UPDATE - '07.05.06
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【 MJ & Friends - What More Can I Give 】
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( VOL.108 / Aug 1999 )
MJ&Friends 開催まで ソウル(韓国)編 ミュンヘン(ドイツ)編 会員投稿レポート
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= ミュンヘン(ドイツ) =
■6月26日■ ミュンヘン到着
午後6時15分、マイケルはプリンス君・パリスちゃんと共にミュンヘンに到着。
1時間後、大勢のファンの待つ Bayrischer Hofホテルに着き、ファン達の前を歩きました。
雨が降り始めるまで、マイケルはホテルの部屋の窓から何回か顔を出しました。
■6月27日■ コンサート
輝く空の下、夏のビッグ・イベントが始まりました。
この日、ドイツのミュンヘンにあるオリンピックスタジアムで開催されたチャリティーコンサート "What More Can I Give" に、マイケルは国際的に活躍するミュージシャン30組以上を集めました。
スコーピオンズ,バネッサ・メイ,ボーイズIIメン,サーシャ,ケリー・ファミリー等の大物が出演するショウに、62,000人のファンが興奮したのです。
コンサートの冒頭、マイケルからのビデオメッセージが流されました。そして9時間に亘るクラッシック・ポップ・マラソンの最後を飾ったのは、"King Of Pop" マイケルその人だったのでした。
午後11時に子供たちがマイケルの出番を伝え、マイケルが舞台に登場すると喚声は一段と高まります。
ヒット曲 "Billie Jean" "Dangerous" などの後、彼の35分間にわたるステージは頂点を迎えました。
平和への讃歌 "Earth Song" は、ソウルでのコンサートと同じく舞台の上 高さ14mに鉄橋が掛けられ、銃声が鳴り響き暗闇に閃光が光るという 戦争をテーマにしたシナリオです。
その橋をマイケルが上って行き、曲のクライマックスであったその時!
橋の真ん中がすさまじい勢いでマイケルと共に落下! 写真撮影用の溝にぶつかったのです。ファンは悲鳴を上げました。
しかしマイケルはその場を逃がれステージに駆け上り、何ら苦痛を表さずに歌いきり、続く "You Are Not Alone" まで歌い上げました。
そのため殆んどの観客は演出の一部だと信じ、アクシデントに気づきませんでした。
真相は、橋の落下自体は計画されたものでしたが スピードはもっとゆっくりの筈で、しかしこの時にはそのコントロールが出来ずブレーキが利かなかったまま床に落下してしまった、という訳です。
"You Are Not Alone" の最中も、橋に見立てたそのクレーンはそこにあり、もはや動かせない状態でした。
あらゆる意味で全てを演じきったマイケルは、最後に観客に向かって 「I love you!」 と 4回も繰り返し叫びました。
ステージを終えた後、マイケルはすぐにイーザル湖畔の病院に運ばれました。
マイケルは足首と手首を痛めていて、少々の火傷も負っていましたが、数時間後に病院から出ることが出来ました。
数百人のファン達は、マイケルの滞在するホテルの前で 怪我の具合に関するニュースの到着を待ち続けていました。
■6月28日■ ホテルでの静養
500人のファン達がホテル前に集まり、マイケルの快復を願いました。
マイケルはパジャマ姿で何度もホテルの窓から顔を出し、ファンからカード付の風船を受け取ってそのカードを読んだ後にはピースサインを出していました。
"アンチマイケル" のRTLテレビがファン達の姿を撮影しに来た時には、大勢のファンが立ち上がって 新しいスローガンを叫び始めました。
「Michael is the Best! F*** the Press !! 」
ファン達の声はすぐに大きくなり、マイケルは窓から彼らに同意の合図をしました。ファン達がもっと大きく叫ぶと、マイケルは指を揺らせて合図しました。
前夜のアクシデントによる負傷について、MJJ Productions は 「マイケルは大丈夫」 と語りました。
昼下がりには Mama Consertsの Marcel Avram氏が記者会見を開き、「マイケルは元気でいます」 と話しました。
■6月29日■ ドイツ出国
この日、フランス・パリへ向けて発ちました。
パリではニューアルバムその他の仕事やプライベートのため、予定を延ばし7月13日まで滞在。
= 会員投稿レポート =
ソウル&ミュンヘン紀行 by. mjjさん
6月25日のソウル公演は、チケットを取らずに “とりあえず行くだけ行って あとは何とかなるかなぁ…” みたいな、かなり適当な考えでした。
マイケルの泊まる新羅ホテルに、25日当日に到着。友人と共にチェックインして、マイケルがホテルを出るまでフラ~っとしてました。ホテル内にある巨大なスクリーンに、夕方にもなると会場の(オリンピックスタジアムの)様子が放送されたりしている。それを観ていて “どーしようかなぁ…” なんて考えてました。
とか何とかしてるうちに午後7時30分すぎ頃マイケルがホテルから会場へ向かう時間になり、マイケルは沢山のボディガードが立ち並ぶ中 ロビーに姿を現わしました。ちょっと顔が痩せたかなぁ~って感じでした。
マイケルがホテルを出て行ってしまってから、大変にのんきな私は地下鉄で会場へ行きました。
入口がどこかよく判らなかったので、近くを歩いていた2人の女の子(20歳くらい)に訊くと一緒に連れて行ってくれました。2人は中国人でしたから英語があまりしゃべれなかったのですが、一生懸命話してくれました。
「会場にはもう入れないから、外からスクリーンを観ていた方がいいよ」 と言われたのですが、やっぱり中に入りたかったのでダフ屋からチケットを買うことにしたのですが、ダフ屋との折り合いがうまく合わず断念せざるを得ない状態になっていました。
若い子たちはゲートの中に何とか入ろうと試みている人もいましたが、警備員がゲートを閉めてしまって中には入れませんでした。
その時、その中国人の女の子の1人が、ゲートが開いている所を見つけたのです!
たまたまドアを押したら開いていて、「早く!早く! 入れ、入れ!」
― そして、なんと本当に中に入っちゃったのです。 “でも絶対うまくいくはずないよなぁ… すぐ見つかっちゃうよなぁー” と思ってました。
案の定、警備の人はウロウロしていて、会場の中を覗くと、私たちがいる場所はちょうどステージの真裏(後ろ)でした。でも、すぐ見つかって笛の 『ピーッ!』という音とともに警備の人々がこっちに向かって来ました。“うわーっ、ヤバっ!” と思って階段の端に隠れました。
しかしいつまでもこうしている訳にも行かず、時間も午後9時30分になるくらいでした。こっそり、またその場所を離れて外に出てみると、また違うセキュリティーの人々に見つかってしまいました。何か言われたのですが(当然、韓国語は解らなかったのですが)、よく解らないうちに会場の中に入れてもらえちゃったのです!(マイケルごめんなさい。私はタダ観をしてしまいました)
もう信じられなくて、3人でひたすらキャーキャー言いながら会場の中に入りました。
そして幸運にも、マイケルのステージは 入ってすぐに始まりました。そもそも、何で入れたのかは未だによく解らないんですが、本当にラッキーでした。
およそ30分ほどのステージは最高でした。特に "Dangerous" のニュー・バージョンや、"Earth Song" の橋のシーンは、本当に驚くべき展開でした。
そして何より、あの2人の中国人と一緒に歌ったり喜びを分かち合ったことは忘れ難い想い出の1つとなりました。(でもチャリティー・コンサートなのに、タダ観はやっぱマズイですよね。反省します。)
翌日の朝、午前8時30分にマイケルはソウルを離れ、ミュンヘンに向かいました。
私も午前10時にはホテルを出て、フランクフルトまで行き、国内線(ルフトハンザ)でミュンヘンに向かいました。
国内線の待合のところで知り合ったマイケルファンの女の子2人(外国人)が、マイケルの泊まっている Bayerisher Hofホテルに一緒に行かないかと誘ってくれたので、これまた一緒にいたスペインのファンの女の子3人組と、合計6人でホテルに行きました。
でも、着いた途端に雨が降ってきてしまい、用意の悪い私は傘を持ってきておらず 皆もホテルに戻り始めたので、私も近くのホテルに歩いて帰りました。
マイケルがホテルに到着した時のファン達
翌日はホテルに寄って、ホテル前にいた外国人のファンの人々と話したり写真を見せてもらったりして、夕方4時には会場のオリンピックスタジアムまで地下鉄で行きました。
ミュンヘンのホテルにいた時は雨が幾度も降ったのに会場はとても天気が良く、ちょっと暑いくらいでした。
Tシャツとパンフレットとバンダナが売っていたので、それを買ってアリーナのステージ前まで下りて行きました。
途中で赤い旗みたいなものが配られて、それには 『The Power of Sixt Salutes, The Power of Humanity』 と書かれていました。
そして、しばらくして RED CROSS(赤十字)の人々が募金箱を持って回って来たので、ソウルでタダ観した私はそのお詫びとして募金しました。
午後8時頃、ドイツTV "Wetten Dass...?" の司会者が現われて、マイケルを呼びました。
黒い上下にサングラスをしたマイケルが、オペラ歌手の Andrea Bocelliを紹介する短いスピーチを行ないました。
その後、午後10時30分を回ったくらいでマイケルのステージは始まったのですが、残念だったのはミュンヘンで予定されていた Luciano Pavarottiとのデュエット等が無かったし、Liz Taylorや Pavarotti自身も来ていなかった事でした。
でも会場の観客は皆その事実とは関係なくマイケルのステージに熱狂していました。
日本の新聞にも書かれていた “ステージ上の事故” ですが、私たち観客の中で、マイケルが怪我をした事に気づいている人はいませんでした。というのも、マイケルは怪我をした後も、それを観客に気づかせる事なく "You Are Not Alone" を堂々と歌っていたのですから。そこはさすがにプロでした。
でも確かに、"Earth Song" の時に 橋が割れてマイケルが乗っている橋の一部が大きな爆発音とともに下に降りる時、私も結構近くで観ていたのですが、かなり早い勢いで上からサーッと… “降りる” というより “落ちる” に近い感じだったので、一瞬ヒヤッとしました。しかもその橋はステージの下まで降りてしまい よく見えなくなってしまい、挙げ句の果てにはマイケルが下からステージに自分で上って、また歌い続けていたのです。
“大丈夫なんかい?” という感じでしたが、マイケルは至って “正常” に歌っていたので怪我をしているなんて思ってもいませんでした。
しかし、30分のショーの後のスピーチは無く、マイケルは会場を後にしました。
私は打ち上がる花火を見ながら、ずっとステージを見つめていました。
ソウルとミュンヘンと2回のコンサートを観るために、すごく慌ただしい日々を送っていたので、なんか全てが“あっ”という間でした。
翌日はICEでミュンヘンからフランクフルトに戻り、列車の中で色々な想いを馳せ、今まであった出来事を日記に綴ったりしました。(うわぁー、クサイなぁー。)
そしてフランクフルトでは帰国の便までの間、レーマー広場などを観光して、夜、フランクフルトから日本に帰国しました。
ソウル(韓国)は一度行ったことがあったのですが、ドイツは初めてだったので何かと大変なことが多く、たくさん失敗&恥をかいて来ましたが、無事マイケルのコンサートを2回とも観ることが出来たので本当に良い体験となりました。
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