【 Making of “THRILLER”アルバム 】
( Todd Gold著 『The Man In The Mirror』 第9章より )
( VOL.21~25 / May~Oct 1990 )

和訳:Cさん



 1982年の春、オーシャン・ウェイ・レコーディング・スタジオ。
 その日の前夜、マイケルはカセットデッキを抱え、興奮しきった面持ちで 姉ラトーヤの部屋に飛び込んで来た。
 「ねぇ、これを聴いて!」。
 ラトーヤは読書用ランプの光を遮られ、やれやれといった様子で読んでいた本を閉じ、気のない視線を弟に向けた。
 「なぁに?」
 「トーヤ、これを聴いてよ」。
 マイケルは彼女のベッドの上にカセットデッキを置き、PLAYボタンを押し、ボリュームをいっぱいに上げた。 そして、たった今マイケルが屋敷内にあるスタジオで仕上げたばかりのデモテープの曲がスピーカーから鳴り響いてきた。
 印象的なビートと 熱く激しいヴォーカルが、踊らずにいられなくさせる。
 マイケルはその場で踊りだし、ラトーヤはベッドの上で曲に合わせてピョンピョンと飛び跳ねた。
 「素晴らしいじゃない!」
と、曲を聴き終え彼女は言った。 マイケルは、
 「でもこの曲のタイトルの "Billie Jean" は、替えた方がいいかな?」
 「どうして?」
 「同名のテニス選手のことが頭に浮かんじゃうじゃない」
 「そのままの方がいいわよ」

 人は、何かを決定する過程において、論理よりも感性に重きを置くものだ。 マイケルも、新曲は大ヒットになると既に信じて疑わない。
 マイケルは、アルバム 『THRILLER』 の製作に取りかかる以前から、クインシー・ジョーンズから曲を書くよう勧められていて、チャレンジしたのだった。
 マイケルほど自分の内的感情に注意深い人間はいないであろう。 さらに彼が "Billie Jean" に込めたメッセージは明確であり、まさに彼の言うとおり大ヒットになったのである。
 彼は、何かの物事について やたらに 「絶対だ」 なんて思うような人間ではない。 しかし、ロールスロイスに乗ってベンチュラ大通りを通っている時に この印象深いメロディーが浮かんだ時は、この曲は絶対ヒットするに違いないと思ったのだ。
 ラトーヤの反応は、さらにその確信を深めさせた。


"Billie Jean" が 「まずは」 ゴールドシングルを受賞した時

 もう夜も遅く、近所の人たちはベッドに入る時間だったが マイケルは気にも留めずに目を輝かせ、姉にキスをすると ステージの上でするようにくるくるとスピンし、ピタッと動きを止め、さらにターンした。
 カセットデッキを抱え込み、元気よく玄関ホールへ下り、自分の部屋に戻って行った。
 しばらくして、マイケルは再びさっきの曲を再生した。 今度は自分のために。
 寝室のドアの隙間から音楽が漏れてきた。 曲に合わせてマイケルは踊る。 彼の身体を流れる多量の汗は、満足の表われなのだった。
 ラトーヤは、マイケルについて こう語っている。
 「マイケルはこの仕事に就いて本当に幸せだ、って私ははっきり言えるわ。
  彼は、ダンサーであり シンガー。 それに、ものすごい秘密主義者なの。 もちろん私たち(家族)に対してはそうじゃないけど。 自分の考えていることを一生懸命オモテに出すまい、ってしているのよ」。



 翌日の午後、スモークガラスの白いリムジンが、オーシャン・ウェイ・レコーディング・スタジオの裏口に停まった。
 マイケルは、大いなる期待と 2曲の新曲のデモテープを持って降り立った。 1曲は姉に聴かせたもの,もう1曲のタイトルは "Beat It" だった。
 スタジオまでの車中、マイケルは自分の考えに夢中で、終始無言であった。 マイケルはこの建物へ仕事に来たのだ。 あり余るほどのエネルギーと 発火寸前の情熱を持って。

 プロデューサーは既に来ていて、コントロール・ルームでマイケルを待っていた。
 その抱えてきた興奮で、マイケルの存在感は部屋いっぱいになったようだ。
 次に取った行動は、『OFF THE WALL』 の時も今回も同じもので(毎日の習慣でもあった)、まるで何年も会っていなかった友人同士のように抱き合ったのだ。 この数ヶ月、ほとんど毎日会っているというのに。
 クインシーは、彼の弟子 "Smelly" に挨拶した。
 「マイケルの、いい仕事を嗅ぎ出す(smell)能力ときたら、普通じゃないよ」
と、クインシーは言う。
 マイケルは、このプロデューサーのことを 他のみんなと同様に、その珍しい頭文字の "Q" と呼んでいる。

 もしマイケルが子供の頃、家庭内での指導者に恵まれず その才能を充分に開花できずにいたら、このプロデューサーからミュージシャン精神を教え込まれるのに かなりの時間を要したであろう。
 彼らのレコーディング・チームの専属ギタリスト、ディビッド・ウィリアムスはこう語っている。
 「始めからクインシーはマイケルをリードし、惜しみなく知識を与えていたよ。
  Qはマイケルの音楽性の枠を広げ、さらにありとあらゆるタイプの音楽を加えたんだ。 もしマイケルがそれを受け入れなかったら、もっと違ったアルバムが出来上がってただろうね。 Qはマジックだよ。
  マイケルもその事をちゃんと解っているんだ」。

 彼らの友情の証明は容易に出来る。 あらゆるタイプの音楽での愛の表現と 大胆な知性を所有し、さらにジョークを言って笑い合える仲なのだから。
 年の差など気にも留めず、2人のスーパースターは師弟関係を越え、自分たちが急速に親しくなる状態を楽しんでいる。
 「わたしが年長の兄で、マイケルが弟ってことなんだ。 彼はわたしの言うことを何でもよく聞いてるよ」。
 仕事場を離れると 彼らの会話の内容は、普通の生活というものを理解しようとするマイケルの尽きることのない好奇心に沿ったものとなる。 そういった生活とは無縁の彼だから。
 「彼はわたしに、いろんな事について質問するよ。 ただし、結婚については別だけどね」。
 クインシーがとぼけた調子でそう言うのは、彼が二度目の妻・女優のペギー・リプトンと '87年に離婚したというような人物だからだ。
 「けれど時々は、感情的な結びつきってどんな感じがするのかを訊いていたよ。 相手のことや それにまつわることを。 というのも、わたしには何人もそういう相手がいたけれど、彼にはいないからね」。
 そんな事は彼らの友情に何の影響も与えないが、マイケルの病的なまでの内気さは 彼にとって大きな障害になり得る、とクインシーも認めている。
 「彼は9万人の人の前では平気で歌えるのに、たった3人を前にして歌うのにひどく苦労するんだ。
  彼がスタジオで新曲をわたしに歌って聴かせようとした時は、わたしは目をつぶって後ろを向いていたんだ」。



 時間を少し戻そう。

 近ごろクインシーは、曲を書くようにとマイケルを頻繁にせっついている。
 数週間前は、誰もがこのアルバムの完成に必要なものは全て揃っていると思っていた。
 マイケル作曲の "Wanna Be Startin' Somethin'"。 この曲は、前のアルバムに収録されなかった分。
 それと、多くのオリジナル曲もある。 ロッド・テンパートンの "Baby Be Mine", "Lady In My Life", "Thriller"。 TOTOのスティーブ・ポーカロとジョン・ベッツの瑞々しくて美しいバラード "Human Nature"。 ソウルシンガーのジェームズ・イングラムとクインシーの "P.Y.T."。 さらには、ポール・マッカートニーと共作した "The Girl Is Mine"。
 確かに素晴らしい曲ばかりだ。
 が、録音されたものを聴き返した時、クインシーは このプロジェクトが完了したとの判断を下さなかった。 レコード会社がいくら急かそうと、クインシーは 「まだだ」 としか言わない。
 「我々は、『THRILLER』 を あとはもう発表するだけというまでに仕上げて、今まさにスタジオから引き上げようってところだった。
  しかし何回かテープを聴き直して、どうも何かが足りないって思ったんだ。 で、マイケルに、もっと強力な曲を書くように言った。 みんな、わたしの頭がおかしくなったって思ったようだね」
と、クインシーは言う。
 頑固な完全主義者のマイケル以外は、個々の曲もアルバム全体も素晴らしいレベルの物に仕上がったと思っていた。
 けれども、マイケルはそうではなかった。 マイケルにとってクインシーの判断は、間違いを犯してしまう前に誰かに言ってほしかった事そのものだった。
 トップ10入りシングル4曲を生み、700万枚以上も売れた前作 『OFF THE WALL』。 今回のアルバムは、それを越えなければならない。 大変なことだが、どうしても通らねばならない道なのだ。

 その後マイケルは、このアルバムを完成させるという事に取り憑かれてしまった。
 このアルバムは、彼が征服しなくてはならないエベレストのようなものだ。 完全無欠のアルバムへの “あと1歩”が、あまりにも遠い。
 マイケルが自分自身に非常に多くの期待をかけている事は、マイケルの言葉からも判る。
 「以前にやったことと同じ位のことしかしないってのは、良い事じゃないよ」。
 そんなことは誰でも解っている。 けれど、なかなか出来ることではない。

 ある日、マイケルは休憩時間にピンボールをやっていた。 ソングライターのロッド・テンパートンも クインシーもいる。
 誰かが、なにげなく こう訊いた。
 「このアルバムが 『OFF THE WALL』 よりも良い結果が出なかったら、ガッカリするかい?」。
 マイケルはまごついてしまった。
 ああ、彼らは理解していたのではないのか? そんな質問をするなんて。 解っていなかったのだろうか?
 「僕は言ったよ。 『THRILLER』 は、『OFF THE WALL』 よりもヒットさせなければ、って。 そしてこのアルバムを今までのどのアルバムよりもビッグセールス・アルバムにしたいって事も」。
 皆はそれを聞いて笑ったが、マイケルは笑っていなかった。
 そんな風に、話が噛み合わないことはしょっちゅうだった。 マイケルは共に働く人たちに、自分がどんなにか高いゴールを目指しているかが解ってもらえずに悩んでいた。

 仕事場での彼が生き生きとしていて素晴らしく魅力的なことは、誰の目にも明らかだ。 そのマラソンランナーは、最高記録を作り出す決心をしたのだった。
 しかし彼の盲目的な仕事への取り組み方には、同僚たちは手助けしたり出来ない。 エネルギーの最後の一滴を絞り切った時でさえ、彼らはマイケルのレベルに追いつけないのだ。
 「マイケルみたいにハードにやるなんて不可能だ。 彼は、何かひとつ思いついたら、それをありとあらゆる方法で試してみるタイプなんだ」
と、ギタリストのウィリアムスは語る。
 マイケルの仕事のやり方は、非常にストイックな熱心さで物事に取り組むというやり方だ。
 マイケルの睡眠は、頭に突然浮かぶメロディーやインスピレーションによって よく中断される。 目を開けていようと閉じていようと関係なく、それらは涌き出てくるのだ。 マイケルは、完璧な仕事をする為ならどんなに睡魔が襲ってこようといつまでも起きている。
 「僕は完全主義者なんだ。 倒れるまでやるよ」。


 今、彼の努力は報われた。
 2曲の新作 "Billie Jean" と "Beat It" のテープが終わり、マイケルはプロデューサーの反応を待っている。
 果たしてクインシーは笑っていた。
 「マイケルは やってのけたんだ。 あんなにプレッシャーがあったのに、2曲もすごい曲を書いたんだ」。
 マイケルの言葉を借りれば、それは “マジック”であった。
 さらにそのマジックは、彼を最高のシンガーにもしたのだった。


2人の喜びと感慨の深さは、推し量ることすら誰にも出来ない



 ますます謎めいたシンガーとなったマイケルは、自分の外見に関していくつかの事を決定した。
 驚くようなことではない。 それらの中には実行されなかったものもあるし、それ以外の明らかにされなかった計画もあった。 でもそれらはみなプライベートな事だ。

 にもかかわらず、お祭り好きの連中は、大量の軽薄なゴシップと推測とで ついにはマイケルの健康的なイメージに泥を塗ったのだった。
 彼らにとって、そのような行動は ごく自然なことだった。 彼らはマイケルの音楽には何の興味も持っていない。 世界中の人々が今までに無かったほどマイケル・ジャクソンのアルバムの隅から隅までに関心を示しているというのに。
 その事にマイケルは大いに落胆した。
 何人かが矛盾だらけで残酷で不快な記事を書いたが、ほとんどは単に詮索好きなファンが書いたという代物だった。 ごく少数の人は、美容整形をしたマリリン・モンローらハリウッド有名人たちの例を大勢挙げて、この静かなるポップ・アイドルを擁護する記事を書いた。

 LAの整形外科医スティーブン・ホフリンに鼻の手術を依頼した時には、マイケルはまさかこんな騒ぎになるなんて想像もしなかった。
 ごく簡単な手術なのだ。鼻の両サイドをほんの少し切ったり削ったり押し込んだりするだけで、全てうまく行くと思っていた。
 自分のイメージを正直に見直した時、その幅広い鼻が目についた。 もっと鼻筋が通っていた方が良いのでは? 上ではなく下向きの鼻の方が知的に見えるのでは? より健康的に,より幸せそうに見えるのでは? そして、そうすれば自分のイメージに満足できるようになるのでは?

 エンターテイナーという人種は、自分のイメージが固定してしまった時、持って生まれた外見さえ変化させるような極端な行動を取ることがよくある。 このスーパースターについてもそう言えるだろう。 彼がマイケル本人だとすぐ判る程度に留めたのは良いことだ。
 しかし多くのエンターテイナー達が、こうした感情の動きに理解を示さずにマイケルを責めている。

 マイケルは、ニューアルバム・家族との確執・彼の不思議な日常生活など、諸問題に辛抱強く取り組んでいる最中だ。 なのに彼は、自身をいけにえとした。 自分を前例のないほど多くの人々に知らしめ、社会にショックを与えるために。
 皮肉屋たちは、天才彫刻家のような医者の手によるマイケルの最初の手術を こう評した。
 「これは、近々発売されるニューアルバム用のイメージ一新のための打算的な行為である」
とか,
 「世間に顔を売るという目的のためだけに、鬼気せまるほど徹底的に手術を行なった」
とか。
 本当ならイメージ一新も顔を売るのも彼らの仕事のはずだが、それでもそれらの批評は、よりマイケルを世間に印象づけるのに役立った。 もっとも彼らは、マイケルに悪知恵があり 思い切りも良く そのうえ勇気があった等と、大袈裟に考えていたようだが。
 もちろん、マイケルは勇気を持ってそれらの評を受け入れた。 彼がレコードで試みた多種複合サウンドを世に出すために、より完成されたイメージが欲しかったのだ。
 それに結局 第一の目的は、マイケル・ジャクソンといえば兄たちに囲まれて幼稚なポップソングを歌う愛らしい子供、というイメージを消すことだったのだから。


 ソロ・アーティストのマイケル・ジャクソンは、必死に過去の栄光など葬ろうとしていた。 彼がそうしなければ、他の誰かが彼を過去の人にしてしまう。
 『OFF THE WALL』 は、確かに良いアルバムだ。 しかしマイケル自身がそうだと思えるほど傑作というわけではない。 ソロのスーパースターとしてのキャリアを求めるのなら、もっと強烈なことをしなければ。
 ボビー・コンビィは こう見ている。
 「マイケルは、子供の時から商売に関わってきた。 ビジネスマン並みにイメージやパブリシティの価値を心得ているのさ」。
 そう、マイケルのやること全ては、仕事を中心としている。 とてもハードな仕事の…。 マイケルの成功願望は恐ろしいほどだ。
 だからといって、エルヴィス愛用のポマードや ビートルズのモップヘアのように、顔を変えることを流行させるつもりで手術を受けたわけではない。
 理由は、ひたすら単純である。
 「彼はただ、自分の鼻の形が好きじゃなかったのよ」
と、母親は言う。
 多分それが本当の話なのだろう。 マイケルは自分の鼻をひどく嫌っていた。 鼻のせいで子供時代、悩み多き青年期と同じようにひどく悩んでいた。
 限界までに体を引き締めてそれを補っていたけれど、不満と怒りはその一点に集中してしまう。 その時彼は、自分の体こそ絶対的なコントロールを試すことの出来る唯一の場所だと実感した。

 そしてマイケルは鼻の形を変えることを決め、それまで何のコントロールもしなかった自分の生活を管理することを慎重に・けれども固く決心したのだった。

・・・ END ・・・

UPDATE - '08.05.02