UPDATE - '07.10.20
【 ドイツのボディガード氏 インタビュー '88 】
( VOL.17 / Jan 1990 )
ドイツにてマイケルのボディガードを務めた方のインタビュー記事ですが、この方は '88年6月18日ベルリン到着から9月6日のリンツまで、マイケルに信用され42日間密着行動した人物です。
最後にはアームバンドまでもらった彼の見たマイケル、POPCORN誌より要約した和訳でお届けします。
和訳 : A.N
僕は、ボディガードが何人ついて行くかを考えて 「何枚要るのか」 と尋ねたら、ビル・ブレイ氏が
「3枚だよ。マイケルと君と私に」。
そして僕らは、歩いてインターコンチネンタル・ホテルから動物園へ行きました。
子供たちがひそひそ話をする度にマイケルはにやにやしていました。 「No! It's not Michael !!」 ビルが度々そう叫ぶようになると、僕も冷や汗がたらたら。
だから車を取って来て、帰りは車にしました。
「Look at her ass !」(彼女のお尻を見てごらんよ!)
と言ったんだ。 マイケルが。
が、通り越してみると、少なくとも50歳ぐらいのホステス風の人。
マイケルが大笑いしたのは言うまでもないよね。
これが付き添っている人には大変! 終わりなき伝説じゃないけど終わりなき車の旅だからね。 ロンドンからエッセンって所までは14時間!
だから、雨が降ってきてもマイケルにはバレないようにしょっちゅう努力することになります。
「マイケル、空港はちゃぁ~~んと乾いているよ」 って。
【Aパーティ】… 12人。マイケルと5人のアメリカのガードマンと親しい人達
【Bパーティ】… 30人。バックミュージシャン・ダンサー・メイクなど
【Cパーティ】… 80人。技術者・ミキサーなどからステージ組み立ての人まで
クルーの誰かがファンに見つかっちゃったりしてもマイケルに影響が出にくいように、この3グループは別々のホテルに滞在していました。
それに、全員に厳しいアルコール禁止令が出ていましたよ。
音響効果の人は、マイケルがいつも親指をマイクに引っかけちゃう癖をやめられないのを嘆いていました。キーンって音が入ってしまうんです。
いつもマイケルは、
「Little more echo on the voice.」(もう少しエコーを抑えめにして)
と伝えさせるとか。
ノリまくると、ひどい時はグリルボール部をわし掴み。 ご苦労かけます;
マイケルは両手を半分ぐらい持ち上げて立っていて、皆はこのマイケルの掌に自分の手を叩き合わせながら通り過ぎます。(※いわゆるハイタッチ)
いつも同じ、少し汚れた黒いズボンと くたびれた靴。 ひげもポツリポツリ…
どこの街でも、まずビデオショップに行って冒険物とかアニメを選び出すんだ。
アダルトビデオの所でも、よく興味ありげに長い間立ち止まるけど、持って帰ったことは一度もない。
日本でも必ず訪れる。 ちなみに手に取っている品は、ちゃんと(?)ヒチコック作品
だからしょっちゅうボディガード達がポケットを漁って、最後のコインを集めなくちゃならなかった。 …マイケルが何か買う時は。
こんな時、いつも彼は経済的でね。 ハンブルグではスーツケース2つ買ったけど、大安売りのを買ったんだ。
そしたらコックのダミアンが、ミューズリー(※シリアル)と果物を持って来る。そしてその後の食事は、コンサート後に部屋で摂るだけ。
鶏か魚… 赤身の肉は絶対に食べないね。
しょっちゅう 『ウィンナーバルドー』(※オーストリア料理のチェーン店。フライドチキンがやたら美味しい) から何かをテイクアウトしてきて、それを見ているクルー達が欲しがり羨ましがってた。 (マイケル、みんなの分も買ってあげなよォ!)
雨の空港にアダルトビデオ、ミニスカートと大安売りのスーツケースだって。
マイケルのこと目に浮かびますね。笑えましたか?