セーラーズ・三浦社長インタビュー
【 インタビューしちゃった! セーラーズ編 】

( VOL.17~19 / Jan~Mar 1990 )
 お待たせしました!
 今回は“あの”セーラーズの社長、三浦静加さんのワクワクするようなお話をお届けしまーす。

 マイケルFanならずとも、あの悲しい“ヨシアキちゃん事件”犯人逮捕協力のため セーラーズの真赤なジャンパーを着ていたことは、まだ記憶に新しいはずですよね。
 セーラーズとマイケルが出逢い、より多くの人々へ呼びかけることになったんですもの!
 社長さんは、その出逢いからお話して下さいました。

M … 三浦社長    ―― … インタビュアー

―― マイケルのコンサートは観に行かれましたか。
コンサートは、今回('88年)が2回、前回('87年)は3回かな?
―― コンサートで初めてマイケルを観たのですか。
「なぜ会ったのか」とよく訊かれるんですが、私はちょうど九州へ出張に行ってたんです('87年)。
たしかにマイケルが来るという事は知ってたんです。でも正直な話、(さっきも松山千春のコンサートへ行きましょうと誘われ「あんまり気が乗らないなぁー」って言ったら「あれはチケットが手に入らないんですよ」と言われ、「ああ…そうなんですかぁー」という位に)私は音楽に疎いんですよ。

それで、朝8時ぐらいだったかしら… その時、日本側の通訳のパトリックからTELがあり、ヨシアキちゃん事件でマイケルがすごくショックを受けた・だから若者に人気のあるセーラーズのジャンパーを着て犯人逮捕に協力したいんだ、と言うわけですよ。
それで私もハイハイなんて聞いてたんですけど…
内容的にはどういう事かといえば、ジャンパーを着れば若者が見るし、彼自身が有名な人にも関わらず若者にアピールしたいという事で、セーラーズのジャンパーを着たいと!
で、後ろに「I LOVE YOSHIAKI」・そして日本語で「よしあき君あいしてます」と書いてくれと!
それで話の内容を聞いていると、大阪公演の時に着たいと言うんです。大阪と東京を行ったり来たりしてましたよねぇ…
で、「何日ですか?」と訊くと、あと4日しかないって言うんですよ! ジャンパーを受け取るまでにね! 舞台の上で着たいって言うんです。
「ちょっと待って下さい。4日間じゃ出来ない!!」って言いました。
勿論むこうサイドとすれば、天下のマイケル・ジャクソンが言えば何でもやってくれると思ったんでしょうが、私自身あまり彼のことを判らなかったんで…
工場の方でも無理だったんですが、「マイケル・ジャクソンっていう歌手が こういう事情で~」と話すと、「エ~~~ッ!!」っていうわけですよ。
あんまりびっくりするので私も「エ~~~ッ!!」とびっくりして、それじゃあやりましょうとなり、刺繍は刺繍屋・工場は工場で、出来た段階で持って来て、縫う人は縫うというようにやることで出来上がったんです。

が、マイケルは風邪でダウンしちゃったんですよ。
それで延び延びになって、マイケルに会って渡して下さいって言われたんですよ。
コンサートが延び、最終が(大阪での)最初の日になったんです、多分…
2日間ぐらいダウンして… その時に行ったんです。

そしたら、キョードー東京の社長が「ごはん食べてないでしょ?」と言い、私と妹(※現在、映画コメンテイターの襟川クロさん)は「ええ…」と返事をしたんです。
その日に泊まったのはホテルニューオータニで、マイケルと同じホテルだったんです。その時はジャンパーはまだ出来てなかったんですが、キョードー側でチケットを用意してくれたんですよ。
それで… 17階へ行きました。
「もしかして… 会わせてくれるのかしら?」と言うと、「とんでもない!! そんなバカな事はない!!」って言うんです。
レストランがあり、個室のパーティ会場があり、その中へ行くと外人の人ばかりがいて、皆でいろいろ食べたりしてるんですよ。
「会えるのかなぁ~? 来るのかなぁ~? 来ないのかなぁ~?」と言ってたら… 何の気なしに、もう目の前にいるんですよ!
それが1回目でした。
「ウワァ~~~本物だァ――!」なんて言ってたら、フランク・ディレオが「写真を撮りますか?」って言うんです。
その時、ちょうど2歳ぐらいの子供がボールで遊んでたんです。それをマイケルがじーっと見てたんですよ。「マイケルと一緒に写真撮ろっかぁー!」と子供に言うと、「ヤーダよォ~」なーんて言って…、で、写真は、私と妹と3人で撮ったんですが、やっぱり撮ったからっていってもくれないんですねー。何だか肖像権とか色々あるらしくって。(サム・エマーソン撮影)
「あーそうかぁ… けど、またみんな本気にしてくれないなぁ…」なんて私は思っちゃって…

その時、たまたま私の友達のハイスクールの同級生がA.Gといって黒人のボディガードだったので…「その人に会ってあげて」と友達に言われてたんだけど、初めての人にこちらからっていうのもねェ…。
マイケル・ジャクソン自身の歌も、どうのこうのという事までは、本当に申し訳ないんだけどよく判んなくって…
1回目は、そんな感じで会ってねぇ…。

結局、ジャンパーが出来たのは東京だったんです。(渡したのは)
キャピトル東急のオリガミ(1Fレストラン)に1時に来て下さいと言われ、私達は1時より15分ぐらい前に行きました。
オリガミにTELがかかってきて、内容は「マイケルは待ってるよ」と。
「私は1時に約束したから」・「いや、マイケルはもう待っているからすぐに上がって来て!」と言われ、上がって行き(1時5分前です)、渡して、着せて、写真を撮っても良いか訊くと、「もちろん良い」と言うわけですよ。
―― それは、本人がOKを出すのですか。
ビル・ブレイです。ずっとそばに居て。
今回も会い、その時は「セーラーズってどんな店なのか」とすごく訊かれて…

でも今回は、会えるというものが全部なくなってたんですよ。通訳も違っていたし… チケットは取ってもらえたんですけどね。
甥っ子達がいま4歳と8歳で、マイケルとの写真を見ると「シーちゃんはズルイ!! 僕達もマイケルに会いたかったァー!」って言うわけですよ。
で、チケット7席を前から5番目に取ってもらったんです。

ここからがウソのような話なんですが…

キョードー東京が発行しているチケットがありますよねぇ! そのうちの4枚が…
え~っと… その前に、私達、会場内での現地集合にしたんですよ。ところがいくら待っても来ないんです。甥達も妹も母も…。
それでもうコンサートが終わってしまい、「おかしい。あんなに甥達は観たがっていたし… マイケルと同じジャンパーを作って着せてあげたのに…」
そしたら、来たらしいんですが(12/18)、チケットの番号はその席なんですけど12月11日の日付で、中に入れてもらえなかったんです。コンピューターのミスで!
すぐにキョードー東京に話したんですが、「それは逆に、半券を切ってない4枚並びのチケットでプレミアが付く」ってわけですよ。
と言われても、「チケットを下さい! 甥っ子達は観たいって言ってるんだから!!」って言いましたが、「無い… どうにもならない…」と言われ…
他へも言ったんですが、4枚並びでなんてもう無理だってわけです。まして、もう残り日は少ないし…。

前回のマイケルへのお礼にと、ビーズの沢山ついたジャケットを、ケント・デリカットの友人から渡してもらうようにしていたんですが(ニューオータニで)、その人とのすれ違いでダメで…
それを持って下に居ると、たまたまキョードー東京の人がスタッフ用ジャンパーが4枚欲しいと言うんですよ。じゃあ持って行きましょうという事になり、そのビーズのジャケットも持って行くことにしたんです。
でも、また本人に会えるなんて思ってませんでした。何のコンタクトも取れていなかったしね。
で、キャピトルへ行き… 普通のホテルだと、例えば11階の□△号室だと部屋の内線も11□△というように同じなんですけど、あそこは色々な防御のため、ぜんぜん番号が違うんですよ。
妹と2人で、判んないから! という事で、5階から10階までエレベーターを全部押したんです。9階が開いた途端に、目の前にビルが立ってたんです。
「憶えてるゥ?」と訊くと、「もちろん憶えてるよ!」って言ってくれ、ここぞとばかりにマイケルへのジャケットを見せたら、「じゃあマイケルに渡してあげるよ」と言うんです。
ヤッタァ~~と思っていたら、妹がスタッフ用に持ってきたのもビルにあげろ!って言うんです。
で… 「まっいいかぁ~マイケルに渡してくれるなら」と思い渡し、「ビルのジャンパーもあるから!!」と言うと、「いやぁ~~僕はそんなに若くないからぁ~~」なんて言ってて、「似合うわよ!」とまた言うと、「でも、あなた自分でマイケルに渡したいでしょ?」と訊くんです。「もちろん!」「じゃあちょっと待ってて!」。
でもその時マイケルは群馬のサファリワールドへ行ってるんですよ。その日、サファリワールドを4時ごろ出ているらしく、その時は5時半ぐらいでした。
「マイケルが戻ったら迎えに行くので下に居て!」と言われ、ロビーでお茶を飲んでました。
6時少し前にビルが、エレベーターの所から手招きで呼ぶんです(シーッと口に指をあて)。
上へ行き、ボディガードにビルが「僕の友達だから」と言ってくれ、みんな中へ入りました。(12/22)

椅子に座っていたら、彼がこちらへ歩いて来たので「メリークリスマス☆」と私が言うと、「ウワァ~ありがとう!」とすごく喜んでくれたんです。
ちょうどその時に小さい男の子(ジミー)も一緒にいたんです。
ジャケット作ったのよーと(ビーズ付)渡したんだけど、「ここで会ったという証拠が何もない…」と思ったわけです。
私はいつも仕事関係でカメラを持っているので、そうだ! 「写真撮ってもいい?」と訊いたんです。OKと言うんですが、もうジャケットを脱いだ後で、私が「one more again!」と言い、「OK!」と着たのは良いんですが、フラッシュが焚けない… シャッターが下りない…
わぁ~~どうしよう…と思っていると、「大丈夫! 心配しなくていいから。」と、ずっと待っていてくれてて、「これ作るの大変でしょ?」とか、「どうしてセーラーズはアメリカに店を作らないの? 僕すごく可愛いと思うよ」とか言ってるんですよ。

そしたらジミーが「いいなぁー いいなぁー」とか言ってるんです。
靴下とかハンカチも持って来てたので、私が「ジミー! これプレゼント」と渡すと、マイケルが「ジミー良かったねぇ。嬉しいでしょう? お礼を言いなさい」って言ってるんです。

妹も写真を撮り、「そうだ! この時に言わなきゃ」とチケットのことを思い出したので、妹に「ねぇー言ってー」と言うと、そんなズーズーしい事は言えないと言うので、私が片言の英語で「甥っ子達はマイケルのFanで、ムーンウォークもするの! 4歳でねぇ…」とか言うと、「わぁ~~」って言ってくれるんです。
それで妹が、アクシデントのため4人は観れなかった・すごく可哀想なことをしたと説明し、「それはすごく可哀想だ。ビル、ちょっと来て! チケットを持って来て!」と言うわけですよ。
それも日本での最終日ので、ビルがVIP席のチケットを持って来て「何枚?」って訊くから… 4人なんだけど、妹が「よし!私達ももう1回観よう!7枚!!」と言って、VIPを並びで取ってくれたんです。
妹は、「毎回舞台に子供を上げるけど、今回は無理よ! VIP席はずーっと後ろだし…」と言うので、私は「観れるだけでいい」と言い、甥っ子達もヤッタァ~と喜びました。本当に好きだからね。
そしてコンサートへ行きました。

みんな(会場へ来てる観客)が見るんです。小さな子供が2人、マイケルと同じジャンパーを着てたからね。
座ってたんですけど… 4歳の子だから立っても後ろの人には響かないんです。背が低いから!

で、ルンルンやってたらペンライトで照らす人がいてね。
それはマイケルの(フランク・ディレオやビル・ブレイではない)マネージャーで、マイケルが赤いジャンパーを着てたのを知ってて、「やぁ! 可愛いねェ」とか言ってて!
そのうちレーザー光線がどんどん出てきて、4歳の甥っ子が怖がったんです。でもそのおじさんが一生懸命英語でしゃべるんですよ。私も判んないし…
「お母さんか?」って聞いてきたんです、私に! 「…ウ~ン… 判んない! 私、英語しゃべれない…」って言ってたら、日本の女の人が来たんです。
「良かったらマイケルと一緒に舞台で踊りませんかと言ってます」って言うんですよ。カワイイ子だからって!
「やった!! もちろん!! …でももう1人の子も… お兄ちゃんもいるから可哀想なんだ」って言うと、2人はムリって言うんです。あとで迎えに来ますからと言われ… 小さい子の方だけ出したいという事でね。そしたらお兄ちゃんがブータレちゃって…
で、迎えに来た時に、私は「さっき2人OKが出た!」って言ったんです。さっきと違う人だったからね!
「どうぞ来て下さい」って言われ、4人で舞台の方へ行ったんです。

階段を昇って行ったらビルが居るんですよ。ビルが「どォーしたのォ~~??」と訊くから、「実はペンライトで~」と言うと、「うわぁ~ラッキーだねぇ!!」と言われ、私も「ホーント! ラッキー!!」と言って!
で、マイケルが肩を持って子供を連れて行ってくれたんです。その時 耳栓をしてたんです、私達。あんまりうるさいんで、みんな耳栓を配られるんです。子供も親も。
ビルがマイケルの側近であることは、他のお母さん達もみんな知ってるんですよ。
私にビルが一生懸命「トゥモロー モーニング」と「ホテル」と「テレフォン」って言ってるわけですが、私は音がうるさくてよく判らなかったんです。
で、まぁ、そうやっていたら、女の人達がファンレターを渡し始めちゃったんです。
私が妹に、さっきの3言は何だろう? と訊くと、じゃあホテルにTELしてみると言い TELしたんですが、取り次いでくれないんです。

そして翌日、つまりマイケルが帰る日です。
A.M.11:30にTELがかかって来たんです。ホテルから!
「マイケルがそこの店へ行くと言うんです」って!!
ワァ~~ッと喜んだら、むこうが「でも警備が大変なんです。もう成田まで全部警備を済ませ、4時か5時のJALだから、今さらその警備を変えられない。でもマイケルは、セーラーズの黄色のジャンパーを欲しいって言ってます」と言うんです。
黄色のジャンパーは無い、と言うと、マイケルはどこかで見たと言うし…
結局、ビルが着ていた(セーラーズの)物なんです。で、「…? 黄色のジャンパー?…」と、まぁ、いくつかのジャンパーと領収書を持ってキャピトルに来てくれと言うんです。彼は欲しいと思ったら絶対欲しいからって…。
それを持ってホテルへ行くと、案の定ホテルはFanでいっぱいですよねぇ。車もいっぱいだし入れません。
仕方なく「ビル・ブレイに呼ばれてる」と言い、「車のキーを付けたまま入ってくれ」と言われ…
で、中へ入り、マイケルに逢って、「マイケル、これかしら?」と訊くと、「そう!! これが欲しかったんだァ~」って言って、それを着て部屋から出て来ました。


ビルは私達に、「アメ食べる? 持って帰る? 残ってるよー。卵も残ってるけどォ~?」なんて言ってて… で、アメをもらって帰って来たんです。
それを友達に話すと、「1個ちょーだ――い!! 一生のお願いだから!!」と持って行かれちゃって! でも、1個はまだ持ってますけどね。

ビルに直接渡したファンレターなどは、全部マイケルに直接渡ってますよ!! ビルはきちんと渡してます。
―― マイケルの部屋はどんな風でしたか?
ウ~ン… 結構きれいですけど、ミッキーとミニーお人形があったり、TVの所にシールが貼ってあったりね。
―― ジャンパーのサイズは?
Mサイズです。
―― 刺繍に関してはどうですか。
刺繍は別注で作り、ジャンパーに付け届けに行ったんです。
'87年の時は、とにかく「I Love Yoshiaki」と「よしあき君 あいしてます」を入れて下さいと言われてね。
'87年に赤いジャンパーを届けた時、「僕これ今すぐ着るよ!」と言ってね。周りの人もビックリしてたんです。変な話、うちの宣伝になっちゃうわけでしょ?
でも、それを着て、日産工場から何から ずーっと行ったし…。

'87年の帰国時

今回('88年)成田から帰る時もね、「嬉しィ~~! これが欲しかったんだ!!」と着て、周りの人が「エ~~ッ!」って言うわけですよ。今回のは別に意味は無いし…。
ビルが「3万9千円?」って言うんですよ。だから私も、もらおーか?もらうまいか? と、正直な話 思ったんですけど、妹がもらえって言うんで…
ビルが「領収書持ってる?」と言い、私も着てくれるかどうか判らないし迷ったんですけどねぇ。

感動的だったのは――
(マイケルから)「じゃあ元気でね」と言われ、母とも肩を組んで写真を撮ってくれたし、バンから顔を出し(Fanに)手を振っていて、セーラーズのそのジャンパーを着てたことです。
「ウワァ~~」って思ってねぇ。
もっと感動的だったのは、成田へ着いた時なんです。
他のジャンパーを(セーラーズのマークが胸にある側の)左手に持っていてね。500名のカメラマン・全誌7社が、黒のタイプのセーラーズのジャンパーを作って報知新聞の方も着てたんです。
そしたらそれをマイケルが見た途端に、「ちょっと待って!」と言ったらしいんですよ。で、ジャンパーを右手に持ち替えて手を振ったらしいんです。セーラーズのマークが見えるように!!
そしたら報知の方が成田からすぐTELをくれ、
「マイケルって可愛いヤツですよねー。皆がセーラーズのジャンパーを着てることが判ったら、わざわざ手を持ち替えてマークが見えるように手を振ってくれたんです」って言うんですよ。
だからマスコミの人も感動してるんですよ。もちろん私もしてます。

'88年の帰国時


――

お店への影響はありましたか?
すごかったですねぇ。
今までは日本のタレントFanの方が多かったんですが、マイケルの時は「あれと同じ物を下さい」という方がすごく増えましたね。
―― 髪の毛ってどんな風でした?
最初に逢った時は、ランバンのシャンプーの香りがしました。
なんでランバンだと判ったかと言うと、私も同じホテル(大阪 ホテルニューオータニ)に泊まってて、ホテルのシャンプーだったからです。そういうの平気みたい!!
それに、3足1,000円の靴下を履いてて…
「マイケル! 赤のジャンパー着た時は赤の靴下よ!」って言ったら、「うん。判った」なんて言う、そういう素直さがあったり…。
―― お化粧してました?
大阪で逢った時はしてました。
アート・メイキングしてるんじゃないかしら? 洗っても落ちないやつ!
―― しゃべり方とかは?
たしかに舞台にいる時のような迫力は無いけれど、普通に優しい人って感じですね。
―― サングラスはずっとかけてましたか?
私は逆に、サングラスをかけてるところって見たこと無いんですよ。
つい1ケ月ぐらい前('89年7月)かなぁ…
お姉さん(リビー)が店に買い物に来て、最初は黒のジャンパー買ったんですけど、
「やっぱりマイケルと同じ赤いジャンパーがいいわ!!」って娘達にも買って、「私の弟妹でセーラーズの持ってないのは私だけなんだもん」って言うんです。
マーロンはプロモの時、うちのジャンパー使ってるんですよ。ジャネットもラトーヤもマイケルも持ってるし…

で、お姉さんがお昼に店へ来るって言った時に、店の下にいっぱい写真を飾ってあるんで外さなきゃダメねって私言ったんですよ。そしたらむこうが行く前にTELすると言ったんですがTELが無いので来ないと思ったんです!!
で、写真をそのままにして私は次の仕事へ行っちゃったんだけど… 店の子が「社長たいへんです!!」
…来たらすぐ判るんですよ。おんなじ顔してるから!
で、来たんですね。そしたらすごくニコニコしてて、「どうしてこんなに世界の有名な人達が店へ来てるの?」と訊くので、「ウ~ン…有名なお店だからでーす!」と平気な顔で答えたら、「そうよねぇ!」って言うんですよ。
で 一応、社員価格30%OFFで買っていってもらったんですが~
皆が「すごいねぇ、シーちゃん! せっかく訪ねて来てくれた人からそうやってお金取っちゃうんだねぇー」って言うんですが、そうじゃなく逆に、ただで差し上げるっていうのは日本の企業の人がどこでもやってると思うんですよ。だからやっぱり少しでも自分のお金を払って買ってくれた物は、すごく大事に着てくれるし…
スティービー(ワンダー)にしても、「今回3日間しか居ないから会えないけど、また来年来るよ!」とか言ってくれるし、ホイットニーも…。

私がマイケルに最初に会った時に、「私は、あなたから欲しい物は何もない」と言ったんです。そしたら、何だかニコニコーッと笑ったんですね。
…まぁ、私からあなたが得る物も何もないでしょうけれど、というジョーク的な意味でね。そういう… 人間と人間ってそういう付き合いなのよって…
すごくマイケルって優しさを感じますよねぇ。
私が英語がしゃべれたら… 「私はあと何年か後に宇宙へ行く!」(スペースシャトルに乗る権利を持っている)…で、マイケルは地球を3周歩いた人間が本当の友達だって…
「だったら、一緒に行かない?」って言ってあげたかった。
(※ その後'96年、日本人初でスペースシャトル搭乗。権利は'88年に1,500万円で購入)

やっぱり8歳の時にデビューしてるっていうのを聞き、急に忙しくなりそのまんまっていうから、ある部分、現代社会とのギャップっていうのはあるかもしれないですねぇ。
8歳のままの部分と、また音楽の方ではどんどん上になってゆく…
で、よく「三浦さんから見てマイケルは、もう引退なんでしょうか?」と訊かれるんですが、私は、彼のいろいろな才能とか宇宙的な発想とか考えると、数年後には何らかの形で出てくると思うんですよ。
ただ、あの動きは30歳の限界とか、いろいろ彼は計算してるんじゃないかって思うし…

小錦がおもしろいこと言ってましたよ。
小錦の隣に居た子が、「マイケルが小錦を見て“大ーきィ~~!!”って言った」って。で、その子がマイケルに、「マイケルって何kg?」って訊いたら、「う~ん… 彼(ビル)に訊いてェ~」って言ったらしいんですよ。
自分の体重も判んないんじゃなく、それは彼なりのユーモアの1つだと思うんですよねぇ。小錦の体重を聞いちゃった後だからねぇ。
私の友達は、その時私の着てた服とか「洗わずにちょーだい!」って全部持って行っちゃいましたよ!

兄妹からポーンと抜きん出ていろいろあったけど、彼自身はすごくハートのある人間だって私は思うんです。
横浜に見に行った時に、私達はフリーパスで入れて、A.Dが後ろに居て、外人の子達と、「Michael Come on! Come on!」と呼んだんですよ。そしたらポーンと降りて来ちゃったんですよ。
もちろんハプニングだったし、うちの母も「どうしよう どうしよう…」とか言って!!

…だからそういう部分で、もっと素直に接する人が居たら、また違ってたかもしれないでしょうねぇ。
ジャンパーを作った時も、商業ビジネスとかじゃなかったから良かったんじゃないでしょうか。


マイケルがセーラーズで購入した物

スタジアムジャケット(黒)
総革ジャンパー
ソックス
キンチャク
歯ブラシ
手鏡
ウォータープルーフ(赤)

※ 現在このお店はありません。

UPDATE - '06.11.24