【 MJとの対面 in アルゼンチン '93 - アルゼンチンFanの場合
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( VOL.81 / Dec 1995 )

 私は、もうずっと10年以上も(正確には12年)、マイケルのビッグFanでいます。
 いつも皆と同じように、いつか彼に逢いたいって夢みていた… でもそれは流れ星を掴むような事だっていうのは解っていた。

 '92年、ある女の子がアルゼンチン国内で初めてマイケルのファンクラブを作って、私は自分の国の子供たちにしてあげられる事がたくさんあるって解ったの。 だから私は、彼女の許可を得てアルゼンチンの 『Heal the World基金』 を創設した。
 もちろん私たちの創ったものは小さく、寄付金は全く受け取っていないけれど、子供たちのために衣類やオモチャ,食糧等を受け取って、本当の意味での仕事が始まりました。
 夢中で仕事をして数ヶ月を過ぎてみると、 『Heal the World基金』活動の他にはこれといって何もしていない私たちの小さなクラブは、大きく膨れ上がっていたのです。

 私がクラブの新しい代表に選ばれた '93年という年は、私の生活が大きく変わった年だった。
 DANGEROUSツアーがアルゼンチンにも来て、そしてマイケルが初めて私たちの前でパフォーマンスをするのです!
 アルゼンチンで唯一のファンクラブとして、マイケルに何か特別なことを準備しなくてはならなかった。 そして私たちはそうした。 たくさんの人が一生懸命ものを書いた。 皆、ステージに上がったマイケルのように、自分の出来ることを精一杯やった。

 …それがマジックを起こすのを助けた。
 でも、私はまだ夢をみていた。



 '93年10月6日、私はマイケルの泊まっているホテルの前で泣いていた。
 私の周りには誰も居なかった。 皆は Mr.ドリームメーカーをひと目見ようとしていた。
 突然誰かがやって来て、何がそんなに悲しいのかと訊いてきた。 彼はマイケルのカメラマンだったのだけれど、私は誰なのか知らなくてレポーターの1人だと思っていた。 私は、
  「まだマイケルを見ていないの」
と言った。
 彼には何のことか解らないようだった。 だってもうマイケルは姿を見せて、皆に手を振っていたのだから。
 でも、私はそこに居なかった… そして私はまだ泣き続けていた。

 彼は少しの間 私を見ていたけれど、自分のカメラを取り出すと私に向かってテープを回し始めた。
  「どうして泣いているのか言ってごらん」。
 何が何だか解らなかった。 とても混乱してしまっていたので聞き間違えたと思った。
 マイケル?
 私の気持ちを彼に言う? マイケルが聞いてくれるっていうの? こんな惨めな女の子の言うことを? そんな事あるはずないわ!
 それでも、泣きながら話をしようとした。 何と言ったかも憶えていない。 涙が頬を伝って私は震えてきた。 マイケルが私の言うことなんか聞いてくれるはずないわ…。
 テープが止まって、カメラマンは
  「マイケルが観るよ」
と言って離れていった。



 次の日、ボブ・ジョーンズ氏がホテルから出てきて、私と話した。
 マイケルと一緒に大統領を訪問する子供たちを何人か、私のファンクラブから出して欲しいと言うのだ。 私は子供たちを夕方5時にホテルへ連れて行かなくてはならなくなった。
  「僕は、君がマイケルに逢えるとは言ってないよ」
と彼が言い、私も納得した。 マイケルは子供が大好きなんだし、私は成長してしまっている。

 私は言われたとおり、子供たちをジョーンズ氏の所へ連れて行った。
 驚いたことに、子供たちの面倒を見てくれと頼まれた。 (彼らは知らなかったが私は小学校の教師で、子供たちの面倒を見るのが仕事なのだ)
 それで私は子供たちを連れて、マイケルが大統領に接見することになっている場所へ行った。
 でもまだ信じられなかった。 マイケルが到着する前に、誰かが私をそこから連れ出して行くんじゃないかと考えていた。 けど幸せなことに、私は間違っていた。

 マイケルがやって来て子供たちを見ると、化粧をした顔に素晴らしい笑みを浮かべていた。
 私は衝撃で固まってしまった。 それでも私はそこにいた。
 マイケルは私の手を取り、
  「Hi.」
と言って満面の笑みを浮かべた。 ほとんど私は死んでしまっていた。
 マイケルは子供たちや私にとても親切で優しく、彼が本物であることが信じ難かった。
 皆、てっきりマイケルは “さよなら” を言って私たちを置いていき大統領に逢うものと思っていた時、マイケルは言った。
  「ついておいで」。

 私たちはマイケルと2階へ行った。
 そしてその時、私はマイケルと二言三言の言葉を交わした。 それは私の心の中で何年も温めてきたこと全てをマイケルに話す 私の唯一のチャンスだった。
 私には言うことがたくさんあった。 私自身のこと,私の気持ち,ファンクラブのこと…
 でも、私が囁いたのは
  「ここはどう?」
だった。
 私は答えを期待してはいなかったのだけれど、マイケルは私の方を向いて言った。
  「とても素敵だよ。 ありがとう」。
 そしてマジックが起きた。
 マイケルは、私と子供たちのこと,私の国のこと,その他にもいろいろなことを話した。 それは本当にマジックだった…

 そして突然マイケルは、私が腕に抱いていた女の赤ちゃんと写真を撮りたいと言い出した。  私は彼女をカメラの方へ向けようとしたのだが、マイケルは彼女を抱こうとしていた。 しかし彼女は泣き出した。 彼女はとにかくマイケルと居たくなかったのだ。 (もちろんまだ2歳なのだから)
 マイケルはボディガードの1人に言った。
  「子供をお母さんに任せて」。
 私は彼女の母親じゃないのに! だから私は言った。
  「私、彼女のお母さんではないのです」
 それを聞くと、マイケルは笑って応えた。
  「とっても良いお母さんに見えたよ」。
 私の顔はほとんど真っ赤になり、私も笑った。

 マイケルは地球上でもっとも素敵な人で、私は彼を愛さずにはいられない。
 マイケルと大統領との会見は執り行なわれ、私はそれを全て見ていた。


白いキャップを被っている女性が本レポートの筆者


 でも、もっと驚くことが私を待っていた。
 私たちがホテルへ戻るとあのカメラマンが居て、私が友人に今の出来事を説明するのを見ていた。
 カメラマンは私たちに近寄ると、全てを知っている声で
  「マイケルに逢った?」
と訊いてきた。
 私が逢ったと答えると、彼は続けた。
  「何百万という人々が君になりたいと思っているって、解ってる?」。
 私は涙が出てきて
  「ええ知ってるわ」
と答えた。

 そして彼は、さらに残りの話を教えてくれた。
 マイケルは先日のビデオの私を観て、大統領に逢いに行く時に私を連れて行きたがったのだそうだ。
 私は声を上げて泣いてしまった。
 カメラは、私の涙と 繰り返し何度も何度も “ありがとう” とだけ言うのを撮っていた。



 その後の私の人生は、全く違うものとなった。
 5日後 ボブ・ジョーンズ氏は、私をマイケルのフォト・セッションに連れて行ってくれた。私はどこへ行くのか知らなかったけれど、突然またマイケルと直面した。
 マイケルは私を憶えていた。
 一方、私は無口になっていた。私はどんなにこの人を好きかということしか考えられなくなってしまっていた。
 私が放心状態なので、写真を撮るためにマイケルは私の方へ来なくてはならなかった。 マイケルの手が私を抱いた。
 私もそうして笑った。 でも何の言葉も交わしていない。 控え目に、
  「ありがとうマイケル」
という言葉が口から出ただけだった。 他には何も出来なかった。
 マイケルは私を、美しくはっきりとした とても純粋な眼で見つめた。 その眼は私の気持ちを読めるようだった。 彼に愛情を伝えるのに言葉は要らないと解った。
 そして私はそばを離れた。

 次の日、マイケルはチリへと旅立って行った。


マイケルがアルゼンチンで宿泊したホテルの部屋



 私は、マイケルの周りにいる人はみんな特別でなくてはならないんだと解った。 彼らは特に愛情に溢れていて… ファンに感謝の気持ちを持っている。
あなたがいるから私は頑張れる。
永遠に好きです。
あなたがいるから生きていけます。
私は、あなたが私や世界中の子供たちにしてくれたことを決して忘れないと約束します。
いつでもあなたを応援して、あなたとネバーランドの住民が世界を癒すのに協力します。
ありがとうドリームメーカー、あなた自身そのものが私の大きな夢です   

・・・ END ・・・

UPDATE - '08.06.05