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UPDATE - '09.10.19
【 MJ in ミュンヘン '98 】
( '98年3月 )
( VOL.100,106 / Apr 1998,Apr 1999 )
全てのマイケルファンが驚いた。
KING OF POPが '98年3月、ヨーロッパに赴いたのだ。
お忍びの旅だったのだが、たちまち情報が洩れ、数紙に載ってしまう… 当然、訪問先であるオーストリアとドイツのファン達は、スーパースターに会いに駆けつけた。
その当時のことを、ドイツ・ミュンヘンのファン、ギーナさんにリポートしてもらいましょう。
NEWSページからも、この体験レポートと同時期のニュースを折り混ぜてお届けします。
■3月8日(日)■
この日、ニューアルバムのレコーディングのため オーストリアのレコーディングスタジオに現れたマイケルは、長男プリンス君(1)と一緒だった。
■3月13日(金)■
ドイツは春。 花が咲き始め、鳥が木々で楽しそうに歌い、春先の陽光が顔にあたたかい。
でも、まだ何かが足りない。
もしマイケルがここにいたら、どんなに素晴らしい日になるか…。 妖精が私の願いを叶えてくれるなら、他のファンもみんな大喜びするだろうに…。
ところが、そんなこと絶対にないと思っていた夢が、こんなにも早々に実現してしまったのだ。
この知らせがファン達の耳に入るのに そう長くはかからなかった。
私は、いろいろデタラメの話をでっち上げて翌日の仕事をキャンセルした。
ニューアルバムのレコーディングで滞在していた場所をファンやレポーターに見つけられたマイケルは、この日の早朝レコーディング場所を変えるため、人目を避けて出発した。
同日マイケルはミュンヘンのある場所に到着したが、ここでもホテルのフロントには大勢のファンとレポーターが待っていた。
マイケル滞在1週目は、まぁ翌週に比べれば平穏だった。
マイケルは何度もホテルの窓に姿を現わし、ショッピングにも出掛け、バヴィエールに立ち寄った。
ただ、週末に冬がぶり返し、雪が15cm積もるという寒さになったため、このKING OF POPの泊まるホテルを取り巻いて野宿するファン達は大変だった。
とはいえ友人同士で一緒にいたし、何よりマイケルを間近で見られる嬉しさから、みな元気いっぱいだった。
■3月15日(日)■
滞在中のミュンヘンのホテルの窓でマイケルは何回も姿を現した後、プリンス君を披露した。
ドイツへは別の仕事のために訪れたマイケルだが、すぐヨーロッパのどこか別の都市でニューアルバムのレコーディングを再開する予定。
(※イメージ画像)
■3月16日(月)■
マイケルは、ツアープロモーターで友人のマルセル・エイブラム氏と新しい仕事について会談した。
マイケルとエイブラム氏はJ5時代からの友人で、3度のソロ・ワールドツアーの間もずっと共に仕事をしていた。
DANGEROUSヨーロッパツアーのプロモーターも務めたエイブラム氏
■3月19日(木)■
マイケルはブロンドのウィッグで変装し、ファンに気づかれずに外出することが出来た。
行き先は、大庭園付きの古城 Schloss Nymphenburg (ニンフェンブルク城)。
マイケルが城を訪れる計画については公表されていなかったが、内部関係者によるとマイケルは城を購入したがっているらしい。
確かにここ数年、新しい家を購入するためいろいろな国(イギリス,アイルランド,フランス,ポーランド)を訪れている。 昨年の古城探しに至っては、ヨーロッパの有名な雑誌にもプライベートな写真付きで掲載された。
観光名所にもなっているニンフェンブルク城
'97年6月、妻デビーさんとの家探し
■3月22日(日)■
今度はターバンを身につけてアラビアン・スタイルでミュンヘンのダウンタウンにある 『WOM』 というミュージックショップへ買い物に出掛け、ホテルに戻って来た時はとても上機嫌だった。
ホテルの部屋からマイケルは手を振ったりして、少しの間プリンス君を窓のところに立たせて披露した。
■3月25日(水)■
マイケルのミュンヘン滞在も1週間を過ぎた。
あるラジオ局が今週初めから、この日マイケルの泊まっているホテルに集まるようにと呼びかけていた。
夜9時には、ホテルの前はものすごい人数のファンが集まっていた。
数分後、ドイツ風のファンファーレが鳴り響き、南西ドイツ風にアレンジしたマイケルの曲を流した。
ちょっとヘンな感じだったが、みな楽しんで聴いていると、突然マイケルが窓辺に現れた。 黒のジャケット,サングラスに帽子といういでたち。
マイケルは窓下の道に目をやった。 ラジオ局は、マイケルが話をする時のためにマイクをセットしていた。 彼が出てきたのを見て、局のプロデューサーが改まってマイケルに歓迎の挨拶をすると、それに応えた。
「僕はドイツが大好きです。 もっとたびたび来たいと思います。 僕は皆さんのことが大好きです。」
マイケルは、にっこりしてファン達に会釈した。
群衆が大声で叫び始めたので、インタビュアーは次の質問が出来ずに困っていた。
マイケルは、群衆の叫ぶ言葉の意味をなんとか理解しようとしていたが、あまりにも騒然としていて何も聴き取れない様子だった。 それでもマイケルはまた語り始め、
「メチャクチャな内容の、下品な新聞はやめるべきだと思います。」
とのメッセージを、ファン達とマスコミに伝えた。
「みんな! 歓迎ありがとう。 僕は皆さんが好きです。 ありがとう。」
と言い、この挨拶を最後に、窓辺から奥へと姿を消した。
ラジオ局は、ホテルのロビーで伝統音楽奏者に "You Are Not Alone" や "Blood On The Dance Floor" の色々なバージョンを演奏させたが、ファンの叫び声とアンプの音が大きすぎたため聴きづらかった。
マイケルは 『いい加減なプレスはもう沢山だ!』 とサインをして見せてから話し始めたが、その声はファンの声で聞こえなかった。
マイケルは 『ドイツの皆、大好きだよ』 と応え、ファンは 『マイケルは最高! いい加減なプレスなんて最低よ!』 と言った。
このイベントの模様はラジオで放送され、聴くことが出来た。
また、マイケルはプリンス君を披露した。
■3月26日(木)■
朝9時からホテル前の芝生にいる。
ファン達がすでに大勢来ていて、いろいろと語り合いながらマイケルの宿泊している部屋の窓を注視している。
マイケルは、滞在中ずっと窓を2つ開け放したままにしている。 前日の熱気と打って変わって静かで、夕方までは虚ろなままの窓辺。
しかし夜になってマイケルが現われて何度も会釈すると、もうそれだけで私たちは充分幸せだった。
■3月27日(金)■
午後になると、大勢のファン達が長いヒモにたくさんの風船を結びつけ、マイケルに手紙を届けようとした。
マイケルは最初、わけが飲み込めない様子だったが、風船が彼の部屋の高さに上がった時ファンが叫んだので、何度か失敗した末についに風船を手に捉えた。
翌'99年6月、同じくミュンヘン。
同地ではこれが常套コミュニケーションになったもよう
ミュンヘン滞在中、マイケルのメッセージは一貫して 【ストップ・ザ・タブロイド】(下品な新聞はやめて) だった。 以前にも聞いていたが、これほどまで明瞭に語ったことは無いと思う。
『真実を語りなさい、さもなくば何も語らないように』 という事だ。
私たちもマイケルの言いたいことが解るという事を見せるため、何度も
「Stop the Press!」
と叫んだ。
マイケルは窓に現われて、支持のサインをした。
2日前のイベントでは、自分で書いたバナーを破り裂くパフォーマンスをして見せた。
オーストリアでプリンス君が医者に罹った時すら追い回すタブロイドに怒り心頭だった
夜8時、30人位がホテル前に残っていた。 私もベンチで他のファンと話をしていた。
するとマイケルが、ホテルのロビーに降りてきた。
ホテルの他の客は、まさか本物のマイケルだとは思っていなくて、誰かがふざけているのだと思ったらしい。 服装は、黒いコートとマスク,サングラスに帽子だった。
マイケルは、側近のウェインに
「ファン達に会いたい」
と言い、玄関にやって来たのだった。
ホテルの警備員2人がいた。 私はこの時、マイケルがファン達に会いに出てくるのだと気づいた。 信じられなかった。 マイケルが私たちに近づいてくるなんて!
やっと気持ちを落ち着けて立ち上がり、マイケルに近づいた。 もちろん私がそちらに行くより早く、彼の周囲をファン達が大勢取り囲んでしまって、マイケルは身動きも取れない状態。 ボディガードは懸命にファン達を牽制していた。
ところが、何故だか解らないが、私は突然マイケルから1mしか離れていない所に立っていた。 私は目がマイケルに釘づけ状態のまま、皆が押したり叫んだりするのをやめてほしいとだけ思っていた。
数分後、皆は静かになった。
マイケルは落ち着いた様子で、サインをして握手をして、子供たちやそのそばにいる人たちに優しく話しかけていた。
10分あまり経つと、ウェインの合図でボディガードがファン達を押しのけ始めたが、私はしばらくマイケルのそばにいられた。
私はマイケルの腕に触れ、そして
「お元気ですか?」
と訊いた。
マイケルは私を見ながら、とても静かな声で
「元気だよ。」
と答えてくれた。
それから、たちまち沢山の人々の動きに押され、私はマイケルから引き離されてしまった。
マイケルは、ホテルの中に戻っていった。 しかしファン達はひるまずに後に続き、私もそれに加わった。
私たちは、中央階段を昇りかけているマイケルを見つめた。 マイケルは階段の途中から私たちに会釈してくれた。 私たちがホテルの中にまで入ってしまった事に対して不愉快そうな様子は全く無かった。 むしろ、ファン達が入って来られたのを歓迎しているようにすら見えた。
結局、マイケルは部屋へ戻らずに階段の途中に座って、再びサインの求めに応じた。
皆が幸せそうな笑顔だった。 そんな状態が15分ほども続いた。
それからマイケルは手を振って別れを告げ、部屋へ戻っていったのだった。
翌28日には、プリンス君と一緒にサーカスを観にお出掛け