【 EBONY誌 インタビュー 】
( Oct 1994 )
― Michael tells "Where I met Lisa Marie and how I proposed " ―
( VOL.69 / Nov 1994 )
「前々妻のリサ・マリーとの事なんて、今さら??」 ‥‥でしょうけれども、
貴重な “マイケル自身が語る マイケルの恋愛話”として取り上げます。
プロポーズ時のダサダサなグダグダ感は 超リアルで、微笑ましいぐらい?

= 当時の会誌での前文より =
 
ドミニカで挙式をしてから、はや5ヶ月。
リサの声明を聞かされても、ファンはいまいちスッキリしない モヤモヤ気分?!
マイケル本人の口から言ってくんなきゃイヤッ!とか マイケルってシャイなのよ!とか etc...
はたまた、こりゃミステリーだ(?!)なんてニュースも出たりして、上を下への大騒ぎ    
ついに、やっと、今ごろ(?)、マイコーのでっかい口が開いたわけです。
エボニー誌はアメリカの雑誌で、マイケルはこの雑誌に対し ある程度 (どの程度?) の信頼を寄せており、過去にも何度かインタビューに応じています。
あぁ… 知りたいような 知りたくないような…。
ただ、これはマイケル本人の言葉なんだっていう事実があるわけで…。
“おーいマイコー、それを世間じゃ不倫って言ってるぞー!”
(あっゴメン書いちゃった;ウソウソ!ゴメンねマイコー)【※編集注:リサと前夫は'94年に離婚成立】
インタビュアー … ロバート・E.ジョンソン    MJ … マイケル

 エボニー誌の独占インタビューにマイケルは、リサ・マリーとどこで出逢い、どんな風にプロポーズしたのかを語っている。
 今、マイケルは36歳で、リサ・マリーは26歳なのだが、20年前に二人はラスベガスで会っている。 その時は16歳と6歳の可愛らしいカップルだった。
 ジャクソン5はマイケルをリード・シンガーとし、'74年4月9日~23日,8月21日~9月3日までMGMグランド・ホテルに出演していた。
MJ エルビス(・プレスリー)は、僕ら兄弟9人がパフォーマンスしていたショウに リサ・マリーをよく連れて来ていたんだ。 ショウが終わるとバックステージにやって来て、話をしていたよ。
しょっちゅう来ていたのに、それがそれこそ潮が引くようにパッタリ来なくなったんだ。


 リサ・マリーはダニー・キーオと結婚して2人の子供をもうけたが、その結婚は長続きしなかった。
 3年前、アルバム 『DANGEROUS』 に取りかかった時に 「二人の関係は一歩進んで安定したものになった」 とマイケルは語っている。
MJ 付き合っていた、という事かな。
それから電話で話をするようになって… 以前よりもずっと親密なものへとなった事に自分で気づいたんだ。
『ジャクソン・ファミリー・オナーズ』 ('94年2月19日) へも一緒に行ったし、アトランタにジミー・カーター元米大統領を訪ねた時 ('93年5月5日) も一緒だったんだ。
年中一緒だったのに、誰も何とも思わなかったのは、僕らにとって素晴らしいことだった。
そんな風にして逢っていたし、二人でいると気持ちが落ち着いて くつろいだ気分になるんだ。
…こんな風にデートをするようになったんだよ。
 これが、マイケルが語った 良い友達から恋人へと変わっていった二人の関係だ。



 マイケルが曲を創る才能は、異常とも言えるほどの感覚だ。 それはインスピレーションだと言う。
 『DANGEROUS』 からリリースされた "Remember The Time" や "Can't Let Her Get Away" を聴くと、そのインスピレーションはリサ・マリーがもたらしたものだと判る。
 実際、リサ・マリーは今回のマイケルの試練の時、マイケルが必要としている時に支え、励ましていた。
MJ ちょうど (DANGEROUS)ツアー中で、僕は、善と悪が戦うハルマゲドンの中にいるようだった。
事実、頭の中は決戦場のようだったんだ。 あんな恐ろしい話が僕の周りで持ち上がり… 本当の事なんかひとつも無い、もう信じられなかったよ。
リサ・マリーは電話をくれたよ。 こういう時、本当の友達って判るんだ。
彼女は、いつでも本当によくサポートしてくれた。感動したよ。彼女は電話で泣いていて、そしてとても怒っていて、今にも飛び出して行きそうだった。
でも本当に印象に残っているのは、ロサンゼルス地震の日 ('93年6月28日) なんだ。
地震には本当に驚いてしまって、とても怖かった。 この世の終わりかと思ったんだけど、そのすぐ後に彼女から電話があったんだよ。
 その後マイケルはロンドンで薬の中毒に陥ったが、そういう時にこそリサ・マリーとの絆が強くなったと語っている。
MJ 彼女が電話をしてきた時、いつも僕に通じたわけじゃなかったんだ。
それで彼女がイライラしてしまって… メッセージは全部受け取っていたんだけど… 心配していたんだよ。
 この話のあと、マイケルは “その時” のことを話した。
MJ なにか世界が開けたような感じだった。
ネバーランドを散歩したりして たくさんの時間を過ごしてきたんだけど、ごく自然に扉が開いたんだ。
僕らは、話なんかしなくてもお互いの気持ちが解った。 気持ちや何かは感じるんだ。
ところで、プロポーズしたのはどっち?
マイケル? それともリサ・マリー?
MJ 僕のほう…。
 マイケルは、思い出して顔を赤らめて答えた。
MJ そう。 最初に僕が言ったんだ。
僕はとっても恥ずかしがり屋なんだけど… 電話で… 「もし結婚してほしいって言ったら、してくれる?」 ってね。
彼女が 「もちろん」 って応えたあとは、二人とも黙っちゃって…
それで僕が、「ちょっとトイレ…」 って言って。
 と、マイケルは恥ずかしそうに笑っていた。
MJ それから、戻ってきて何を話したかあまり憶えてないんだけど、その時はそんな風だった。
 その後すぐ二人はロマンスの始まったネバーランドで落ち合い、そして5月26日にドミニカ共和国で結婚式を挙げた。
 それからマイケルのニューアルバム 『HIStory』 のプロモーション・ビデオ(※"Teaser") の撮影でハンガリーのブダペストへ行き、そこで子供たちの為に時間を割いている。
 二人は子供病院を訪問し、子供たちを勇気づけ、オモチャを配っている。

 リサ・マリーは、1億5千万ドルという父親の財産を相続した。
  「二人の財産を共有のものにするなんて、全くのデタラメだ!」
とマイケルは言っている。 マイケルの財産は少なくとも2億ドルは下らないと言われているのだから。
 【※編集注: グレイスランドとネバーランドを統括管理するための政略結婚だ・プレスリーの遺産や権利を自己財産と融合させようとしている等の憶測が出回った】
MJ 僕らが一番したいのは、子供たちの為になる事なんだ。
僕のように子供を気にかけている人に、未だかつて会ったことがない。 僕にとって子供は特別なんだ。
リサ・マリーは、僕と全く同じなんだよ。 僕らはどこへ行っても必ず子供病院を訪れている。
南アフリカとインドへ行って子供たちを助けるのが僕の夢なんだ。


 二人自身の子供の計画について尋ねると、 「その計画はもう出来てるんだ」 という答えだった。
 そして最後にこう付け加えた。
MJ 僕は、父さんよりもたくさんの子供が欲しいんだよ。

・・・ END ・・・



= その後 =


結局'94年5月26日~'96年1月18日という短い婚姻関係だったが、その後も
ワールドツアー先へ招いたり 余暇を楽しんだりの関係は続いた

UPDATE - last '16.05.05 / 1st '08.07.05