【 レコーディングスタジオ in NY '94 】
( VOL.74 / Apr 1995 )

ウィットネスさんという女性の体験をオランダのFC 『The Legend Continues』 の会長
ウィリー・ギッツマンさんが、昨年('94年)5月に書いたものです。
本人の承諾を得たので、マイケルのアルバム製作時の一面に触れてみたいと思います。



 マイケルがNYでレコーディングするとCNNで聴いた時、私の心臓は踊りだしてしまった。
 そんな時、フレイヤがマイケルへのプレゼントを用意してやって来たので、私たちは一緒に行くことにした。
 クラブの会報とアンジェリーク(私たちの編集者)の描いた素晴らしい絵などを、覗き窓のついた箱に入れ 「マイケルを我がクラブの名誉会員にします」 と書いたものと、トルコで撮った大きな2枚の3-D写真を手元に残した。でもフレイヤのプレゼントが一番大きく、それは子供の写真の付いた大きな膨らむ地球儀だった。

 私たちは、マイケルが本当にNYに居るのか・そしてどんなスケジュールなのかも知らないまま、金曜日の夜遅くにNYに着いた。
 他のファンから、マイケルのレコーディングの場所が 『The Hit Factory』 だと教えてもらい、そこを探すのは簡単だった。

 最初にマイケルを見たのは土曜日だった。
 『The Hit Factory』 の前の通りに出た時、ちょうどマイケルがバンで到着した。
 私たちが近寄ると、マイケルは盛んに手を振っているのが見えた。ガレージのドアが閉まる前に、私もプレゼントを持って手を振っていた。
 少しすると、ボディガードが1人出てきてプレゼントを受け取り、マイケルの所へ持って行った。ボディガードに渡した時は必ずマイケルの手元に届いている。
 今度は別のボディガードが、マイケルのメッセージの付いた大きなポスターを持って出てきた。
 マイケルは、どうして自分がここに来ることが私たちに判ったのかと訊いてきた。私たちは、
 「ファンはこういう事はよく知っていて、マイケルを見つけることはファンにとっては難しい事ではない」
と答えた。夢を追って来ただけだから。
 するとマイケルは、私たちがどこにいつまで泊まっているかを知りたがった。


 嬉しさと興奮のまま、私たちは通りを渡って座って待つことにした。
 私がデッサンの道具を取り出した時、スタジオのセキュリティーがやって来て、私たちに 「中で待つように」 と声をかけてくれた。 何という事でしょう !! 私は興奮で身体が震えた。
 自分を取り戻すのに少し時間がかかったが、フレイヤが紙を取り出したので私はデッサンを始めた。すると次々に誰かしらやって来て 「マイケルはきっと気に入るよ」 と誉めてくれた。 最初はその絵をマイケルにあげるつもりは無かったが、ヘッド・セキュリティーまでもがやって来て 「本当によく描けている」 と誉めた時には真剣に考え直した。

 午後遅くになって、私たちは 「何か食べるように」 と言われた。
 何でも食べたいものを注文でき、会計はマイケルが持ってくれた。

 2時間後、「マイケルはもう出るので外で見ていて良い」 と言われた。
 そしてその時、「普通は日曜日には仕事をしないので、明日はマイケルは来ない」 と言われた。
 マイケルを乗せたバンが出る前に、新しいボディガードがマイケルからの小さなメモを窓越しに渡してきた。それには、
 『贈り物はとっても気に入ったよ。ありがとう MJ 』
とあった。

 次の日(日曜日)、私たちは観光をしていた。



 月曜日、またマイケルに逢えた。
 私のプレゼントはもう渡してあったので、今日はフレイヤのを運ぶのを手伝った。
 私たちはマイケルが来る時刻を知らなかったが、スタジオの前で、荷物がプレゼントらしく見えるようラッピングするのをちょうどやり終えた時、マイケルのバンが到着した。私の例のデッサンも一番上に置いた。
 フレイヤと私は飛び跳ねて箱を指さすと、マイケル側のみんなは笑っていた。ボディガードは訝しがりながら、大きいので苦労してマイケルに届けに行ってくれた。

 ボディガードがまた出てきて、「マイケルが君たちに、レコーディング・スタジオの中を見せたがっている」 と言ってきた。
 Wow! 本当に ?!
 中に入ると、我が目を疑った。
 そこら中にボタンがあって、いろいろな機材の間にダンシング・フロアがあった。
 ボトルの中に小さな船が浮かび、ボウルの中にはプラスチック製の魚がいた。 マイケルが歌いだすと、そういったオモチャもマイケルに続いて踊りだすのが想像できるでしょう。


 マイケルのヘッド・セキュリティーが、マイケルは日曜日もずっとスタジオにいた事・私たちの姿が見えないのでマイケルが心配していた事などを教えてくれた。 マイケルは私たちを心配し、そのセキュリティーに早朝4時に電話をしていたと言うのだ。 マイケルは、私たちがセントラルパークかどこかに寝袋で寝ているのではないかと考え、夜遅くにそんな所に居ませんようにと思ってくれたようだ。
 私たちは、「大丈夫だから心配しないで」 とマイケルに伝えてくれるように頼んだ。

本レポとは別日の '94年8月10日、『The Hit Factory』 内にてファン達と


 次にボディガードを見た時、彼は私に手を振りながら電話をしていて、「マイケルが話したがっている」 と言った。
 その日に渡したのはフレイヤのプレゼントだったので、フレイヤが電話に出た。 そしてフレイヤがマイケルに 「彼女とも話す?」 と言ってくれているのが聞こえた。
 電話を代わって私がマイケルと話していた時どんな気持ちだったかは、言葉ではとても言い表せない。何百万という想いが私の頭を駆け巡り、マイケルに話したい事が少なくとも何千とあった。 でも口から出たのは、「Hi! ウィリーです」 だった。
 そして私は、彼の素敵な声を聴いた。その声は普段聞いているよりもずっと素敵だった。
 マイケルは 「プレゼントは全て気に入った。特に地球儀が良かった」 と言った。 そして 「今、それが一番大切なことなんだ」 と言った。
 それから 「絵を描いたのは誰?」 と訊くのでどの絵か尋ねると、「箱の一番上の絵」 だった。 自分が描いたと伝えると、「皆も誉めていたけど本当だね」。
 今度は自分の耳が信じられなくなった。マイケルが自分を誉めてくれた? たくさん夢は見るけれど、そんな夢にも思わない事が、実際にあったのだ。
 もちろんマイケルにお礼を言い、12歳の時からマイケルを見るとインスピレーションが湧く事・マイケルだから描けるのだという事を伝えた。



 その夜遅く、私たちはまたボディガードに 「食事を摂るように」 といわれた。
 マイケルがもうスタジオから帰るという時、私たちの食事はまだテーブルに来ていなかったけれど、マイケルは私たちにメッセージ付の写真をくれた。 そして連絡先を訊いてきた。
 マイケルが出てから、私たちはマイケルを驚かそうと隅に隠れた。マイケルは私たちがそこに隠れたのを知っていたけれど、彼の笑った顔が見られればどんなに楽しいかと思ったから。

 私たちの宿泊先YMCAでは、マイケルからの電話を受け取るのに大騒ぎだった。
 Yeah! Sure !!

・・・ END ・・・

UPDATE - '07.11.22