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UPDATE - '08.08.29
【 OK!誌 独占インタビュー '97 】
( 1997年4月4日号+4月8日号 )
― ポップ界のキングと彼の小さな王子 ―
( VOL.95 / Jun 1997 )
ポップ・スーパースター、マイケル・ジャクソンと妻デビーは、彼らの息子プリンス・マイケル・ジャクソン・ジュニアを世界に紹介するのに 『OK!』 誌を選んだ。 そしてショービズ界の結婚としてはいちばん話題となった記録を作り上げた。
これはマイケル・ジャクソンのこの18年間の中で初めて公表されたインタビューであり、これが世界が欲していた話と写真だ。 マイケルとデビー自身の言葉で…。
―
マイケル、父親になるってどんな気持ち?
MJ
信じられないくらい嬉しい体験だった。 24時間中、天国にいるみたいに幸せだよ。
―
君の息子の誕生について話してくれますか?
MJ
順番に思い出すのは難しいけど…
産まれる時の僕たちの興奮とナーバスぶりのスナップショットは、僕の心に残っているよ。
デビーは出産の間、本当にたくましかった。
ベビーが産まれた瞬間は喜び叫び声が聞こえていた。
僕は、自分の目撃した奇跡が信じられなかった。 本当に信じがたい事だったよ!
―
マイケル、君とデビーの関係について話してもらえますか?
MJ
デビーと僕は、ステージや写真では判らないかもしれないけど、全てにおいて愛し合っています。
彼女はとても美しく、気取りがないし、よく尽くす人ですし、彼女もあるがままの僕を愛してくれています。
―
デビー、最近はマイケルの事をどう思っていますか?
DR
私たちの息子が産まれる前よりもいっそう好きになったわ。
彼は、父親になってとても守り強い人になりました。 愛情に満ちた頼もしい人です。
―
赤ちゃんの名前は、何故その名前にしたのですか?
それから、どっち似?
MJ
名前は、プリンス・マイケル・ジュニア。
僕のおじいさんも,そのまたおじいさんもプリンスという名前だったので、ジャクソン家の伝統を守ることにして、いま3人目のプリンスが生まれたんです。
DR
赤ちゃんはとっても可愛いわ。
目が私に似ていると思うんだけど。
―
マイケル、君の輝かしい業績の中で 「父親になること」 の占める割合は?
MJ
言葉では言い表せないな。
自分の子供がこの世界に生まれてくる事と比べられる奇跡なんて無いよ。
―
赤ちゃんは、もうあなた達に微笑んだり応えたりする?
MJ
彼(プリンス)はいつもニコニコしているし、僕が歌いかけると目を輝かせるんだ。 確実に僕の声が判るみたいだよ。
デビーがアゴをくすぐると喜んで笑うんだ。
―
デビー、マイケルはオムツを替えたりするの?
夜中に起きてミルクをあげたり、そういう事を手伝ってくれる?
DR
ええ。 マイケルは何でもするわ。
赤ちゃんのためなら、何をするのも大喜びよ。 すてきなパパだわ。
ミルクもあげるし、赤ちゃんを抱っこしたり、それにもちろん歌いかけたりもするのよ。
―
デビー、君は地球上でいちばん有名な男性と結婚し、子供を持ったわけだけど、その事で何か影響は?
DR
私はただ、ずっと愛し続ける人と結婚して子供を授かった幸せな女性よ。
1つだけ悲しく感じるのは、私が言ってもいない事が書かれていたり、夜中のくだらないお笑い番組で自分の夫が真実ではない事でジョークにされているのを観る時よ。 皆さんが観たり聞いたりする事のほとんど99%は信じないで。
世間の注目を浴びるのは判っていたし、それを望んでいたわけではないけれど、でもマイケルと結婚するってそういう事だというのは知っていたわ。
―
マイケル、君は滅多にインタビューを受けないけど、今、1つファンに言いたい事といえば何ですか?
MJ
「世間の目から自分の家族を守るのが僕にとってどんなに大事なことかを解ってくれてありがとう」、とファンの皆に言いたい。
僕は今までの人生をずっと金魚鉢の中で暮らしてきたようなものだけど、自分の息子には普通の人生を送らせてあげたい。
ファンの皆はずっと僕の味方でいてくれたし、今、僕の最大の喜びを一緒に分かち合ってくれている。 I love you.
―
マイケル、プリンス・マイケル・ジュニアの将来に何を希望しますか?
MJ
彼には、愛情あふれる家族の中で成長してもらいたいと思ってるよ。
僕に出来うる最高の教育を受けさせて、才能を見つけて育て、自分よりも恵まれない人たちが良い暮らしが出来るようなお金の遣い方を身につけてもらいたい。
―
デビーに赤ちゃんを見させないようにしているって本当?
MJ
違う。 まったくの大ウソだよ。
子供が産まれてからずっと家族として一緒に暮らしていたし、どんな時にも大切にしているよ。
―
マイケル、赤ちゃんの誕生に関する君の家族の反応は?
MJ
皆とても興奮しているよ。
もう既に子供の学校とか、そういう事に関するアドバイスもたくさん受けているほどね。
―
どんな父親になりたいと思っていますか?
MJ
最高の父親に!
僕の父は、僕たちがジャクソン5というスターになるまでずっとそばにいてくれたし、その後の浮き沈みの時もずっとね。
僕も、自分の息子にそうでありたい。 それが僕にとって世界中でいちばん大事なんだ。
父親というよりも “聖母”のよう
―
デビー、君の家族はマイケルの事をどう思っていますか?
DR
皆マイケルに夢中よ。
マイケルがどんなに心温かくて賢い人かが解って、大喜びしているわ。
―
デビー、マイケルの父親としての能力に関して、あなたはどのように思いますか?
DR
とても我慢づよいし、守ってくれる人よ。
赤ちゃんの事は、何をするにも彼は決して急かさないの。
私たちのプライバシーを守る事にかけてのタフさっぷりには、誇りを持っているわ。 信じられないくらい強い人よ。
公に最大級の怒りを示した “父マイケル” に、永く側近を務めるウェインもびっくり
―
マイケル、家族とは親しくしているの? 両親や兄弟にはどれくらい会っているのですか?
赤ちゃんはもう見せたのですか?
MJ
いつもよく会ったり話したりしているよ。
つい最近、イトコや皆でお披露目パーティーをやったばかり。
乳児湿疹の際など、薄くカミソリのような爪で顔を傷つけてしまうために使用されるベビーミトン
―
子供のゴッド・マザーはリズだろうと私たちは信じているのですが。
君がリズに魅せられているものは何ですか? みんな、君と彼女の仲はただの友情じゃないと感じているんだけど。
君たちに共通するものは何ですか?
MJ
エリザベスは、僕がスポットライトの中で成長し大きくなるという事を知っていた。
僕がほとんど喋らなかったり溜め息をつくだけでも、彼女は僕の気持ちを解ってくれる。 自分をそんなにも理解してくれる人がいるっていうのは素晴らしいこと。
僕は彼女のために祈るし、何年も待った僕の息子の誕生という喜びを彼女とも分かち合いたいと思っています。
―
プリンス・マイケル・ジュニアへの誕生祝いには、どんな物をもらいましたか?
MJ
いろんな物をもらったよ。
すばらしい宝物やぬいぐるみやオモチャ,赤ちゃんの服など世界中から。
この場を借りて、世界中のファンにお礼を言いたい。
ぬいぐるみとのポーズで遊ばれても大あくびの余裕は、早くも大物の兆し?
―
マイケル、デビーの母親としての強さについてはどうですか?
MJ
デビーはとても強くって、とても世話好き。
素晴らしい母親だよ。
―
次のアルバムには、君の息子を歌った曲が入るのですか?
MJ
僕の息子が産まれたという事は、僕に芸術的インスピレーションをとても与えてくれた。
これから先、きっとそういう曲が出来るはずだよ。
―
デビーの歌も?
MJ
僕の子供に対する歌はもちろん、デビーに対しても同じだよ。
マイケルとデビーは、次の質問に答えるのを拒否しました。
'97年2月13日、マイケル・ジャクソンの子供が産まれる前から 『OK!』 誌は赤ちゃんの写真を獲得するためマイケル側の人達と厳しい交渉に臨み、数ヶ月に及ぶ細かい計画と何十もの電話,マイケルがお決まりのダンスの中で見せるよりも多くのツイストやターンの後、ようやく 『OK!』 は、NYのホテルの部屋で朝7:15の会合の中で取り引きを成立させ、調印した。
マイケルとその息子の "最初の写真" を取り巻く厳しいセキュリティーは、その交渉のラスト4日間を信じられないほど緊迫させた。 『OK!』 はLAへ飛んだが、既にその写真はNYの秘密の場所にあるという事が判っただけだった。
しかしNYでは、密通が企てられようとしていた。 『ミッション・インポッシブル』 のシナリオのように。
『OK!』 のNY担当者は月曜、翌日のロンドン行きコンコルドを予約し、写真を 『OK!』 誌の締切に間に合わせるよう手配した。
そのコンコルドは、NYのJFK空港を翌朝8:45に発つものだった。
早朝4:00、彼はNYの国連ビルにその写真があると起こされた。 特別リムジンが彼をホテルから国連ビルまで送り届け、カメラマンから直接手渡されるというのだ。
しかし6:25、彼が出る準備をしている時、その計画は変更された。
「マイケル個人のアシスタントが、ホテルまで写真をお届けします」
と我々は聞かされた。
ちょうど7:15、マイケル側の男 ― 足首まである黒いロングコートを着た6フィート(≒183cm)の男 ― がドアをノックし、部屋にサッと入ってきた。 「ID」 と彼は言った。
我々がパスポートを見せると、マイケル側の男はコートの中から写真の入った大きな箱を取り出した。
取り引きは成立した。 しかし飛行機には間に合うのか。
8:00、『OK!』 の車は空港へと急いでいた。
JFK空港への道で事故があったというニュースが飛び込んできた。 英国航空へ問い合わせると、8:15までに着けば飛行機に乗れるという。
数秒後、(マイケル側から)タクシーの無線を通じて、箱から抜け出ていたもう1枚の写真が空港で 『OK!』 の者に手渡されると伝えられた。
8:15、我々はリムジンから飛び降りてJFK空港に辿り着き、最後の写真を受け取るとコンコルド・ターミナルへと向かった。
こうして世紀のショービスの写真は、無事ロンドンへと向かったのだった。
フランス,ドイツ,スペイン,オランダ,スウェーデン,オーストラリア,チリなど
『OK!』 誌と単発契約した雑誌により、この記事は世界中に広く発信された