルが立ち去った後、1人の子供が
「マイケルが握手してくれたの! でも、もう二度とこんな事は無いよ」。
長いあいだ入院している血友病患者のリオの男の子は
「ムーンウォークする時って 足にバター塗ってるの? って訊こうと思ったんだ。でも言葉が出てこなかったよ。マイケルは僕を抱きしめて "早く良くなるのだよ" って言ってくれたんだ」
と語った。
病院訪問の後、マイケルはつかの間の・そしてリラックスしてCDやおもちゃの買物を楽しんだ。
おもちゃ屋Belvilleでは、子供たちが選んだ物をすべて買ったようで、店を離れるとき沢山の箱を持ち帰った。
またCD店では、CDをダース単位でお買い上げだったようだ。
初の南アフリカのコンサートを評して、Cape Times紙と The Star紙は
『最上級の贈り物+実物のKING OF POPの出演という組合せで、ファンは口もきけないほど打ちのめされた』
『ショーはマイケルの靴と同様にダンスフロアをなめらかに滑った』
と表現した。
披露宴ではビッグスターのゲストにマスコミが駆けつけ、脚光が集まった。
マイケルは新婦にキスをし撮影のためポーズを取るなど、一日中笑みを絶やさず友人や家族とともに二人の門出を心から祝福した。
南アフリカの5つのコンサートのプロモーターであるアティ・ヴァン・ウィック氏は、マンデラ大統領とお連れのグラサ・マシェルさんと彼女の3人の子供たちにその日のコンサートに出席して戴けるよう声をかけた。また、マイケルと会う事と スターと一緒の夜食の席を準備した。
マンデラ大統領は、ショーの最期まで座って観賞した。そしてとても気に入ったそうだ。
コンサートの間、故ダイアナ元妃に敬意を表した。
マイケルの両親とリサ・マリーがコンサートを観賞。
ヨハネスブルクから北西90マイル離れたこの村への道は 婦人が泣くほどの細道で、リサはマイケルの腕をしっかりと握り マイケルもまたゆっくりと歩いた。
南アフリカの観客総動員数は22万6千人だった。
そしてHIStoryワールドツアーは、5大陸56都市82回で約43万人のファンがこれを観たことになる。
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