【 有名人が語るMJエピソード 】
= コンサートツアー・クルー編 =

 いったん始まると1年2年と掛かりっきりになる、マイケルのワールドコンサート・ツアー。
 仕事に対し非常にシビアで知られるマイケルが長期間の仕事を委ねたプロ中のプロの面々が語る 「マイケル・ジャクソン」 とは?


ラベル・スミス    ケビン・ドーシー    ジェニファー・バトゥン    スミダユウコ

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≡ LaVelle Smith (ラベル・スミス)
バックダンサー/振付師
( VOL.97 / Oct 1997 )
 ツアーでマイケルと共にヨーロッパ滞在中(※当時)の、振付師でもありダンサーのラベル・スミス氏に、オランダのファンクラブ 『The Legend Continues』 がインタビューしました。
LS … ラベル・スミス    ―― … インタビュアー

―― あなたがマイケルと一緒に仕事をし始めたのは、いつから・どんな風にスタートしたのですか?
LS '87年のBADツアーの前、'86年の "Smooth Criminal" の時だった。
ダンサーとしてオーディションを受けに行ったんだ。 そこでマイケルは俺を見て選んでくれたんだよ。 (※撮影開始は'87年2月~)
―― そのオーディションがマイケルの為のものだと知っていたのですか?
LS いや、最初は知らなかったんだ。
だけどそれがとても大規模なプロジェクトだという事は、俺らには判ってたよ。
―― マイケルと一緒に仕事をするようになる以前、彼の曲やダンスは好きでしたか?
LS うん、彼のことは大好きだったよ。
母がマイケルのシングルを俺や兄弟によく買ってくれてたんだ。
―― マイケルをどのような人物だと思いますか?
LS マイケルは、俺が今までに出会った人間の中でもいちばん優しい奴だよ。
―― ステージでやっているマイケルの曲の中で、どれが好きですか?
LS "Dangerous" だね。
この曲は、トラヴィス(・ペイン)と一緒に俺が振り付けを作ったからね。
―― 今までにどの位のプロジェクトをマイケルとやってきたのですか?
LS BADツアー,'88年ドイツ, 『MOONWALKER』 の "Smooth Criminal" のビデオ, 『GHOSTS』 のフィルム,それに HIStoryツアー。
―― あなたのキャリアについて教えて下さい。
LS 俺は、ソロとしてのキャリアは求めていないんだ。
そうなったらなったで素敵ではあるけどね。
―― マイケルとは、どのような交流があるのですか?
LS とてもうまく行ってるよ。
俺たちはね、激アツな仕事をやってるんだ。
―― マイケルは飲み込みが早い方ですか?
LS うん、すごく。
―― では、マイケルと一緒に仕事をする時の様子などを教えて下さい。
振り付けは、全てあなたが提案するのですか? それともマイケルが提案するのですか?
LS ある時は俺が考え出してマイケルに見せ、彼が気に入ればそれを使う。
またある時はマイケルが何かを提案して、それを2人でいろいろアレンジする。 時には俺がそれを展開させ、創り上げてゆくんだ。
だんだん良くなっていくのを見るのは、とても楽しいことだね。
―― あなたは将来、何をしたいですか?
LS 何か演出や監督をしたいと思ってるよ。
―― ご家族は、あなたがマイケルとずっとツアーをしている事について、どう思っていますか?
LS とても喜んでいるし、気に入ってくれてる。
家族はショーも観たことがあるんだよ。
―― 今までのコンサートの中で、どれが一番気に入っていますか?
LS ウェーブがあったミュンヘンのコンサートだな。
(※開演前のウェーブはよくあるが、ステージ上の彼らには見るチャンスがない。ミュンヘンではコンサートの途中でウェーブが起こり、マイケルも 「Wao!」と感嘆した)
あれは素晴らしかったよ。
―― マイケルと仕事をする前は、何をしていたのですか?
LS シカゴで、ジャズ仲間と一緒にダンスをしていたよ。
―― いつ頃からダンスを始めたのですか?
LS ずっと前から。
―― マイケルとの事で、何か面白いエピソード等がありましたら教えて下さい。
LS おかしな話はいっぱいあるよ。
俺たちは互いにふざけ話の掛け合いをするんだ。
―― 振付師やダンサーになる為に、何か専門的な勉強はされたのですか?
LS うん、ケンタッキーにある子供アートスクールで、13歳の時にパフォームの勉強を始めた。
―― マイケルの仕事をしていて、待遇は良いのですか?
LS とても良いよ。
特にBADツアーの時は多くのスポンサーが付いたんで、いろんな物がタダで手に入ったよ。
―― あなたは、仲間とよく外出する方ですか?
LS あぁ、ダンサー達はよく出掛けるよ。 夕食を一緒に摂ったりね。
昨夜はミュージカル 『スターライト・エクスプレス』 を観てきたよ。 すごい好きなんだ。
―― マイケルのミュージカル 『システレラ』 は、もう観ましたか?
【※編集注: マイケルが発起人でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた'96年のミュージカル】
LS いいや。 でもいつか観たいと思ってるよ。
―― マイケルの曲の中で、どれが一番好きですか?
LS 古い曲で、J5の頃のような曲が好きだな。
―― あなたが最初に人前でパフォーマンスしたのは、いつですか?
LS 4歳の時、幼稚園でバイオリンを演奏したよ。
小さい頃はバイオリンが嫌いだったんだ。特に練習が。 でも今は好きだよ。
―― マイケルの良いところは何だと思いますか?
LS 全ての人へ注ぐ愛情、そしてより良い場所にするために世界を救おうと努力していること。
―― あなたは、今までに大失敗をしたことはありますか?
LS いいや、幸いにもね。
―― 全然?
LS う~ん、ちょっとした事ならね。 ちょっと早く腕を動かしたとか、そんな程度だよ。

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≡ Kevin Dorsey (ケビン・ドーシー)
バックボーカル/ミュージカルディレクター
( VOL.99 / Feb 1998 )
KD … ケビン・ドーシー    ―― … インタビュアー

―― 初めてマイケルと一緒に仕事をしたのは いつですか?
KD '84年のVICTORYツアーだね。
―― VICTORYツアー?
KD ああ、オープニングで語りをやっているのは僕なんだよ。
それに、クインシー・ジョーンズとも働いた。 それで '87年にBADツアーのオーディションがあったんだ。
―― あなたが最初に歌ったのはいつですか?
KD さぁ、話し始めた時には歌い始めていたらしいよ。 僕が憶えているのは、4歳か5歳の時かな。
―― 聖歌隊のメンバーだったんですか?
KD そうだよ。 教会で歌ってたよ。
―― 声変わりしたのはいつですか?
KD 13歳の時だね。
―― それは早いですね。
KD そう、それが良かったんだ。
だってもうこれ以上声が変わることは無いし、この世界で未来を見つけることが出来るからね。
それにラッキーなことに、僕の声はとても高いんだよ。 気づいているかもしれないけど、僕は時々コンサート中、マイケルのパートをバックでやったりするんだよ。
―― マイケルと働き始める前から、マイケルの音楽は好きだったのですか?
KD あぁもちろん。 J5の頃から好きだったよ。
僕は、君たちのいう 「大ファン」 じゃないけれど、マイケルと一緒に仕事をするようになってからは特に、マイケルのボーカルや音楽の非凡な才能を尊敬しているよ。
僕らの絆はとても深く強く結び合っているんだ。
―― コンサートの曲目では、どれが一番好きですか?
KD 今は、"Blood On The Dance Floor" と "Earth Song" が五分五分かな。
以前の曲だと、"Human Nature" だね。
―― Oh! 私も大好きなんです!
KD そう、マイケルのパフォーマンスや彼の動きや全てに僕が入れ込んだのも、その曲なんだよ。
それに知ってる? 一度だって彼から目を離したことが無いんだ。
"Stranger In Moscow" も好きだね。 僕は、この曲のボーカルとミュージカル演出については特別に任されているからね。
とはいえ、特定の曲の好き嫌いがある訳じゃないよ。 彼の音楽全般にわたって好きなんだ。
―― 新しい曲についてはどうですか?
そのうち新しい曲がショーに組み込まれるのですか?
KD うん、僕らは 『Blood On The Dance Floor』,『HIStory』 両アルバム全ての曲を練習しなくちゃならなかったからね。
僕は時々マイケルに、もっと新曲を入れるようにって言ってみるんだけど。
―― そうですよね。
プラハでは、新曲がいっぱいでとってもハッピーでした。
KD あぁ、でも多分君たちも気づいているように、マイケルはあまり変化を好まないからね。 残念ながら。
―― ミュージカル・ディレクターとして、多分この質問に答えてもらえると思うのですが…
どうして 『Off The Wall』 メドレーをショーからカットしたのですか?
KD 削らなきゃならない曲も出てくるよ。
それで 『Off The Wall』 メドレーと "The Way You Make Me Feel" がその最初の曲になったわけだよ。
―― ステージで失敗したことはありますか?
KD 無いね。 一度も無いよ。
まぁ小さな失敗だったら多分…。
でも2時間17分の間、僕は出来るだけ人間ではないようになろうとしているんだ。
―― ステージ上で、何か自発的に起きる事についてはどう思いますか?
例えばマイケルがしゃべり始めるとか…。
KD それは素晴らしいよ。
僕も、あのスピーチは憶えているよ。
―― 「ある人々はよく眠る…」 とか何とか言った…。
KD そうそう、あの時はビックリしたよ。 彼が何のことを話しているのか解らなくてね。
実を言うと、今でもまだ解らないんだ。
―― 私たちもちょっと考えてみたのですが…。
KD それは?
―― もし、やましくない安らかな心を持っているならばグッスリ眠れて 「食って寝る」 だけで、その清い心を持ち合わせていない人はしっかり眠れないって意味じゃないかと…。
KD それはいいね! そうかもしれない。
―― ショーの話に戻りますが、マイケルって何かがうまく行っていない時には怒ったりするのですか?
KD あぁ、そりゃもう怒るよ。 彼は完璧主義者だからね。
ほら、全員… バンドのメンバーもダンサーも全員、マイケルがプロの目で選んでいるわけだからね。 マイケルは毎晩、彼が成す110%のものを他の全員にも要求するんだ。
幸い、人間の犯す間違いなんて限られているけど、たまに機材が故障することもある。 でも… そう、マイケルはそれでも機嫌が悪くなるよ。
あんな大規模な演出だし、彼が完璧を望むのは仕方ないけれど機械の故障ばかりはね。
だけどほんと、人為的ミスで大きなものは無いよ。
―― マイケルについて、どう思いますか?
KD とても温かくて親しみやすい人だよ。
僕らが知っているマイケルを、人々も知ってくれれば良いのにって思うよ。
ジャーナリスト達は わざとすごく変わった質問をしては、マイケルの答えが彼らの望んだようなものじゃないと、マイケルの語る真実を載せるのを嫌がるから。 ウソっぱちな くだらない事には表紙とか4ページ・5ページもの記事にするくせに。
例えばマイケルがしたチャリティーの記事なんかだと、探すのに顕微鏡が必要なほどだからね。
それはマイケル・ジャクソンに限らず、有名人なら誰でもそうだけど。
まぁ、もし僕に言わせるのなら、 「マイケルはタフな奴」 ってとこかな。
―― 何か話してもらえる逸話とかはありますか?
KD 毎回、ショーの直前にお祈りするために集まる時は、おもしろい事をするよ。 僕が歌ったり、マイケルの動きをマネしたりすることもある。
そうして彼をステージに送り出すんだ。
―― クルーの皆はどうですか? 仲は良いのですか?
KD うん、今のクルーが今までで最高だね。
お休みも取れるし、それは僕たちにとってもマイケルにとっても良いことだよ。 マイケルは通常1ステージで2~5ポンドも体重を落とすからね。 休みがあるとリラックス出来るし… BADツアーの時みたいにね。
DANGEROUSツアーの時は地獄のようだったけど、今は楽しくやってるよ。
―― あなたは、「昔の学校」 みたいにしたい、って言ったことがありますよね。 それはどういう意味ですか?
KD ほら、今っていろんな価値というものが弱まっているじゃない。 お互いを尊敬するっていうのはとても重要なことだと思うんだ。
ここでは僕はケビン・ドーシーっていう人間だけじゃなく、マイケル・ジャクソンという人間の代理でもあるからね。 僕の態度への評価というのはマイケルにもかかってくるんだ。
また、僕は自分の国の代理っていうことでもあるんだ。 ほら、僕の国にはグラミー賞やそういうものがあるし、ヒップホップとかジャズとかグランジ・ロックとか、そういうのがゴチャ混ぜになってるし。
イメージを崩そうっていうんじゃなくて、やっぱり僕は伝統とか尊敬とかいうものを大切にするからね。 きれいに着飾ったって 穴の空いたジーンズを穿いたって、誰かを傷つけるわけじゃない。
教育っていうのがカギだね。 僕は、ちゃんと教育を受けた人間として描写されたいんだ。
今現在、僕らのビジネスっていうのは、とてもひどい状態にあると思われているから。
―― 人々はあなたに気づきますか?
KD ツアーの時は別だよ。 どこから来た誰なのか、みんな知っているから。
でも地元では… 時々そうだね。 でもクレイジーなものじゃないよ。
仲間には気づいてもらいたいし、スウェットパンツのままでマクドナルドに行きたいし、そのことで文句も言われたくない。
スポットライトの裏方で、シーンの陰で働くのが好きなんだ。 僕は現実主義者だし、芸能生活やハリウッドのパーティーなんて真っ平ごめんだね。
僕の友人ってのはいろいろだよ。 僕の家に来れば判るけど、配管工もいれば大工もいるってとこだからね。
―― ご自身の将来についてはどうですか?
KD 満足しているよ。
いくつかビジネスの話もあるし、やる事もたくさんあるし、もう少しTVの仕事をしたいと思っているんだ。
―― あなたは幸せですか?
KD とても幸せだよ。
僕自身とその生活に満足しているし、今の仕事が出来ることに感謝もしている。

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≡ Jennifer Batten (ジェニファー・バトゥン)
リード・ギター
( VOL.99 / Feb 1998 )
ご存知、あのド派手なギタリストのおねえさんです。
JB … ジェニファー・バトゥン    ―― … インタビュアー

―― マイケルとは、いつ頃・どのようにして一緒に仕事を始めたのですか?
JB '87年のBADツアーの時ね。
LAで100人もの人々に混じってオーディションを受けたんだけど、ラッキーなことに私が選ばれたの。

後楽園球場でのリハーサル
―― マイケルと仕事をする以前は、マイケルの曲は好きでしたか?
JB ええ、『OFF THE WALL』 や 『THRILLER』 のアルバムを買っていたわ。
―― あなたから見て、マイケルはどんな人ですか?
JB 優しくて、寛大で、エネルギッシュ。
創造力に富み、想像的で才能豊か、そして “与える”ことの出来る人ね。
―― ステージ上でのマイケルの曲では、どれが好きですか?
JB "Beat It"。
これはショーの中では私のいちばんの見せ場だからね。 この時は、私は野獣化しちゃうのよ。
―― どのくらいマイケルとプロジェクトを組んで仕事をしたのですか?
JB BADツアー,映画 『MOONWALKER』,DANGEROUSツアー,第27回スーパーボウル,それにHIStoryツアーよ。
―― あなたのキャリアを教えて下さい。
JB マイケルのツアーが終わり次第、自分のバンドでツアーに出る予定なの。 バンを1台買って、その中に犬や生活用品や楽器を積むつもりよ。
それからツアー地は、来年('98年)の雪が融ける春から夏にかけてヨーロッパを廻るつもり。
―― マイケルとのコミュニケーションは、どんな風ですか?
JB マイケルと話すのはリハーサルの時だけなの。
マイケルとのリハーサルをやったのは、'96年ブルネイのコンサート前にLAで,それから '96年プラハ,'97年ブレーメンね。

あと、どのコンサートでも始まる前に儀式をするのよ。
―― これからの活動目標は?
JB 自分の音楽をレコーディングしたり、ギタリストとしてだけプレイしていたいわ。
―― マイケルとずっとツアーしていて、ご家族の反応は?
JB 家族は、私がマイケルと繋がりがあることをワクワクしているの。
―― 今までの中で、あなたがベストだと思うのはどのコンサートですか?
JB ブッちぎれたのは、スペインのサラゴサでのコンサート。
あの時の観客は強烈だったわ。


スティーブン・スピルバーグ監督も、サラゴサの "強烈な" 観客の1人
―― マイケルと仕事をする前は、何をしていましたか?
JB 6つのバンドのギタリストをしていて、あとギターを教えてもいたの。
―― 最初にギターを手に入れたのは?
JB 8歳の時、姉がギターを持っていることに嫉妬した私に、父が与えてくれたの。
私のはエレキギターだったので、とても冷たかったわ。
―― プロのギタリストになるための勉強はされたのですか?
JB ええ、『Guitar Institute of Technology』 で。
―― マイケルと仕事をしたことで得たものは?
JB ええ、沢山あります。 特にBADツアーの時。
―― マイケルのクルー達は、お互い仲は良いのですか?
JB ええ、いっつも。

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≡ Yuko Sumida (スミダユウコ)
ダンサー
( VOL.99 / Feb 1998 )
 会員のNさんが送って下さった母校の会報紙('93年12月発行)からの抜粋です。
 学校名・卒業年・本名(旧姓での漢字フルネーム)等、ご本人の公式サイトでも公表されていない個人情報等の部分は伏せてお送りします。ご了承下さい。

 なお、現在は 『Yuko Sumida Jackson』名にて日本でご活躍中です。
SY … スミダユウコさん    ―― … インタビュアー


■アメリカンドリームを手に入れたスミダさん■

 ('93年)9月11日、福岡ドームで行なわれた “マイケル・ジャクソン” のコンサートに行ってきました。 場違いとも思える2人でした。
 Mさんのお知り合いに案内され、ボディチェックも受けずゲスト扱いで入っていきました。
 実は彼のバックで踊っているダンサーの1人が、唯一日本人でしかも当校の卒業生です。 彼女にインタビューすることが出来ました。


―― ダンスに入ったのは?
SY 小さい時からダンスが好きで習っていました。
―― 今の仕事との出会いは?
SY 卒業して宝塚を考えましたが身長のことで諦め、アメリカに渡って器械体操を始めました。
そのうちにマイケル・ジャクソンのダンサーのオーディションを知り、受けてみることにしました。
全米からすごい人たちが集まって来て、何千倍もの難関でした。
パスした時は大変嬉しかった。
―― お休みはありますか?
SY ええ、ありますよ。
―― 当校で学んだ事で、役に立つことは?
SY アメリカの人たちに囲まれていると、学校に学んだキリスト教の教育を本場で味わっているみたいで本当に感謝しています。

'96年の 『GHOSTS』 にも出演

 開演前のひとときを駆け足でインタビュー致しました。
 彼女は日本人ばなれした素晴らしいスタイル・メイクで、踊る時ダンサーの一員としてマイケルを引き立て素晴らしい舞台を見せてくれました。

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UPDATE - '08.08.24