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UPDATE - '08.02.13
≡ HIStory Tour in South Africa '97 ≡
【 マイケル in 南アフリカ 】
( VOL.98 / Dec 1997 )
■10月2日■
パリから自家用ジェットで、午前11:30に南アフリカのケープタウン入りしたマイケル。
空港では500人のファンに迎えられました。
聖歌隊の 「Cape Minstrels」 の子供達が 「Madiba-style」 のシャツをマイケルにプレゼントしたりなどの歓迎セレモニーの後、マイケル一行はテーブル・ベイ・ホテルに到着し、部屋のバルコニーから外のファン達に応えました。
その後、海岸通りのショッピング・センターでお買い物。
南アフリカ入りしたマイケルは、約2週間の滞在を楽しみました。
■10月3日■
マイケルは赤十字子供病院を訪れ、テディーベアに添えられたカードにサインした物を、それぞれの子供達にプレゼントしました。
マイケルは子供たちを抱きしめたり手を握ったりして激励。
パディ・ハーリー女医は、マイケルが子供たちに気軽に話しかけ共感しているのを見て いたく感動し、
「明らかに子供たちは、マイケルの優しさを理解しているわ」
と語りました。
マイケルが去った後、1人の子供が
「マイケルが握手してくれたの! でも、もう二度とこんな事は無いよ」。
長い間入院している血友病患者のリオの男の子は、
「“ムーンウォークする時って足にバターを塗ってるの?” って訊こうと思ってたんだ。でも言葉が出てこなかったよ。マイケルは僕を抱きしめて、『早く良くなるのだよ』 って言ってくれたんだ」
と語りました。
病院訪問のあとマイケルは束の間、リラックスしてCDやオモチャの買物を楽しみました。
オモチャ屋Belvilleでは、子供たちが選んだ商品を全て購入したようで、店を離れる時たくさんの箱を持ち帰りました。
またCD店では、CDをダース単位でお買い上げだったようです。
■10月4日■
ケープタウンのグリーン・ポイント・スタジアム(3万6千人収容)でのコンサートは、熱狂的なファンで盛り上がったようです。
※これは当日の画像ではありません
初の南アメリカでのコンサートを評した新聞 Cape Times紙と The Star紙は、
「最上級の贈り物+実物のキング・オブ・ポップの出演という組合せで、ファンは口も利けないほど打ちのめされた」・「ショーは、マイケルの靴と同様にダンスフロアをなめらかに滑った」
と表現しました。
■10月7日■
NBCケーブルTVニュースのアンカーである新婦 Prudence Solomonさんと アメリカの大富豪でホテル経営者である Jerry Inzerilloさんの結婚式に、介添人として出席したマイケル。
この式は、ケープタウンのアメリカ大使館邸で行われました。
新郎のジェリーさんとマイケルとは23年来の友人で、その友人代表として新婦の介添えをしたそうです。
控え室にて (読んでいるのは多分アメリカ大使館の小冊子)
新郎ジェリー氏 ,マイケル ,マネージャーの息子 ,キャサリン母 ,ジョー父 ,マンデラ大統領
南アフリカ滞在中のマイケルは、マンデラ大統領とも面会しました。
マンデラ大統領は7日のコンサートを最後まで座って観覧し、とても気に入ったということです。
■10月9日■
ケープタウンからヨハネスブルグに移ったマイケルは、宿泊先ホテル近くにあるプールサイドで現地の子供達の歓迎を受けました。
現地の子供たちに遊ばれているマイケル (おなじみの展開)
ケープタウンから移ったマイケルの宿泊先は、サン・シティという大リゾート・タウンにある 「ザ・プレイス・オブ・ロスト・シティ」 というホテル。
このリゾート地は広大で、映画 「ジュラシック・パーク」 を思い出させます。
そしてこんなリゾート地でマイケルが楽しんだのは、な~んと !! ジェット・スキーでしたぁー!
"マイケルぅ~! ウエットスーツに帽子とサングラスは変だよ !!" と 誰も言わなかったのか? 言えなかったのか?
後日に合流した前妻リサ・マリーとその子供たちと共に楽しんだ
■10月10日■
早朝、マイケルの招待で南アフリカ入りをしたリサ・マリー。子供を連れ、この日のコンサートを楽しみました。 (※これより 1年9ヶ月前、既に離婚しています)
左から : マイケル ,リサの娘 ,リサ・マリー
この日は、ヨハネスブルグ・スタジアムでのコンサート。
マイケルが 「故郷に帰ってきたようで嬉しい」 と言うと、場内から大歓迎の大きな拍手と歓声が沸きあがりました。
"Heal The World" でステージに上がったリサ・マリーの娘を、リサ・マリーがステージの右袖からパチパチと写真を撮っていました。
リサ・マリーの娘(マイケルの右側)と、おそらくマジ泣きなマイケルを心配する子供たち
コンサート終了後、マイケルとリサ母子たちは一緒にサン・シティへUターン。
会場のヨハネスブルグ - サン・シティのホテル間は、10日・12日とも小型機を使用
サン・シティのホテルに帰着
■10月11日■
お昼過ぎ、ホテルの入口がキャーキャーワーワー言うわけでもなく… でも、マイケルお出かけでした。
リサ・マリーと父ジョセフも同行です。
その場に居た人達に多少囲まれバンへと向かい、乗り込むマイケル。ファンがほんの数人近づけて、マイケルもちょっとテレながらもそれに応えてくれました。
その後、何だかドヤドヤと車に近づく人はいたものの車は出発!
この時マイケルは Phokengへ、リサ・マリーと子供2人とマイケルの両親とともに向かいました。この村は、ヨハネスブルグから北西90マイル(約145km)離れた場所にあり、その道は婦人が泣くほどの細道と言われているそうですが、リサはマイケルの手をしっかりと握り、マイケルも時々ゆっくり歩いたとの事です。
Phokengでは、およそ30万人の "ワニの人々" と言われている村の名誉市民賞を受けました。
マイケルの両親であるジョセフとキャサリンも、この部族の市民権の証明書をもらいました。
待つこと約2時間、ようやく戻ってきたマイケルは、やっぱり リサ・マリーと並んで歩いていました。
ホテルのロビーには殆ど人がいなくて、マイケルは静かにゆっくりと歩いてエレベーターへと消えていったのです。
どうやら夜もお出かけらしいです。
サン・シティのこのリゾート・エリア内には、ゲーセンあり カジノあり ショッピングあり、"そりゃもう楽しかろうー" って所です!
夜は幻想的なホテル外観
サン・シティのリゾート内にあるCDショップを訪れたマイケルは、店内のレリーフにサインした
■10月12日■
ヨハネスブルグで2回目のコンサート。
この日の天候は、ものすごーく寒かったのです。日中、太陽が出ると日焼けするほど熱いのですが 突然の雨やヒョウが降ってきて、会場のゲートがオープンした後も暗くなった会場はどんどん冷え込むし、雷雨やヒョウが降り散々でした;
でもコンサートが始まる頃には天候も回復し、無事ショウを行うことができました。
ヨハネスブルグでのコンサートの間、マイケルは故・ダイアナ元妃に弔意を表しました。
■10月15日■
ダーバンのコンサートを最後に "HIStory World Tour" が終了しました。
マイケルは以後、ニュー・アルバムのためのレコーディングを行ないます。
衣装たちも 1年以上にわたるロードをマイケルとともに駆け抜けた。 お疲れさま!