【 有名人が語るMJエピソード 】
= スタジオワーク編 =

 オモテに出ない仕事こそ大半を占めるマイケル。
 自身の作品やステージ構想・構築のみならず、他へのプロデュースや多岐にわたる協力等 その仕事量は私たちの想像をはるかに超えるものでしょう。
 
 ニューアルバム制作時にスタジオワークを共にした仕事仲間のコメントは、 『REPORT-2』 の各アルバムNEWS内に点在していますのでご参照下さい。
 それらや他のインタビューページに加えられなかった記事をいくつかお送りします。

ロドニー・ジャーキンス    ラリー・ハート    LL クール J

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≡ Rodney Jerkins (ロドニー・ジャーキンス)
レコードプロデューサー/ソングライター/ミュージシャン/ラッパー
( VOL.107 / Jun 1999 )
1999年4月下旬 LAにて
 マイケルのニューアルバム【※のちに『INVINCIBLE』 となるアルバム】 のプロデューサーであるロドニー・ジャーキンス氏(21歳)が、電話でインタビューに応えました。 彼はマイケルの才能を賞賛し、ニューアルバムについて語りました。
 ロドニー氏は、既に多くのR&Bアーティストと仕事をしています。 いま、最も注目されているプロデューサーの1人でもあります。

インタビュアー本人の承諾を得て記事を掲載しております。
(協力: ダイアナ・ダーロさん/ANGEL FAN CLUB)

RJ … ロドニー・ジャーキンス氏    ―― … インタビュアー(ダイアナさん)

―― マイケルは、どうやってあなたに連絡をとったのですか? 彼は何て言っていましたか?
RJ ライターのキャロル・ベイヤー・セイガーが、僕に電話をしてきた。 そして
 「あなたに来てもらいたい。 私の家で、私とマイケルと一緒に曲を書いてほしい。」
って言われたんだ。
それから、マイケルが言ったんだ。
 「家に帰らないで、ここで僕のアルバム制作活動を手伝ってくれない?」。
―― マイケル・ジャクソンがあなたと仕事をしたがっていると判って、ワクワクしましたか?
RJ ああ、信じられなかったからね。 まるで僕の導師と仕事をしているようだったし。
僕は、子供の頃からマイケルの熱烈なファンだったんだ。 彼のキャリアを追いかけて… 彼のしてきた事の全てをね。
―― マイケル自身や、マイケルとの仕事についてはどうでした?
RJ 彼がいちばん最高だ。 彼ほどの能力に達しているアーティストなんて居ないだろ。
多くの人と仕事をしてきたけど、彼は素晴らしい仕事をするね。 彼は、やりたい事が明確なんだ。

―― あなたは、とても若くして自分の夢を実現しましたよね。 何か他の目標はあるのでしょうか?
マイケル以上にプロデュースしたいと思う他のアーティストはいるのですか?
RJ いないよ。 マイケルがトップなんだ。 彼より上なんていない。
もし他にいるんなら一緒に仕事をしたいとは思うけどね。
―― あなたが一緒に仕事をしてきた人たちと比べて、マイケルはどうでしたか?
RJ とても革新的な人だよ。 彼は、常にラジオで流れているような、ありがちな曲にはしたくないんだ。
全てが彼の望むようになれば良いのに…。

―― マイケルのアルバムで気に入っているものはありますか?
RJ 『OFF THE WALL』 に 『DANGEROUS』 かな。 『DANGEROUS』 は、すごく好きだよ。
―― マイケルが最後に出した 『BLOOD ON THE DANCE FLOOR』 は、どう思いましたか?
RJ 最もクリエイトされたものでは無かったと思うな。 リミックスアルバムのようで…。
今回のは全く違うものだよ。 全てが新しいし、異なるサウンド・曲・メロディ…。 誰もが受け入れるさ。
―― バラードは多いのですか?
RJ うーん、R.ケリーとの2曲かな、スローなバラードがあったよ。
だけどちょうど今、僕はアップテンポなものをやっているんだ。 皆がダンスするようなものをね。
―― アルバム作りは終わったのですか?
RJ 殆んど、かなりの部分はね。 多分、あと数ヶ月…かな。
―― マイケルは、他のプロデューサーとも仕事していますよね。 デヴィッド・フォスター氏とも仕事していると聞きましたが。
RJ マイケルは、沢山の人と仕事しているよ。
だけど、アルバムの70%は僕が手掛けたものになることを望むよ。 僕のチームは仕事し続けるんだ。
―― このプロジェクトで、あなたは何曲の仕事をしたのですか?
RJ 30曲近いかな。
―― マイケルは、録音に何か特別なテクニックを使いましたか? マイケルも何か使うのでしょうか?
どんなサウンドになるのですか?
RJ 言えることは、今までの人生で聴いたこともないようなサウンドだっていう事だよ。
確かに他のものとは違う。 確実に、今までに聴いたことがないような、彼のベストなアルバムになるよ。
―― 何故そのアルバムがそんなに素晴らしいと言えるのですか?
RJ 僕がやっているからさ!
誰もが人生で絶頂の時ってあるだろ。 今、僕はそれなんだよ。
もしマイケルが僕に声をかけたのが2年前だったら、今と同じ仕事は出来なかったと思う。 僕は最高の状態にあるんだ。
マイケルもベストな状態にあって、僕たちは一緒に芸術を創っているんだ。
―― アルバムのテーマはあるのですか?
ほら、 『HIStory』 ではマイケルがここ数年間タブロイドから受けた苦痛を書いているように。
今回は、違うテーマになるのですか?
RJ マイケルは今、幸せなんだ。 息子がいるし、娘もいる。
『HIStory』 の時のような苦痛ではなく、彼は前向きに楽しんでいると思う。 アルバムは前向きなものになる。 彼の子供たちが全てを変えたのさ。
―― 子供たちには会ったのですか?
RJ ああ、すごく可愛いし、楽しいよ!
僕はいつも彼の息子と遊んでいたよ。
―― "Heal The World" や "Earth Song" のように、子供や環境に対する曲はありますか?
RJ うん、あるよ。
―― タイトルは何ですか?
RJ まだ言えない…。
―― デュエットはあるのですか?
噂では、ローリン・ヒルとデュエットすると聞きましたが。
RJ そうだね、多分そうなるかな。
―― それで、リサ・マリー・プレスリーともするのですか?
RJ 彼女がどうしたって?
―― デュエットするのかって事です。
RJ そんなの聞いてないよ。
―― テディ・ライリー氏は関わっているのですか?
RJ テディはこのアルバムには参加してないよ。
―― このアルバムは、あなたがしてきた仕事が最も詰まっている感じですか?
RJ そうだね! うん。
大抵は1つの曲につき2~3日程度なのに、今回は8日とか10日とか15日もかかるんだ。 次元が違うんだよね。
先月、僕はある曲を作った。 で、未だにその曲をやっていて、さらに良くしようとしてるんだぜ…。
―― マイケルが肉声でデモテープを作ったのですか? それともあなたが曲を作って彼に聴かせたのですか?
RJ 僕がトラックに入れて、それからマイケルに渡して一緒にメロディを考えるんだ。

―― "I Have This Dream" という曲が最初のシングルって聞いたけど、あなたが作ったのですか?
RJ 違うよ、僕はやってない。
だけど、それは信じられないほどの曲だよ。 彼は、戦争で苦しんでいる子供たちに捧げたいんだね…。
―― そうですね。 マイケルは今年('99年)の6月にチャリティー・コンサートを開きますよね。
彼はその新しい歌を歌うと思いますか? 間に合うのでしょうか?
RJ ああ、出来るね。

―― 1日のうち、何時間マイケルと一緒に仕事をしていますか?
RJ だいたい続けて40時間…、普通で16~18時間ぐらいかな。
―― アルバムはいつリリースされますか?
RJ クリスマスの頃だと思う。
―― タイトルは決まりましたか?
RJ ううん、まだだよ。
―― それで、これがマイケルのアメリカへのカムバックになるのですか?
最近彼は、特にヨーロッパがお気に入りみたいですが。
RJ うん、アメリカへのカムバックになるよ。
今はヨーロッパに親しみを覚えているみたい。 だけど、今度のアルバムは全世界が望んだものだ。 彼の一番の記録になる。
―― マイケルのファンに、何かメッセージはありますか?
RJ あるよ。
 「彼の今までのアルバムの中で、予想もしないものになるよ。 ビックリするぜ!」。

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≡ Larry Hart (ラリー・ハート)
作曲家/ディレクター
( VOL.107 / Jun 1999 )
SISTERELLA
The Modern Magic Musical
  Mistery Magazine ―1997年6,7月号より―
 マイケル・ジャクソンは、天才的なアイデアを持つステージスターとしての成功者に留まらず あの大成功したミュージカル 『システレラ』 の発起人でもあります。
 物語のシンデレラや ディズニーアニメでのシンデレラは、現在もメルヘンチックな衣装や魅力的なダンス,そしてあっと言わせる歌で夢中にしてきました。
 今回のミュージカル 『システレラ』 (全て黒人キャストで構成) のシナリオは、アメリカの有名な作曲家ラリー・ハート氏が手掛けています。 彼はたった14日間で作詞作曲をしました。
 
 ラリー・ハート氏は私たちに、マイケルとの共同作業や曲に関することを色々と話してくれました。 そして、あのハリウッドスターのロバート・デ・ニーロとの新しいプロジェクトについても。
初演は '96年3月17日(~4月21日)、米カリフォルニアのパサディナ・プレイハウス。
'96年12月、ドイツ等ヨーロッパのいくつかの国々でも上演。
'98年3月7日、豪メルボルンのザ・リージェント・シアトルでプレミア上演。
観客動員総数は 約600万人。
'96年11月、 『NAACP Theatre Awards』 にて ノミネート12部門中、8部門受賞。
・・・ S T O R Y ・・・
 
 1912年、ニューヨーク。
 エラの持つ遺産6億ドルを騙し取ろうと企てた継母ダリアは精神科医と結託し、エラを 「法的に狂気である」 と宣言、家に監禁してしまいます。
 しかし親友ババルーの手助けによってチャリティー舞踏会へ出席することが出来たエラは、そこでジャンリュック・フェアチャイルド王子と出会い、その瞬間に恋に落ちます。 恋愛ストーリーは、舞踏会でのあらゆるダンスシーンに乗せて展開されます。
 ところが継母は、なんとエラを逮捕させてしまいます。
 しかしながらババルーのアドバイスと王子の深い愛がエラに力を与え、長い裁判の末、エラは継母を打ち負かすことが出来たのでした。

LH … ラリー・ハート氏    ―― … インタビュアー(フレイジさん)

―― この 『システレラ』 のアイデアは、どのようにして生まれたのですか?
LH このアイデア自体は、元々は私の母から来ているんです。
母は、私によくこう言っていました。 「さぁさぁ! ほら! シンデレラったら○×してちょうだいな!」 ってね。
そのうち私は、友人2人の家でも同じような事を言われていると知ったんです。 それですぐ、この暗号のような意味を見つけ出さなくちゃ…と思ったんですよ。
(それがキッカケで) 私はある友人によって、レコード会社を通してマイケルにコンタクトを取ることが出来ました。 マイケルは私のアイデアに感銘し、やる気になってくれたのです。
―― マイケルは、シンデレラをミュージカルにすることを援助してくれたという事ですか?
LH マイケルは 『システレラ』 の発起人であり、彼のグレートな発想転換なしには このミュージカルを成し遂げられなかったって事ですよ。
マイケルと、彼の総合プロダクション会社 『MJJプロダクション』 のグリーンバーク氏が作品を作り、創造的な大半を私が手掛けたのです。 【※マイケルとジェリー・グリーンバーグ氏はこのミュージカルのエグゼクティブ・プロデューサー 】
マイケルの多大なる信頼に、私も大きな喜びを感じました。 このミュージカルの為に "Bad" やマイケルの独特なダンススタイルも使用許可してくれたのです。 このミュージカルの曲は、マイケルのアルバム 『THRILLER』 や "I'm Gonna Get Her" , "Got The Money" から生まれたのです。
―― マイケルは共演しないのですか?
LH 私たちは、この作品をごく自然に供給しました。
しかし、限られた期間で演るということじゃないんです。 マイケルは 『システレラ』 での完璧な王子なんです。
場合によっては、 『システレラ』 は映画になりそうだったんです。 ロバート・デ・ニーロがこの作品の(映画にする)権利を持っていたんですよ。 ラッキーな事になれば、マイケルがこの王子役を演りますよ!
―― 次回のプロジェクトは、よく知られる 『Stoffes』(ピーターパン) の実写版ですか?
LH そう! ミュージカルの 『ピーターパン』 は、もうあるよね。
もしマイケルが(その実写版に)共演してくれたら、ファンタスティックになるだろうなぁ。
彼はとてもグレートな俳優だよ!
―― どうして黒人キャストたちの演技だけではなく、ブラックミュージックも用いたのですか?
LH そうだねぇ… まぁ、音楽の影響はR&Bとゴスペルなんですよ。 私の両親は2人ともゴスペル歌手でした。 母は17の楽器を演奏しています。
『システレラ』 は、肌の色など関係なく、単に机上で書き上げたものではないのです。 ブラックミュージックだけではなく、あらゆる人間(人種)を越える話なのですから。

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≡ LL Cool J (LLクールJ)
ラッパー
( VOL.71 / Jan 1995 )
 LLクールJは、直接マイケルと一緒に仕事をしたことはありません。
 しかし、マイケルの "The Lady In My Life" をサンプリングした曲 "Hey Lover" で、'97年グラミー賞の 『最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンス賞』,『最優秀R&Bソロ・パフォーマンス賞』 を受賞しています。 つまり、スタジオワーク上での協力関係にあったという事です。
 いささかこじつけがましい感はありますが、それを口実にこの記事をこのページにてお送りします。
= 当時の会誌での前文より =
 
 今回の内容はマイケルが出てくる場面が少ないけど、人気シンガーや有名人でもマイケルに会う事を夢見ている人が多いし、そういう気持ちって私たちファンと同じだなぁなんて思えるんですよね。 で、こういう物も読んでもらえたらなぁと思い、載せました。
 LLクールJは、アメリカの人気ラッパーです。

マイケルと会えたLLクールJ
― Right On! 記念号より ―


Reported by - 『Right On!』 編集長 シンシア・オーナー

 LLクールJは、自分の記事とマイケルの記事とが出ている雑誌 『Right On!』 をパラパラとめくっている。
彼の声は物思いに沈んでいた。
 「いつかマイケルと会いたいなぁ…」。
 その望みは到って明快だった。 私は彼の助けになれるだろうか?

 時間を無駄には出来ないと、私はマイケルの広報担当であるボブ・ジョーンズ氏に電話をかけた。 ボブはその申し出を受け入れてくれたが、マイケルのニュージャージーでのコンサート 【編集注 : ラザフォードでのBADツアー('88年10月3日~5日)】 まで待つように言われた。
 LLにはしばらく黙っていることにした。 マイケル側にいつどんな事情が持ち上がるとも限らないので、ギリギリまで黙っていようと思った。

 マイケル・ジャクソンという名前を聞くと、人はみな冷静ではいられなくなる。
 LLには、軽くマイケルの名前を出してみた。
 「マイケルのコンサートに行って、彼と会うっていうのはどうだろう?」。
 あくまでも "仮に" という意味に過ぎなかったのだが、彼は素直に答えた。
 「本当にそうなったらいいなぁ…」。
 それ以上私が何も言わないので、彼の声はだんだんと小さくなっていった。

 2ヶ月が過ぎた。
 マイケルとLLとを会わせる事は、どんな風にしてもうまく行くだろう。
 私は、マイケルがニュージャージーへやって来るのを、 "チケットを手に入れようと1日中並んだファン" よりもイライラして待っていた。 "初日の夜にひと儲けしようと企んでいるダフ屋" よりも心配していたし、 "今までコンサートに行く機会に恵まれず今回はマイケルを見ようと待ち焦がれている人" よりも神経質になっていた。
 私はついに、LLの古くからの友人で仕事仲間のトニー・ローム氏に、LLがマイケルのショーに行くことを打ち明けた。 すると彼は、LLが既に自分と母親とガールフレンドの3人分のチケットを自分で買っているという事を教えてくれた。
 そこでさらに私はトニーに、
 「LLはバックステージに行けて、マイケルに会いたいという願いが叶えられることになる」
という事を伝えた。


 私とLLは、ショーの始まる1時間前に会場前で待ち合わせた。
 その日、私は少し早めに行き、クルーに会うためにダイニングホールへ立ち寄った。 クルーは
 「やぁ、ロンドン以来だなぁ」
と声をかけてきて、マイケルの楽屋を見せてくれた。

 その後、LLを捜すために表へ出て行った。 私は間違うことなんて考えもしなかったのだが、LLの姿はどこにも無かった。
 「LLクールJって誰なんだい?」
 せっかちな会場の職員が訊いてきた。 私はちょっと落ち込んで説明した。
 「えーと、いつもカンガルーハットを被っていて、背は6フィート以上、若くてイイ男なんだ。 金のネックレスをしているかもしれない。 連れがいるはずなんだ」。
 「カンガルーハットって何?」
と1人が言い返してきた。 そして別の男も
 「何を着ているかなんて、どうして判るのさ?」
と言った。
 「見てよ!これは有名なラップ・スターの写真なんだ。 こんな風だと思うよ」
と言いながら、私は逃げ出した。
 そして、どうしてもLLを見つけられず、パニックに陥りかけていた。
    マイケルとボブ・ジョーンズに何て言おう…   
 マイケルのセキュリティーに頼もうとした時、彼らのトランシーバーから声が聞こえた。 『LLクールJを捜している。 見つかり次第、バックステージに連れてくるように。』
 それを聴くと同時に、私は話し出していた。
 「マイケルは私に会う準備が出来たようですね。 彼に何と言えば良いのだろう?」。

 私はすっかりしょげ返って、マイケルのグリーティングエリアへと入って行った。
 そこはキレイで、ライトというライトが用意され、大量のエビアン水とソフトドリンクがあり、エディ・マーフィーとウーピー・ゴールドバーグが並んでいたのだが… 私はとても落ち込んでいたので、彼らを気にかけることも出来なかった。 ウーピーは私に話しかけてくれ、私も応えたのだが… 何を話したのか憶えてもいない。 何分間かの記憶が無いのだ。

 ドアが開いて、そこに居るはずのLLの姿は…
やはり無い。
 そしてマイケルが
 「写真を撮ろう」
と私を呼んだ! クルーが、マイケルと私をビデオに収めた。
 マイケルは私の手を取り、
 「一緒に踊ろう」
と誘ってくれ、
 「あなたのダンスを見たことがないんだ!」
と、私をからかった。
 そして一緒に写真を撮り、ついに私は… 会場が広くてLLを見つけられなかった事を、マイケルに打ち明けた。
 するとマイケルは、
 「次の日の夜、また会いましょう」
と言ってくれたのだ。 Whew!!!

 バックステージの入口からセキュリティーと出てきた私は、人々の羨ましそうな視線の中を座席まで案内してもらった。
 突然歓声が起こり、LLクールJがスーツに身を包み、少し困ったように母親たちと人込みを掻き分けながら会場に入って来た。 私は彼に駆け寄り、マイケルがまもなくステージに登場する事・明日の夜また会ってくれる事を、LLに伝えた。
 皆が押し寄せ、LLを写真に撮ろうとし、サインをせがんだ。 彼はニュージャージーでは知られ過ぎていて、
 「会場に辿り着くのが大変だったんだ」
と囁いた。
 実際、彼はこのまま会場内での移動を諦めていたほどだった。 ディレクターの1人に救出されて座席に着けたのだが、人々は彼の周りに集まり始めていた。 私は彼の手を取り、もっと安全なエディ・マーフィーの2列前まで連れて行った。
 幸いなことにライトが消え、マイケルのショーが始まった。 その時、アル・B・シュアが現れて人々の関心が少しLLから離れた。

 その後ボブ・ジョーンズはLLを見つけ、マイケルのホテルに翌日来るように彼を招待した。 マイケルの好きなエンターテイナーが映っている彼のプライベートテープに、LLも加わることになる。


 次の日、LLはもっとカジュアルな服装で時間どおりにやって来た。
 マイケルとLLは、2人のラッパーと写真を撮り、マイケルも楽しそうで、ランDMCと会った時よりも居心地が良さそうだった。
 その後、LLは笑いながら私の頬にキスをした。 …うまく行ったんだ!

 こう言うのは早いが、2人はお互いに高め合って、より大きく "BAD" に熟練していくのだろう。


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UPDATE - last '09.4.3 / 1st '09.1.10