【 有名人が語るMJエピソード 】
= 兄弟姉妹編 =

 自身も有名人であり、“超絶”有名人の弟(兄)を持つジャクソン家の兄弟姉妹たち。
 その仲を ことあるごとに取り沙汰されても、意に介すそぶりを見せず 互いについての発言をせずにいる事が一番のやり過ごし方だと心得てはいるものの、時には…
 
 当時のそれぞれの思惑の有り無しはさておき、彼らがマイケルを語った際のインタビューを一部お送りします。

 ジャーメイン (三兄/4歳上)    ラトーヤ (次姉/2歳上)    ジャネット (末妹/8歳下)

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≡ Jermaine Jackson ≡
ジャーメイン
( VOL.16 / Dec 1989 )
JE … ジャーメイン

ジャーメインが16歳の頃、女の子たちは彼に夢中だった!
JE 僕が16歳の時にティーン向けの雑誌の表紙になったりして、僕は最初の黒人のセックス・シンボルになったんだ。 上半身ハダカの写真なんかも撮ったな。
当時のジャクソン5では、僕とマイケルは同じくらい人気があったんだ。 僕たちはジャクソン5の全曲でリードを取っていたからね。
僕たちみんな学校にガールフレンドがいたけど、恋人関係までは行かなかった。 何しろいつも仕事・仕事だったからね。
僕たち兄弟には、ごく普通の子供時代が無かったんだと思うよ。 特に12,3歳の頃はね。
歌って踊るスーパースター・ファミリーは、学校で羨望の的!
JE そうだよ。 殆んどの子たちの目には、僕たちの成功が素晴らしくカッコイイものに映ったようだった。 特に女の子たちにはね。
でも中には、絶えずケンカを吹っかけてくるような子もいたよ。 彼らからすれば、僕たちが歌ったり踊ったりする事がひどく女々しい事のように見えたんだ。
何かのトラブルに巻き込まれた場合には立ち向かって闘うように、って いつも父に言われていた。 父は元ボクサーで、毎週日曜には裏庭にリングを作って、近所の人みんなを集めて、そこの地区の子供たちがボクシングをするのを見せていたんだ。
マイケルは本当に良いボクサーだったよ。 彼は殆んどの子に勝ってた。 マーロンにもね。
そういった事が、僕たちをタフにしたんだ。 僕たちは皆、モハメッド・アリやシュガー・レイ・ロビンソン(共に黒人ボクサー)のような人たちを尊敬しているよ。
17歳の誕生日に、彼はロージーという名のヘビをプレゼントされた!
JE それはボアの子供だったんだ。 僕はどこへ行くのにもその子を連れて行った。
ダイアナ・ロスのラスベガス公演を観に行った時、僕はこっそりそのヘビを飛行機に持ち込んだんだ。 僕がバッグからヘビを取り出すと、スチュワーデスがびっくりして金切り声を上げたんだ。 その次にパイロットがやって来て、 「オーマイゴッド、オーマーゴッド!」 って叫ぶ始末さ。
僕たちはいつもそんな具合に、いろんな人をからかってた。 それが自分たちの正気を保つ秘訣だったのさ。 本当だよ。

マイケルは、もう1本映画を作っている…
JE 僕たちのニューアルバム 『2300 Jackson Street』 に関連して、1時間枠の連続6回のTVドラマが制作されるんだ。
内容はジャクソン家の歴史で、僕たち全員が出演する予定だよ。 『ルーツ』 を撮った人がディレクターをする。 子供時代から現在までの僕たちの人生が描かれるんだ。 『MOONWALKER』 に出ていたブランドン・アダムスがマイケルの子供時代を演じて、僕の子供時代は息子のジャーメイン・ジュニアが演じるんだ。
このTV番組は、ジャクソン家の歴史のきちんとした記録になるだろうね。 何せ、僕たちについて書かれたくだらないガラクタが多いからね。
フランク・ディレオみたいな連中が、マイケルの成功は自分のお蔭だと思っているようだけど、違うね。 何もかも僕たちの両親のお蔭なんだ。

【※編集注 - この番組 『The Jacksons: An American Dream』 は、 '92年11月15日・18日に分け計4時間、米ABCにて放映。 結果的にディレクターはカレン・アーサーが務めた。
子供時代のマイケル役には、幼少期にアレックス・ブラル,J5期にジェイソン・ウィーバーを起用。
'93年、 "Thriller" の振付師でもお馴染みのマイケル・ピータースが 『エミー賞』 の最優秀振付賞を受賞、また 『ヤングアーティスト賞』 の特別枠ではチビマイケル役の2人とも最優秀ミニシリーズ若手配役賞を受賞 】

ジャーメインはマイケルのBADコンサートに参加しそこねた!
JE マイケルのアメリカ公演はみんな観たよ。 兄弟みんなもね。
僕たちはステージの袖で観ていて、マイケルがアンコールか何かの時に僕たちを呼ばないかなって思ってた。 でも彼はそんなことはしなかった。 あれは辛かったよ。
ジャーメインはプリンスのガールフレンドが大好き!
JE 僕はプリンスの音楽が大好きだ。 彼はカッコいいよ。 彼は 『スーパーマン』 のサウンドトラックを今度やるんだよね? え? ああごめん! 『バットマン』 だったね。
彼のガールフレンドですごい美人だと思うのは、バニティとアポロニア。 アポロニアはほんとにイイ女だよ!

ジャーメインはもう一度ホイットニー・ヒューストンとデュエットしたがっている!
JE ホイットニー・ヒューストンに首ったけなんだ。 彼女は僕の理想の女性だよ。
もう一度いっしょに仕事をしたいな。 (ジャーメインの前のソロアルバム 『プレシャウス・モーメント』 の "If You Say My Eyes Are Beautiful" でホイットニーとデュエットしている)
でも彼女は今、新しいアルバムのレコーディングで忙しいみたいだなぁ。

ジャーメインの子供たちを泣き止ませる唯一の方法は、マイケルのビデオを観せること…
JE 僕には5人の子供がいるんだよ。
ジェレミーとジェイミーは2歳。 マイケル・ジョーダン ― 弟のマイケルの名前をもらって付けたんだ ― に、娘のオータム、それにジャーメイン・ジュニア。
(ジャーメインは最近、妻のヘイゼルと離婚した。 彼女はモータウンレコードのボス、ベリー・ゴーディーの娘である)
マイケルを含めた兄弟全員が、カリフォルニアのそれぞれ5分以内の場所に住んでいる。 お蔭で僕たちの家はいつも、姪やら甥やらでいっぱいだよ。 マイケルは、家に来て子供たちと遊ぶのが大好きなんだ。
子供たちが泣き出したら、僕はいつも彼らをTVの前に座らせて、マイケルの 『MOONWALKER』 のテープを観せることにしている。 その1時間半の間は泣くのを止めているよ。
マイケルのビデオの中で、 "Smooth Criminal" が一番好きだ。 あれはダンスと歌を生活に届けてくれる、特別な素晴らしいものなんだ。


"2300 Jackson Street"撮影時、ジャーメインの娘オータムと / 衣装デザイン原画へのサイン

ジャーメインは自分を利用しようとする人が大嫌い!
JE 僕の好意を利用しようとする人がいるけど、大嫌いだよ。
僕たちが親しくしてて信頼していたある一家がいたんだけど、バカにしてるよなぁ。 僕がマイケルの兄であることを利用しようとしたんだ。 いくら僕でも怒るよ!

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≡ La Toya Jackson ≡
ラトーヤ
( VOL.23-24 / Jul-Aug 1990 )
【 『BRAVO』 誌 '89年7月号より 】
 
LA … ラトーヤ    ―― … インタビュアー

―― 新曲のタイトルは "Bad Girl" でしたね。
これには自伝的な意味合いがあるのですか?
今、あなたを "悪い女" という声がかなりあるようですが…
LA どんなこと言われてるの?
―― マイケルとは戦争中だとか、家族中があなたの暴露本を恐れているとか、あなたがとにかくお金しか望んでなくて、 『PLAYBOY』 誌が発売されないようマイケルが何百万ドルも支払おうとしたとか…
LA それはみんなただの噂よ。 (と少し笑い、深呼吸)
とにかく、全部説明するわね。
まず最初に、マイケルと戦争なんてしてないわ。
何故こんなバカな噂が立ったのか解らないくらいよ。 私たち、以前と同じように連絡を取り合っているし、会えるだけ会って週に何度も長電話するの。
『PLAYBOY』 誌の写真を見たのはマイケルが一番最初で、 「とってもステキだ」 って言ってくれたわ。
両親や兄弟(妹)たちが 「こんな写真は撮るべきじゃない」 って言ったのは本当だけど、マイケルは認めてくれたのよ。 電話をくれて、 「とってもきれいでクラッシックで芸術的な写真だ」 って言ってくれたわ。 そして、 「たくさん売れるといいね」 って言ってくれたわ。
実際、彼の言ったとおり、今までのどの号よりもたくさん売れたのよ。
【※編集注 - 『PLAYBOY』 誌に出たのは、ここで語られている '89年3月号と、後述の自叙伝発売直後の '91年11月号。
ラトーヤが語った “マイケルからの評価” について、マイケル本人は 「僕はそんなこと言っていない」 と否定している 】

―― 本のせいでのストレスはどうですか?
【※編集注 - 当時執筆中の自叙伝で、その内容は 「ジャクソン家の暴露本」 である事が早々に噂となった。 '91年9月10日出版、タイトル 『La Toya : Growing up in the Jackson Family』,和訳版タイトル 『Inside The Jackson Family』 】
LA マイケルは私の本を一緒に書きたがってたけど、私のマネージャーのジャック・ゴードンが
「ラトーヤも君の本を一緒に書かなかったよ」 と話したの。
次にマイケルは、ならばその本は自分が出版したいと申し出たら、ジャックがまた 「ラトーヤも君の本を出版しなかったろ」 って言ったわ。
それだけよ。
本の発売を阻止するためにマイケルが出版社をまるごと買おうとしてるだなんて噂、おかしいわ。 笑い話よ。
私がお金のために何でもしていて、ついには犯罪まで… とかいう記事も、ほんとにクソよ!(伏せ字がしてあります)
本のことだけど、誰も内容を知ってるはずがないわ。 誰もね! だから、それについてヘンな噂を立てることなんて出来ないのよ。
―― それでは、何故あなたの弟マイケルは、本の出版にそんなに頑張って手を出したがっているのですか?
LA うぅん~… それは私にも解らないわね。
でも… 本の話はもうしたくないわ。 '90年1月には出るんだもの。
私は家族を愛してる。 何人かが 『PLAYBOY』 誌の件で納得してなくたって、だからといって暴動が起きるわけじゃない。 特にマイケルとはね。
だって彼が 『PLAYBOY』 誌のボス、ヒュー・ヘフナー氏を紹介してくれたんだもの! 私に 「モデルをやったら?」 ってマイケルはいつも言ってたのよ!

―― まぁ、スターになればなるほど噂になるのかもしれませんね。
ところでマイケルは、自分が人形またはあやつり人形と見られている事を知っていますか?
LA マイケルがマリオネットなら、ヒモを引いているのは誰だと言うの?
いいえ、彼は(ヒモを)自分の手の内に収めてるわ。 すごく教養のある、頭の良い人間なのよ。

―― お兄さん達のLPに、あなただけ参加を許されなかったって本当ですか?
【※ "2300 Jackson Street" のこと 】
LA とんでもない。 参加の予定はあったのよ。
でも録音の日、私はヨーロッパにいて間に合うように帰れなかったの。
ジャーメインと電話で録音してみようとしたけど、もちろん無理だったわ。

―― あなたの一日は、どんな風ですか?
LA 朝5時~7時の間に起きて新聞を読んで、飛行機や車に乗って写真の撮影、録音スタジオに行ってインタビューを受けて、夜はよくショウとか出るわ。
一日中こんな感じで、しょっちゅう夜中の2時,3時までかかるの。 そして数時間後にはまた起きて、また始めっからよ。 これが毎日続くの。 どの1分だって仕事してるわ。


 '94年、パリ 『ムーランルージュ』 での仕事放棄の違約金をマイケルは肩代わりして支払った
―― マンハッタンの自宅には、どれくらいの時間いられるんですか?
LA ほとんどゼロ。
―― 趣味の時間はあるのですか?
パーティーに出たり、知人に会ったり…
LA いいえ。 私自身のための時間は取れないの。
もう少しフリータイムも欲しいけど、今は無理。 キャリアの方が大切だし…。
―― キャリアは、人生で一番大切ですか?
LA ええ。
―― 誰かに何か説明しなくちゃいけないとか?
自分自身にとか、家族にとか、独り立ち出来るんだとか。
LA 自分の成功が欲しいの。 自分で働いて得たい。
ジャネットやジャーメインも、マイケルを追い越したいわけじゃないの。 ただ、いつかは自分に対し 「ステキ! やったわ!」 と言いたいの。 自分の働きでね。
アーティストは皆そう思ってるわ。 もしもそう思わない人がいたら、それはこの世界で失うものは何もないって事よ。


―― 両親とはまだコンタクトはありますか?
この前、子供で最後に家を離れた時、父親から逃げるためという噂が…。
LA 私だって両親を愛しているし、もちろんコンタクトも取ってるわ。
それに、父のジョーも、もう怖くない。 とにかく私、いつも彼のするマネージメントが好きになれなくて…。
マイケルだって、よく電話で 「父と離れるべきだ」 って言ってたわ。 彼自身がマネージメントしても良いとさえ言ってくれてたのよ。 でも、いっつも… 「最後に残った子供として冷たく背を向けるわけには行かないわ」 って答えてたの。 耐え切れなくなるまではね。
そしてやっと離れた時、マイケルはJAPANツアー中だったから煩わせたくなかったし、父もジャック・ゴードンをマネージャーとして送り込んできたし、父はジャックに 「ラトーヤの気には入らないだろうけど、彼女のマネージャーになってくれ」 って言ったの。


BADワールドツアーが佳境に入る間際まで大の仲良しだったマイケルとラトーヤ。
ショートフィルムにチョイ役で出たり、ペプシCMの撮影現場に遊びに行ったり。

―― NYに引っ越した時の家族の反応はどうでしたか?
LA 母のキャサリンは何度も電話で帰ってくるように言ってたわ。 ジャーメインもね。 ジャーメインは、NYは私に合わないって思ってたの。
ジャネットは、やはり電話してくれて
 「ステキ! ついにあなたも大人になったのねぇ! NYは楽観的だから、自分自身の人生を送れるわよ!」
って。

 NYには、 『THE WIZ』 撮影のためマイケルが借りたマンションに一緒に住んだことがある

―― 休暇はありますか?
LA 今のところは無いわ。
でももし取れたら、家に帰りたい。 1週間マンハッタン(自宅),1週間エンシノ(実家)…。

―― たまに、良いご主人を見つけて子供を作るなんて事を夢見ませんか?
LA ええ、そうね、恋人が欲しいわ。 とっても惚れ込んでね… 私、ロマンティックなのが好きなの。 そして感情を分かち合える人がいないから。 でもこれって、キャリアを作っていくうちに必要な特性なの。
でも、いつか自分の家族は欲しいわ。 子供を養子に迎えたい。
―― 養子? 自分の子供ではなくて?
LA 養子が欲しいわ、何人も!
―― 肩を借りて泣ける友達とかは、いないのですか?
LA いないの。 1人も。
―― 友人はなく、自由な時間もない。
リラックスするのにアルコールやタバコ,麻薬とかに寄りかかったりしたくなりませんか?
LA とんでもない。 お酒は一度も飲んだことないし、タバコも麻薬も試したことなんてないわ。
退屈そうに聞こえるかもしれないけど、でも平凡な生活をしたことのない人ってそういうものよ。
私の家は、子供はみんな外界から完全に隔離されて育ったし、大体のものは手の届くところにあって。
私立で生徒数が50人しかいない学校に通っていたの。 マーロン・ブランドの息子とか、とにかくショービジネスに子供の頃から浸かっているような…。

'84年、CMに単独出演したラトーヤの日本での知名度は、当時ジャネットと同等かそれ以上
 
―― 噂では、美容整形がよく話題になりますね。 マイケルとあなたの…
LA マイケルの事については、メディアがかなり尾ヒレをつけて報道してるわね。
私はというと、マイケルを守るつもりはないわ。 彼自身の話は彼がするべきでしょう。 なぜ私が、弟がどういう手術を受けたかなんて語らなきゃならないの?
―― マドンナによると、あなたの胸はシリコンで大きくしたとか?
LA それは事実じゃないわ。 もしそんな事したのなら、もっとカッコ良くなってるはずでしょ。
そんな事を言うなんて、マドンナってひどい人ね。
私のマネージャーもその事で訴えようと、私をお医者さんに診せてこの胸が本物だって証明させようとしたわ。 実際診察したけど、その結果を世界中に見せびらかす理由はないと思うもの。 私自身、自分の胸が大きくされたりしてない事は知ってるつもりだし、それで充分じゃない?
だいいち、マドンナ自身、手術したんじゃないかしら? 彼女のバストこそ昔と違って見えるわ。
それに美容整形って、大スターは大体やってるわよ。 特にアンチ・エイジングのね。 シワを伸ばしたり涙腺を取り外したりするのだって美容整形じゃない?


その後 『ジャクソン家の問題児』 とまで言われ 数々の物議を醸したラトーヤだったが、
マネージャー・後に夫となったジャック・ゴードンの呪縛をようやく断ち切ることが出来て
ジャクソン家の中で 皆と笑う彼女の姿に、涙した古参ファンは少なくなかったことだろう

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≡ Janet Jackson ≡
ジャネット
( VOL.56,82,103 / Aug 1993,Jan 1996,Oct 1998 )
【 『Q』 誌 '93年6月号より 】
 
JA … ジャネット    ―― … インタビュアー

―― マイケルが自分の皮膚の色素異常を告白したことについて
【※ このインタビューの少し前、'93年2月24日放送 『オプラ・ウィンフリー・ショウ』 での事を指す 】
JA 私、知ってたわ。 ママも。
パパも知ってたでしょうね。 マイケルが家族に話してたとしても、他に誰が知ってるかなんて事までは私知らないわ。
おできみたいなもんよ。 父方のものみたい。
誰にでも判る症状でしょう? 将来、私や他の兄弟もかかる病かもしれないのよ。
でも、マイケルはいつも言ってた。
 「誰にも言わないで。 マスコミにも誰にも知られたくない。」
これは私にはキツかったわ。 だって、インタビューでみんな皮膚の漂白について訊くんだもの。
クソみたいな質問! 時々ぶん殴ってやろうかと思ったわよ。 何が解るっていうの? ものすごく言いたかった。 でも言わないって約束してたから言えなかった。
私たちは病気について2度話し合ったことがあるわ。 最初は、彼の病気に私が気づいた時。 2度めは1年くらい前、病気が悪化してきたから。
でも、マイクは思い切って告白したの! 
お蔭で私のプレッシャーは無くなったわ。

―― マイケルのコンサートについて
JA マイケルのショウは大好き!
でも1つだけ彼に言ったの。 もっと新しいアルバムからの曲を演れば良いのにって。 それと "Don't Stop 'Til You Get Enough" を演ってって。
マイケルは、
 「わかってるよ、ジャン。 他の兄弟もそう言ってる。
  でも解ってくれる? 時間的な余裕が無かったんだ。 君も忙しくなったらそうなるよ」
って言ったの。 それで、今まで演ってたのと殆んど同じショウになったんだって。
でも、今回のショウだって大好きよ。
特に始まりのところ。 私たち、“トースター”って呼んでるの。 ほら、彼が飛び出てくるとこよ。 だって彼、トーストみたいに飛び出るじゃない。 あのオープニングには参っちゃったなぁ。

私は、彼のファンがいっぱいいた特別席に座ってたの。 彼がまるで地獄から飛び出てきたみたいにジャンプした時、ものすごい大声で叫んじゃったわ。 そしたら私の前にいた子たちが振り返って私を見たらしいけど、私は全然気づかなかった。 友達のティナが、 「ねぇジャン、みんな見てるわよ」 って言ったけど、私はただただ 「わぉーっ! マイケル最高!! 」 って叫んでた。
…私ってバカみたいね。 まずったなぁ。 どうしてあの時そんなことも考えられなかったんだろ?
彼もそう思ってたとしても、すぐ演奏が始まっちゃった。

―― マイケルの知られざる作品について
JA 彼は本物の天才よ。 私は未発表の、これからも発表されることのない彼の曲を聴いているから、そう言えるの。
彼が "ロア" って呼んでる曲も、みんな絶対に聴くことは無いでしょうね。
映画 『THE WIZ』 で留守にしてた時にマイケルは、両親の家のスタジオにそれまで書いた曲のテープを置きっぱなしにしてたの。 その全部、誰も一度も聴いたことが無いのよ。 その曲たちも聴いて欲しがってると思うな。
オーケストラ用のクラシック音楽も彼は書いてるの。 誓って言うけど、まるでバッハかベートーベンの曲みたいよ。

―― マイケルへの対抗意識について
JA 私たち、すごく競い合ってるわ。 他の兄弟姉妹ともね。
彼がニンテンドーとかSEGAのゲームで良いスコアを出すと、それ以上を出そうとムキになっちゃう。 私は友達ともそうなっちゃう。
でも、マイケルに対する嫉妬心は無いわ。 みんな彼を競争に引き込もうとするけど、誰も敵わないのよ。

マイケルは私に電話をくれる。 私のすることを褒めてくれて、 「誇りに思う」 って言ってくれるの。
彼のビデオやライブを観ると、私と同じようなことをしてるんでびっくりする。
 「ちょっと、私を病気にする気? あんな事するなんて信じられない! あれは私のアイデアよ!」
彼、 "Rhythm Nation" の撮影中に遊びに来てたの。
 「オーッ、ジャン。 冗談じゃないよ。 あれは完全に僕のアイデアだよ」
ですって。

 
【 『US』 誌 '95年11月号より 】
 
JA … ジャネット    ―― … インタビュアー

―― "Scream" のビデオでは随分モメたそうだけど… 特に、君のスタッフとマイケル側のスタッフが。
JA そうね。(笑)
マイケルとなかなか意見が合わなかったの。 でも結局はうまく行ったわ。
…でも、そうね。 スタッフはモメてたわね。 (クスクス笑って) いろんな事でね。
―― どんな事?
JA ホントにくだらない事よ。
今回の仕事は生やさしいものじゃなかったの。 とっても難しくて実験的だったのよ。
仕上がりは6日間のようになってるけど、撮影は14日かかったの。
―― マイケルを助けるために頼まれて参加したの?
JA 『RHYTHM NATION』 のツアーの時、マイケルが電話をしてきて
 「デュエットするかい?」
って訊いてきたの。 その時は “マイケルの力を借りてる” って誰にも思われたくなかったから、その話は断わったのよ。
だけど今回は、 “もう皆が私を認めてくれている” と思ったからOKしたの。

―― ジャクソン家にとって、ここ数年はいろいろ大変だったけど、家族は昔のように仲が良いの?
JA 姉のことを抜きにしても、昔と同じというわけには行かないわ。
それぞれが自分たちの仕事を持ってキャリアを積んできたし、ひとつ屋根の下に住んでいるわけでもないしね。
月に1度 『ファミリーデイ』 という日を作って、皆で集まるようにしてきたけど、それも今では難しいのよ。 誰かしら来れなかったりするの。
でも私は、もっと大切なことがあると思うのよ。
これはずっと言ってきた事で、真実だと思ってるんだけど
 “いちばん大切なのは、誰かが必要な時にそこにいる”
という事よ…。


このインタビューから何年も後、姉ラトーヤも交えた 『ファミリーデイ』。
―― 君は最初からマイケルを擁護してきたけど、マイケルの少年たちの扱いは妥当だったと思ってる?
JA (しっかりと) 何も間違ったことなんか見てきてないわ。 全くの濡れぎぬよ。
だって、こんな風なのよ。 例えば…
何度かTVで “マイケル・ジャクソンが少年たちとどんな事をするか” というのを観たけど、
 『マイケル・ジャクソンが今度はヨーロッパにいます。 今回は女の子を連れています。』
って言うのよ! 大笑いしちゃったわ。
その女の子っていうのはイトコだし、しかも男の子なのよ。
皆は子供たちが誰なのか知らないのだろうけど、私たちにしてみればずっと前から知っている子供なのにね。 きっと何か面白いニュースがあると思ったんでしょうけど…。

―― まだ “いつか THRILLERの記録を破りたい” と思ってる?
JA もちろんよ! 夢だわ。
いつか、 『記録を塗り替えた人』 になりたいわ。

―― (リサ・マリーのことを質問されて)
JA 私たちが子供の頃、彼女のお父さん(エルヴィス・プレスリー) が彼女をラスベガスのショウに連れて来ていたけど、その時は特別良い友達にはならなかったの。 でも今回は兄のお嫁さんだし、彼女をよく知るチャンスをもらったわ。
彼女を愛しているわよ。 心の中では本当の姉妹だもの。

―― タブロイドを信じるならば… あの結婚は破綻しているという事だけど。
JA (クスクス笑って) そうね、そうらしいわね、ホント面白いわ。 友達と電話で話している時にそのニュースを観たんだけど、笑っちゃったわ。
…いつもそうなのよ。 何かあると、誰かが私のところへ来て 「あの話は本当なの?」 って訊くんだけど、私は 「知らないわ」 って言うしかないのよ。 私もあなたと同じようにニュースで初めて知ったんだもの。
…誰に判るかしら? “次に自分の家族に何が起きるか” なんて… 誰にも判りっこないのよ。
メディアだってそうよ。 面白おかしく書き立てているのよ。 何の考えもなしにね…。

 
【 『Oprah Winfrey Show』 '98年1月 】
 
JA … ジャネット    ―― … オプラ・ウィンフリー

―― マイケルとは親しいのよね?


JA ええ。
―― じゃあ…
JA うーん、家族の中ではそう、そうね。(笑)
―― それはどういう意味なの?
JA 私たちには共通点がいっぱいあるの。
動物が大好きだったり、仕事やキャリアなんか。
子供の頃は多くの時間を一緒に過ごしたのよ。
―― 子供の頃は淋しかった?
JA 私自身が、ってこと?
―― そう。
JA その頃は、そうね… 淋しかったわ。
私はおてんばだったの。 兄たちと仲が良かったから女の子らしくなかったのね。
ラトーヤやリビーとは親しくなかった。 だって彼女は私より16歳も年上だったしね、リビーは…。
私は、もっぱらお兄ちゃん達といっしょに遊んでたわ。 彼らはいつも私に良くしてくれたし。
だから… 彼らがツアーに出てしまった時、とっても淋しかった。



―― あなたのお兄さん ― マイケルにインタビューしましたよ。 そう、1993年だったわね。 世界中に中継されたのよ。
彼は、孤独の中で育ったと話してくれたわ。 そしてこれが、その時のクリップ。
オプラとマイケルのインタビュー映像が流される

同じような孤独感を分かち合ってきたのかしら?
JA うーん、そうね。
そんなような若い年齢で仕事をするのは難しいのよ。 代償があるのよ。
―― 何がしたかった?
何をしたくなかった?
JA えーと、したくなかった… うーん… 
誰が私に尋ねたのか忘れたわ… 私は仕事をしていたし。 休みたいとも言わなかった。 だけど私は憶えてる… 
うん、学校に通っている時で、学校が終わった後に友達の家に行ってガールスカウトを見て、彼女たちの制服を見て、 「私も入りたい!」 って思った。
だけど出来ないって解ってた。 3日のうちに出かけなくちゃならなかったし…。
―― あなたは、誰が友達だか判らなかった。
JA そのとおり!
―― 友達が家にやって来て、あなたの兄弟たちにプレゼントを渡したり?
JA そう、そんなような人もいたわ。
―― 彼女たちは、あなたにはプレゼントを持ってこなかったの?
JA そうそう。(笑)
難しいことよ… 解るでしょ… 本当の友達を見つけるのは、本当に難しいわ。
“友達” って、相手自身を愛しているのであって、相手の家族がどんな風かだなんて気にならないものよ。
―― マイケルと話したのは、いつが最後?
JA 2年前の12月かな… ずいぶん前ね。


 '95年12月6日 マイケルが緊急入院した日、同じNYにいたジャネットが真っ先に駆けつけた
―― 何か理由があるの?
JA 無いわよ。 そのような対立は無いわ。
彼は、やっとツアー(※HIStory World Tour) が終わったところだし。
―― (マイケルのツアーの) テレフォンカードや何かは持ってないの? [皆が笑う]
JA ほんとに、だけどツアーに出てると、出来るだけ休みを取りたいでしょ。 1日中ミーティングで。
―― それで、対立は無いの?
JA 無いわ。
―― 電話しなかったの?
JA しなかった… 
うーん、実際正直に言うと、電話したわ。 彼が電話して来なかったんだもの。(笑)
ただ、それは大した事じゃないわ。
彼はツアーやその準備とかで忙しいし… 仕事がいっぱい、とにかく忙しいのよ。 ただそれだけの事でしょ。
私が仕事をして育ってきたことをトップにして、私の個人的なことをプレスが大きく扱うから。
でもね、彼は結局は私に電話してきたわ。
―― 彼に競争心を抱く?
JA 誰にでもそう思うわ。
―― あ、彼も含めてかしら?
JA 彼はお兄ちゃんよ… 彼はお兄ちゃんだから、考えにくいわ。
―― じゃあ、もっとアルバムを売りたい?
JA ええ!
―― “ええ!” [みんな笑う]  正直に言ってくれて嬉しいわ。
お兄さんのことについて、どう思う?
JA 解るでしょ… 私は、本当は彼のことについて話したくないのよ… 本当にもう…。
これは、私が決めた事なの。
―― そうね!
それで、もしあなたがこの2年間で彼に電話しなかったら、彼の子供にも会えなかったわね?
JA ええ、マイケルが電話してきて、家族みんなで赤ちゃんに会いに、彼の家に行ったの。
残念だけど、私は行けなかったのよ…
―― いつ、彼に赤ちゃんが出来たって知ったの? 嬉しい?
JA 嬉しいわ。
‥‥またお兄ちゃんのことを話してるわよ! [オプラや皆を指差して笑い出す]
  ~ [ たぶん中略 ] ~
―― もう一度話を持ち出したくないけど。
JA リサは… 彼女のことは好きよ。 リサはクレイジー… 面白いし。
彼女はステキな人、本当にね。 彼女はステキな心の持ち主よ。


 
【 『Larry King Live』 '98年3月15日 】
 
JA … ジャネット    ―― … ラリー・キング

―― 子供の頃やティーンエイジャーの頃、ジャクソン家がこんなにビッグになると考えたことはある?
JA 兄弟が、ってこと?
―― そうです。
JA うーん… そんな事はあんまり考えたこと無いけど。
―― マイケルがスーパースターになるとは?
JA うーん…
―― 兄妹だから、そう考えるのは難しいかな?
JA (笑って) そういう風に考えたことは無いの。
彼の車で、出来たての 『THRILLER』 を聴いた時、今までに聴いたことのない物・すごい物だと思ったわ。
だけど、それで彼が世界のトップになるとは思わなかったもの。 そんなような事は考えなかったの。 彼は、ただ私のお兄ちゃんなのよ。
  ~ [ 中 略 ] ~
―― 君のお兄さん、お兄さんの話に戻りましょう。
JA やめましょうよ。
―― どんな風に…
JA 本気で言ってるのよ。
―― じゃあ、一般的な質問を。 それで終わります。
いいですか?
JA お兄ちゃんのことについては、もう話さないの。
本当に。
―― 彼のことが好きじゃないから?
JA もちろん彼のことは大好きよ。
何でそんなこと言うの? 私はお兄ちゃんが大好きよ。
―― だって話したくないんでしょ。
JA 話したくないわ。 彼に代わって質問に応えるのが好きじゃないの。 私は… 私は、彼のことについて話したくないの。
―― 彼のことを話した君のお姉さんにはハラが立った?
JA ええ、とっても。 だって彼女が言った事にはウソが多かったんだもの。
それに、永い間彼女とは会ってなかった。 最近話したけど…。
―― なぜ彼女はそんな事を言ったの?
JA ええ、今は解るわ。
彼女は、肉体的・精神的に、つらい事がたくさんあったのよ。
今、お姉ちゃんのことについて話してるけど、彼女のことは彼女に訊いてね。
  ~ [ 中 略 ] ~
―― 赤ちゃんは、どうだった?
JA どの?
―― マイケルの子ですよ。
JA ごめんなさい。 だけど23人の甥と姪がいるんだもの。 だから…
―― マイケルの赤ちゃんのことを知りたいんですよ。 会ったことはありますか?
JA ええ、会ったわ。
―― いい子だった?
JA ステキな子よ。 プリンスは素晴らしいわ。

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UPDATE - '08.11.01