【 "They Don't Care About Us" ブラジルver.撮影現場
≡ VIDEO SHOOT in BRAZIL ≡
( VOL.87 / Jun 1996 )
オランダFC会員(TLC)より  Story by. Ana Maria (アルゼンチン)


 私たちは、マイケルがブラジルに行くことを予定日の15日前に知りました。

 その後、ブラジルの権威者との間に問題が起こりました。 マイケルはブラジルの貧しい地域を見せようとしていたのですが、それはブラジルのイメージを傷つけるというのです。
 山の斜面のところに立てられた "ファベーラ" という貧しい地域に住む人達は、マイケルに自分たちの貧しさを見せたいと思っていました。 もし世界中の人が彼らの生活ぶりを見れば、彼らの家族のためにも何らかの改善がもたらされるのではないかと期待していたのです。

 私たちはついに、MJJプロダクションにマイケルの日程について問い合わせる事にしました。
 マイケルは('96年)2月9日にリオに着くとのことでした。



 2月9日(金)、マイケルは日中、NYの空港からブラジル航空の飛行機でグループのメンバーや3人の子供たちと一緒に到着しました。 いつもの黒い帽子と黒い手術用マスクを身につけていました。
 マイケルはとても幸せそうで、ファンのところに走り寄ると手を振りました。

 1時間半後、今度は別の飛行機でバイーア市のサルバドールに向かいました。

 午前11:45頃バイーアに着き、沢山のファンの出迎えを受けました。
 マイケルとスパイク・リーはファン達に手を振りトロピカル・ホテルへと向かいました。




 10日(土)、マイケルはペロウリーニョ・スクエアで新しいビデオの撮影をしました。
 この場所は昔、ブラジルがポルトガルに属していた頃にコーヒー栽培のため何千人ものアフリカ人を売買した場所なのです。(同じような事がアメリカでも起こりました)

 アフリカ系ブラジル人の "OLODUM" というグループが220のドラムを叩き、マイケルは何人かのブラジルの子供や大人たちと踊りながら "They Don't Care About Us" の最初の部分を歌いました。 マイケルはブルーのジーンズと黄緑色でアフリカの絵の描かれた半袖の赤いシャツを着ていました。 音はとても大きく素晴らしいリズムでした!
 マイケルがOLODUMグループの前でニコニコしながら踊ったりジャンプしたりする間、皆つられて手や足を動かしていました。



 マイケルはさらに郵便局のバルコニーや、警官と一緒に通りで撮影しました。
 マイケルは歌いながら警官の警棒を取ると、その警官に突きつけました。 とても感動的なシーンでした。








 11日(日)は、マイケルはボタフォゴのドナ・マルタという ファベーラに住む人達と撮影することになっています。
 私たちは起きて朝食を摂ると、リオ・パレスホテルに行きました。 そこでは沢山のファン達がマイケルの名を叫んでいました。
 しばらくそこにいると、マイケルが現われました。 まずVサインをした右手を見せて私たちに向かって手を振ってくれました。 そしてマイケルは、そのバルコニーから消えると他のバルコニーから、一緒に来ていた2人の子供たちと姿を見せました。 サインを書いたタオルを2枚投げると、何回も両手で手を振ってくれました。 マイケルは赤いジャケットを着ていてニコニコしていました。

 グループのメンバーの何人かがファベーラ・ドナ・マルタに向かい始めました。
 私たちは、ボブ・ジョーンズ氏が車に乗りホテルを出るのを見ました。
 マイケルが出るのを待っていたのですが外はとても暑く、太陽の下 フェンスのそばで長い間待たなくてはなりませんでした。
 そしてついにマイケルが出て来ました。
 マイケルはホテルから出ると、バンに向かって歩きます。 目の前の光景が信じられませんでした。 マイケルはたった4mのところを歩いているのです。 彼は笑顔で私たちに手を振りました。 マイケルの髪も顔も本当にステキでした。
 それからバンは、ホテルからコパカバーナ・フォルテへ向かいました。 そこで、沢山の人々が King Of Pop を迎えるため心配しながらその到着を待つヘリコプターに乗り換えました。
 ファベーラでは皆がとても楽しみにしていて、沢山の子供たちがマイケルに会えるのを待っていました。 50人のブラジル人がマイケルのセキュリティーに加わることになっていました。

 ファベーラに着くとマイケルは、服を着替えるために用意された家へと歩きました。
 最初マイケルは、黒いジャケットを着ていて日除けのため黒い傘を差していました。 ドレスルームへ行く間にもマイケルは周りの人のために何回かサインをしました。


 マイケルは、ブラック・ジーンズとOLODUMの半袖シャツに着替えると、スパイク・リーや他のメンバーが待っているテラスへ出て来ました。
 曲が流れるとマイケルはニッコリして、まるで 「ついにここへ来てビデオクリップを撮るんだ」 と言っているかのようでした。 マイケルはダンスをし始め、マジックが始まりました。



 マイケルは訪問中ずっと社交的で、赤ちゃんを手に抱いたままダンスをしたり、ドル札入りの自分の財布を小さな子供にあげたり、ブラジルのTVカメラに向かって微笑み 「I love ブラジル」 と言うと、レポーターの女性にキスをしました。
 マイケルは夜7時までそこにいました。



 12日(月)、私たちはまたマイケルのホテルへ行きました。

 その日はリオで最後の日で、私たちはその日の午後 ブエノス・アイレスに戻らなくてはなりません。 マイケルとグループの人達もその夜NYへ戻るのでした。

 その日も忘れられない日でした。 私たちはボブ・ジョーンズと話をし、彼はクラブからのプレゼントに対してお礼を言ってくれました。 ボブ・ジョーンズが私たちのクラブの名を知っていたと言ってくれた時には 「天国に触れることが出来た」 かのような気がしました。 喜びとナーバスのあまり、彼にお礼を言うことさえも出来ませんでした。

 マイケルは、バルコニーから何回も手を振ってくれました。

 それからマイケルは、美しい山々や海をヘリコプターで訪れました。
 上空にマイケルと他の5機のヘリコプターが山から山へと飛ぶのを見れるのはステキな事でした。 5機のヘリコプターは King Of Pop を守り、またその様子を撮影するために周りを囲んでいました。

 その後マイケルは買い物に出掛け、オモチャと楽器をいくつか買いました。
 私たちは残念ながら、マイケルのホテルを出て自分たちの荷物をまとめ、空港へ向かわなくてはなりませんでした。
 バイバイ マイケル、あなたにまた会えて良かった。 ありがとう。

・・・ END ・・・

UPDATE - '07.11.29