会員体験レポート
【 第2回 世界子供会議に参加して 】
('95年4月18日)
( VOL.76 / Jun 1995 )

 とかく体験記というと、「ワーキャー うれしすぎるゥ~」 ってノリになりがちで、それも読むととっても楽しいのですが…。 特に今回のように 降って湧いたような,一生マイケルしていても殆んど 「ナイ」 に近い貴重な体験となると、書く方も読む方も “マイケルはどうだった”に集中しがちです。
 しかし、今回のような体験だからこそ、本当のマイケルの姿を理解するのに良いチャンスの1つだと思うのです。
 幸いなことに、この会員の方とクラブとの間で、 「皆に伝えなければならない事は何か」 という点で見解が一致したので、この企画が実現しました。

 マイケルがどうのこうの という直接的な言葉はあまり出てこなくて少々もの足りないと思う人も、このレポートを読み終えた時、そういう言葉よりも もっとはっきりとマイケルの心と姿が見えてくると信じています。


 事の始まりは… いや夢の始まりは、1992年12月に遡ります。
 コンサート会場で手にした(あまり目立たなかったが出口のテーブルに置いてあった)1枚のチラシに、 “Heal the World 8歳から16歳までの子供達集合” と記されていました。 そして、私には関係ないけれど マァ記念に1枚もらっておきましょうとそれを家に持ち帰ったのですが…。
 何日も我が家のテーブルの上に放っておいたチラシを、ある日ふと娘(当時小学4年生)が手にして
 「これなあに?」
と尋ねるので、
 「あっ それね、マイケルのコンサート会場でもらってきたんだけどね、エ~っと
“マイケル・ジャクソンの来日を機に、彼がいま最も情熱を注いでいるヒール・ザ・ワールドを より多くの人達に理解し賛同していただくために、8歳から16歳までのお子様を対象に
『今、世界中でどんな問題があって、どうすればそれを解決出来るか。 また、子供達に何が出来るか』 というテーマで誌や作文を募集しています。
最優秀者2名には、来年春、彼の牧場で開かれる予定の第2回世界子供会議に参加していただきます。
(たった2名か…)
寄せられた全作品の中から抽選で300名にヒール・ザ・ワールドTシャツをプレゼント”

  だって。
  ねェ~お母さんこのTシャツ欲しいんだけど、あなた作文書いてみない?」
と話したのです。
 娘 「世界中ったって私、日本以外いったことないからわかんないよ。 私が住んでる町だってほとんど出たことないのに」 (単に何処へも連れて行ってくれない親だと言いたいのだ)
 母 「そうね~」
 娘 「よくテレビで観るソマリアの子供達の事とか 一つの国の事でもいいの? Tシャツ貰えるかなあ」
 母 「そうね あなたの心が通じればね」

 祈るような気持ちで待つこと2週間、やっと書き上げた作文に、手を加えたくなるような気持ちを抑え、投函したのです。
 それからというもの、娘は毎日のように郵便受けを覗いたり、配達人に尋ねたり、何でも出せばもらえると思っているのでしょうね。
 しかし1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が経ち、半年が経ってもハガキひとつ来ませんでした。
 そうして、もうすっかり忘れた頃、突然大きな封筒が届き、娘は玄関の外から大きな声で
 「マイケルからTシャツが届いた!」
と大喜びし、玄関に入った時にはすでにTシャツを着ていたほどでした。
 その娘の一言
 「マイケル、私は子供なのにこんな大きなTシャツ。 ちょうど良くなるまでにはボロボロになっちゃうよ。 でも忘れないでいてくれてありがとう」
 あ"~ 大きすぎるからお母さんにおくれ! と私は声なき声で叫んでいました。



 その後、マイケルにとっても色々な事があり、私達も色々な面で成長したり歳をとったりして Tシャツも色褪せ、よれよれになった2年後の1995年2月、一通の航空便の “大きな大きなボタモチ” によって、私達にとっては夢のような体験をすることになるのでした。
 娘いわく、
 「ボタモチは 棚からではなく空から降ってくるのね」



 仕事から帰ってきた私に、娘が
 「お母さん マイケルから手紙がきた! 大変! 本当に本当なんだから!」
と おおはしゃぎ。
 興奮しまくる娘から手紙を受け取ってみると、目に飛び込んで来たヒール・ザ・ワールドのあの地球のマーク。
 これは紛れもなくマイケルだ!
 目の前が真っ白、いや真っ黄色、いや何色だかわからない!
 あまりの驚きに字が読めない。 手が震えて読めない。 いえいえ、手紙が震えていなくても私は英語がダメだったのだ。
 急いで隣家に飛び込んで大まかに訳してもらうと、それは
 「4月にロスで行なわれる世界子供会議に出席してほしい」
という内容だった。
 私は 手ばかりか足までも震え始め、夢かもしれない・こういう夢はよく見るし 目が覚めても顔がほころんでいることがよくあるもの、と思った。
 「私の事は何て書いてあるの?」
と尋くと、
 「あなたの事は特に何も書いてないけど、付き添いが1人必要と書いてあるわ」
 やった! それだけで充分!

 浮かれた気分が3日ほど続きました。
 ところが、これは観光じゃないんだ・会議なんだ・世界中の問題を話し合うのだから英語も必要だし いろいろ準備もしなくてはならないと気がつくと、浮かれた気持ちが引き締まりました。果たして日本から選ばれた たったの4名のうちの1人として ちゃんと役目が果たせるだろうか、と。
 娘はクラスメイトから・私はマイケルファン友達からさまざまな形で協力を得、心も資料も準備万端整えて(少なくともそのつもりで) 出発の日を待ちました。



 1995年4月吉日
 私はヒール・ザ・ワールド(以下 "HTW")の親善大使として世界子供会議に出席する娘の “保護者” として、ロスへ向けて飛び立ちました。
 踊る気持ちを抑えに抑え、娘を無事に現地へ引率し届ける事のみが自分の役目と言い聞かせ、実際に必要とされて指名されているのは私ではなく娘なんだ、と自分を確認しながら。
 そして自分の立場の範囲の中で 見るもの解るものをしっかりと記憶し、日本のマイケルファンに伝えなければと思い、目を皿のようにして見つめてきたつもりだったけど、私の素晴らしい頭の構造はトコロテン式だったと、これを書いている今 感じています。

 今回の第2回 世界子供会議は、17ヶ国・46名の子供達が集合。 保護者そして子供達へのアドバイス・サポートを担当しているボランティアのスタッフを合わせると、100名以上になります。
 現地ではすべて団体行動で、ホテル到着1時間後からのカリキュラムがきっちりと組まれており、集まった子供達は真剣そのもの。 自分の身の周りで日常起こっている差別,暴力,ドラッグ,地球環境問題などについて積極的に交わす意見は、大変重みのあるものでした。
 時間が許せば思い出のハリウッドやダウンタウンへ買い物でも等と思っていた私は、自分の浅はかな考えと “マイケルに会いたい” 一心の自分が急に恥ずかしくなり、今すぐにでも荷物をまとめて帰りたくなるほど反省しました。



 ロスへ到着して3日間は、ロスのホテルに滞在しながらハードスケジュールをこなしました。
 そして4日目は、いよいよネバーランドです。 ここでの3日間は、宿泊先もネバーランドの近くのホテルへと移りました。
 親子が一緒に移動していた昨日までとは変わり、この日は別々の車でホテルを出発となりました。
 子供達だけがマイケルに会えるという情報にガッカリの私は、魔法が使えるなら誰か私を子供にして、と念じたけれど、昨年同じこの門の前で
 「あ~ 一歩でもいいからこの門の中に入りたい」
と願った事を思い出せば、今回間違いなくネバーランド・バレーに入れるだけでも嬉しい。 あの時でさえ、門の前に立っただけでも夢のような事だったのに…。 私にとっては “この門の中に入ってみたい” と思う事は、 “鳥になって大空を飛びたい” と思うのに匹敵するくらいの夢事なんですよ。 本当に。


 それほど想いを込めていた門前で車が一度停まり、そしてゆっくりとゲートを越えた時、心の中でクラッカー,いいや スターマインが打ち上がりました。
 ゲートを抜けるとすぐに大人たちが乗っていた車は止められ、複雑な気持ちを噛みしめながら長く短い時間を車中で過ごしていました。
 そして再び車が動き出しました。
 前方に広がるおとぎの国。 後ろと前に目が欲しい。 あっ! あっ! 右!左!右!左! と首がバラバラになりそうな状態で なおも車は進み、 "Welcome Neverland Valley" の文字と ネバーランドのオリジナル・キャラクターのうちの1つである男の子の絵に出迎えられました。

 そこからさらに車で(邸内の)駅に到着。 まぁこの駅の綺麗なこと! 大きな花時計の周りには電動のチョウチョや子供達のモニュメント。
 お菓子でいっぱいの駅には、何百人乗れるのでしょうか 豆電球でデコレーションされた蒸気機関車が、先に行った子供達を乗せ、私達の到着を今や遅しと待っていました。
 「マイケルに会えたよ! リサもマイケルも超かっこ良かったよ!」
という子供の声に、ちょっぴりジェラシーを感じたりして…。


 その子供達がすでに乗っている蒸気機関車に飛び乗りかけた私の目の中に、食べ放題・取り放題のお菓子たちが飛び込んできました。 “友達へのお土産に” とポケットへ突っ込んだ私は、まだ自分の行動の恥ずかしさには気づいていませんでした。
 カメラもビデオもシャットアウトの中で、何とか私達がここを訪れたという証が欲しかったし、それは草でも土でも、それこそ食べこぼしのクッキーの粉でも 全ての物を持って帰りたい気持ちがその時は駆け巡っていたのです。

 アメ玉をほおばり、子供のようにはしゃぎながら蒸気機関車は動き出しました。
 見渡す限りの芝生の緑や 若葉で繁った木々の緑,その一面の緑のキャンバス中から映し出される木々・草花,そして上品にたたずむ彼の住まい,ゲストハウス,庭園,キラキラ輝く湖,テニスコート,トランポリンなどなど。 歓声を上げながら あれを指さし、これもあれもとスクリーンのように止まることなく過ぎていきます。


 何分ほど走ったでしょうか、次の駅に到着。
 汽車を降り 花畑の小道を下ると、オプラのTV番組にも出たミニシアターの前に出ました。 噴水を目前に、前方には遊園地が広がり、緑のジュータン、遊園地中央にある大型スクリーンからはピーターパンが上映されていました。
 まさしくここは夢の国、他に何と例えたらいいのでしょう。 現代版竜宮城?



 ランチが済むと、ミニシアターに集合。 アイスクリーム,ジュース,チョコレート,クッキー,キャンディ,ポップコーンなどが食べ放題になっています。
 そしてミニシアター内でカリキュラムをこなしている最中のことでした。
 夢のような連絡が届きました。 マイケルが “みんなと話がしたい” という事でここにやって来るというのです。 私は奇声をやっとのことで噛み殺しました。

 数分後、フェドーラ帽にサングラス・黒ずくめのいでたちで、本当にマイケルはやって来て 舞台の上で挨拶をしました。
 もう、ただのファンになってしまいそうで自分の体を押さえつけるのが精一杯,でも顔は真夏のチョコレート状態と化し、コントロール不能となっていました。
 子供達1人1人の自己紹介が始まります。 子供の胸に下がるネームプレートを1人ずつ確認しながら微笑んだり頷いたり、時には優しい声が掛けられます。


 それが終わると、子供達の質問へと移っていきました。
 子供達は真剣そのもので、自分の身の周りで日常起こっている差別,暴力,ドラッグ,地球環境問題などについて積極的に交わす意見は大変重みのあるものでした。 子供達はすごいエネルギー、地球の宝です。
 そして質問に答える彼の姿も真剣でした。 また、質問によってはリラックスして楽しそうに答える彼の様子にも感動してしまいました。
 我が娘も、
 「マイケル! 日本に大きな地震があったのを知っていますか?」
と質問。 マイケルは、
 「知ってるよ。 新しいアルバムのレコーディングをしている時にリサから連絡があって とても驚いたよ。
  それでとても辛い気持ちになって、3日間仕事をキャンセルしてしまったんだ。」
 「マイケルも行ったことのある西宮球場の周りの子供達もたくさん被害に遭いました。
  その子供達が1日でも早く幸せな暮らしが出来るように祈って下さい。」
 「今度日本へ行ったら、日本の総理大臣や政治家の人達といろいろな話をして、少しでも僕が役に立つ事があったら力になりたいと思っています。」
と言ってくれたのです。
 もじもじして恥ずかしそうに話す娘を覗き込むように優しく見守り、包み込むように答えてくれた彼のことを、娘は
 「マイケルってサングラスをしていて目が見えないのに、とっても目がきれいに見えるの。 どうしてだろうね。 もう最高にステキなメチャかっこいい人だね」
と私に話してくれました。



 会議が行なわれた場所は、ここミニシアターの他に 参加者の宿泊先であるホテルの会議場で、別の日にも続けられました。
 そして進行形態は、子供達が疲れないような時間配分が配慮されていて、1~2時間のディスカッションと、博物館などの外出や 様々なアトラクションが交互に組まれているのです。 しかもそのアトラクション的なものさえも、ただのお楽しみで終わるのではなく、将来この地球をより良くしていく次世代を担う子供達に対してのマイケルの真剣な想いが伺えるメニューとなっていました。
 議題は、『子供とは何か。』 『地球とは何か。』 と大きく分けられていて、子供達は自分で選んだ議題のところへ集まってグループを組み、その議題を基に さらに 『平等・正義・開発/発展・コミュニケーション』 というテーマに沿ってディスカッションするのです。
 ここで話し合われた内容は、近く開催される国連50周年の場で発表される予定なので、また時期が来れば皆さんに詳しく伝えることが出来ると思います。

 さて、そのディスカッションの合間に用意されたメニューを少し皆さんにお話しする事で、子供達だけでなく私達も共に何かを感じ、考える機会になればと思います。

 まず、マイケル側はアメリカ・インディアンの長老をこの日のために招いてくれました。 彼は、差別問題と共に自分達の今日までの歴史を語ってくれたのです。
 そして彼の家族も一緒に来ていて、その場で手作りポシェット教室(?)も始まりました。 彼らは革で出来たこの小袋を常に首から下げていて、中には薬が入っているのだそうです。 “自分の事は自分で守る”、これは生きていく上での必要最低限の事であり、世界中の1人1人がこういう意識を持った上で余った力を人助けに向けられれば… と、その長老は教えてくれました。

 また、『タカの卵とニワトリ』 の話も意義あるものでした。 タカの卵をニワトリが育てた場合、飛べないタカになってしまいます。 しかしタカが自分をタカだと気づき 練習をして空に舞い上がった時、タカは空から地上にいるニワトリを見て何と思うだろうか・ニワトリを愚か者だと思うだろうか? と、問題提起されたのです。
 各国の子供達が自由に意見を述べる中、ある子供が
 「タカはニワトリを見て 何とも思いません。
  だってニワトリは自分の役目をちゃんと知っていて きちんと果たしているから。」
と答えました。そしてHTW側は 「それが正解」 と答えたのです。
 それぞれが持っている才能を知り、それを活かすようフルに努力しましょうという事が、子供達に伝わったようです。

 そしてまた、チビっこマイケルの登場もありました。
 この子はすでに芸能活動をしているということで、勉強の事,愛と平和を信じて仕事を頑張っている事,マイケルを目標にし マイケルのように信念を持って活動している事などを、ステージにチョコンと座って話すのです。
 たかだか(?)8歳のこの少年が、ちゃんと自分の主義主張を持っている事にとても驚かされ、感心しました。

 その他にも、更正したストリート・チルドレン(簡単に言うと“不良”)が歌とダンスを披露してくれたりして、楽しみながらも有意義なイベントに感動しました。



 話を 元のミニシアターに戻しましょう。
 約2時間近く、マイケルは子供達とのディスカッションを楽しみました。
 そして終わりに、みんなと握手をしたいということで舞台を下り、このミニシアターの入口のところで親も子も1人1人と握手や言葉を交わし、夢のような時間は過ぎていきました。

 シアターを出ると、暗くなった外は エレクトリカル・パレード状態の景色と化していました。  Oh! ビューティフル! ワンダフル! ファンタスティック!
 小雨がぱらつき、遊園地では遊べなかったけれど ディナーのバーベキューを食べ、夜の10時過ぎまでたっぷりと遊ばせてもらいました。

 そしてホテルに帰り着いた私達に HTWのスタッフが話してくれた事は、心を動かし、夢見ごこちの気分を再び気を引き締めさせるものとなりました。
 「あなた方の声や心を言葉にして出せば、それが物ごとを変えていくんだよ。
  最初マイケルは、“みんなと10分ほど話がしたい” と言っていたんだ。 ところが彼は結局2時間近くいたという事も、みんなの目の輝きや声が 彼の心を動かしたって事なんだ。
  どんな小さな力でも、何でも出来るんだよ。」



 天気に恵まれたネバーランド・バレーでの2日目も、ランチ前から夜の10時過ぎまで 動物園や遊園地の遊び放題,食べ放題。
 大人だって もう子供です。 歓声をあげ、拍手をし、ひっくり返って動物と遊び、時間の経つのも忘れ、自分も忘れて夢中でした。

 途中、マイケルの本宅に隣接するゲストハウスの庭でディナーに招待されました。 そう、リズの結婚式が行なわれた あの白いテラスを目の前にしながらの食事です。


'91年10月6日、リズとラリー・フォーテンスキー氏の結婚式では付き添い人も務めたマイケル

 ひっくり返りそうな感動の渦の中、バックミュージックに なんと 『赤とんぼ』 が聴こえるではないですか。 重ね重ねの感動です。 それどころか 1曲を長くアレンジしてあったせいか、食事の間中に流れた曲数は たったの5~6曲位だったにもかかわらず、あとの4曲も日本の曲だったのです。 懐かしさも加わって、この粋な計らいに 涙が出るほど感激してしまいました。
 陽がとっぷり暮れても この楽園は、眠ることを知らないのかと言えるほど輝いていました。



 3日目は、ブレックファストからおじゃましました。 早朝でもこの楽園は元気! メリーゴーランドは動き、スクリーンにはマイケルのコンサートが映し出されています。

 この遊び放題,食べ放題,スタッフの優しさ・気配り,そしてこの理想とする楽園は、ただの金持ちの道楽ではないのです。 到るところに気配りや優しさの込められた楽園だったのです。
 ミニシアターの両脇のベッドは 座っていられない重病の子供のためという事は、誰もが知っているところ。 車椅子の高さに取り付けられた長い手すり状のドアノブは、軽く押しても重いドアが開くようになっているし、車椅子で何処へでも移動可能な 階段のない建物の造り,そして園内。
 彼の人柄・優しさが、溢れるほど感じられた3日間でした。
 このネバーランドに初めて足を踏み入れた時の、見る物・触る物をポケットに入れたいと思っていた自分の心が自然に洗われ変わっていったのが、3日目にして気がつきました。
 私が日本のファンに持っていくお土産は、土でも草でもクッキーの粉でもなかったのです。 彼の心を大切に持っていく事なんだと気づかせてもらえました。
 自然のうちに心が正され、この自由の中で子供のように心が澄まされてしまいました。

 そして私は、娘にも教わりました。
 「マイケルはね、スターマイケルジャクソンじゃなくて人間マイケルジャクソンとして接して欲しいんだって。
  だからね、キャーとかサインしてとか 大きな声を出しちゃいけないの。 走り寄ったりプレゼントを渡しちゃあダメなんだよ。 わかった? お母さん。」
 「ハイ」
 「日本に帰って友達や周りの人に話す時、マイケルの顔がああで 声がこうでという事は二の次なんだよ。
  マイケルってこんな人なんだよって、彼の優しさ・心の広さ・人間的に素晴らしいって事を伝えるのが、私達の使命だからね。」

 そうだそうだ!
 まったく良く出来た娘を持って、お母さんは幸せです。




 大自然と共存しながら、おいしい水が安心して飲めるような地球環境を保つこと,同じ地球に住む人間同士が平和な暮らしを保つこと。
 これらは、今 生きている私達が、その為の方法や意識を持って実践していかなければならないけれど、もっと大切なことは、これを永久に継続する為に、次の世代へと繰り返し引き継ぎ続けなければ保たれないという事です。
 マイケルの 子供達に対する深い愛情は、自分の周りの子供達だけに留まらず、世界中の子供達の父親のような大きなもののように思えます。
 そしてマイケルが何故、特に子供に心を掛けるのかというのは、困っている人々に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教え 道具を提供し、本当の意味での助けをするという精神にも似ていて、これから次世代を引き継いでいく為の根本的な力となるからなのでしょう。
 最後に、マイケルが自身の才能や立場を活かして活動しているように、私達も個人レベルで何が出来,何をしたらマイケルの夢の実現への役に立つのか 考えてみたいですね。

・・・ END ・・・

UPDATE - '08.02.15