フランク・ディレオの通訳・K村さんインタビュー
【 インタビューしちゃった! フランク・ディレオの通訳さん編 】

( VOL.16 / Dec 1989 )
 '87年に大阪で、フランク・ディレオ(マイケルのマネージャー)の通訳をなさった方です。
 マイケルのことなら何でも知りたい好奇心旺盛なMOONWALKは、Sさん・Kさん・Mさんに大阪へ飛んで戴きインタビューしてもらいました。(3人娘さん、ご苦労様でした)

 K村さんは、各国から訪れたジャーナリストの通訳もなさっていましたので、まずはその辺のお話から ―

K … K村さん    ―― … インタビュアー

―― 他のアーティストの通訳をなさったことは?
いえ、いろいろな通訳をしてますが、ミュージシャンの方は初めてです。
ソニーの方から日本旅行に依頼があって、そこから私にお話が来たんです。
―― 各国のジャーナリストが来ていたそうですけど。
ええ、アメリカ・イギリス・オーストラリア…と、オーストラリアのジャーナリストが一番冷めてましたね。でもステージを観て、素晴らしいアーティストだって言ってました。
FM局の方達なんですけど、マイケルのステージを観たのは初めてだったようです。2日間連続でステージを観て、進行は同じですから、それで十分って言ってました。
本国へ帰ってからラジオで日本でのマイケルの人気とかステージの模様を、マイケルの曲に合わせて放送するって言ってました。
―― イギリスのジャーナリストはどうでしたか。
BBCの方がいらしてて、1人1人にインタビューしてらっしゃいましたよ。
DJをしている有名な方なんですけど、他国のジャーナリストにコンサートの感想なんかを熱心に取材してましたね。
アメリカのジャーナリストの方もそうですが、若い方が多かったですね。
アメリカ人は、ステージを観て「素晴らしい!」って興奮してましたよ。
オーストラリアの方は、アメリカ人みたいにオーバーな表現はしないんです。お国柄でしょうね。でも、冷めてたといっても決して悪くは言ってませんでしたよ。やはり「素晴らしいステージだ!」って誉めてました。
―― 大阪で雨が降って遅れた日がありましたよね。
ドシャ降りでしたから、中止になるかもしれないって事で、皆さんフランクさんに訊いてましたけど、フランクさんも判らないって言ってましたね。
雨が降ると、クレーンなど大がかりな仕掛けとかもあるので、とっても危険なんだそうです。
結局1時間ぐらい遅れてやったんですけど、最終的に決めたのはマイケルだったみたいですね。
とにかく、大がかりなステージですね。スタッフの数も多かったですよ。
最初からアンコールの曲まで決まっているようで、「この曲になったらタクシーを手配してくれ」って頼まれまして、ジャーナリストの方達なんかは混雑を避けて少し早めに帰られてました。
―― 時間的なことでアンコールまで決まっているんですか?
どちらかと言えば、マイケルの体力的なことが大きいんじゃないでしょうか。1度のステージを命がけでやってるって感じですよね。体力の限界までステージにぶつけるような。
ですから、いつも終わった後は抱きかかえられるように出て見えました。やっと立ってるって感じで、終わると暗くなってバックステージまでは走っていらっしゃるんですけど…
ライトバンを2m寄せてお迎えするんです。帰られる時は私もお見送りしたりして、まるで王様みたいですよね(笑)
―― 始まる前のバックステージの様子を教えて下さい。
バックステージは、すごく静かですよ。
始まる前に、スタッフ・メンバー全員がエネルギーを溜めているって雰囲気で、嵐の前の静けさというか、とにかくすごい緊張感が漂ってました。
皆それぞれバラバラな事をしてたんですけどね。むこうでバック転の練習をしてる人があるかと思うと、一方ではステージチェックをしていたり、それぞれが自分の仕事を真剣にしているようでした。
でも、アメリカ人スタッフの方がまだリラックスしていましたね。顔もそんなに怖くなかったし(笑)
むしろ、ピリピリして怖い顔をしていたのは日本のスタッフの方でした。
―― スタッフとか関係者の方が大勢で混雑していたんですか。
いえ、ガラーンとしてますよ。かなり広いですから。
ただセキュリティーは厳しかったです。
特に最初の日は、パスを持っている私達ですら なかなか入れてもらえなかったぐらいで。ジャーナリストの方達だって説明してもスンナリとは行きませんでした。
2日目はそれほどでもありませんけど、それでも厳しかったと思います。
―― 他の国ではどうだったんでしょうね。
日本ほど厳しくなかったみたいですね。
―― オーストラリアではあまりストレートに受け入れられなかったそうですけど。
あの国にはアボリジニが居ますでしょ。原住民の人達ですよね。
あの方達は、他の国のブラックの方達とは違って、白人社会に溶け込もうっていう気持ちが全然ないんです。
奴隷制度もありませんでしたし、その必要も無かったというか…
ですから種族のプライドも高いですし、呑気ですね。自分達が生活をしていければ良いっていう感じで、ありのままで良いっていうか、自分達の方が美しいのになぜ整形なんかするんだ、というような反感をマイケルに持ったのかもしれません。
それに、白人社会に融合していること自体が理解できないみたいですよ。
神様から与えられた生活をそのまま続けていれば良いっていう生活ですから、他の社会に合わせて生活する必要は感じてないっていう、ちょっと特別な感覚ですね。
努力すること自体解らないというか、これは仕方のない事なんですけど、歩んできた歴史が違うんですから。
―― K村さんご自身は、マイケルをどう思われましたか。
ステージも観られたそうですけど。
本当に素敵な方ですね。
ステージを観てとても感動しましたよ。私の母も感動してましたよ(笑)
彼本人と直接交流があったわけではありませんけど、ハートもすごく綺麗な人だろうと思いました。
フランクさんも彼のことを、「すごく優しくてナイーブな人だ」っておっしゃってましたよ。とても繊細な、感受性の豊かな人だそうですね。
でも、フランクさんも夜中に突然電話で起こされたりしたみたいですね。(笑)
―― フランク・ディレオって どんな方ですか。
とっても気さくで良い方です。あの方なら、マイケルもホッとするんじゃないかしら。
仕事熱心ですが周りが気を使わなくてもいい人ですし、包容力もありますし、私なんかにでも自分から「握手しましょう」とか「アイスクリーム食べない?」って自分から言って来てくれたり 気安く話しかけて下さいますし、良いステージを作るために一生懸命で、ジャーナリストやプレスの方達にもとても気を使って、皆さんに万遍なく話しかけたりワインを勧めたり、円満な雰囲気で場を和ませて皆をリラックスさせてました。
とても良い方でした。
マイケルとの仲も良かったですよ。

・・・ END ・・・


   ― 編集より追記
 フランク・ディレオ氏は、時を経て交流を持ち始めたマイケルから2009年3月に要請を受け、再びマネージャーに復帰し 『THIS IS IT』コンサートの調整に尽力。
 
 2011年3月21日の心臓手術後、合併症を起こし昏睡状態に陥り、同年8月24日死去。
 ご冥福をお祈り致します。

ディレオ・ファミリー(リンダ夫人&娘ベリンダちゃん) @バックステージ

UPDATE - '06.10.15