日本テレビ・岡部さんインタビュー
( VOL.12~13 / Jul~Aug 1989 )
 今回は、プロモーターとしてマイケルを日本へ招き、映像を通してその素晴らしさを私達に紹介して下さったとも言える『日本テレビ』の方にお話を聞かせて頂きました。
 '87・'88と、マイケルが来日してから帰国するまでずっとお仕事してくれちゃった岡部さんであります。
 マイケルの番組を構成して下さったので~す!

岡 … 岡部さん    ―― … インタビュアー

―― マイケルは今回('88年12月)、他のスタッフとは別に来たのですか。
本人が乗って来た飛行機は、他の機材を運んで来たり、バンドのメンバーとは違います。機材やバンドのスタッフは、特別機をチャーターして来ました。
(スタッフ用のパスを見ながら)これは一昨年('87年)、毎日日替わりで、登録したスタッフにしか貰えなかったんです。
その時、僕がちょうど担当していて、むこうの広報のジミー・バックレイっていう人に毎日貰いに行って、こちらのスタッフに渡していたんです。1日交替で!
毎日、色の違うパスでした。
―― すごく厳しかったんですか。
すごく厳しかった。特に本人が人に会うのが苦手だったので、側近の人間以外は彼に近づけなかった。
そういう意味でこれは、日本人とアメリカのスタッフ用だったんだけど… 特に日本人は、見ず知らずの人間だから…。
―― 日本テレビの方でも?
うん。彼の近くまで行くのはね…
このパスがあれば、本人の近くまで行けたわけです。
―― 去年('88年)も厳しかったですか。
去年は、一昨年ほどでは無かった。
…って言うのは… 一応、世界を一周してみて、やはり日本が一番治安が良い所だと判ったようだし、とりあえずそんな怪しげな人間がウヨウヨするような場所じゃなくて、一昨年もやっているし、ある程度の顔も憶えられたしね。
そういう意味では、パスを着けなくても良い場合もあった。
逆に、いい加減になった部分だけ、いろいろトラブルも発生しましたけどね。
―― トラブルとは?
日替わりではなく1色のパスになったんです。
だから、昨日あげたパスで毎日来れたわけで… 最終日近くにはどんどん人が増えて…
で、あれは誰だ? って話になったりね。

BAD World Tourバックステージ・パスの一部

―― フランク・ディレオは去年、マイケルより遅れて来ましたが、どうしてですか?
遅れて来たのは、イギリスのウェンブリーで公演してたりの、ヨーロッパ公演での収支を合わせるために現地のプロモーターと金の計算をずっとしていたのです。
仕事上の残務処理のためですね。
―― 最近、フランクと別れましたが、険悪なムードなどは無かったんですか。
うん。(マイケルはフランクを)すごく信頼していましたよ。

フランク・ディレオ氏と。
 映画『MOONWALKER』の悪役の名は、彼の名をもじったお遊び (DILEO → LIDEO)

―― ビル・ブレイは、いつも(マイケルと)一緒ですよね。
あの人のスタンスっていうのは…
マイケルが一番上にいて、仕事上の管理をするのはみんなフランク・ディレオで、私生活の部分でマネージメントして“今度はどこへ出掛ける!”というような事はビル・ブレイ… というように、2つに分かれていたんです。
マイケルと本当に仲が良かったのはビル・ブレイです。彼の方がずいぶんと… いつも一緒! いつも付いてましたね。
あの人は元々、ロサンゼルス市警の現職の警官―― つまり、公務員が1人のアーティストの側近に付いているわけで、本当はいけないんだけど、特別にね!
だから、本当はロス市警のすごく偉い人なんです。(もう退役したかなぁ…)

 ビル・ブレイ氏と。(享年:2005年)
ビルがマイケルのもとから隠居生活に入った後も、マイケルは10年以上給与を振り込み続けた

―― モータウンの頃から、もうずっと付いてますよね。
そう。マイケルに付いているのは皆そうですよ。J5の頃からで、ずっと付き合いが古いんです。
どういう組織になっているのかという事は僕達にも殆んど判らないし…
僕が番組をやる時も、マイケルの組織がどう成り立っているのかをやろうと思い、いちおう広報の上の人に訊きに行ったんだけど、それは教えてもらえなかったんです。トップシークレットなんです。
その人いわく、
「マイケルを仕切っているT.T.C.(トータル・ツアーリング・カンパニー)っていうのは、1つのでっかい組織だから… この人がどう動いているかなんて、それを迂闊に口にすると自分の首が一気に飛ぶから言えない」。
―― マイケルのプロダクションっていうのは… M.J.J。
そうです。M.J.J.がマイケルのカンパニーです。本社がロサンゼルスにあります。
映画で「ダイ・ハード」っていうのがあるでしょ。あのビルです。あれはM.J.J.が入っているビルを撮影したものです。M.J.J.とかレーガン(元・米大統領)の事務所が入っている… 雑居ビルみたいですよ。
―― 今回マイケルに付いていた側近は、何人ぐらいだったのですか?
…どうだろう? 総勢200人で来て…
本当の側近っていうのは、ビルとフランクだけで…。
―― ヒラリーは?
アレはビル・ブレイの下にいる人間で、まぁマイケルに近い方ですが、基本的にあの2人から下へ行くと、マイケルと直接話も出来ないしね。
本人と話したこと無いけど、仕事に付いているという人間が殆んどじゃないかなぁ。
―― 日本テレビでお会いしたのは、社長や白井さん(日テレ事業部)などですか。
うん。白井が一番多いんじゃないかなぁ。直接、目の前で握手したしねェ。
―― 一昨年、テレビ放映の許可を出したのは、マイケルサイドからの意向ですか。
あれはテレビの話は全然なかったんです。
要するに日本なんて国は、まだあまり信用されてなくてねェ。そんな怪しげな国で番組なんて とんでもない! って事でしたが…
日本テレビの白井の上にいる池松(事務局長)というのが、エミー賞っていう世界の有名な番組に贈られる権威ある賞を 日本で唯一受賞しているんです。
契約に来て、固かったむこうの人達がそれを聞いた時、フランク・ディレオの顔色がパッと変わり、「それはすごい事だ。何でエミー賞を獲ったのですか?」という話になり… 五つ子を追ったドキュメントだったんですが…
それで、「ああ、ドキュメンタリーかぁ。エミー賞を獲るような人がいるのなら信用できる!」ということで、番組を作ることが出来たんです。
―― 今回は駄目でしたか。
今回もドキュメントは大丈夫でしたよ。コンサートは駄目でしたがね。
―― コンサート放映が駄目だったのは何故ですか?
コンサートが駄目だったのは、一昨年 全編放送した時に、家庭用ホームビデオで録った物が東南アジアにドッと流れて、海賊版ビデオが増え、すごく問題になったんです。
という事で今回は、「日本で公演しても放送は駄目だよ!」と、問題になるからという事で駄目だったんです。
但しドキュメンタリーは、一昨年のドキュメンタリーの出来がとても良かったので、「今年もやらせてあげよう!」という事で出来たのです。
―― あれを撮っていたのは、全部むこうのビデオクルーですか?
いいえ。全部僕らです。
むこうのクルーも撮ってましたが、彼らは映画にするつもりでワールド・ツアーの様子を撮るため、フィルム(映画用)でした。
僕らはテレビ局だから、テレビ用のVHS(放送用)で撮っていて、いちおう仲良くなり お互いの撮った物を交換し合ったりもしました。
―― 構成の段階で「ここはカットして欲しい」というような事はありましたか。
また、それは誰が言うのですか。
もちろんありました。むこうのビジュアル関係の責任者がいてね!
日本の番組の構成は僕がやっていて、OA前にむこうに見せるのです。VHSにしてホテルに持って行き、「これを明後日やります」と。
ですがそこで、駄目だという事があるわけで… 基本的には今年は大丈夫でしたけどね。
だけど、放送の2時間前に「これをやれ!」と言われ、12月16日の方かなぁ? 1時間モノの方は『ダーティ・ダイアナ』が最後に流れたでしょ! その時によく見ると、アメリカのクルーのスーパーが入って来るでしょ! あれは本当は入ってなかったんですが、「これを入れないとOAは駄目だ」と言われ、慌てて作り OAしている時に同時にスーパーを入れて作ったんです。
―― マイケル本人が観てチェックするという事は無いのですか。
本人は観て喜んでます!
アメリカのものより、12月8日に来て1週間でよくあれだけの番組を作れたものだと本人も喜んでたしね。
それまではずいぶん風当たりも強かったんですがね。僕らは1週間しか無いんで、何が何でも撮ろうと深入りしていくと、むこうはプライベートな所もあるんで… すごく嫌われてたんです。
しかしあの番組を作り、OAした翌日からは、「よく、あれだけしか取材させなかったのにあれだけの物が作れたものだ!」というんで、逆に、すごく撮らせてもらえるようになったんです。
―― それでは、例えばOAされなかったフィルムはどうなっているのですか?
あれは基本的には、収録したフィルムというのは全部あちら側へ返却し、テレビ局には一切素材を残してはいけないという事になっているんです。
ものすごく厳しいですね。
―― 以前、TVガイド誌に「独占インタビュー」が載り、結局放送は無かったのですが…。
たぶん放映料が高すぎたのでしょうね。
マイケル本人は別として、あちらの会社はアメリカらしく すごくシビアで、『BAD』 のプロモ・ビデオを初公開した時(日本テレビ“来るまで待てない”)10万ドルぐらい払ったかなぁ? 初めて放映するという事に対してのね。
ただ、それを払うのは最初だからというだけのことで、2回目からはプロモとして流れるのだから馬鹿げてたんですが、いちおう日本テレビが呼んでいるし、他局が最初というのは具合悪いしね。
2曲目の『The Way You Make Me Feel』の時も同じように言われましたが、結局あれはやらなかった。他局が先でした。

“ダリル”という役名も付いている まさに短編映画(=Short Film)作品 『BAD』

―― '87のTV放送は、全部日本テレビの方が撮ったのですか。
視聴者から何かクレームがありましたか。
あれは、日本テレビのクルーが撮ったものです。
内容に関してのクレームは、やっぱりありましたね。一番多かったのは、何故もっと本人をいっぱい映さないのかという事でした。
―― すごく観客が多く映っていたように思えたのですが…
うん。あれは色々とワケがあって、あのOAに関しても、あちらに観せてからOKを取らないとOA出来なかったんです。
アメリカのライブ放送というのはどういうものかと言うと、日本と比べると、ライブと普通に歌う時とは撮り方が違っていて、ライブの場合は臨場感を出すため観客が思いっきり盛り上がっている所を多めに映すという番組の作り方なんです。
そこで、あんまり本人ばかり映っていると、あちら側からクレームがついてOA出来ないという状況が充分考えられたので、こちらとしても涙を呑んで若干多めに観客を撮ったものを入れたという事なんです。
―― 演出に関しては、かなりマイケル側の意向が反映されているんですか?
逆に、こちらが気を利かせた感じでしょうね。
お陰さまで一発で通りましたけどね。
―― '88はあまりアンコールをやらなかったのはどうしてでしょうか。
元々アメリカのアーティストっていうのは、あまりアンコールはやらないんですよ。
でもよく日本でアンコールをやるというのは、あちら側としても異常なことで、9回のうち4回アンコールをやった事の方が珍しいことでね…。
―― 岡部さんは、マイケルに対してどう想われてますか。
僕も洋楽がすごく好きですからねェ。昔からよく聴いてましたけど、まぁ趣味で観るのと仕事でやるのとはスタンスが違いますからね。
逆に、観客になりワァーっと一緒にやれば非常に面白いんだろうけど、仕事になると彼本人だけではなく、周りからいろんな障害が出て来て…。
だけど仕事がひと通り終わり、今ごろ思い出してみると、あれは面白い・良いコンサートだなぁ~と思う。ってことは、楽しんでやっていたんだろうし、マイケル・ジャクソン自体は僕も好きですよ。ジャクソン5の頃からずっと聴いてましたしね。
だからマイケルがうちの会社で撮れたっていうのもすごく嬉しかったですよ。
まぁあそこまでの騒ぎになるとは思ってませんでしたけどね…。
―― '87年(JAPAN Tour '87)の視聴率はどうでしたか。
ビデオとニールセンのアベレージで13~14%ぐらいで、録画率が9%ぐらいあったから20%超えたという事は、洋楽番組としては驚異的じゃないですか。
―― '88年はどうでしたか。
12月9日が5%ぐらいで、12月16日が7%ぐらいかな? まぁ、放送の時間帯から見れば…、コンサートじゃないしね。それなりに随分なもんですよ!
―― いちおう見込みなど立てるんですか。
やっぱりかけますよね!
―― じゃあ、'87年のなどは、もう少し視聴率を獲りたかったというところでしょうか?
うん。本当はもっと… 20%行くんじゃないかって皆で期待してたんですが(録画率なしで)、結局あの時、裏番組で巨人vs中日の良い試合をやってたんです。随分そっちに食われちゃってねェ。
毎分の視聴率が出るんですよ。○時○分の視聴率が%っていう具合にね。で、平均が1つの番組の視聴率になっているんです。
番組のアタマは20%近い数字を獲っているんですが、野球が盛り上がっていくにつれ、どんどん下がってくるんです。
その代わり録画率が上がっていましたからね!
―― あの番組を観てからFanになった人が随分いるんですよ。
ああーなるほどねェ… じゃあそれなりに良い番組だったんですかねェ。
海賊版がいっぱい出てしまったというのも、まぁ仕方ないんですが…
一昨年「JAPAN Tour '87」を9月に放送し、去年11月に再放送したんですが、その時にマイケルサイドに、もう一度放送するよと言うと、やはり「海賊版が出回るのでやめてくれ」って言われちゃって…
とりあえずお金で解決がつくことでしたから出してOAする事にしたんだけれど、それでもあちらがまだシブシブ言ってきたんですがね。
いま、TV局側の方で1つの作業としてスクランブルというのがあり、1つ電波に手を加えると、観ることは出来てもそれを録画出来ないんです。
で、それを今回のOAでしてくれというオファーが来たんですが、結局それをやると家電メーカーからものすごいクレームが来るのが判っていたんで、「何のためのビデオだ!」と。 で、それも勘弁してくれと言ってやめてもらったんですが…。
それほど、あちらとしては海賊版が出たり勝手に複製される事を嫌ってたんです。要するに、評判が悪くなるのは彼らに対してだからね。「なんだ画が悪いじゃないか!」というのは本人のイメージダウンに繋がってしまいますからねェ。
―― イメージはすごく大切にしていますか。
すごく大切にしていますよ。
僕らとしては、彼の奇行癖なども撮りたかったんですがねェ!
―― 怪しげですかァ~?
新聞に書かれているほど怪しげじゃないですヨ!
―― どういうイメージを持たれましたか。
精神的にすごく若いんです。
だから30歳になって子供っぽいことをしたりすると、それが奇行だと取られてしまう場合もあるけれど、良い意味では、いつまでも童心を持っているという事ですね。
だから、本人は別に変わった人間でも何でもなくって… 奇行と言われる根元は全部そういった事から来ているんですよね。


87年10月16日 よみうりランドにて

―― ホテルの部屋に落書きとかしてましたか?
落書きしてましたねェー。壁にね! 黒板とかもね!

宿泊先のキャピトル東急ホテルの黒板に書き残したメッセージ


87年9月16日 S.ワンダーとの 『Get It』 ボーカルを録音したCBS信濃町スタジオの壁

―― パブリシティを考えるのは、フランク・ディレオ氏なんですか。
フランク・ディレオは、それに同意するかしないかだけで、それは広報担当のボブ・ジョーンズという人が考えているんです。
―― 岡部さんが実際に会って感じたマイケルってどんな風ですか。
すごく静かな人ですね。テレ屋でねェ。
―― 来日時('88)の体調はどうでしたか。
風邪で遅れるというのは来る前から聞いていましたよ。無事に来ましたけどね。
ギリギリまで暖かいロスで静養してたんですね。日本は寒かったし!
別に手抜きで遅く来たわけじゃないんです。
―― マイケルの日本に対する印象は?
非常に良いみたいですよ。
―― 大阪がとても気に入ったと言われていますが、その辺はどうでしょうか。
特に大阪が!東京が! ということは無いと思いますけど、あるとすれば会場の違いでしょうね。
東京ドームというのは新しい会場で、客席が非常に緩やかになっていて… つまりステージから見ると、一番後ろの客がとても離れて見えるんです。
大阪球場とか西宮球場というのは昔から建っていて、都心だから いかんせん狭い! 観客が急角度で見える!
つまり、日本のアーティストに限らず外国のアーティストもみんな大阪でやるのが素晴らしいというのは、観客がすごく近くに見え臨場感があるんで、すごくやりやすいというわけなんです。

87年 東京-大阪間 新幹線車中にて

―― 去年も楽屋にずいぶん日本のスターが彼を訪れていましたが、会えたんでしょうか。
全然会えてないです。
マイケルの楽屋はバックネット側で、日本のタレントはホームベース側だから、全然違います。
―― 彼はまだ演奏が終わらないうちに会場から出てしまいますが、あれは脱出作戦ですよね?
それは彼が危険な状態になるからという事でですか?
彼がというより、Fanが将棋倒しになったりして、それが責任問題になったりもしますしね。
でもそういう意味でも、彼が日本を好きと言うのは、治安も良いしコンサートもやりやすいし!
…アメリカなどは、何曲も早いテンポの曲を続けてやると ものすごく盛り上がってしまい 観客が飛び込んできたりもするけど、日本の観客は、ちゃんと早い曲の時はそれなりにノッてくれて、バラードの時はちゃんと聴いているし…
'87年の初日は、観客がアメリカと同じじゃないかと心配して、ずいぶんと間が悪かったんですが、あれはコンサートが下手だからではなく、アメリカではそれぐらいしないと観客がすごいんです。クールダウンというやり方なんです。
そこまでしなくても大丈夫だという事で、2日目からは間が良くなったんです。それぐらい日本人を気に入ってるみたいですよ。
何でだか解りませんけど、「日本は第二の故郷だ!」とか言ってましたしね!
―― 日本テレビが呼んだというのは、画期的な試みがありますよね。
うん。そういう意味では良かったですね。
昔からビートルズもエルビス・プレスリーもやっているし、マイケルもやっているし… 多分もうマイケル以外に、こういう人はいないと思うからね。
他の局と決定的に違うという点は… 他は、企画会社が消防署や警察に手続きに行く時に、自分の所ではあまりに大変なので、大きなキー局の名前があるとラクなんです。社会的にも信用があるし、そういうことで名前だけでも主催に付いて下さい、というイベントが殆んどなんですが、マイケル・ジャクソンだけは、うちの部が直接アメリカへ行って、直接部長が話して、直接印を押して!
で、普通はプロモーターがやる事を全部TV局がやったという事が、他の興業とは全然違うんですよ。放送権だけではなく興行権もあったという事です。
大変でしたけどね。…きつかったですよ! もう死ぬかと思った!!(笑)
彼はいつ出掛けるか判んないしねェ~(笑)もぉキャピトルの向かいに皆で部屋を取って、本当に眠る時間もない位だったし!
―― <ここから、だんだん質問が乱れてきちゃいます>

マイケルって子供みたいな人だなぁ~なんて思いましたかァ?
イヤァ~… そこまでは思わなかったけど(笑)
ただ静かに1人でポツネ~~ンとしているだけで…。
―― (一同 大ウケ!)
ポツネ~~ンとォ?
だからァ~、普通のおとなしい人だなぁって思ったけどォ。
―― 笑ったりしませんか? キャッキャッとか。
あんまり大声で笑ったりはしませんけどね。
子供は好きだから、子供が来た時はニコーっと笑ってますけどねー。
―― カメラなんて意識しちゃう人ですか。
うん…。やっぱりするなぁ… けっこう…。
―― 普段しゃべる時の声ってどんな風ですか。
…普段? 妙に高い“例の声”!
映画の「ムーンウォーカー」でしゃべってるのと同んなじ!!
―― そりゃーそうですよねー(大ウケ)
で、身長は?
僕と同んなじ! 174cm。
―― 顔は?
小さいですねー
―― 手は?
やっぱり大きい!
―― 肌は? 白い? (← バカな質問でした~…)
黒い!黒い!
白いのは化粧です。プライベートな所で見ると黒いですよ! 基本的に黒人ですからね!
―― 普段は化粧してないんですか。
プライベートな所ではしてないですよ。
―― 髪の毛は?
コンサートの時は手を加えているみたいだけど、普段はね…
―― ざっくばらん!ばらん~~?
うん!
―― じゃあ特に見られているという意識は無いんですかねェ?
特には無いですよね。
だから、そういう所で撮影しようとすると、逆に周りの人間が気にしてますよ。
―― '88年、バブルスはあとから来ましたが、部屋にいる時はどうしていましたか。
人目に触れる時は服を着て、二本足で歩いてましたね。
でも部屋にいる時は裸で! サルらしくね!
―― マイケルがやる事は、本人が心から欲してやっている事でしょうが、周りがちょうど良いパブリシティーにしてしまうという所もあるんでしょうかねェ。
そうでしょう。
―― 周りの人に恵まれているという感じはありますか。
もちろん、本人の“人となり”が人脈を作ったわけだから、ダンスの才能や個性が無かったらスターにはなれなかったでしょうが、それを囲む有能な人達との相乗効果でグッと上がったんじゃないですか。
まぁ人徳でしょうね。
―― 日本テレビの人の間での評判は?
良い方じゃないですか。
いろんな外タレとかやるけれど、彼はワガママじゃないし、「楽屋に酒持って来い!」っていう人もいるのに、マイケルは静かに部屋に居ますからねェ。
本当に良い人でしたよ。



日本テレビ事業部の皆様、本当に御苦労さまでした。そして、ありがとうございます。
マイケルの日本での想い出を映像という形で残して下さった事に、心より感謝致します。

日本のマイケルファン一同より

UPDATE - '07.02.11