【 Wetten Dass..? 他@ドイツ '95 】
≡ ファン体験レポート ×2本立 ≡
( VOL.84,85 / Mar,Apr 1996 )
'95年11月4日の 『Wetten Dass..?』 出演のためドイツ入りしたマイケルに
それぞれ珍しい立場でもって接した、女性ファン2名によるレポートです。
クラブ同士の交流を持っている海外のファンクラブの中のひとつである
 オランダの 『The Legend Continues』 の会報より和訳をお届けします。



わが人生で最高の瞬間     私も遊園地へ連れてって

**************************************************

= わが人生で最高の瞬間 =

私の名前はブリット・ヒルデブラーニ。 '94年の 『スター・ミーティング』 の勝者です。
私のマイケルファン歴は 8年前から始まりました。 初めてマイケルを観たのは “PEPSI”のCMでしたが、その当時私は旧東ドイツに住んでいて、マイケルの物を入手することがとても大変な時でした。
その後 '92年9月4日、私はベルリンのDANGEROUSコンサートに行き、彼のパフォーマンスに本当に感動しました。

しかし私のファン人生の中で次に素晴らしかった事は、BRAVO誌(ドイツの音楽雑誌)からの電話でした。
それは '94年12月15日のことです。 BRAVO誌の人は、同誌企画の 『スター・ミーティング』 に私が当たったと教えてくれたのです。
信じられない事でした。 全ての人の中から私が選ばれたのです。

それから約1年が経ち、昨年('95年)10月10日、私はまた電話を受けました。
ドイツのケルンでのTV番組 『Wetten Dass..?』 に出演するマイケルに、私が逢えるというのです。

■11月2日(木)■  
 この日、私はケルンに向けて出発しました。
 空港でアレックス(BRAVO誌の人)に会い、私たちはハイアット・ホテルにチェックインしたのですが、マイケルと同じホテルにいま自分が居るなんて、とても信じられませんでした。

■11月3日(金)■  
 次の日、私たちファンをいっぱいに乗せたバスは、マイケルをお迎えするために空港へと向かいました。
 マイケルが出てきた時、私はほんの数秒間見ることが出来ただけでしたが、“マイケルの近くに来れたのだ” と実感できました。

■11月4日(土)■  
 土曜の夕方、TV収録の行なわれるホールのバックステージ入口で、私は他のリポーター達と寒い中を立っていました。
 外ではファン達の叫び声が何回も何回も上がり、ピリピリした雰囲気が包みます。 そこにいる人すべてが1人の男を待っているのです。

 そのうち、ほんの一瞬のことで何も様子は判りませんでしたが、いくつかのバスと共にリムジンが到着し、そのままバックステージ入口に入って行ったので、私たちはバックステージの中に入って待つことになりました。
 マイケルがリハーサルしているのが聴こえてきました。 しかしその様子を見ることは出来ません。
 他社の当選者たちと共に私たちは、マイケルに逢う順番を待たなければなりませんでした。 私たちの番はいちばん最後でした。

 そのまま廊下で待っていましたが、とうとう私たちは、角にある開いたドアへと入っていく瞬間がやって来たのです。
 入っていくと、中にはボディガードの人が大勢いました。 そしてその小さな部屋の明かりの奥の方に、誰かがいるのを私は見つけました。
  「この男性を知ってるかい?」
とアレックスが尋ねました。
 最初私は、それが絵か写真のように思われました。 でも、その人は頭を動かしました。
 私たちはマイケルのところまで歩み寄りました。 私の身体は震えていました。
 マイケルが握手をしてくれて、私はマイケルに “おめでとう” を言わなくてはと思っていましたが、ただただマイケルを見つめたままです。 やっとのことで
  「おめでとう」
と言いましたが、声がうまく出ませんでした。
 私たちはマイケルに、 『OTTO』(※BRAVO誌が贈ったトロフィー)を手渡しました。
 そしてマイケルと一緒にカメラの前に立ちました。 マイケルが私の肩に手を置きます。 それは信じられない感触でした。


 それから、マイケルにポエムを渡したのですが、マイケルは
  「時間が無いんだ」
と言い、突然行ってしまいました。 生放送の番組だったのです。

 私はポエムのことでちょっぴりナーバスになっていましたが、マイケルのパフォーマンスが始まると、ステージの端で観ていた私たちは叫んで飛び跳ねました。
 このステージに今いる人が、さっきまで自分の隣にいたなんて! 信じられませんでした。




 ショウが終わると 私たちはホテルに戻りましたが、そこでボブ・ジョーンズ氏が
  「6階に行っていいよ」
と言ってくれました。
 マイケルは、そこでSONYからプラチナアルバムを受け取っていたのです。

 その後マイケルは、私たちの為に時間を割いてくれました。
 撮影用に、私たちが 『OTTO』 をマイケルに渡すところを再現することになりました。 マイケルは私の腕を引っ張ってくれて、撮影は無事に終わりました。


左端はBRAVO誌のアレックス・ヘルナンド氏

 その後マイケルは私のブックレットにサインをしてくれて、自分のプライベート・ルームへ入って行ったのですが、この時初めてマイケルは私と目を合わせてくれました。

 この日のショウの後のパーティーで、ボブ・ジョーンズ氏は、マイケルが 『ファンタジアランド』 を訪れる事・マスコミは入れないが BRAVO誌はジョーンズ氏のゲストとして入れる事を、私たちに伝えてくれました。

■11月5日(日)■  
 次の日、カーチェイスが始まりました。
 私たちはジョーンズ氏の車の後ろに付き、ホテルの前のファン達の中を通り過ぎたのですが、自分がいつもとは違う側にいられることが何だかすごい事のように思えました。

 『ファンタジアランド』 では、ショウが始まる前に何かが起こりました。
 カメラクルーの1人が座席から転げ落ち、それを見たマイケルが お腹をかかえて笑い転げたのです。

 そこでのマイケルは、ボディガード無しでファンのところへ行き、握手をしたり手を振ったり、本当にマジックのような2時間が過ぎました。


これらの体験を、私は一生忘れることは出来ません。
私の夢をかなえてくれたBRAVO誌とマイケルに感謝します。
“マイケル、あなたはいつも私の心の中にいます。”

・・・ END ・・・


**************************************************

= 私も遊園地へ連れてって =

私は、マイケルが来月 わが国ドイツのケルンに来て TV番組 『Wetten Dass..?』 に出演するというビッグニュースを聞くと、すぐ仕事の都合をつけておきました。

■11月1日(水)■  
 いよいよその日がやって来ました。
 朝6時半に20人ほどのファンと一緒に、私はケルンに向けて出発しました。
 しかし私たちは、マイケルが一体いつ到着するのか知りませんでしたし、何ヶ月も前に売り切れになっているチケットを誰ひとり持ってはいませんでした。

 その後、私はSONYの人がファン達のために100席分を,そして外に残るファン達のためにも大きなスクリーンを2基用意してくれていることを知り、そしてマイケルは明後日に着くことも知りました。

■11月2日(木)■  
 今日、木曜にはドイツ,オーストリア,チェコ,イギリス等から沢山のファンが到着しました。

 その夜マイケル側の人も到着し、私は彼らとSONYの人たちと共に打合せに参加することになりました。
 彼らは、ファンのために空港までのバスを用意してくれるというのです。 そして、1台目のバスには筋金入りのファンを集めてほしいと言われました。
 そのことを外で待っていたファン達に告げると、SONYの計らいに大拍手が湧き起こりました。

■11月3日(金)■  
 金曜、私たちは興奮の中 目を覚ましました。 今日マイケルに逢える!
 外は雨が降っていて、とても寒い日でした。
 マイケルがケルンの天気を訊くために電話してきて、ファン達がちゃんと屋根のある所で待てるように望んでいると私は聞きました。 なんて優しい人なんでしょう。

 正午に私たち3人は、全部のファン達をバスに乗せました。 300人ものファン達がマイケルを迎えに行こうとしていたので、それは大変な仕事でした。
 バスの中ではマイケルの曲が大きな音で流れていて、ダンスや拍手や歌でバス全体が揺れているようでした。
 バスはそのまま空港の中まで入っていき、私たちは降りて、橋の下のバールに入れられました。

 12人乗りのフォッカー機が着いたのは、午後2時30分頃でした。
 マイケルは赤いシャツ,黒いロングコートに帽子とサングラスをして、いつもの手術用のマスクをしていました。 マイケルは白いバラのブーケを持ち、飛行機から降りるとブルーグリーン色のベンツ・リムジンに乗り込みました。

 リムジンが私たちのいる方に来る途中、マイケルは中でコートを脱ぎ、突然ルーフから姿を現わしてファン達に手を振ってくれました。
 マイケルは一旦 車の中に姿を消すと、ファンに投げるためのバラを手に、また現れました。
 その時すでにリムジンには何人かのファンがしがみついていたのですが、私は何とかファン達の群れから抜け出し、車に向かって走ることが出来ました。 マイケルに渡したいと思っていた 『Song of the Earth』 という小さな本が私にありました。 その本は、世界中のいろんな文化や伝統の中で有名人が言った言葉を集めた 私が大好きな本で、マイケルにあげたいとずぅっと思っていたのでした。
 気づいてもらうまでに数秒かかりましたが、マイケルはそれを手に取ってくれました。 そしてマイケルの指が私の手に触れたのでした。 手渡すことが出来て、とても幸せでした。



 マイケルは空港から直接リハーサルへ向かい、私たちはハイアット・ホテルへ送り戻されました。
 不思議なことにマイケルが着くと雨が止み、太陽が顔を出しました。

 ホテルの前には、さらに多くのファン達が固まっていました。
 マイケルがリハーサルから帰ってきてホテルの中へ入り、彼の部屋に明かりが点くと、マイケルは窓に姿を現わしました。 私たちは叫び、歌い、手を叩き始めました。
 マイケルは何回も何回も姿を現わすので、私は途中で回数を数えるのをやめた程でした。
 屋上にも何回か現われ、私たちは夜遅くに・でも満足してユースホテルに戻りました。

■11月4日(土)■  
 翌土曜は、いよいよショウの日です。
 私はまたチケットの心配をし始めました。
 私たちは昨日手伝ったということで数枚のチケットをもらい、他にもSONYから数枚もらったのでそれはまだ持っていない熱心なファンに渡しました。 しかし残念なことに、他のファン全員の分は、私にはどうしようもありませんでした。

 その朝マイケルはお気に入りのオモチャ屋 『トイザらス』 へ行ったことは、あとから新聞で知りました。
 その時レオナルドというオランダのファンが、ひと目でもマイケルを見ようとバンの後ろを追いかけ、車が停まった時にビル・ブレイ氏が手を振り、レオナルドが持っていたマイケルへのプレゼントを受け取ってくれたそうで、マイケルは車の中からOKとピースサインをしてくれたそうです。

 そのような事があった間、私はSONYの人と打合せをしていました。
 SONY側では、ショウの会場までファン達のためにまたバスを用意してくれ、しかもファン達はステージの真ん前に座れるようにしてくれたのです。 そしてそれは、何とマイケルの意向だと教えてくれました。

 会場では、私たちは “マイケルに駆け寄ったりしないように” とファン達に注意を呼びかけました。
 その時、SONYの人が私に、
  「もし望むなら 1列目に座ってもいいよ」
と言いました。
 もし望むなら?? 誰がそんなことをわざわざ考えたりするでしょう!
 1列目なんて殆んど予約席で、そこに座れるのはとても名誉あることでした。

 その席で私は、ある1人の少年とその周囲の人たちに気づきました。
 彼らは 『Make A Wish Foundation』 の人たちで、少年は1列目に座っていましたが、ベルギーから来ていたので言葉が通じないことから不安そうにしていました。
 なんて偶然!
 私は言葉が解るので、この少年を助けられる人が私以上にいるでしょうか。
 そうして、彼の名前がティムで、エイズに罹っており、あと2ヶ月ほどしか生きていられない事を知りました。 9歳のとても可愛い子でしたが、病気のために5歳位にしか見えませんでした。
 私は他の人と席を替わってもらい、ティムの隣に座りました。 彼はとても賢い子で、ショウの間 いろんな事を私に訊いてきました。

 舞台のスクリーンに、外のスクリーンの前にいる人たちが映し出されました。 5,000人以上のファン達が、3℃という凍えるような寒さの中でショウの始まりを待っていました。
 ついに司会者が登場し、パフォーマンスが始まることを伝えましたが、有難いことにステージに飛び出すファンは居ませんでした。

 ショウは "Dangerous" から始まりました。
 パーティです!
 でも私たちは、会場の人からちゃんと座るように注意されました。
 私たちは指示に従いましたが、マイケルのセキュリティーのリーダーの方を見ると、 “立って!立って!” と手をぶんぶん振っているではありませんか。 それで私たちはまた立ち上がりました。
 マイケルはとても幸せそうで、ステージから離れたくなさそうでした。


 2曲目、マイケルは "Earth Song" を歌いました。
 マイケルは陶酔し、シャツを破きました。 そしてコンサートのようにクレーンに乗ってファン達の上まで来ました。



 曲が終わるとマイケルは司会者と握手をし、バラを客席に投げました。
 司会者はマイケルに、ファン達へ挨拶するよう勧めて
  「I love you all. Ich liebe euch. I love you very much.」
とマイケルは言ってくれました。
  「ドイツは好きかい?」
という質問に、
  「ええ、とても」
と答え、もう一度握手をしてステージを去りました。

 私たちはずっと叫び続けていました。
 マイケルもファンもスタッフも、皆が幸せでした。
 80人も警備員を増員したのに、全然必要なかったのです。 それで彼らは私たちファンをとても誇りに思ってくれました。
 帰りのバスの中は、もちろんショウの話題でした。

 その夜、ホテルでソニーからプラチナ賞をもらった後、優しいマイケルはまた何度も窓から顔を出し、手を振り、知っているファンを指さし、旗や一緒にいる子供の顔も私たちに見せてくれました。
 “永遠にこれが続けば良いのに” と思いました。 でもどんな良い事でも終わりは来るものだと自分に言い聞かせました。

■11月5日(日)■  
 しかし “良い事” はまだ続いたのでした。
 それはすてきな天気の日。

 マイケルが起きた時、私たちは歌い始めていました。 マイケルはまた窓から顔を出しました。
 その後すぐ、
  「またファン達を全員バスに集められるか?」
とマイケル側から訊かれたのです。
 マイケルは、『ファンタジアランド』(アミューズメントパーク) に行く予定で、ファンも連れて行ってあげたいと言っているというのです。
 バスの中では全員が興奮していて、私も現実に起きている事とは信じられませんでした。

 遊園地に着くと、マイケルはまずメリーゴーランドに乗りました。
 私たちは、2人の人が持つ たった1本のロープでのみマイケルから離れていただけですが、私たちは信頼に応えるべく混乱を起こしませんでした。
 マイケルはファンを見て楽しそうにしていて、次の乗り物に乗る前にはファンのところへ何回かやって来ました。 素敵なことに、マイケルが乗り終わると私たちファンはそれに乗ることが出来たのです。
 私たちが "Heal the World" を歌い始めると、マイケルは立ち止まって振り返り、こちらにやって来て 一緒に歌ってくれました。 なんて素晴らしいひとときだったでしょう!



 ジェットコースターに乗ると、マイケルは歓声をあげて笑いました。 手を口元にやり、インディアンのように叫びました。 マイケルの顔は、薄暗い中でも幸せに輝いていました。
 コースターは250秒で時速50kmのものでしたが、
  「もう一度!」
とマイケルが叫びます。 ここはマイケルの貸切なのです。


半年後も・さらにその1年後もやって来ては乗りまくる男のために
ついに園側は、その男の名前をアトラクションに冠するに到った
(※左の写真は半年後('96年5月11日)の来園時のもの)

 マイケルの数分後に同じ乗り物に乗れるなんて、夢のようでした。 私は風邪のためクシャミしながらも、この幸せが現実のものとはとても思えませんでした。

 アトラクション巡りが終わる頃、マイケル側のテディが
  「マイケルは、ファン達を連れてくることが出来て とっても喜んでたよ。
   彼は、本当はファン達をどこへでも連れて行きたいと いつも思ってるんだよ。」
と話してくれました。
 誰もマイケルにもう帰ってほしいなんて思いませんでした。

 私たちは、また歌い始めました。
【※“ユー・アー・マイ・サンシャイン”の替え歌】
You are our sunshine, our only sunshine
You make us happy, when skies are grey
We'll never no, dear, how much you love us
Please don't take our sunshine away

 最初は小声で,そしてだんだん大きい声で… マイケルが出てきても私たちは止めませんでした。 楽しみを皆で分かち合えるのは一番嬉しいことです。
 マイケルは皆の方へ歩み寄り、握手をし始めました。
 ファンの何人かは気が狂ったようになり、それはもう大騒ぎでした。 マイケルの笑顔の素敵なこと! それを見ているだけで心が温かくなります。
 マイケルはファンの1人を引っ張り出し、抱きしめました。 ファンに話しかけようともしていました。
 しかし、もうマイケルは長くは居られなかったので、最後に私たちにもう一度手を振ると、待っていたリムジンに乗り込みました。



 帰りのバスの中では、笑っている人もいれば じっとしている人,泣いている人もいました。
 皆が今日起こった事に圧倒され、それぞれ自分の中で整理しようとしているようでした。 そんなお互いを誰も非難したりしませんでした。 私たちはお互いにそれを尊重し合っていたのです。 私はその事にとても感動しました。

 私はガタガタ震えていて、温かいココアを飲むためにホテルに戻ったあと 本当に体調が悪くなり、マイケルはまた窓に出てきたのですが 私は全てを逃がしてしまいました。

■11月6日(月)■  
 月曜日の朝 私は、8時に出発するマイケルを見送ることが出来ないほどベッドから起き上がれない状態でしたが、何とかして家に帰らなければなりません。
 マイケルを見送れなかったことは悲しいとは思いません。 さよならを言うのは嫌いです。 むしろ、次にマイケルに逢えるのを楽しみにしていたいのです。

 我が家に着いて、私はすぐベッドに潜り込み 少し惨めでしたが、すごく幸せでした。

・・・ END ・・・

UPDATE - '08.06.28