UPDATE - '07.05.05
【 ヤング☆ヤング☆MJ語録 】
( VOL.78 / Aug 1995 )
J5時代やジャクソンズ時代のマイケル語録をとりあげました。
12,3歳の頃や 15~18,9歳だった頃の、多感で感受性の強い青少年マイケルが
当時の言葉で その時に感じたことを残しています。
メガ・スーパー・スターダムへと駆けのぼり、
大人の社会でイヤというほど現実と直面しなければならなかったマイケル。
う~ん…
とりあえず小難しいことは取っ払って、みんなでJ5マイコーにワープしちゃいましょ !!
< 記載は必ずしも年代順ではありません >
5歳
すごいエンターテイナーになりたいなぁ…
世界を平和にして…
それで、いつかお城みたいに大きな自分の家を持ちたいなぁ。
【 ※幼稚園で掲げた3つの願い 】
'63年、キングダム・ホールでの日曜礼拝からゲイリーの自宅へ戻ったところ。
左端:ジャーメイン / 中央:ティト / 右端:マイケル(5歳当時)
11歳
家が狭くなったので引っ越すことにしたんだ。
スタジオも作ったよ。僕らがリハーサルを始めると隣の家の人が困っていたしね。だから引っ越したんだよ。
あっ、引っ越すと1人困る人がいた! フランク・シナトラが僕らのすぐ上に住んでるんだ。でも、彼は困ったりしないよね? 彼のバルコニーは僕らの家のすぐ上なんだけど。
―
昔は小さな家に住んでいたけど、今は大きな家に住んでるよ。
スタジオや練習室、ずっと欲しかったバスケのコートや、いろいろ欲しかったものが揃ってる。
ゲイリー(インディアナ州の生家)にいた頃はバスケをやりに2マイルも歩いたけど、今は、ちょっと外に出ればプレイ出来るんだ。
―
ティトは、いつもおねしょをしたんだ。僕らのマットレスはいつも黄色いんだよ。イエロー・マットレス !!
アルバムのタイトルにしたらいいと思わない?
【 ※兄弟たちと部屋を分ける時にふざけて 】
12歳
トランポリンも好きだし、プールも好きだよ。
―
ダイアナ・ロス・スペシャルに出演するのは好きだよ。
並び方とか書いた紙を持ってる人がいて、練習が難しくないんだ。
【 ※これ以降、ウラ話を1人で話す機会を与えられることが減った 】
―
もっと仕事をしたいんだけど、法律があるから、ずっと少なく抑えているんだ。
―
何になるにせよ、スターは早い方がいいと思う。
僕はこの才能を神に感謝してるよ。
13歳
難しいことじゃないんだ。
今やっていることに精神を集中すれば良いんだ。
13歳
以前は、買い物だけじゃなく 遠くへでもどこでも1人で出かけてた。
それが今との大きな違いかな。
今でも買い物は1人で行くけど、遠い所… ゴーカートしに行くとか 映画とか 乗馬とかは、ガードマンを連れて行くんだよ。すぐに皆が(J5だと)判るから、連れて行かないとダメだって言われるんだ。
郵便も、住所が書かれてなくても 「J5」とだけ書いてあれば届くんだよ。
【 ※"有名になる" ということについて 】
14歳
ちょっとね、楽しみにしてるんだ。観光も少ししたいな。
ナポレオンがいたのは何処だっけ? フランス。ああそうか、そこも行きたいな。
ロンドンに行ったら買い物に行きたいよ。服を買いたいんだ。
【 ※'72年11月に控えた初ヨーロッパ・ツアーについて 】
左上: ロンドン・ウェンブリーのチケット / 左下: ヨーロッパ・ツアーのパンフ / 右: パリ公演
14歳
ステージの所にガードマンが並んでるけど、彼らがそこに居なかったらものすごく不安になるんだ。
コンサートの最中だって女の子たちは警官の間をすり抜けて来るし、もしガードマンが居なかったら、何か悪いことが起きそうな気がする。
でも、怖がってるわけじゃないよ。彼女たちのしたい事は、ちょっと触って写真を撮ることなんだよ。
なにも傷つけようとしている訳じゃないのさ。
―
女の子たちが追いかけて来るんだ。だからセキュリティーが必要なんだよ。
―
皆が叫んでいなかったら、エキサイト出来ないよ。
お互いに高め合っているのさ。
―
家族の女の子たち(姉妹)は、グループに入りたがらなかったんだ。
もっとも、ジャネットが入っていたら 稼ぎをぜんぶ食べ尽くしちゃうだろうけどね。
J5に正式加入しなかった長女リビー・末妹ジャネット・次女ラトーヤ・末弟ランディだが
後年、この全員それぞれデビューを果たすこととなる
15歳
僕らは楽しんでいるよ。
ファンがどういうものかが解れば、きっと辞めたいなんて思わないよ。
【 ※辞めたくなったらどうするのかと訊かれて 】
―
これまでのステージ衣装は、とっといてあるよ。3つの部屋いっぱいに詰まってる。
古いものも全部あるから、いつでもエド・サリバン・ショーに戻れるよ。
16歳
Hi、マイケルです。
12歳で可愛かった僕も、16歳です。
でも、キュートです。
【 ※ラスベガスのショーで 】
―
自分のしていることは好きだよ。
ショービジネス界以外の友人もたくさんいるよ。普通に扱ってくれてるんだ。
18歳
エリザベス女王にお会いしたんだ。
女王様は、心の底から楽しまれているご様子だったよ。
僕らに、「どこから来たか」・「どうやってこの仕事を始めたか」をお尋ねになったんだ。
エジンバラ公は、「家族の中に、君たち以前にもショービジネス界に身をおいた人物はいたか」・「楽器も扱えるか」をお尋きになった。
素敵な体験だったよ。
【 ※'77年5月、イギリスのキングス・ホールにて天覧コンサート、楽屋裏でも謁見 】
18歳
デートごっこの他には、デートってしたこと無いな。
18歳
トリュフって何?
僕は肉とポテトが好きだな。水をたくさん飲むんだ。
それ、キャビア? …何か試してみるのって苦手なんだよ。…じゃあ少しだけ。
…本当にこれが好きなの? 解らないなぁ。
これを食べる人って、他にもいるの?
【 ※アンディ・ウォーホルや友達とのランチ中 】
―
最初の "J5" という名前を失った時は淋しかったよ。
モータウンと契約する前からその名前だったからね。僕らそのものだったんだよ。
でも、昔のことさ。どうってことはない。今は "ジャクソンズ" なんだ。ダメージでも何でもないよ。
世間ではまだ "J5" の名の方が浸透してるんだろうけど。
―
ダイアナは今でもそうだけど、グループ全体の監督みたいだよ。ベリー・ゴーディJr.もね。
ベリーは、2つのグループのマネージメントしかしていないんだ。シュープリームスとJ5だよ。
―
モータウンは、個性を大切にしてくれた。
ティトは車やメカニックが好きで、ジャッキーはバスケで、僕はマンガを描くのが好きだったという事をね。
グループは沢山あるけど、グループの名前は知ってても それぞれのメンバーの事ってよく知らないでしょう? けど僕には、そういった事がとても大切だったんだ。
―
僕らが一緒に歌うようになったのは、ティトがラジオに合わせて 父さんのギターをメチャクチャに弾きながら歌ってから。
「グループとしてやろう」って決めたのもティトで、僕らはそれに付いていったんだ。
たくさん練習してタレント・ショウに出るようになった。僕らは、出場すればいつでも勝っていたよ。
―
タレント・ショウで、プロとしての多くを学んだんだ。
―
皆がステージにお金を投げるんで、僕のポケットにはお金が入ってたよ。
僕らがステージに立つと、300ドルぐらいが投げられるんだ。
マネージャーからは、15ドルきっかりもらっていたよ。
―
クラブのショウにも出ていたんだけど、そこには女の人がいて… どういう事をする人なのか察しがつくと思うけど… 僕はそういう事がたまらなくイヤだった。
僕が6歳ぐらいの時なんだけど、ストリッパーが下着をめくると 男がステージに上がってきて… 始めるんだ… その…
2人とも大バカだ。吐き気がするよ。
―
ゲイリーでは、いつでもリハーサルだった。
毎日、学校から帰ると父さんが 「練習こそが成功への道だ」って叩き込むんだ。
今では、父さんが何をしようとしていたのか解っているよ。
―
その頃のことでいちばん憶えているのは、毎日7時間の練習。
そのお陰で、いまエンターテイナーとしていられるんだけどね。
学校が終わるとすぐに父さんと練習して、僕らはどんどん上達していったんだ。
父さんもグループに入っていた(※ファルコンズ)けど、上手くなかったんだよ。でもプロになるにはどうしなくちゃいけないのかっていう事はよく解っていたんだね。
父さんは、マイクの持ち方から ファンに対するジェスチャー・客のあおり方まで教えてくれたよ。そのころ考えられる中で最良の先生だったね。
その頃に住んでいた家の裏手には大きな野球場があって、子供たちが遊んだり ポップコーンを食べたりしていたんだけど、それほど羨ましいと思ってたわけじゃないんだ。太陽の下で野球をする代わりに、沢山のものを手に入れたからね。
父さんは、とても注意深く仕事や何かに気を配って、僕らを守ってくれていた。
―
父さんは、時々すごく厳しいんだ。
誰も怒らせたいなんて思わないよ。でも僕らは絶対に逆らったりしない。
それが父さんのやり方なんだ。付いていくしかないよ。
仕事の価値とか努力とか教えてくれたんだ。
【 ※その後21歳のとき父親とのマネージメント契約が満了、マイケルは契約更新をしなかった 】
―
クラシックやソフトミュージックが好きなんだ。
時々、座ってジョニー・マティスとかのソフトミュージックを聴くよ。レイ・チャールズも好きだな。
よくスリー・ドッグナイトを聴くんだよ。彼らって最高さ。
24歳
ジェームス・ブラウンは、マジックそのものだよ。
6歳か7歳の頃だったと思うけど、僕はいつも舞台の袖にいて観ていたんだ。一番輝いてたよ。
観ている人をどこにだって連れて行ってくれる。みんな、興奮して大騒ぎになるんだ。自分自身を解放していくんだよ。
―
ジェームス・ブラウンか サミー・デイビス・Jr.が出てくると、とっても嬉しかった。
彼らは、今でも僕のアイドルなんだ。
'06年12月25日に逝去したジェームス・ブラウン氏の頭をゆっくり撫で おでこにキスをし、お別れ。
マイケルの 氏への敬愛ぶりをよく知る友人たちは、葬儀中もマイケルを大変心配し気づかった
わずか6週間足らずの間にライアン・ホワイト君や祖母も亡くしていたマイケルは
胸を患ってエンシノの実家で倒れ 3日間入院するほどのショックを受けた
―
ジェームス・ブラウンは、ちっとも名声を受けていない。音楽界の名声を受けて然るべき人なのに。
彼の功績を思い出してごらんよ。現在よく聴くファンキーな音楽は、彼が始めたものだという事を。
ファンキー・ミュージックを始めたのはスライ・ストーンや ジェームス・ブラウンなんだ。彼らはゴスペルとダンスミュージックとの架け橋なんだよ。
ファンキーなスライ・ストーンや ジェームス・ブラウン、それに ウィルソン・ピケットや オーティス・レディング、勿論ロックンロールのリトル・リチャードや チャック・ベリーを観ていたよ。それから ジャッキー・ウィルソンもね。
―
僕は、物ごとの "始まり" というのを知るのが好きなんだ。
いちど手元を離れてしまうと物ごとは変わっていくからね。
いろいろなものが、最初はどんな風だったかを見るのが楽しいんだ。
【 ※ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、チャック・ベリーを聴きながら 】
―
僕のダンスは、自然に出てくるんだ。
皆が真似するようなダンスもいくつかあるけど、全部自然に出てくるんだ。
それぞれの名前を皆は付けるけど、例えばスピンにしたって、どうやってし始めるんだか憶えてない。
"出てくるもの" なんだよ。
'81年の TRIUMPHツアー中、"Don't Stop 'Til You Get Enough" で 『つま先立ち』 初お目見え
―
僕は、生きている地球の上にいるんだ。
TRIUMPHツアーで使用するため制作したフィルム "Can You Feel It" は
地球が生み出す 『世界の始まり』 を描いたもの