VH-1 インタビュー 】
( 1996年12月 放映 )
( VOL.93 / Feb 1997 )

昨年(※'96年)の暮れ、アメリカのVH-1テレビ局がマイケルへの
直接インタビューに成功し放映したものを、和訳でご紹介します。
質問内容はファンからのFAX・手紙、そして街頭インタビューの抜粋です。



―― … インタビュアー   MJ … マイケル

MJ 今までに受けたインタビューは、みんな無理矢理やらされたものでした。
でも、君たちファンは僕にとても良くしてくれるから、それでこのインタビューを受けることにしました。

―― 何があなたを一番怒らせますか?
MJ 僕は完璧主義者だから、やることは何でも完璧にやろうとする。100%完璧というのは無理だけど、少なくとも99.9%は完璧でないと僕は本当にイライラするね。

―― アルバム 『HIStory』 からは、まだ他にもビデオクリップを出す予定ですか?
MJ まだまだ出すつもりだよ。
まず 『Ghosts』 というショートフィルム。これはすごいよ。
それから、『Stranger In Moscow』… そのあとも…。
つまり… 今このアルバムは2,800万枚の売り上げなんだ。タブロイド誌はこの事について本当の数字を出さないけど。
タブロイド誌っていうのは本当にひどいよ。ああいう物は読まないでほしい。それが君たち(ファン)が出来ることだよ。あの人たちの書く真実じゃない事なんて読まないで。そういう物を読むっていう事は、彼らを儲けさせているっていう事なんだよ。真実じゃないんだから…読まないでほしい。
それよりも僕が言うことを信じて。

―― なぜ、最近シルクのマスクをしているのですか?
MJ それは、僕が皮膚の状態が最近悪くなってきていて… 言いたくは無いんだけど。
Vitiligo(尋常性白斑)持ちで、太陽を全く受け付けないアレルギーなんだよ。実際、外に出ることさえしてはいけなくて、もし日陰にいたとしても太陽光線が僕の皮膚を破壊するんだ。
(※紫外線は、太陽から直接届くものは全体量の約4割。残りは、大気中の散乱光や 地面・建物等からの反射光として日陰にも存在する)

当初は本物の外科医療用マスク。最後に確認された'03年まで様々なオリジナルを作る

―― 今までリリースした曲で、「出したくなかった」 と思う曲はありますか?
MJ う~ん… 思いつかないなぁ…。
モータウンの最初の頃は、そういう事もあったよ。ソングライターが僕のやりたいように歌わせてくれなくて。
それで、ベリー・ゴーディ(モータウン社長)を呼んだら、「よし、マイケルのやりたいようにさせてやれ。この子が正しいよ。」 って言ってくれたんだ。

―― モータウンの他のスター達との関係はどうでしたか?
MJ とってもフレンドリーだったよ。
マーヴィン・ゲイは最低でも週2回は我が家に来て、僕の兄たちとバスケットボールをしていたし、スティービー・ワンダーも集まりやパーティがあるとよく来てくれてた。
僕もよくシュープリームスの家に行ったし、ダイアナ・ロスも他の女の子たちを呼んでくれて、本当に大きな幸せな家族っていう感じだった。
野球をしたりもしたよ。僕はまだ本当に小さかったんだけど、バットを持たせてもらってね。本当に楽しかったよ、懐かしいな。
テンプテーションズも、よく家に来てたよ。

テンプテーションズの中に埋まるマイケル

―― 昨年(※95年)キャンセルしたHBOスペシャルを、もう一度やる予定はありますか?
もしやるとしたら、いつですか?
MJ うん。南アフリカでやる予定です。

―― ステージに立つのが怖くなったりした事はありますか?
MJ いいや… そういう経験は無いね。
こういうインタビューをしている時よりも、ステージにいる方が落ち着く位なんだ。


―― アメリカでコンサートをやる予定は?
MJ やりたいね。多分来年にはね。

―― クインシー・ジョーンズとまた一緒に仕事をしたりしないんですか?
MJ クインシーとはぜひ一緒にやりたいよ。やろうと思えばいつでも出来るんだ。僕らはとっても仲が良いしね。
でも、いま僕は違うことをいろいろ試したり挑戦しているところだからね。
クインシーは人々からとっても慕われる人物だし、僕も彼が大好きなんだよ。


―― もし1日を自由に使えるなら、何処へ行って 何をしますか?
MJ う~ん… 多分ネバーランドか、どこか無人島にでも行きたいなぁ。
何をしよう? まぁ、きっと曲を書いたり、音楽とかステージのダンスを編み出したり… 僕はずーっと仕事してるよね。(I never stop working.)

―― 本物のビリー・ジーンは、曲のことを知っている? 彼女の反応はどうでしたか?
MJ ビリー・ジーンは実在するけど、そのビリー・ジーンのことを歌ったわけじゃないよ。
ビリー・ジーンというのは、'60年代にグルーピーと呼ばれたような女の子たちのことを書いた曲なんだ。彼女たちはバックステージにまでやってきて、街に来るあらゆるバンドのメンバーと関係を持ったんだ。
それでこれは僕の兄たちが経験したことを元に書いたように思う。僕が小さかった頃だけど、ビリー・ジーンみたいな女の子はたくさん居たんだよ。

―― あなたの曲の中で、自叙伝のようなものはありますか?
MJ 『Stranger In Moscow』・『Heal the World』・『We Are The World』・『I'll Be There』、こういう感じの曲だね。

―― 『Stranger In Moscow』 という曲は、どのようにして作ったのですか?
MJ あの曲はモスクワで書いたんだ。あの詞こそ自叙伝みたいなものだね。
「Here abandoned in my fame … Armageddon of the brain」 というところなんかね…。
前回のツアーでモスクワにいた時なんだけど、本当にそういう風に感じたんだよ。あの曲は勝手に出来上がってて僕のひざの上に落ちてきたっていう感じだなぁ。あの時は本当にそう感じたんだ。1人でホテルにいて 外は雨が降っていて、それで僕は曲を書き始めた…。

 ここで 『Stranger In Moscow』 のショートフィルムが流れる。

・・・ END ・・・

UPDATE - '07.07.23