マイケル・ジャクソン
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UPDATE - last '13.7.21 / 1st '13.4.24
【 DANGEROUS World Tour NEWS 】
- part.2 -
1991年 1992年 1993年 1994年 1995年
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= 1993年 =
■'93.5.20発行分■
ボトルには、マイケルの顔と 「アリガト・ボトル 感謝のココロで¥60」 と印刷された帯が巻いてある。
テレビCFも流され、「アリガト アリガト アリガト アリガト … 」 と、画面一面に感謝の言葉が埋め尽くされるというものです。
この60円の代金の中から1円が、『ヒール・ザ・ワールド基金』 に寄付されます。
■'93.6.5発行分■
6月28日 20:00~22:20、NHK-BS2にて放映だぁっ!
日本では(消防法のため)実現できなかった 「ロケットで飛んでっちゃうマイケル」が観れますv
この会誌が届くのがLIVEの放映に間に合って良かった良かった。
<'60年に申請・'62年に特許取得の 『PROPULSION UNIT』 がベース>
(のちに 『ROCKET BELT』 という呼称となる)
<ヨーロッパツアーの “ロケットマン”、キニー・ギブソン氏とその子供たち>
■'93.7.5発行分■
ペプシ社はこの抗議をよそに、第2弾としてマイケルのツアーを計画中。
23,500フラン(約53万円)の部屋じゅうが白を基調としたインテリアでまとめられ、柔らかい照明のため どこか温もりを感じられる部屋。
マイケルはこのホテルを絶賛したと伝えられている。
マイケルは、ツアーを一体いつから再開するのかしら? それとも、もうやらないのかしら? とっても とっても気になるツアー情報。
クラブでは、今わかっているところだけですが、メンバーの皆さんにお伝えしたいと思います。
今回はツアー日程についてです。と言ってもこの情報は最終的なものではなく、多少日にちがズレたり削られたりがあるとの事です。
これを読んで喜ぶ人・泣く人それぞれだと思いますが、まずは深呼吸をして読んでみて下さいね。
8/15,16 … 香港 8/21,22 … バンコック @タイ 8/25 … 台北 @台湾 8/28,29 … ソウル @韓国 9/3,4 … 福岡 @日本 9/7 … ジャカルタ @インドネシア 9/11,12 … シンガポール 9/18 … テルアビブ @イスラエル 9/21 … テネリフェ @スペイン 10/9,10,13 … メキシコシティ @メキシコ 10/16 … グアダラハラ @メキシコ 10/19 … カラカス @ベネズエラ 10/22 … サンパウロ @ブラジル 10/24 … リオデジャネイロ @ブラジル 10/27 … アスンシオン @パラグアイ 10/30 … ブエノスアイレス @アルゼンチン 11/4 … オークランド @ニュージーランド 11/7 … アデレード @オーストラリア 11/9 … メルボルン @オーストラリア 11/12,13 … シドニー @オーストラリア 11/17 … ドバイ @オマーン 11/21,22 … ニューデリー @インド
日本については、マイケルは大阪で再びコンサートをするかもしれないという情報も届いています。
いろいろご質問が多いと思いますが、今のところ判っている全ての情報ですので、これ以上お伝えする事がありません。
今回のように ある程度しっかりした情報が届き次第、会誌あるいはハガキを通してお伝えしていく予定です。
■'93.8.5発行分■
現在わかっている変更は下記のとおりですが、今後も変更・中止など充分考えられますので、海外公演へ行かれる方は、チケットを入手してくれる旅行会社などで念入りに確認をして下さいね。
中止 … 香港 8/25 … バンコック @タイ 8/29,30 … シンガポール 9/3,4 … 台北 @台湾 (日本のあとは イスタンブール@トルコの予定)
福岡ドーム 1993年9月10日(金)・11日(土) 開場17:00/開演19:00
主催: ダイエーグループ
後援: アメリカ大使館,西日本新聞社,FNS九州,テレビ西日本,FM九州
協賛: ペプシコーラ / 協力: エピック・ソニーレコード
運営協力: キョードー西日本 / 企画制作: キョードー東京
7月7日には来日に関する記者会見があり、翌8日には新聞発表、10日に福岡ドームにてチケット先行発売。
アジア,南米,オーストラリアなど 17ヶ国を廻るワールドツアーに再び活動開始となります。
日本公演の会場候補は、京都淀競馬場や 西宮球場もありましたが、先行スタッフが現地を調査し、条件が最適の福岡ドームに決定しました。
福岡ドーム側は2日間で6万人動員を見込んでいるそうで、「たとえ破員になっても夢のある場所を作り上げるための先行投資となるでしょう」 との事ですが、もっと増えそうって気もしますよね。
4~5千人の列とも それ以上とも言われたように、福岡ドーム前は何日も前から頑張ったファンを先頭に 長蛇の列でした。
午前5時頃からドーム側は、前に詰めるよう並んでいる人たちに呼びかけたそうですが、何千人もの相手に声も通らず、列は大きく乱れたり割り込みも多く、3千人を超す人々が行ったり来たり。 お祭り騒ぎ・無法地帯だったという噂もチラホラ。 ファンの一部が、チケット発売体制に問題があるとドーム側に抗議する一幕も!
ドーム側は警備員を約100人増やし、午前8時すぎ、場内アナウンスで謝罪。 ドーム広報宣伝部のK部長は、
「それなりに対応したつもりですが、当方も初めてのことで不充分な点がありました。
お詫びします。」
うーん。 本当に…並びに行った人たちは大変だったようですね。せっかく並んだのにチケットを取れなかった人が何千人もいたそうです。
一生懸命がんばって並んだ人には、それなりのご褒美チケット出してくれないかしら!
- 会員Mさんの投稿より -
私たち九州ブロックは、7月6日頃からバイトを雇ったり 交代で徹夜したりして番をとっていたので、先頭集団! 前から4グループ目でした。
私が行ったのは発売前日の9日夜でしたが、その時はすでにチケットは完売という表示が、遠くからでも目につきました。 その時は5千人くらいが並んでいたようです。
私たちの前のグループは東京の人たちで、ラジカセでマイケルのルーマニアのコンサートのテープをかけて、皆でいっしょに歌って踊って盛り上がりました。
私はとうとう立ち上がって "Billie Jean", "Beat It", "Thriller" を踊ってマイケルのモノマネをしっかりやってしまって、沢山の人が観ていて恥ずかしかったけど、とても盛り上がって楽しかった。今度は恥ずかしくないようにしっかりダンスを覚えよう。
そして朝4:45くらいから並ばされて、チケット発売開始は9:00。
すごくドキドキして、手に汗を握って、買ってゲートを出た時は じーんと感動。 あぁ、やっと終わった。
そして帰ろうとした時、あの東京の人たちがいました。
「楽しかったよ」
「うん、楽しいダンスありがとう。Amazing!」
と言いながら、いろんな感激が押し寄せて涙が出てきました。
今度は彼女たちにコンサートで会えるよね。彼女たちは3人で "Will You Be There" を踊って とても楽しかった。
初めてのチケット購入で 徹夜で並んだ体験はとても楽しく、素敵な想い出となりました。
一緒に行った九州ブロックの皆さん、お世話になりました。今度はコンサートで頑張ろうねっ!!
■'93.10.5発行分■
ちょっと駆け足でツアーの内容を追ってみましょう。
<ツアー再開前日の8/23、バンコクのホテルでの記者会見>
≪バンコク @タイ≫ 8/24~28
席種により 白,青,赤 3色の、コレクション性の高いプラスチック製カードのチケット
(上: 赤ver.の表側 / 下: 青ver.の裏側)
8/24★ コンサート初日(4万人が詰めかけた)
首都圏警察本部から1,500人,陸軍警察から2,000人の開場警備人員が派遣された。
"Wanna Be Startin' Somethin'" を歌いながら、右手のJAM手袋を外す。
<ツアー再スタートを切った この日のマイケルだったが…>
25★ 疲労と暑さで脱水症状、コンサート延期。
開演3時間前に突然発表、すでに6割ほど入場していたが、混乱は無し。26★ コンサート再延期。
ファンの多くが混乱し、チケット代を返却するよう詰め寄る人もいた。
タイのDANGEROUSコンサート主催者であるマルカ氏とマイケルの弁護士サンドラ氏は、教育省体育事務局長サナン氏を訪問。1時間に及び会談終了後、サンドラ氏は27日晩までコンサートは延期する必要があるとした。
マルカ氏は、「マイケルはまだ体調がすぐれず、休養が必要と医師が判断した」 と語った。 マイケルは、ホテルで点滴などの治療を受ける。
「ステージを休んでごめんなさい。僕は今病気で治療中なんです。
ドクターの指示で 8/27以後にコンサートを再開します。」 (※肉声テープ)
27★ コンサート。 (※8/25延期分)
開演5時間前まで大雨だったが 2時間前までには止み、無事にコンサートが行なわれた。タイ王室からも招聘。
だが、マイケルはステージ裏で定期的に酸素吸入を受けていたという。
≪シンガポール≫ 8/28~9/3
8/28★ シンガポールに到着、宿泊先はラッフルズ・ホテル。
オレンジ色のシャツで窓からお手振り、ピースサイン。29★ ナショナル・スタジアムで4万5千人を前にコンサート。 リズも夫と駆けつける。
"Jam" が終わった後、"HAPPY BIRTHDAY" がバックミュージシャンにより演奏され、会場中でマイケルの誕生日を祝う。 マイケル、照れくさそう&嬉しそうにしていた。
が… コンサート後、体調を崩していた。
30★ コンサート直前 ステージ裏で倒れ、コンサート延期。
急性偏頭痛で、かろうじて立てるという状態。31★ シンガポールいちの神経外科へ行き、約2時間にわたりCTスキャン等の検査を受け、ホテルに戻る。
マイケルを診た医師は、「特に異状なし」。
「シンガポールのファンの皆さん、ご迷惑をかけ申し訳ありません。
明日ステージで歌うのを楽しみにしています。ずっと応援してくれてありがとう。
I love you all.」 (※肉声テープ)
窓から、ファンからもらった絵などを見せていた。
9/1★ コンサート。 (※8/30延期分)
2★ リズ達とともに動物園へ。 オランウータン6頭とご対面。
<※編集注: 実際には動物園に行ったのではなく、動物園からオランウータン派遣の形をとった。詳細は 『INTERVIEW』内 【シンガポール動物園'93】をご参照下さい>
<シンガポールで撮ったツーショ>
≪台北 @台湾≫ 9/3~7
9/3★ 夕方、台北に到着。 宿泊先はリージェントホテル。
マイケルと同じバンに、リズとティトの息子3人(3T)も乗っていた。
ホテルに到着するや、ファン・ホテル従業員・報道陣からもみくちゃ状態に遭うも、マイケルは笑っていた。
その後ホテルの窓から、全身が見えるお手振り。
4★ コンサート。
VIP席にファミリーも! (パパ,ママ,リビー,ジャッキー,ジャーメイン,ランディ,3T)
ジャネット来台のうわさもあったが、姿を見た者なし。
5★ マイケルお出掛け。
ホテル近くのおもちゃ屋 "トイザらス" で約1時間半、水鉄砲やバービー人形など約47万円分をお買い物。
小競り合いのあげく、このカメラマン、マイケル側の車に向かってレンガを投げたりしたので大騒ぎに。
TV局では 「ボディガードに暴力を振るわれた」 と八つ当たりニュースを流す始末。
しかしマイケルが離台する前に この2人は和解し、しっかりと握手し合って別れた。
<この日、くしくも地元TVの特番でコメントしていたマイケル。ホテルの部屋にて>
6★ コンサート。
7★ 厳重な撮影の取り決めにもかかわらず、カメラマンの入室を突然許可したマイケル。
しかしスタッフは一刻も早く切り上げようとする。ソファーに座ったマイケルは、
「まだ何も言ってないよ!」
と笑ってなかなかしゃべれない。
「I love TAIPEI ...(笑) I love TAIPEI、台北の皆さん、また会える日を楽しみにしています。」
と言い、カメラに向かって手を振った。
昼前にホテル裏の駐車場出口から、白のキャデラックで空港へ向かうため お出まし。 窓を少し開けて手を振ってくれる。
<台湾公演のプロモーター・余光氏と>
≪福岡 @日本≫ 9/7~12
9/7★ マイケル来日。福岡空港からバスに乗り、長崎入り。
ハウステンボスのホテルヨーロッパで休憩、迎賓館に宿泊。 ハウステンボス内見学。
8★ オランダ村やバイオパークへ外出したのち、再びハウステンボスを見学&ショッピング。 9★ 長崎から福岡へ移動。 博多のハイアット・リージェンシーに宿泊。
夜、ベスト電器でCD,LDなど約200万円相当のお買い物。10★ コンサート。 3万人が酔いしれる。
11★ コンサート。
コンサート後、ホテルの窓から身を乗り出し お手振り。 帽子まで投げちゃうサービス有。12★ 昼前、窓からお手振り。
昼過ぎ、福岡空港からモスクワへ向けて飛び立つ。
実はマイケルは、ホテルを出発する前に
「車でファンの集まっているところを通って手を振りたい」
と言ってくれた!!! のだが、警察側から 「一方通行で危ない」 と言われ、断念…。
≪モスクワ @ロシア≫ 9/12~17
9/12★ 夜、モスクワのシェレメチェボ空港に到着。
チケットはホテル前で売り出されたが、ロシアの経済事情も含め労働者の平均月収の4倍額にもなるために売れ残った分は、最終的に大盤振る舞いでタダ券として配られた。13★ モスクワ軍隊と行進。 軍用コートを着せてもらう。(※ビデオ作りが目的) 14★ モスクワでマイケルは大統領以上の歓迎を受け、市内を観光した。
低迷するロシア経済に一役買ったマイケルは、骨董店へ行った後、クレムリンを見学。 また、書籍や制服などを売る軍の店でお買い物。
15★ コンサート。
レーニン・スタジアムには5万人のファンが、大雨にもかかわらず詰めかける。
摂氏8℃の寒さ,会場警備3千人。
マイケルは開場2時間前にホテルを出た。
16★ コンサート。 17★ 孤児院訪問。 子供たちが歌でマイケルを歓迎。
その後、イスラエルへと向かう。
≪テルアビブ @イスラエル≫ 9/17~22
9/17★ テルアビブのベンガリオン空港に到着。
出迎えた子供から、ユダ暦の象徴であるハチミツとリンゴを手渡された。
18★ エルサレム旧市内にあるユダヤ教の聖地 『嘆きの壁』へ行ったが 安息日だったため、保守的なユダヤ教徒たちは、マイケルを取り巻く取材陣の騒ぎに激怒。
「安息日を写真で汚すな!」 と 椅子でバリケードを組み、聖地への入口を塞いだ。
マイケルたち一行は、仕方なく引き返しました。
19★ コンサート。
約7万人のファンが詰めかけ、350人以上が失神やケガで手当てを受けた。
裏口からマイケルをひと目見ようと、占領地から許可証なしで厳しい警備をくぐり抜けて潜り込んだパレスチナ人ファン3人が逮捕された。21★ コンサート。
≪その他のニュース≫
デクラーク大統領の改革を受け 国連が制裁を解いて以降、南アフリカを訪れる最初の大スターとなります。
■'93.11.5発行分■
その後、ツドゥルフンの軍事基地では、予定していた女性兵士軍とのプロモーションビデオの撮影が急きょキャンセルされました。
イスラエルでの2度目のコンサートでは、テルアビブスタジアムに約10万人を動員、6回のお色直しで2時間にわたるショーでした。
マイケルがシドニーのコンサートを中止した為、マドンナが 「私が代わりに行く」 と言っているそう。
理由は、9月21日 コンサート予定地ヨハネスブルグでのデモに参加した黒人のうち6人が殺害された事を挙げ、
「公演先の政情不安に加え、黒人に対する南アフリカ政府の暴力に対し、同政府から納得のいく説明が無かった」。
キャンセルに伴う損害額は 約3,050万円。
<日刊スポーツより>
どちらもドタキャンでのお値段です。
■'93.12.5発行分■
10月23日の公演を腹痛のためキャンセルし、25日に振り替えました。
虫歯抜歯治療のために1日入院。 しかし別の歯も悪化し、治療。
同地にリズ夫妻が訪れる。
2分間にも及ぶマイケルの声明は 「身体的・肉体的な理由からツアーを中止する」。
事実無根の容疑をかけられ、ツアーの疲れも重なり、鎮痛剤の常用をした事から中毒になったと語りました。
(※声明の全文は 【'93年事件 part.3】 をご参照ください)
ペプシコ社の広報担当者は
「スポンサー契約は、ツアー完了時点で終えることになっていたので、マイケルがツアーを打ち切るという事なので スポンサー契約も切れたという事になる」
と述べました。
報道では、いかにもペプシコ社がマイケルを見放したかのように伝え始めましたが、あくまでもツアーのスポンサーとして契約していたのですから、コンサートをやらなければツアースポンサーが必要ないという 当然の理由なわけです。
見放す・見放された等という感情的な事というより、単なる契約内容どおりの結果という事ですね。
「病気ならコンサート中止も仕方がない。がんばって欲しい」
と話していました。
右往左往しているのは、どうやら大人たちだけらしいですね。
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= 1994年 =
■'94.2.5発行分■
彼ら自身も、各国のプロモーターからツアー不履行で訴えられた為で
「43回中 23回しか行なわなかった」
「中毒を知らされていなかった」
「公演内容も第一級のものではなかった」
と裁判所に申し出ています。
しかしこの告訴については、1月には和解される見込みのようです。
これは、今回のアジアツアーの補償をロイズ社に依頼していた為で、マイケル側としては至極当然の成り行きとして保険金を受け取ったということです。
■'94.6.5発行分■
ワールドツアーをやれば、それと共に発生(?)するエピソード! 日本でも数多く残してくれましたよね。
では、これまでのワールドツアーで残していった海外エピソードの一部を、『MJJプロダクションズ』 のプレスリリースから見てみましょう。
≪※DANGEROUSツアー'92来日以前のもの≫
その1★ ノルウェーでのコンサート会場周辺に "マイケル村" 出現?!
ヨーロッパでは、アリーナがスタンディング式なので、良い席確保のため5日前から外で寝泊まりするファンもいたのです。 しかも大量に!! テントにマイケルのポスターを貼り付け、さながら "マイケル村" のようだったとか!その2★ スウェーデン・ストックホルム滞在中、ちょっとミュージックストアでお買い物しようと店に立ち寄ったマイケル。
変装して行ったにもかかわらず、すぐファンに見つかっちゃう。(その変装がものすごーく怪しかったのかも?)
あっという間に黒山の人だかりとなり、マイケルは身動き出来ない状態。 けっきょく警察まで出動するほどの大騒ぎとなってしまいました。その3★ ('92年)8月29日は、マイケルの34歳のお誕生日。
前日28日のドイツ・フランクフルトで公演中、突然キーボードのグレッグ・フィリンゲインズが "HAPPY BIRTHDAY" を演奏し始め、6万人のファンが大合唱!!
マイケルは、びっくりしながらもステージ上で嬉しそうに大笑いしちゃった!!
その4★ スコットランド・グラスゴーでは、ショーで使われているレーザービームが、会場上空をパトロールしていた警察ヘリコプターのパイロットを驚かせ、パイロットは警察本部に自分が狙撃されたと報告。
たちまち大量の警官が急行し、現場は大パニック!! 一時はコンサート中止?! なんて話まで持ち上がるほど。
豪勢なライティングを誇るマイケルのコンサートならではのハプニングでした。
(しっかし このパイロット! コンサート中止になっていたら狙撃の代わりに涙の洪水で狙い撃ちされてますよね)
<グラスゴーでのド迫力ライブ>
日本でも、'92年12月の来日目前に各関係者などを集めた記者発表が 東京ドーム横の後楽園ホールで開かれました。
いろいろな資料が配布された中に、マイケルの こんなメッセージも含まれていたのです。
今回、私がヒール・ザ・ワールド(世界を救おう)基金を設立した理由は、声なき子供達の声になるためです。
この世の創造物のうちで、子供達は最も美しく、最も可愛らしく、そして最も貴重な存在です。
にもかかわらず、今この瞬間に毎分少なくとも28人の子供達が死んでいます。
病気、残酷な戦争、銃、虐待、無責任な放置などによって多くの子供の命が、危険にさらされています。
最後に、そしてこれが最も大事なことですが、全世界の子供達にこのことを言っておきたいのです。
そして君たちすべてを僕は愛している。」
(※プレスリリースの和訳原文のまま)
■'94.10.5発行分■
訴えたプロディン・プロダクションは、チリで2回・ペルーで1回の公演を企画しましたが、チリの1回目を開演1時間前に中止,ペルーもチケット完売後に中止され、同プロは多大な損害を受けたとしています。
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= 1995年 =
■'95.12.5発行分■
このクライブ氏は、マイケルのDANGEROUSツアー'92に同行し、コンサートの合い間の体力強化やコンディショニングについて指導した人です。
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