( 2000.12.6 beliefnetにて発表 )

( VOL.116 / Feb 2001 )
僕の少年時代・僕の安息日・僕の自由

何よりも僕が欲しいものは、ふつうであること。
僕がふつうでいられたのは、安息日のときだった。

『 Childhood 』
" Have you seen my childhood ?
I'm searching for that wonder in my youth
Like pirates in adventurous dreams,
Of conquest and kings on the throne "
「君は僕の幼い頃を知っているかい?
どこかの国を征服して王の座にすわってみたいとか、
冒険に満ちた夢を抱いて、
海賊みたいに奇跡を探し続けていたんだ」
(マイケル・ジャクソン 作詞作曲)

 友人のラビ・シュミュレイと一緒に話をしていた時、あるひとつの会話の中で、彼は僕にこう言いました。
 「仲間の作家・思想家・芸術家たちに、安息日には自分の気持ちを書き留めるように勧めたよ」。
 そして僕にも、興味を持ったこことは書き留めた方が良いと勧めてきました。例えば、最近亡くなったユダヤ人女性のローズ・ファインさんの事とかを。彼女は、僕が子供の頃の先生で、ジャクソンファイブ時代に僕たち兄弟を連れて公演に回ってくれたのです。

 先週の金曜の晩のこと、安息日のためにシュミュレイの家で、彼の家族や訪問客の人たちと一緒に過ごしました。
 とても感激したのは、彼ら夫婦が子供たちの頭の上に手を置いた時のこと。古い時代のユダヤの伝統的なやり方で、聖書に出てくるアブラハムやサラのように立派に成長するよう祈っていたのです。
 僕は子供の頃を思い出して、安息日が自分の成長を意味していたのだと解りました。

 僕が8歳か9歳の頃、たった今始まったばかりの僕の音楽人生を、皆はTVで観ていましたね。とても明るい笑顔でいる1人の少年を眺めていたと思います。
 きっと皆は、その少年が楽しいから微笑んでいるのだと思ったかもしれません。その少年が幸せだから、心を込めて歌えるんだと思ったかもしれません。呑気だからエネルギッシュにダンスし続けられるのだと思ったかもしれません。

 歌ったり踊ったりしている間は、確かに大きな喜びに満たされていた事は間違いないけれど、少年時代にずっと僕を捉えて離さなかった2つの事があるのです。
 それは、休み時間と自由の感覚。
 世間の人たちは、有名な子供たちのプレッシャーを、真に理解しなければなりません。彼らの名声は、華やかで賑やかに見えても、いつも高い代償を払わされているという事を。

 何よりも僕は、ふつうの少年になりたかったのです。木の上に子供の家を建てたり、ローラースケート場に出掛けたかった。でも、とても幼い時期から、この夢は果たせませんでした。
 僕の少年時代は、他のほとんどの人たちとは違うということを受け入れなければなりませんでした。でもそこには、ふつうの少年時代と同じような驚きで満ちていたのです。

 ところがある日のこと、僕はハリウッドのステージやコンサートホールの群衆から逃げ出すことが出来たのです。その日は安息日。安息日とは、日常から脱して信仰心を深めるための特別な日。
 昔、ローズから特別にユダヤ教の安息日について教えてもらったことがありました。友達のシュミュレイは、安息日にはどのように過ごせば良いかをはっかりさせてくれました。料理したり、食料品店で買物をしたり、芝生を刈ったりすることでさえ、人間性をふつうの状態からふつうではない状態にさせ、自然な状態を超自然的な状態にするという目的のために禁止されるのです。買物や明かりを点けることさえ禁じられます。
 安息日には、誰もふつうでいることを全くやめてしまうのです。

 でも僕が何よりも欲しいものは、ふつうであること。
 それで、僕にとって安息日とは、自分のユニークな生活から少し横道に逸れて、日常を少しだけ振り返ることが出来る日というものなのです。

 日曜日は、僕にとっての「開拓/Pioneering」(この言葉は、エホバの証人が伝道活動をする際に使う)の日。僕たちは、南カリフォルニアの郊外まで出掛けて戸別訪問をしたり、ショッピングモールを回ったり、「ものみの塔」を配布したりして時を過ごしました。
 僕の音楽人生が始まってからも、何年間もこの「開拓」を続けていました。

 それは1991年まで続けました。大きなスーツを着て、カツラを被り、付けヒゲを生やし、メガネをかけて変装し、旅先のショッピングプラザや住宅地を訪問しながら、アメリカの日常生活の世界に誰よりも先に乗り込んで行きました。
 人々のお宅に足を踏み入れるのは、とても楽しいものでした。子供たちがモノポリーのゲームをしているけばけばした敷物や、母親が赤ん坊をあやしているLa-Z-Boyのアームチェアなど、全てが僕にとっては素晴らしいふつうの光景として目に映り、それらは人生の魔法のようなシーンに思えたのです。
 こんなものは大した出来事ではないと多くの人が思うことは解っているけれど、でも僕にとっては本当に魅力的な出来事でした。

 面白いことに、大人たちは誰もこの怪しいヒゲ男が誰であるかなんて気にも留めていませんでした。でも子供たちは、優れた直感で、誰だかすぐに判ったのです。ショッピングモールを2周する頃にはハーメルンの笛吹き男みたいに、8,9人の子供たちが僕の後ろから付いて来ているのに気がつきました。彼らは僕の後ろで囁き合いながらクスクス笑っていたけれど、決して僕の秘密を自分たちの親に洩らすことはしませんでした。彼らは、僕の小さな援助者たちだったのです。
 もしかしたら君の手元にあるその冊子は、かつて僕から買った物かもしれませんね。改めてそう考えてみると、不思議な気がしませんか?

 僕が成長するに従って、日曜日は2つの理由から神聖なものになりました。
 それは、日曜日は教会へ通う日であること、そしてもう1つはリハーサルをする日ということ。
 後者のは「安息日の休息」の考え方に反していると思うかもしれませんが、でもこれが僕の過ごし方としては一番神聖な方法なのでした。つまり、神様が僕に与えてくれた才能を開発するという意味で…。神様への感謝の気持ちを表わすための最高の方法は、神様から与えられた能力を最大限に活用するということなのです。

 教会は、それ自体が喜びでした。そして教会は、僕がまた「ふつう」でいられるチャンスを与えてくれたのです。教会の兄弟たちは、僕を他の人たちと同じように扱ってくれたし、僕の所在を突き止めたレポーター達が教会の裏に押し寄せて来るような日々でも平静でいてくれました。そのレポーター達も教会の中へ迎え入れていました。だって結局はレポーターだって神様の子供なんですから。

 幼い頃、僕たち一家はインディアナの教会に通うようになりました。
 ところが、僕たちが成長してゆくと、それが難しくなってしまいました。僕の素晴らしくて本当に敬虔な母親が、時々その教会と折り合いが悪くなってしまったのです。僕にとっても状況は次第に複雑になってしまったけれど、その時に、神様は教会という建物の中だけではなく、僕の心の中・そして音楽や美の中にも神様は存在するのだという信仰が、僕を慰めてくれました。
 とは言っても、僕は3つのものを失って、今でも淋しくて仕方がないのです。
 それは、僕のことを単なる1人の人間として他の人たちと同じように扱ってくれた友達、そして教会の兄弟たち、それから神とともに分かち合った日々…。

 僕が父親になった時、神や安息日についての考え方が改めて変わりました。
 息子のプリンスや娘のパリスの瞳の奥をジッと見つめていると、奇跡や美が見えてきます。毎日の日々がいつも安息日になったのです。
 子供を授かったことで、この不思議な神聖な世界へ毎日足を踏み入れることが許されたのです。子供たちを通して神様を見ることが出来るし、子供たちを通して神様に話しかけることが出来るのです。
 神様が授けて下さったこの恵みが、本当にもったいなく感じるほどです。

 誰もがそうだと思いますが、僕にも神の存在について疑っていた時代がありました。
 でも、プリンスが微笑み、パリスがクスクス笑う時には、神の存在は全く疑いようのないものになります。子供たちは、神様からの贈り物です。いやそれ以上のもの― そう、それは神様のエネルギー・創造性・愛の現れなのです。神様は、子供たちの純真無垢さに見い出され、子供たちの遊び心のなかに顕在するのです。

 子供の頃に一番大切だった日は、自由でいられた日曜日でした。日曜日こそ、安息日がいつも自分のためにあったもの そのものなのです。自由な日。
 今、僕は父親としての役割の中で、毎日この自由や魔法を発見しています。
 本当に素晴らしいことは、僕たちは皆、毎日を安息日のような大切な日々にすることが出来ることなのです。そして、子供たちの奇跡の出来事に対して、もう一度自分の身を捧げることによってそれを実現出来るのです。僕たちが息子とか娘とか呼んでいる小さな人々へ、心や知性のすべてを与えることで、それを可能にするのです。彼らと共に過ごしている時間が安息日なのです。彼らと共に過ごしている場所が天国なのです。


 King Of Pop マイケル・ジャクソンは、いつの時代にあっても最も成功に満ちたレコードアーティストである。
 ラビ・シュミュレイ・ボティーチ師は、「汚れなき性/Kosher Sex」や「十戒の年代的秘密/Dating Secrets of the Ten Commandments」等のベストセラー作家であり、2000年度のタイム誌のベスト説教者に選ばれた。マイケル・ジャクソンが創設者でありチェアマンでもある『Heal the Kids』では、子供たち自身の意識や子供たちの問題は最優先課題なのだという事を広く訴えかけるキャンペーンを開始。
 2人はまた、親や大人たちは子供たちから何を学び、そしてどのようにして男女がお互いに失ったものを回復し、高潔で子供らしさを失わずにいられるのかについての方法を扱った本を執筆中である。(2001年2月現在)


  ※  beliefnet
http://www.beliefnet.com/Faiths/2000/12/My-Childhood-My-Sabbath-My-Freedom.aspx

UPDATE - last '13.05.07 / 1st '06.12.07