Adrian Grant's MAKING HIStory 】
interview with MICHAEL JACKSON
( VOL.102 / Aug 1998 )

マイケルの古くからのファンでもあるエイドリアン・グラント氏が
マイケルへのインタビューを元に出版した 『MAKING HIStory』 の雑誌を和訳したものです。
お互いの信頼の中での質疑応答なので、じっくりと読んでみて下さい。




( 中央/Vincent McKoy氏  右端/Adrian Grant氏 )

AG … エイドリアン・グラント氏   MJ … マイケル

AG あなたは世界中のあらゆる国を旅しています。
ブラジルは、あなたにとってどんな思い入れがありますか?
また、"They Don't Care About Us"(以下 "TDCAU")の撮影中のことを教えて下さい。
MJ 僕はブラジルの人々を愛してるよ。
僕は彼らに対して、インド人やアフリカ人に感じるのと同じように同情を感じる。ブラジルには、多くの困窮が存在する。僕が初めてそこを訪れた時、そんな風に思ったのを憶えてるよ…(僕が旅した世界の国々に、それぞれ想うことがある)… そして僕は彼らに、たくさんの愛情を抱いているんだ。
君は、ブラジルに行ったことはある?
AG 無いんですよ。
だけど、いつかは行ってみたい。特にカーニバルの時に!
MJ 素晴らしいよ。人々はとても親切で、彼らは僕と会えたことに喜んでくれた。彼らは興奮で沸き上がっていたんだよ。
彼らのためにその場にいられて良かったと思う。もっとあそこにいられたらなぁ… 充分そこにいられなくて残念。本当はそうしたかったのに。


AG 何故、スパイク・リーを "TDCAU" の監督に選んだのですか?

MJ "TDCAU" には、(内容的に)とんがった所がある。
彼の方から僕に声をかけて来たんだ。
この曲は、人々が言いたいこと・つまり、皆の意見なんだ。これは抗議の歌。人種差別ではなく、その逆なんだよ。
僕は、これにはスパイク・リーがぴったりだと思ったんだ。
AG あなたは "Money" を書きましたね。
小さな頃からお金持ちだけど、あなたにとって "お金" とはどれほど重要なんだろう?
MJ いろんな事をしてきたような気がする…。
夢を叶えるためには、人は財政支援が必要になる。種をまいて、そしてそれを耕すというような考えから全てが始まったとしても、財政支援があってこそ、全てはそこから花を咲かせる。
僕は小さかった時、お金については本当に考えなかったんだ。僕は、いつも物ごとを強いられているように感じていただけだった。
AG あなたは表面上、望んだこと全てを掌中にしているように見えます。
苦痛や、これ以上必要なものがあるようには見えませんが。
MJ ううん、ううん。そんなこと無いよ。
世界中を回って僕は、起きること全てに心を打たれ、心を動かされた。特に子供たちには…。それらのことは、僕を心身的な病気にさせるんだ。
これまでに僕はたくさんの苦痛を見てきた。それらを見なかったフリなんて到底できないよ。このことは、僕にとても影響するんだ。
ある理由で、コンサートの あるパートで、僕はいつも泣き崩れてしまうんだ。    子供たちの苦しみを考えると。何故だか解らないけど "I'll Be There" を歌っている間、そのことを考えてしまう。
僕は自分を抑えるのに必死なんだよ。
AG "HIStory" のアルバムで、お気に入りの曲は何ですか? そしてその理由は?
MJ 僕が気に入っている曲は、感情やメッセージがあって、永遠の感じがする "Earth Song", "Childhood", "You Are Not Alone" かな。
僕は、詞の中に深い意味があって、かつ旋律がシンプルなものが好きなんだ。そしたら世界中がそれを歌うことが出来るよね。そういった歌を遺すことが僕のゴールだった。
僕たちがツアーしている所はどこでも、人々はそれらの曲を気に入ってくれたし、僕はそれが出来て嬉しかったよ。
AG "HIStory" のアルバムに一貫するテーマは何ですか?
MJ それは、自身の生活を考えている人々や、もう1つの幸せを掴もうとしている人々について歌っている事だよ。
自分自身の力で何か世の中に残すものを創る・すると自分の人生を振り返れば自分がした事を見ることが出来る。僕も、いつもそんな風なものが自分に欲しいんだ。
そんなわけで僕は、一生懸命に働くのが好きなんだよ。
AG どんな風に R.ケリーと協力して "You Are Not Alone" を創ったのですか?
MJ R.ケリーが歌のテープを送って来て、僕はそれを気に入ったんだ。
ハーモニーや転調が付いてなかったから、「君が歌を書いて、僕がそれに手を加えていけば良いんじゃないかな」 って彼に言ったんだ。彼は、「もちろんそれでいいよ」 って。
だから僕は、それに手を加えてプロデュースした。
最後の部分に聖歌隊を参加させて、素晴らしい転調になったよ。曲はクライマックスと構成がうまく行ったし。
AG 何故 "HIStory" のアルバムに、ビートルズの "Come Together" のカバーを入れたのですか?
MJ 教会から家に戻ってきた時、僕のエンジニアがそれを歌ってブラブラしてたんだ。それを聴いた時、「Wow! 僕のお気に入りのビートルズソングじゃないか」 って言ったよ。それで、その曲をアルバムに入れることにしたんだ。僕たちはそれをファンキーなものに仕上げた。
   これらの事は自然の流れでそうなったんだけど、結局、僕の中のどこかにそうしたかった気持ちがあったんだろうね。
AG HIStoryツアーの成功でたくさんの記録を打ち破りましたが、30年間以上もパフォーマンスし続けてくるなんて、困難なことではありませんでしたか?
MJ 僕は大抵の場合、本当は、会場に向かう時でも 「コンサートをしたい」 とかっていう気持ちじゃないんだ。だって働き過ぎだから。
だけどね、いったんそこへ着いてしまうと観客の魂を感じるんだよ。ステージに上がる前でさえ、そう感じるんだ。
それからマジックが始まる    どんな風に感じていても、病気や疲れている時でも、とつぜん外に飛び出して行ける。エネルギーがどこからともなく湧き上がってきて、それはまるで神が祝福しているかのよう…。
AG ツアーから得る個人的な満足感は何ですか?
MJ 全ての人種が一丸となっている。僕はそれがとても好きなんだ。
観客の全ての人種が互いを愛し、互いに仲良くやっていく。そして音楽を楽しんでいる。1つのフィールドなんだ。
AG あなたの今の音楽は、あなたの早期のディスコサウンドと比べると、より個人的な視点から書かれていますが。

MJ 僕は、音楽のカテゴリーを持っていない。
決して1つに留まらず、ディスコソング,ポップス,ロックを書いている…。
まさに感情のまま書いていて、どこにその瞬間があろうと、どこに感情があろうと、その瞬間をすくい上げる。僕はそこから創造する。
僕は、自分が書く歌の上に自分の名前を置くことを罪のように感じるんだ。何故なら、それらはもともと別のところから来たものだからね。
僕は、彼らが行き抜く仲介の まさに "じょうご" みたいなもの。本当にそうだと信じている。
それらは今 述べたようなものだよ。それらが僕を選ぶのであって、僕がそれらを選んでいるのではないんだ。
AG "Blood On The Dance Floor" はとても衝撃的なタイトルだけど、それはAIDSについての歌ですか?
MJ ううん違うよ。そうじゃないよ。
事実、僕がそのタイトルを考えたんじゃないんだ。僕のエンジニア(テディ・ライリー)がそれを考えたんだよ。で、僕はそれがカッコイイと思ったんだ。だから僕はそのタイトルで曲を書いたんだよ。
それから、僕は間違いを犯してしまった。だから謝ったんだ。だけど、TVではそれを流してくれなかった。
   僕は1993年、数回イングランドに身を潜めてた時があった。エルトン・ジョンが自宅を貸してくれてたんだよ。彼はとても優しくて親切だ。僕はこの恩を忘れない。
だから僕は、彼に歌を捧げることにしたんだ。"Blood On The Dance Floor" をね。
だけど、それがリリースされた後になってから、「なんで僕は数ある曲の中であの曲を彼に捧げたんだろう。"You Are Not Alone" とかにすれば良かったのに…」 と思った。
だから僕はいつも彼に謝りたいと思っているんだ。彼は素晴らしい人なんだよ。
AG "HIStory" のアルバムの曲の多くは、あなたの個人的な苦痛や他の人からの迫害について書かれていますが、ダイアナ妃との関連を感じますか?
MJ そうだね。
僕は彼女を理解していたと思う。ある時期、僕たちはとても個人的な付き合いをしていたんだ。そのような問題についても話してた。
彼女の死は不運で、悲劇的な損失だと思う。
僕は、僕自身のような人々や他のアーティスト達が、彼女の使命だったものを引き継ぐべきだと思う。そして僕はそれが何であるかを理解していると思う。それは僕がする事でもあるし、僕は喜んでそれを引き継ぎたい。



初拝謁時(88年7月16日)、さっそく内緒話を始めて
夫だったチャールズ皇太子(当時)が訝しんで
割って入ったほど 意気投合した2人であった
AG ダイアナ妃が亡くなった悲劇的な状況は、 "Tabloid Junkie" で強調したものだと感じますか?
MJ うん。タブロイドはゴミの束だよ。そんなもの無くなればいいと思う。それら全てを積み重ねて、世界中のスタジアムのような所で燃やすべきだよ。
人々の気を引くために、彼らがどんな風にしてディスコレコードに害をもたらしたか憶えてるよね? それは押しつけがましくて、ひどい事だよ。彼らはターゲットを追いかけ回す。ひどい事だ。見苦しいよ。彼らは、自分たちが書いたことに対して人々がどんな風に感じるかということなんて、決して考えないんだ。
AG いつどうやって、"GHOSTs" のショート・フィルムのアイデアが生まれたのですか?
MJ それは 『アダムス・ファミリー』 から始まったんだ。
彼らは 『アダムス・ファミリー』 のフィルムに "Is It Scary" をテーマソングしたがってたんだ。でも、僕はそうしたくは無かった。だから結局は、僕たちはそれを外した。そして僕は、最後にはショート・フィルムを創ることにしたんだよ。
僕はフィルムが大好きだし、映画も好きだし、だから僕の次の仕事はフィルムを創ることだね。
僕は人生の次の章では、映画やレコード創りがしたい。他に行く所は無いよ。
フィルムを創る・レコードを創る・指導する。僕は自分自身で全てを監督したものも創るつもりだよ。そうする事が大好きだからね。
 
AG あなた自身は、どんなタイプのフィルムを観るのですか?
MJ 全てだよ。
ただミュージカル的なものではなくて、ドラマや悲哀感のあるもの。そういうのが好きなんだ。
AG 世界の歴史上で、どの人々・そしてどの出来事が、あなた自身の生活の中で重要なものとなっていますか?
MJ ジョン・F・ケネディ。
何故なら、それは僕が小さかった頃の時代の出来事だったから。
僕は、彼はアメリカの偉大な大統領だったと思う。TVでいくつかの公民権の動きを観た。それを個人的に経験したわけじゃないけど、それは全ての人々に影響したんだ。
AG キャリアを通して、あなたは芸術フォームを別のレベルへと絶えず持って行った。
あなたは将来、ライブ・パフォーマンスを行なっていくのでしょうか?
MJ 僕は、どんなライブショウ(ワールドツアー)もしたくない。するとは思わない。
自分の残りの人生を、レコードとフィルム創りに費やしたいんだ。いくつか特別なショウだったらあちこちでやるけどね。
僕は、5歳の時からずっとショウをしてきた。自分がこれ以上それをしたいかどうか判らない。
だけど僕はショウをするのは大好きなんだよ。次の100年の間は創造的な事をしたい、ってこと。そしてそれがフィルムワークなんだ。
AG あなたは、マイケル・ジャクソンとして、どのような歴史を創りたいですか?
MJ 僕は、平和と愛・そして全世界のレベルで苦しんでいる子供たちがいるという認識を高めるために能力と才能を与えられたのだと考えている。
それは、歌やダンスやフィルムを通してずっと創造してきた。それが僕の使命だと思うし、そうする事に選ばれて幸せだよ。

 "Making History"  Painted by : Vincent McKoy

『 Michael Jackson : MAKING HIStory 』
Adrian Grant/著
Omnibus Press社 1998年5月
32ページ+表紙写真のポスター付(4ツ折) オールカラー
UK£6.99
ISBN:0-7119-6723-7

  


1998年2月12日、表紙・裏表紙のデザインと この本のために描かれた絵がマイケルにプレゼントされた
( 中央/Vincent McKoy氏  右端/Adrian Grant氏 )



( 画像左右共 - 右から2番目/Vincent McKoy氏  右端/Adrian Grant氏 )

UPDATE - '07.04.21