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WMA'93 - 会誌記事より       海外ファンのモナコ滞在記

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【 5th モナコ WMA '93 】
― 会誌記事より ―

( VOL.54 - 55 / Jun-Jul 1993 )

■'93年6月5日発行分
 モナコ公国のモンテカルロで ('93年)5月12日(日本時間13日) に開かれた 『第5回 ワールド・ミュージック・アウォード』 の授賞式に、マイケル,エリック・クラプトン,ロン・ウッド,CHAGE&ASKAが出席。
 各国においてその年に最もたくさんのアルバムを売り上げたアーティストを対象とするアウォードで、CHAGE&ASKAは日本人で始めて参加、 "No No Darlin'" を熱唱。 最前列に座っていたマイケルも拍手していました。

 マイケルは最高級パリホテルに宿泊。
 9日には、バルコニーで子供を抱っこしてカメラマンを指差しているマイケルが激写された。
 マイケルは、いつもの帽子に いつものシャツにズボンというスタイルで、鼻と口をウエスタンのギャング風覆面をしていた。

モナコ入りのこの日に着ていたのは、4ヶ月半前に長崎ハウステンボスで買ったセーター。
そしてこの4ヶ月後、再び訪れたハウステンボスで また同じこのセーターをお買い上げ~。



■'93年7月5日発行分
 モンテカルロで 5月12日、『第5回 ワールド・ミュージック・アウォード』 の授賞式が行なわれました。
 子供とともに授賞式に現われたマイケルは、3つの賞を受け取りました。
   o World's Best Selling Pop Artist
   o Best Selling American Artist
   o World's Best Selling Artist Of The Era



 この模様はアメリカでは既に放映されましたが、日本ではフジテレビ系で ('93年)7月9日,16日,23日,30日の 『音楽旅行』 深夜2:30~3:00に放映されます。 この授賞式は2時間余のものですが、これを4回に分けて放映し、その4回分すべてにマイケルが出ます。
 東京・関東周辺と広島で、同番組を通常放映している局でのみ観ることが出来ます。 野球放送の延長等にはくれぐれも気をつけてね。 (※当時の記述のまま)


= こぼれ話 =

 3つのトロフィーを抱え切れなかったマイケルは、隣にいたアルベール王子に
 「すみませんが、1つ持って戴けませんか」
と、大胆にも頼んで持たせてしまった。

 この授賞式のリハーサルには、日本から参加したCHAGE&ASKAなど ほぼ全員が出てきたが、マイケルは現われなかった。
 マイケルは本番直前、取り巻き(?)を引き連れて現われ、そこにいた出席者の歓声を浴びていた。

・・・ END ・・・


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【 海外ファンのモナコ滞在記 】
( VOL.56 / Aug 1993 )

■5月11日(火)■
 けさの新聞に、マイケルがモンテカルロに到着したとのニュースが載った。
 モンテカルロは美しい街だ。 天気も素晴らしく、道ゆく人々の服装にこの街の豊かさが表われている。

5月9日、ヘリコプターでモンテカルロに到着したマイケル

 私は、マイケルの泊まっているパリホテル(オテル・ド・パリ)に直行した。
 既に人だかりになっていた。 その中に知り合いはいなかった。
 殆んどの人はバカンス中の野次馬だが、数人のジャーナリストもいた。 その中の1人が、私の "KING OF POP" の文字の入った帽子を見てインタビューしてきた。 その記者はアメリカの 『スターズ・アンド・ストライプス』 誌の人だった。

 再びマイケルのそばにいるのだ。 最高の気分!
 私が思うに・それに後で聞いたところ、マイケルの部屋は海の見える最上階にある。 マイケルはいつも最上階の一番良い景色の部屋に泊まる。
 その "最上階説" は、すぐにマイケル自身が証明した。 18時と20時,さらに22時にバルコニーに現れたのだ。
 マイケルは、バルコニーから花を投げてくれた。 ところがその後からバケツの水も降ってきた。 天から降る雨のような様々な種類の花を取ろうと思ったらズブ濡れになる覚悟が要る。
 はじめは、突然雨が(しかもドシャ降りの雨が!) 降りだしたのかと思った。 しかしそれは、紛れもなくマイケルの仕業だった。 彼はどうやってこんなに短い間隔で水を汲んでこられるのだろう? とても愉快な出来事だった。
 昨年('92年12月) 日本で体験したような幸せな気分になり、感極まってしまった。 水が降ってくる中、花を取りながら泣いてしまった!


5月10日、アルベール王子とホテルで会食

 その日の夜遅く、100人のイタリア人のファンと私以外が引き上げた後、マイケルは再び姿を見せ、私たちに話しかけた!
 私たちが最初にし,そして最も重要な質問は、 「彼が幸せかどうか」 というものだった。
 答えは 「Yes!」。
 今年の初めの 『オプラ・ウィンフリー・ショウ』 の中で 「達成中」 と答えていた質問で、その答えはとてもステキな答えだ。
 次に、イタリア人の少女が質問した。 「今年中('93年)に再びヨーロッパでツアーをするの?」。
 彼はハッキリと答えた。 「夏にやる」。 (そのツアーは本当に8月半ばに始まる)
 私も彼に質問した。 「次はどこでツアーをするの?」。
 マイケルは 「イタリア」 と答えたが、彼は聞きまちがえたのだと思う。 いちばん好きな国を訊かれたと思って、イタリアの女の子達を喜ばせようと 「イタリア」 と答えたのだろう。 彼女たちの声がマイケルには一番よく聞こえただろうから。
 イタリアの女の子たちは、たくさんの質問をした。 答えはすべて 「Yes!」。 マイケルが同じ言葉を繰り返すのを聞くのはおかしかった。
 しかしマイケルと話す時、 「Yes」 はただの 「Yes」 ではない。 この 「Yes」 には感激がいっぱい詰まっている!
 私は、彼がファンに囲まれて このようにパフォーマンスするのを見てきた。 彼は私たち皆に愛をくれるのだ。

 さらに夜は更けて、私たちはローソクに火をつけて花を持ち、明け方までずっと歌い続けた。 歌は "Heal The World", "Michael Put Your Hand Out" ("Someone Put~" の替え歌)。
 あとで判った事だけど、私たちのせいで (同ホテル宿泊中の) ロッド・スチュワートは一睡も出来なかったそうだ。 でも、私たちは幸せだった。 私たちはこの気分を表現し、その夜マイケルが私たちにしてくれた事に感謝したかったのだ。

【※編集より: 周囲の迷惑を顧みない“表現”は マイケルへの悪評にも繋がるので、深慮ある行動を心掛けたいものですね 】


■5月12日(水)■
 午前3時ごろ、授賞式の行なわれるスポーツホールに歩いて行きがてら、自分の泊まるホテルとショーのチケットを探すことにした。
 ホテルは簡単に見つかった。 何しろ海沿いにホテルはごろごろある。
 ただし、チケット探しはまた別の問題だ。 ひどいことに、ほんの2日前までチケットの入手は簡単なことだったが、今は100ポンド(約1万7千円)の値がついているという。
 建物に入れるのなら、マイケルを観られるのなら、100ポンドも惜しくない。 何しろホールは小さくて、観客は小さなステージすぐ側にいられるのだから。
 チケットが欲しい!
 その建物だが、不思議なことに出入自由だった。 私がバックステージやその他を歩いていても、全部で2人の人間としか出会わなかった。 その2人はショーのための照明を取り付けていた。
 私は今まで、スタジアムでプレイするマイケルしか観たことがないので、そんなに小さなステージでの彼を想像できない。 チケットを持っている人はなんて幸運なのでしょう!


 その夜、私たちは何とか授賞式を観ようとやってみたが、努力はムダに終わった。
 私たちは警備員の間をうまくすり抜け、建物内には侵入できた。 しかしチケットが無くてはホールの中には入れない。
 それに、そこが早朝に来た場所と同じ所とは信じられないぐらい、大勢の警備員がいた。

 諦めてホテルで待つことにした私たちに、素晴らしいご褒美が与えられた。
 マイケルが戻り、階段を上がってくる。 彼と私の目が合った。 ピースサインを示し、手を振ってくれた! 授賞式を見逃したことなどどうでも良くなってしまった!
 その直後、イギリスの友人たちがホテルのロビーから興奮して飛び出してきた。 彼らもマイケルに会えたのだ。 マイケルが夢を現実に変えてくれた。

 その夜、マイケルは再び水撒きをした。
 私たちの真似をして手を振ったり、私たちが歌うと拍手してくれた。
 殆んどの人たちがホテルから去っても、ウィリー,フレイア,マリアと私は 夜どおし歌を歌い、ホテルの庭にシュラフを広げた。 マイケルはそれを見て大笑いし、指差してくれた。


■5月13日(木)■
 
 今日は、マイケルのモンテカルロ滞在の最後の日だ。
 私たちは、彼が帰ってしまう前にもう一度その姿を見たかった。 たとえ見られなくても、それまでの喜びが無くなってしまうわけではないけれど。

 もちろん、朝マイケルはバルコニーに,しかも長いあいだ姿を見せてくれた。
 小さな男の子が一緒で、2人でいろいろな物を落とし始めた。 ぶどう,バナナ… そして大きな水爆弾。 それが私の背中に直撃!
 私たちは、その "ミサイル" をかわすのに必死だった。

・・・ END ・・・

UPDATE - '09.01.30