【 DANGEROUS World Tour NEWS 】
- part.2 -

1991年    1992年    1993年    1994年    1995年

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= 1993年 =

■'93.5.20発行分■  
  • 日本ペプシコーラ社では、『アリガト・ボトル』 1本60円を発売。
    ボトルには、マイケルの顔と 「アリガト・ボトル 感謝のココロで¥60」 と印刷された帯が巻いてある。
    テレビCFも流され、「アリガト アリガト アリガト アリガト … 」 と、画面一面に感謝の言葉が埋め尽くされるというものです。
    この60円の代金の中から1円が、『ヒール・ザ・ワールド基金』 に寄付されます。
 

■'93.6.5発行分■  
  • ブカレストLIVEが、とうとう日本でも放映決定!
    6月28日 20:00~22:20、NHK-BS2にて放映だぁっ!
    日本では(消防法のため)実現できなかった 「ロケットで飛んでっちゃうマイケル」が観れます
    この会誌が届くのがLIVEの放映に間に合って良かった良かった。
<ロンドン・ウェンブリースタジアムでの “ロケットマン”>


<'60年に申請・'62年に特許取得の 『PROPULSION UNIT』 がベース>
(のちに 『ROCKET BELT』 という呼称となる)





<ヨーロッパツアーの “ロケットマン”、キニー・ギブソン氏とその子供たち>

■'93.7.5発行分■  
  • 米ペプシ社は、イスラエルでもコカコーラ社と激烈なコーラ戦争を展開していますが、最近ペプシ社が主催したコンサートで ガンズ&ローゼズが道徳的とは言い難いパフォーマンスを披露した事から、ユダヤ正統派のラビ達から非難を浴びています。
    ペプシ社はこの抗議をよそに、第2弾としてマイケルのツアーを計画中

  • ワールドツアー等のたびにマイケルがが利用するホテルで 殊のほか気に入ったのは、パリオテル ドゥ クリヨンの3つのスイートルームの1つ、『白のスイート』 と言われている。
    23,500フラン(約53万円)の部屋じゅうが白を基調としたインテリアでまとめられ、柔らかい照明のため どこか温もりを感じられる部屋。
    マイケルはこのホテルを絶賛したと伝えられている。


  • 『ツアー再開情報』
    マイケルは、ツアーを一体いつから再開するのかしら? それとも、もうやらないのかしら? とっても とっても気になるツアー情報。
    クラブでは、今わかっているところだけですが、メンバーの皆さんにお伝えしたいと思います。
    今回はツアー日程についてです。と言ってもこの情報は最終的なものではなく、多少日にちがズレたり削られたりがあるとの事です。
    これを読んで喜ぶ人・泣く人それぞれだと思いますが、まずは深呼吸をして読んでみて下さいね。

    8/15,16… 香港
    8/21,22… バンコック @タイ
    8/25… 台北 @台湾
    8/28,29… ソウル @韓国
    9/3,4… 福岡 @日本
    9/7… ジャカルタ @インドネシア
    9/11,12… シンガポール
    9/18… テルアビブ @イスラエル
    9/21… テネリフェ @スペイン
    10/9,10,13… メキシコシティ @メキシコ
    10/16… グアダラハラ @メキシコ
    10/19… カラカス @ベネズエラ
    10/22… サンパウロ @ブラジル
    10/24… リオデジャネイロ @ブラジル
    10/27… アスンシオン @パラグアイ
    10/30… ブエノスアイレス @アルゼンチン
    11/4… オークランド @ニュージーランド
    11/7… アデレード @オーストラリア
    11/9… メルボルン @オーストラリア
    11/12,13… シドニー @オーストラリア
    11/17… ドバイ @オマーン
    11/21,22… ニューデリー @インド

    日本については、マイケルは大阪で再びコンサートをするかもしれないという情報も届いています。
    いろいろご質問が多いと思いますが、今のところ判っている全ての情報ですので、これ以上お伝えする事がありません。
    今回のように ある程度しっかりした情報が届き次第、会誌あるいはハガキを通してお伝えしていく予定です。


■'93.8.5発行分■  
  • 前回に差し込んだツアー日程に、かなり変更が出ています。
    現在わかっている変更は下記のとおりですが、今後も変更・中止など充分考えられますので、海外公演へ行かれる方は、チケットを入手してくれる旅行会社などで念入りに確認をして下さいね。

    中止… 香港
    8/25… バンコック @タイ
    8/29,30… シンガポール
    9/3,4… 台北 @台湾
    (日本のあとは イスタンブール@トルコの予定)

  • 昨年12月の感動の東京ドーム公演から9ヶ月、マイケル旋風が再び吹き荒れる!
    福岡ドーム 1993年9月10日(金)・11日(土) 開場17:00/開演19:00
     主催: ダイエーグループ
     後援: アメリカ大使館,西日本新聞社,FNS九州,テレビ西日本,FM九州
     協賛: ペプシコーラ / 協力: エピック・ソニーレコード
     運営協力: キョードー西日本 / 企画制作: キョードー東京

  • マイケル再来日決定ニュースがあり、あっという間のチケット発売!
    7月7日には来日に関する記者会見があり、翌8日には新聞発表10日福岡ドームにてチケット先行発売
    アジア,南米,オーストラリアなど 17ヶ国を廻るワールドツアーに再び活動開始となります。
    日本公演の会場候補は、京都淀競馬場西宮球場もありましたが、先行スタッフが現地を調査し、条件が最適の福岡ドームに決定しました。
    福岡ドーム側は2日間で6万人動員を見込んでいるそうで、「たとえ破員になっても夢のある場所を作り上げるための先行投資となるでしょう」 との事ですが、もっと増えそうって気もしますよね。

  • 『福岡ドーム騒然!』 - 7/10付
    4~5千人の列とも それ以上とも言われたように、福岡ドーム前は何日も前から頑張ったファンを先頭に 長蛇の列でした。
    午前5時頃からドーム側は、前に詰めるよう並んでいる人たちに呼びかけたそうですが、何千人もの相手に声も通らず、列は大きく乱れたり割り込みも多く、3千人を超す人々が行ったり来たり。 お祭り騒ぎ・無法地帯だったという噂もチラホラ。 ファンの一部が、チケット発売体制に問題があるドーム側に抗議する一幕も!
    ドーム側は警備員を約100人増やし、午前8時すぎ、場内アナウンスで謝罪。 ドーム広報宣伝部のK部長は、
     「それなりに対応したつもりですが、当方も初めてのことで不充分な点がありました。
     お詫びします。」

    うーん。 本当に…並びに行った人たちは大変だったようですね。せっかく並んだのにチケットを取れなかった人が何千人もいたそうです。
    一生懸命がんばって並んだ人には、それなりのご褒美チケット出してくれないかしら!

     
    『福岡ドームにチケット取りに行きました!!』
    - 会員Mさんの投稿より -

     私たち九州ブロックは、7月6日頃からバイトを雇ったり 交代で徹夜したりして番をとっていたので、先頭集団 前から4グループ目でした。
     私が行ったのは発売前日の9日夜でしたが、その時はすでにチケットは完売という表示が、遠くからでも目につきました。 その時は5千人くらいが並んでいたようです。
     私たちの前のグループは東京の人たちで、ラジカセでマイケルのルーマニアのコンサートのテープをかけて、皆でいっしょに歌って踊って盛り上がりました。
     私はとうとう立ち上がって "Billie Jean", "Beat It", "Thriller" を踊ってマイケルのモノマネをしっかりやってしまって、沢山の人が観ていて恥ずかしかったけど、とても盛り上がって楽しかった。今度は恥ずかしくないようにしっかりダンスを覚えよう。
     そして朝4:45くらいから並ばされて、チケット発売開始9:00
     すごくドキドキして、手に汗を握って、買ってゲートを出た時は じーんと感動。 あぁ、やっと終わった。
     そして帰ろうとした時、あの東京の人たちがいました。
     「楽しかったよ」
     「うん、楽しいダンスありがとう。Amazing
    と言いながら、いろんな感激が押し寄せて涙が出てきました。
     今度は彼女たちにコンサートで会えるよね。彼女たちは3人で "Will You Be There" を踊って とても楽しかった。
     初めてのチケット購入で 徹夜で並んだ体験はとても楽しく、素敵な想い出となりました。
     一緒に行った九州ブロックの皆さん、お世話になりました。今度はコンサートで頑張ろうねっ!!

■'93.10.5発行分■  
 8月からアジアを皮切りにツアーを再開したマイケル。
ちょっと駆け足でツアーの内容を追ってみましょう。


<ツアー再開前日の8/23、バンコクのホテルでの記者会見>



≪バンコク @タイ≫ 8/24~28

席種により 白,青,赤 3色の、コレクション性の高いプラスチック製カードのチケット
(上: 赤ver.の表側 / 下: 青ver.の裏側)

8/24コンサート初日(4万人が詰めかけた)
首都圏警察本部から1,500人,陸軍警察から2,000人の開場警備人員が派遣された。
"Wanna Be Startin' Somethin'" を歌いながら、右手のJAM手袋を外す。



<ツアー再スタートを切った この日のマイケルだったが…>

25疲労と暑さで脱水症状コンサート延期
開演3時間前に突然発表、すでに6割ほど入場していたが、混乱は無し。
26コンサート再延期
ファンの多くが混乱し、チケット代を返却するよう詰め寄る人もいた。
タイのDANGEROUSコンサート主催者であるマルカ氏とマイケルの弁護士サンドラ氏は、教育省体育事務局長サナン氏を訪問。1時間に及び会談終了後、サンドラ氏は27日晩までコンサートは延期する必要があるとした。
マルカ氏は、「マイケルはまだ体調がすぐれず、休養が必要と医師が判断した」 と語った。 マイケルは、ホテルで点滴などの治療を受ける。

= マイケルのコメント =

「ステージを休んでごめんなさい。僕は今病気で治療中なんです。
ドクターの指示で 8/27以後にコンサートを再開します。」 
(※肉声テープ)

27コンサート。 (※8/25延期分)
開演5時間前まで大雨だったが 2時間前までには止み、無事にコンサートが行なわれた。タイ王室からも招聘。
だが、マイケルはステージ裏で定期的に酸素吸入を受けていたという。



<心身ともボロボロな事をみじんも感じさせないステージング>



≪シンガポール≫ 8/28~9/3
8/28シンガポールに到着、宿泊先はラッフルズ・ホテル
オレンジ色のシャツで窓からお手振り、ピースサイン。
29ナショナル・スタジアムで4万5千人を前にコンサートリズも夫と駆けつける。
"Jam" が終わった後、"HAPPY BIRTHDAY" がバックミュージシャンにより演奏され、会場中でマイケルの誕生日を祝う。 マイケル、照れくさそう&嬉しそうにしていた。
が… コンサート後、体調を崩していた



<このバースデイライブでも魅せるマイケル>

30コンサート直前 ステージ裏で倒れ、コンサート延期
急性偏頭痛で、かろうじて立てるという状態。
31シンガポールいちの神経外科へ行き、約2時間にわたりCTスキャン等の検査を受け、ホテルに戻る。
マイケルを診た医師は、「特に異状なし」

= マイケルのコメント =

「シンガポールのファンの皆さん、ご迷惑をかけ申し訳ありません。
明日ステージで歌うのを楽しみにしています。ずっと応援してくれてありがとう。
I love you all.」 
(※肉声テープ)

窓から、ファンからもらった絵などを見せていた。


9/1コンサート (※8/30延期分)

<パワフルに復活したこの日のステージより>

2リズ達とともに動物園へ。 オランウータン6頭とご対面。
<※編集注: 実際には動物園に行ったのではなく、動物園からオランウータン派遣の形をとった。詳細は 『INTERVIEW』内 シンガポール動物園'93をご参照下さい>

<シンガポールで撮ったツーショ>



≪台北 @台湾≫ 9/3~7
9/3夕方、台北に到着。 宿泊先はリージェントホテル
マイケルと同じバンに、リズティトの息子3人(3T)も乗っていた。
ホテルに到着するや、ファン・ホテル従業員・報道陣からもみくちゃ状態に遭うも、マイケルは笑っていた。
その後ホテルの窓から、全身が見えるお手振り。


4コンサート
VIP席にファミリーも! (パパ,ママ,リビー,ジャッキー,ジャーメイン,ランディ,3T
ジャネット来台のうわさもあったが、姿を見た者なし。



5マイケルお出掛け。
ホテル近くのおもちゃ屋 "トイザらス" で約1時間半、水鉄砲バービー人形など約47万円分をお買い物。
マイケルがお店から出てきた直後、ボディガードと台北のTV局カメラマンとが小競り合いをする一幕があったが、これは、マイケルをカメラに収めようと興奮したカメラマンがボディガードに手を出した為の出来事。(そりゃあボディガードだって必死!)
小競り合いのあげく、このカメラマン、マイケル側の車に向かってレンガを投げたりしたので大騒ぎに。
TV局では 「ボディガードに暴力を振るわれた」 と八つ当たりニュースを流す始末。
しかしマイケルが離台する前に この2人は和解し、しっかりと握手し合って別れた。


<この日、くしくも地元TVの特番でコメントしていたマイケル。ホテルの部屋にて>


6コンサート


7厳重な撮影の取り決めにもかかわらず、カメラマンの入室を突然許可したマイケル。
しかしスタッフは一刻も早く切り上げようとする。ソファーに座ったマイケルは、
 「まだ何も言ってないよ!」
と笑ってなかなかしゃべれない。
 「I love TAIPEI ...(笑) I love TAIPEI、台北の皆さん、また会える日を楽しみにしています。」
と言い、カメラに向かって手を振った。
昼前にホテル裏の駐車場出口から、白のキャデラックで空港へ向かうため お出まし。 窓を少し開けて手を振ってくれる。


<台湾公演のプロモーター・余光氏と>



≪福岡 @日本≫ 9/7~12

9/7マイケル来日福岡空港からバスに乗り、長崎入り。
ハウステンボスホテルヨーロッパで休憩、迎賓館に宿泊。 ハウステンボス内見学。



8オランダ村バイオパークへ外出したのち、再びハウステンボスを見学&ショッピング。
9長崎から福岡へ移動。 博多ハイアット・リージェンシーに宿泊。
夜、ベスト電器でCD,LDなど約200万円相当のお買い物。
10コンサート。 3万人が酔いしれる。


<福岡での2夜連続公演・第1夜目のマイケル>

11コンサート
コンサート後、ホテルの窓から身を乗り出し お手振り。 帽子まで投げちゃうサービス有。
12昼前、窓からお手振り。



昼過ぎ、福岡空港からモスクワへ向けて飛び立つ。
実はマイケルは、ホテルを出発する前に
 「車でファンの集まっているところを通って手を振りたい」
と言ってくれた!!! のだが、警察側から 「一方通行で危ない」 と言われ、断念…。





≪モスクワ @ロシア≫ 9/12~17
9/12夜、モスクワシェレメチェボ空港に到着。
チケットはホテル前で売り出されたが、ロシアの経済事情も含め労働者の平均月収の4倍額にもなるために売れ残った分は、最終的に大盤振る舞いでタダ券として配られた。
13モスクワ軍隊と行進。 軍用コートを着せてもらう。(※ビデオ作りが目的)
14モスクワでマイケルは大統領以上の歓迎を受け、市内を観光した。
低迷するロシア経済に一役買ったマイケルは、骨董店へ行った後、クレムリンを見学。 また、書籍や制服などを売る軍の店でお買い物。




"Stranger In Moscow" のシングルジャケットとなるショットもここで撮影>

15コンサート
レーニン・スタジアムには5万人のファンが、大雨にもかかわらず詰めかける。
摂氏8℃の寒さ,会場警備3千人。
マイケルは開場2時間前にホテルを出た。





<9月だというのに息が白む寒さ>

16コンサート
17孤児院訪問。 子供たちが歌でマイケルを歓迎。
その後、イスラエルへと向かう。





≪テルアビブ @イスラエル≫ 9/17~22
9/17テルアビブベンガリオン空港に到着。
出迎えた子供から、ユダ暦の象徴であるハチミツリンゴを手渡された。



18エルサレム旧市内にあるユダヤ教の聖地 『嘆きの壁』へ行ったが 安息日だったため、保守的なユダヤ教徒たちは、マイケルを取り巻く取材陣の騒ぎに激怒
「安息日を写真で汚すな!」 と 椅子でバリケードを組み、聖地への入口を塞いだ
マイケルたち一行は、仕方なく引き返しました。



19コンサート
約7万人のファンが詰めかけ、350人以上が失神やケガで手当てを受けた。
裏口からマイケルをひと目見ようと、占領地から許可証なしで厳しい警備をくぐり抜けて潜り込んだパレスチナ人ファン3人が逮捕された。
21コンサート


<19日の "Black Or White" ラストポーズ>



≪その他のニュース≫
  • 9月30日と10月1日に、南アフリカ・ヨハネスブルグでのコンサートが決定。
    デクラーク大統領の改革を受け 国連が制裁を解いて以降、南アフリカを訪れる最初の大スターとなります。

■'93.11.5発行分■  
  • 9月18日イスラエルの聖地エルサレムに観光に向かう途中、保守的なユダヤ教信者に追われてしまったマイケル。
    その後、ツドゥルフンの軍事基地では、予定していた女性兵士軍とのプロモーションビデオの撮影が急きょキャンセルされました。
    イスラエルでの2度目のコンサートでは、テルアビブスタジアムに約10万人を動員、6回のお色直しで2時間にわたるショーでした。




    <軍事基地への表敬訪問自体は履行された>


  • 9月26日チケット発売の予定で 12月に3回行なわれる予定だったオーストラリア公演は、観客のためにコンサート内容を変えたいとの理由で、延期
    マイケルがシドニーのコンサートを中止した為、マドンナが 「私が代わりに行く」 と言っているそう。

  • 9月30日,10月1日南アフリカ・ヨハネスブルグのコンサートは、マイケル側がキャンセル
    理由は、9月21日 コンサート予定地ヨハネスブルグでのデモに参加した黒人のうち6人が殺害された事を挙げ、
     「公演先の政情不安に加え、黒人に対する南アフリカ政府の暴力に対し、同政府から納得のいく説明が無かった」
    キャンセルに伴う損害額は 約3,050万円
    <日刊スポーツより>

  • ちなみに、8月シンガポールでのキャンセル料も、コンサート1回あたり約3,000万円
    どちらもドタキャンでのお値段です。

■'93.12.5発行分■  
  • 10月6日 アルゼンチン・ブエノスアイレス公演のため同地入りしたマイケルが飛行機のタラップから降り切る直後、日傘の代用か 青白のビーチパラソルをスタッフから手渡され、それを自分で差しちゃった!


    <大統領官邸カサ・ロサダを表敬訪問時、守衛にふざけるマイケル>




    <ブエノスアイレスでのステージング>


  • 10月18日 チリ・サンティアゴでは、真っ白なパラソルを差したマイケル。
    10月23日の公演を腹痛のためキャンセルし、25日に振り替えました。


    <サンティアゴの小児病院にて>




    <チケットを手にしたマイケルファン達でぎっしりのスタジアム>




  • オーストラリア・ツアーをマイケルがキャンセルしたのは、ダイアナ・ロスから 「虐待訴訟と闘うべきだ」 と忠告されてから わずか数日後の出来事だったという。

  • 11月2日 メキシコシティーの3回目公演をキャンセル
    虫歯抜歯治療のために1日入院。 しかし別の歯も悪化し、治療。
    同地にリズ夫妻が訪れる。



  • 11月12日 メキシコシティーに滞在していたマイケルは、肉声のカセットテープを使い、ビバリーヒルズの広報オフィスよりDANGEROUSツアーの今後すべての予定を中止すると発表。
    2分間にも及ぶマイケルの声明は 「身体的・肉体的な理由からツアーを中止する」
    事実無根の容疑をかけられ、ツアーの疲れも重なり、鎮痛剤の常用をした事から中毒になったと語りました。
    (※声明の全文は 【'93年事件 part.3】 をご参照ください)

  • 11月14日 米ペプシコ社「ツアースポンサー契約を打ち切る」 とNYで発表。
    ペプシコ社の広報担当者は
     「スポンサー契約は、ツアー完了時点で終えることになっていたので、マイケルがツアーを打ち切るという事なので スポンサー契約も切れたという事になる」
    と述べました。
    報道では、いかにもペプシコ社がマイケルを見放したかのように伝え始めましたが、あくまでもツアーのスポンサーとして契約していたのですから、コンサートをやらなければツアースポンサーが必要ないという 当然の理由なわけです。
    見放す・見放された等という感情的な事というより、単なる契約内容どおりの結果という事ですね。

  • 米CNN子供ニュースでは、今回の疑惑経過を子供に説明し 双方の言動を全て伝えたところ、子供たちの反応は冷静で
     「病気ならコンサート中止も仕方がない。がんばって欲しい」
    と話していました。
    右往左往しているのは、どうやら大人たちだけらしいですね。

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= 1994年 =

■'94.2.5発行分■  
  • 12月28日 マイケルがツアーをキャンセルした為、大元のプロモーターであるドイツの 『ママ・コンサート』2千万ドル(約22億4千万円)の損害賠償で告訴
    彼ら自身も、各国のプロモーターからツアー不履行で訴えられた為で
     「43回中 23回しか行なわなかった」
     「中毒を知らされていなかった」
     「公演内容も第一級のものではなかった」

    と裁判所に申し出ています。
    しかしこの告訴については、1月には和解される見込みのようです。


    <ママ・コンサートのCEO マルセル・エイブラム氏と>

  • ワールドツアーのキャンセルによる保険金の支払い3千万ドルを、マイケル側が イギリスの保険会社ロイズに請求しました。
    これは、今回のアジアツアーの補償をロイズ社に依頼していた為で、マイケル側としては至極当然の成り行きとして保険金を受け取ったということです。

■'94.6.5発行分■  
 ワールドツアーをやれば、それと共に発生(?)するエピソード 日本でも数多く残してくれましたよね。
では、これまでのワールドツアーで残していった海外エピソードの一部を、『MJJプロダクションズ』 のプレスリリースから見てみましょう。
 ≪※DANGEROUSツアー'92来日以前のもの

その1ノルウェーでのコンサート会場周辺に "マイケル村" 出現?!
ヨーロッパでは、アリーナがスタンディング式なので、良い席確保のため5日前から外で寝泊まりするファンもいたのです。 しかも大量に!! テントにマイケルのポスターを貼り付け、さながら "マイケル村" のようだったとか!
その2スウェーデン・ストックホルム滞在中、ちょっとミュージックストアでお買い物しようと店に立ち寄ったマイケル。
変装して行ったにもかかわらず、すぐファンに見つかっちゃう。(その変装がものすごーく怪しかったのかも?)
あっという間に黒山の人だかりとなり、マイケルは身動き出来ない状態。 けっきょく警察まで出動するほどの大騒ぎとなってしまいました。
その3('92年)8月29日は、マイケルの34歳のお誕生日。
前日28日ドイツ・フランクフルトで公演中、突然キーボードのグレッグ・フィリンゲインズが "HAPPY BIRTHDAY" を演奏し始め、6万人のファンが大合唱!!
マイケルは、びっくりしながらもステージ上で嬉しそうに大笑いしちゃった!!
その4スコットランド・グラスゴーでは、ショーで使われているレーザービームが、会場上空をパトロールしていた警察ヘリコプターのパイロットを驚かせ、パイロットは警察本部に自分が狙撃されたと報告。
たちまち大量の警官が急行し、現場は大パニック!! 一時はコンサート中止?! なんて話まで持ち上がるほど。
豪勢なライティングを誇るマイケルのコンサートならではのハプニングでした。
(しっかし このパイロット! コンサート中止になっていたら狙撃の代わりに涙の洪水で狙い撃ちされてますよね)


<グラスゴーでのド迫力ライブ>


 日本でも、'92年12月の来日目前に各関係者などを集めた記者発表が 東京ドーム横の後楽園ホールで開かれました。
 いろいろな資料が配布された中に、マイケルの こんなメッセージも含まれていたのです。


= デンジャラス・ワールドツアーを始めるにあたって =

 今回、私がヒール・ザ・ワールド(世界を救おう)基金を設立した理由は、声なき子供達の声になるためです。
 この世の創造物のうちで、子供達は最も美しく、最も可愛らしく、そして最も貴重な存在です。
 にもかかわらず、今この瞬間に毎分少なくとも28人の子供達が死んでいます。
 病気、残酷な戦争、銃、虐待、無責任な放置などによって多くの子供の命が、危険にさらされています。
 最後に、そしてこれが最も大事なことですが、全世界の子供達にこのことを言っておきたいのです。

「君たちは、みんなの子供であり、君たちのひとりひとりが、僕の子供でもある。
そして君たちすべてを僕は愛している。」

マイケル・ジャクソン
(※プレスリリースの和訳原文のまま)


■'94.10.5発行分■  
  • 8月24日 昨年10月にコンサートを企画したチリの芸能プロダクションが、直前に中止され被害を受けたとして米CA州の裁判所に約5億円損害賠償を求める訴えを起こしました。
    訴えたプロディン・プロダクションは、チリで2回・ペルーで1回の公演を企画しましたが、チリの1回目を開演1時間前に中止,ペルーもチケット完売後に中止され、同プロは多大な損害を受けたとしています。

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= 1995年 =

■'95.12.5発行分■  
  • 読売ジャイアンツ桑田真澄投手が右ひじ検査で再渡米し、LA市内に7ヶ所あるセンチネラ病院のリハビリセンターを統括するチーフトレーナーのクライブ氏と、今後のリハビリについて話し合いが行なわれました。
    このクライブ氏は、マイケルのDANGEROUSツアー'92に同行し、コンサートの合い間の体力強化コンディショニングについて指導した人です。

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