Sさんインタビュー
【 偶然乗り合わせた船でマイケルと直に接したS氏の場合 】

( VOL.33 / Jun 1991 )
 時は1987年10月23日、香港からマカオへ向かう水中翼船でのことだった。
 神奈川県にお住まいのSさんが数名で旅行を楽しんでいらした時…

 何やら船上での人だかり…

 一体何事だろうと その群衆の1人に尋ねたところ、マイケル・ジャクソンがこの船に乗っているのだという。
 しかし、マイケル・ジャクソンと言われてもあまりよく知らなかったSさんは、「マイケル・ジャクソンって?」と再び尋ねると、「とにかく、すごい事なんだ。スーパースター・マイケル・ジャクソンにこんな所で会えるなんて!!」と言われ、これはいい記念になると さらに近づいて行ったが、さすがにセキュリティーのガードが凄くて、カメラを持つ人々もなかなか写せるものじゃない。

 そこでSさん!
 ボディガードの1人に近づき、「私は日本で武道をしている者で、言ってみればジャパニーズ・ボディガードです。世界的に有名な方とぜひ一緒に写真を撮りたい」と申し出たところ、それをそばで聞いていたマイケルが「OK!」と快く返事をくれ、肩に手を回し、パチリッ☆
 夢の1枚となったわけだ。


‥‥ 私と彼を撮ってくれた人にも、彼と一緒に並ばせ写してあげようと思ったんだけど、私を撮ったあとすぐにボディガードが近づき、駄目だったね。
もちろん他のカメラを持った人たちも、もう彼に近づけないほどガードが厳しかったんだからね。
2m位の大男のボディガードが20人位いたし、東洋人のように後ろに髪を束ねた女の人もいたよ。おサルさんは居なかったけどね!(笑)

マイケル・ジャクソンは、船の2階を全部貸し切っていて、一般の人は入れなかった。
船が着いてからも、あまりにも皆が騒いでいるので彼らも一般客が降りるのを待っているようだったし…。係員も、「既にマイケルは船の反対側の出口から降りた」というアナウンスを流したので、殆んどの人は諦めて船を降りたんだ。
でも私は、まだ彼が2階席にいて降りてないことを知っていたので、下で待っていた。すると最後に彼が降りてきて、そこでまた写真を撮ることが出来たんだよ。
‥‥ 香港のホテルのレストランで、再び彼に会った。彼がそこに泊まっていたのかどうかは判らないけど。
彼はポテト・チーズを食べていたよ。私も同じ物を食べていたので、よく憶えてるんだ。
私は日本酒がとても好きで、旅行へ行く時にはいつも持って行くし、ホテルの冷蔵庫で冷やして呑むのが楽しみでね。
その時もちょうど二合ぐらいの日本酒を持っていたので、彼に近づき日本酒を勧めたんだ。
彼は、船で私と写真を撮ったことを憶えていてくれたらしく、とてもニコニコしていたしね。
私は彼の横に座り、私の横にはボディガードが座って…逆に私をガードしているような形だったよ。
「日本酒はお好きですか?」と尋ねると、彼は「Yes, very like!(ええ、とても好きですよ)」なんて言って呑んでいたよ。

 マイケル・ジャクソンといえば菜食主義。
 もちろんお酒も呑まないことは有名であるが、そこはマイケル!
 大阪の市役所を訪問した際 バブルスがお茶に手を出す前にサッと湯呑みを取り上げ、まず自分が一口飲んでから、と口をつけ礼儀を見せたように、またシンセサイザー奏者の冨田勲氏宅訪問の折も日本酒を勧められ、口をつけてはみたものの…そっと通訳にテーブルの下から渡していた時のように、Sさんの心からのもてなしに礼を欠く事なく振る舞ったに違いない。


87年9月24日 冨田勲氏宅にて日本酒で乾杯

 偶然とはいえ、そんな心と心の通じ合う一時を持てたSさんを ファンは羨ましく、また日本人として彼に好感を持たせたことに対しても感謝しなくては!!
 マイケルは、よほどSさんに対して信頼感を持ったに違いない。

‥‥ 酒を呑まない人だなんて全然知らなかったんだ。
女房に言われたよ。「あなた勝手にお酒なんか持って行って! あの人のことよく知ってるの?!」 「いやぁ… よくは知らないけど… ばかに俺の顔見てニコニコしているから、酒でもと思って勧めたんだけど…」と答えたんだけどね。

 さて、ではレストランでのマイケルはどのようであったか。
 Sさんはこう話して下さった。

‥‥ 彼はとてもニコやかでね。こんな話をしてくれた。
「僕の家の玄関から下のテニスコートへ行くまでにエレベータ(又はカートのようなもの)があって、そこには動物を放し飼いにしているんです。そこにはライオンも居ますよ」ってね!

 彼自身の口からそう言ったのか? と、ファンなら尋ねてみたくなるだろう。
 Sさんは確認するかのように、奥様に「なぁ! 確かに本人がそう言ってたよね」と繰り返す。それを認めるように奥様の返事があり、なるほど、確かにマイケル本人がそう言ってたんだなぁ…と。

 Sさんの目から見たマイケル・ジャクソンとは、どのような人物に映ったのだろうか。

‥‥ とにかく、とてもニコニコとしていて…
ニコニコどころじゃない程、いつも笑みを浮かべ、握手のしづめで、本当に気さくな気優しいアメリカ人だった。どこにでもいる好青年ではなく、それ以上に好感の持てる人だった。
体格は痩せているというよりむしろ、ぜい肉のない均整のとれたスマートな体型でね。私も武道をしているし… そういう風に感じたわけです。
ジャンパー姿で、靴はねぇ… 何だかバタバタした靴を履いてるなぁと思ったけれど… そんな風にラフな格好だったし、気取ったりお高く止まってるような人じゃなかったよ。

87年10月18日 銀座山崎にて
旅から帰ってみんなにこの話をしたところ大変な騒ぎとなり、とにかく改めてびっくりした。私はそんなつもりで彼に近づいたわけでもなかったのだし。
でも、その後のTV放映はビデオに録って観ましたよ。ムーンウォークっていう踊りね! あれなんかも感心して観たし!
そんなにすごいのならと、皆に(撮った写真で)テレホンカードでも作ってプレゼントしようとNTTへ行ったところ、「あなた1人の分のテレホンカードは作りますが、他は出来ません」と言われたんだ。

 1987年ジャパン・ツアーのスポンサーにはNTTが付いていたわけだし、当然のことながら肖像権ということでNTT側はそう受け答えたのであろう。
 もちろんSさん自身は善意からの意でそれを思いついたわけであるが、そこで「これは本当にすごい人物であると感じた」そう。

‥‥ しかし世の中にはいろんな人がいるもので、私の噂を耳にしたある人物が訪ねて来て、
「こういう物をコンサート会場で売ると10倍にも20倍にも値がつき商売になる。自分にそれ(写真ネガ)を譲ってくれないか」
なんて言われ、私も何か恐ろしく思ったし、もちろんそんな話は断わったのですけどね。
とにかく、自分がそんなにすごい体験をしたということは、こうして後になって解ったことであり、その時は知らなかったからこそ出来たというわけなんだ。
それほどすごい人と知っていれば、きっと遠慮して迷惑にならないようにと振る舞っただろうが… 有名な人ぐらいにしか思っていなかったからね。

 本当に、Sさんのように何の邪気もなく、こうして誠実に振る舞っていたからこそ、マイケル・ジャクソンというスーパースターもそれをキャッチし、この夢の遭遇が果たせたのであろう。

 意外な所で意外な遭遇があり、それは心を無にしている時に、あるいは本当に出会える運命だったりするのかもしれない。
 今回のこのSさんの貴重な体験談を聞かせて戴き、改めてマイケルの素顔を垣間見ることが出来た。


お話を伺わせて戴くにあたり、ご尽力下さったO様・T先生・そして何よりも
快くお話し下さったS様に、この場にて深く御礼申し上げます。

なお、S様にはご迷惑のかかりませんよう、問い合わせ等は差し控えて下さいますよう
皆さんにご配慮戴きたくお願い申し上げます。

UPDATE - '06.11.22