【 あなたの知らないマイケル 】
 
(スターブリッツ誌 '89年) 
( VOL.19-36 / Mar 1990 - Sep 1991 )
 | 
 
英誌 『スターブリッツ』に連載された記事です。 
内容は、正確な情報に基づいたものばかりではありません。 
  
明らかに事実とは異なっている記事も多々混じっています。 
 
多方面で作られた「親切な」特集記事のせいで逆に、世間や 
ファン達の誤解がさらに根づいてしまい、しかも以下のように 
 微妙に用いられた揶揄に 知らずに刷り込まれてしまう事も … 
 
そんな1つを、少々危険ですが 敢えて掲載します。 
あくまで当時の状況を知るための資料として    。 
和訳 : Cさん
  
 | 
= 記事中のまえがき =
 
 マイケル・ジャクソンが KING OF POPだということは疑いの余地もないことである。  
 彼はその素晴らしい歌唱力と華々しいショーマン・シップとで、世界の度肝を抜いてしまう。 
 弱冠11歳で彼のエンターテイナー・ワールドは始まり、およそ20年で彼自身も想像しなかったほどのビッグ・ネームになったのだ。 
 
 彼のステージやレコードから、そのカリスマ性と刺激的な様子が溢れ出てくる。 
 彼は、"Thriller", "Billie Jean", "Beat It", "Bad" というようなセクシーな曲で我々をぼぅっとさせ、"She's Out Of My Life", "The Girl Is Mine", "One Day In Your Life" というようなソウルフルなバラードで我々を感動させる。 
 そう、Jacko(※原文のまま)は最高    彼はこの10年間で最も成功した男性歌手であり、多分次の10年間でもそのはずだ。 
 
 しかしこの社会現象は、彼のプライバシーを残酷なまでに監視しているような状態に追い込んでしまった。  
 彼の人生について・愛について・希望についての素晴らしい考え方を。 彼の健康への強迫観念・隠遁者のような生活・おかしなまでの動物のコレクション・彼が受けた美容整形の手術の噂など、おびただしい数の記事がタブロイド紙の紙面を飾ったのだった。 
 
 それにしても、インディアナ州に住んでいた8人兄弟姉妹に囲まれた かつての丸ぽちゃ顔の男の子,この誤解されたメガ・スターとは、一体何者なのだろうか? 
 今 我々は、スーパースター マイケル・ジャクソンに関するあなたの知らない数々の事項を明らかにしよう。 マスクのうしろの素顔を見つけ出すために… 
 
 
 
 ― 若き日々 ― 
- 
 ■ ビート・イット!
 - 
 小さなスター歌手にとって、その幼年時代は必ずしも楽な日々ではなかった。 マイケルは厳格な父親ジョーによく叩かれていた。
 
 「あんまりひどく叩くようなら、父にこう言うつもりだったんだ。 
  “僕を殴るのなら、もう二度と歌わないよ”って」。 
 幸いうまく切り抜けたらしく、マイケルはその後20年間歌い続けている。 
 
- 
 ■ バック・トゥ・ザ・ルーツ
 - 
 
 マイケル・ジョゼフ・ジャクソンは、1958年8月29日にインディアナ州ゲイリーで生まれた。 
 母親はキャサリン,父親はジョゼフ。 9人兄弟の下から三番目の子であった。 
 ジャッキー,ティト,ジャーメイン,マーロンそれにマイケルは、後に大成功を遂げるジャクソン5を結成することになる。 
 
- 
 ■ テイク・ミー・ホーム
 - 
 マイケルのおっかない父親はクレーンの操縦員で、母親キャサリンは 『エホバの証人』の熱心な信者だった。
 
 家は貧しく、楽しみといったら夜に母親の好きなカントリー・ソングを歌うことぐらいであった。 
 
- 
 ■ 魂の解放
 - 
 マイケルがまだたった11歳の時に、ジャクソン5は最初のヒット曲 "I Want You Back"を出した。 瞬く間にヒットチャートの第1位になり、200万枚以上のセールスとなった。 以来、彼はずっと第一線で活躍し続けている。
 
 彼はそういった人生しか知らないけれど、この人生を幸せに満ちたものだと感じている。 
 「僕はいつだってステージを楽しんでいるよ。 
  僕がステージに出ると、突然どこからか “マジック”がやって来て、魂が僕を駆り立てるんだ。 もうその時は自分をコントロール出来なくなってしまうんだよ。」 
 
- 
 ■ テレビに釘づけ
 - 
 ジャクソン家のテレビが壊れなければ、マイケルというスターは誕生しなかったかもしれない。
 
 「マイケルはテレビに釘づけな子だったのよ。 特にアニメが大好きだったの。 
  ところがある日テレビが壊れてしまって、途方に暮れてしまったの。」 
と、彼のママも語っている。 
 そしてその時からジャクソン家のチビっ子たちは、自分たちで歌ったり踊ったりして楽しむようになったのだった。 
 
- 
 
 ■ コンガを叩こう
 - 
 マイケルがわずか5歳の時、その音楽歴はスタートした。 兄弟たちの歌のバックでコンガを叩いたのだった。
 
 父親のジョゼフは子供たちのマネージャーとなり、楽器を弾いて練習を手伝った。 少しでも手の空いた時間があれば、必ず練習に励んだ。 マイケルも 
 「学校から帰ると毎日練習をしていたよ」 
と語っている。 
 
- 
 ■ ボローニャ風スパゲッティ
 - 
 12歳の頃には週に1,000通ものファンレターを手にするようになったけれども、彼の興味は絵を描くことやジグソーパズルにあった。
 
 彼はどこへ行っても、たちまちファンに取り囲まれてしまうようになった。 
 「たくさんの手に囲まれて、まるでスパゲッティみたいだって思ったよ」。 
 
- 
 ■ スウィートネス・アンド・ライト
 - 
 マイケルと兄弟たちの初ステージは、彼が9歳の1965年、ルーズベルト高校でのことだった。
 
 彼はボンゴを叩き、友達のレナード・ジョーンズはリードギターを弾いた。 レナードは14歳。 彼はこの少年たちのひとりの、内に秘められた素晴らしい可能性に気づいたのだった。 
 「マイケルと初めて会った時は、彼はまだ小さくてとても愛らしかったよ。 
  今では、自己中心的で横暴なあのお父さんに似てきたね」。 
 
- 
 ■ 最高の誘惑
 - 
 ジャクソン家の若者たちの持ち曲は、主にカントリー・ミュージックだったが、マイケルはデトロイトのモータウンの斬新さに早くも影響を受けていた。
 
 「僕が本当に好きなのは、テンプテーションズ(誘惑)や シュープリームス(最高の)みたいなグループだったんだ」。 
  
 
- 
 ■ ダーティ・ダイアナ
 - 
 奇しくも地方の政治集会にてマイケルとそのグループに最初に目をつけたのは、ダイアナ・ロスであった。
 
 「まず、その小さな子供をよく観察したの。 それからじっくり考えたわ」 
と、彼女は語っている。 そしてその子供たちのことをベリー・ゴーディに告げたのだった。 彼はダイアナのボスであり、モータウンのキングだった。 
 
- 
 ■ ホール・イン・ワン
 - 
 
 ジャクソン家の子供たちのオーディションは、ゴーディの    マイケルに言わせれば 「信じられないぐらい大きい」    大邸宅で行なわれた。 
 「裏庭には12ホールのゴルフ場があってね。 彼が、もしもそこで僕らがホール・イン・ワンを出せたら1万ドルあげるなんて言って、面白がってやらせようとしたんだよ」。 
 その後1968年にゴーディのモータウン社と彼らは契約、1969年にデビューすることになったのだった。 
 
- 
 ■ 名声と富
 - 
 17歳の時、マイケルは億万長者になった。 名声は、かつての生意気でニコニコした丸ぽちゃ顔のティーンの若者を、世捨て人に変えてしまった。
 
 「僕にとって ごく普通の人っていうのは、僕を走って追いかけてきて服を引きちぎろうとする人のことなんだ」 
と、マイケルは語っていた。 
 
- 
 ■ シェイク・ユア・ボディ
 - 
 子供の頃からマイケルはダンスが大好きだった。
 
 4歳の時には、それを喜んで見てくれる家族にカッコいいダンスを披露していた。 
 「マイケルは、いつもジェームス・ブラウンの粋なステップを真似しようと練習してた。 これがまた、すごく上手いんだ」 
と、兄ジャーメインも語っている。 
  
 
- 
 ■ 子供時代の思い出
 - 
 マイケルの人生で一番幸せな時期は、ダイアナ・ロスと一緒に暮らし その保護下にあった時だった。
 
 「ダイアナは僕に、自由についてや自分自身である事など、全てについて教えてくれたんだ」。 
 ダイアナはマイケルをディズニーランドに連れて行き、彼が失ってしまった子供時代をほんの一時だが体験させたのだった。 
 
- 
 ■ 誇りと喜び
 - 
 マイケルは、自分の家の敷地内で放し飼いにするつもりでライオンを購入した。
 
 ボブ・ダン氏の手によって映画スターになることで、彼(ライオン)の誇りと喜びは満たされた。 ボブは、バブルスやキリンの調教もしている。 
 しかし、近所の人たちにとってはいい迷惑だ。 
 
- 
 ■ ピーナッツより良い物
 - 
 
 マイケルの可愛い親友バブルスは、大金を稼ぐことにした。 
 やがて彼は、パリの地下鉄のTV用CMに初めて出演し、ピーナッツ以上の物を受け取った。 なんと、10万ポンド(約2,300万円)を! 
 
- 
 ■ アニマル・マジック
 - 
 猿のペットだけでは満足せず、マイケルの家はほとんど動物園と化している。
 
 ボアという種類の大蛇のマッスルズ,ラマのルーイ,二頭の鹿と小鹿,キリン,オウムのリッキー,それに何羽かの白鳥や小鳥等がいる。 
 
  
- 
 ■ ゴーイング・エイプ 
 
   (猿になる=頭がヘンだ) 
  
 - 
 ペットのチンパンジー ― 彼はデザイナーズ・ブランドのスポーツウェアを着ている ― を、自分のヨーロッパ・ツアーのイギリスへは連れて行けないと聞いたマイケルは、途方に暮れてしまった。
 
 「僕の動物たちはみんな親友なんだ。 彼らは無条件で素直に、誰をも愛するんだよ」 
と、マイケルは説明している。 
 
                   
 
 
 ― マスクをした男 ― 
- 
 ■ バッドよりもっと悪い
 - 
 '88年にマイケルは、以下の賞に選ばれている。
 
 ワースト男性歌手 / ワースト・ロックミュージシャン / ワースト・ドレッサー歌手 / ワースト・アルバム 『BAD』 / ワースト・シングル "I Just Can't Stop Loving You" / ワースト・アルバムジャケット 『BAD』 / ワースト・ビデオ "Bad" / ワースト誇大広告。 
 これを選んだのは、アメリカの音楽雑誌 『Rolling Stone』誌である。 最低の雑誌だ! 
  
 
- 
 ■ おやまぁ
 - 
 マイケルは、自分にはフランス産のミネラルウォーターが必要だと言っている。 これで、完璧な “変わり者(Jacko)” になってしまった。
 
 彼は、ステージに出る直前に必ずトマトを食べている。 何故なら、 「それで声の調子が完全になるんだ」 そうだ。 
 変な奴って思いますか? それとも良いアイディアだって思いますか? 
 
- 
 ■ ナッツ・トゥ・ユー (ばかを言うな)
 - 
 マイケルは徹底したベジタリアンである。
 
 通常彼はナッツや葡萄・アボカド等を食べ、主にフルーツジュースを飲む。 そして日曜日には断食をする。 
 「こうするとすごく身体に良いんだよ。 身体の中に溜まったゴミを体外に出してきれいにするんだ。 
  もし生きるための食事をしなくて良いんなら、いろいろ悩んだりしなくていいのになぁ」 
等とも言っている。 
 
- 
 ■ リーブ・ミー・アローン
 - 
 
 お騒がせスーパースター、Jackoにも悩みの種はある。 
 彼は以前、自分を批判する人たちに、苦痛に満ちた一文を送ったことがある。 
 「いい加減にして下さい。 僕はもう長い間、傷ついて血を流し続けています」。 
 
- 
 ■ 不死身の男
 - 
 彼はカリフォルニア・エンシノの自宅にスイスの山の空気の詰まったボンベを送らせ、生命維持用の酸素テントの中をその空気で満たし、そこで寝ているのだとか。
 
 「自分の体を大事に扱えば、150歳まで生きられるって信じているんだ」 
と語っているという話。 
 
- 
 ■ ヒューヒューヒュー
 - 
 先ごろイギリスに訪問した際、彼はホテルの従業員を大いに驚かせた。 それというのも、入浴用に8,000ポンド(約190万円)分のペリエを注文したからだ。
 
 彼は日に2回入浴するが、その度に300本のペリエでバスタブを満たすのだった。 
 
- 
 ■ 本当の理由
 - 
 彼が手術用のマスクを付けるのは、たぶん病原菌の汚染から逃がれるためであろう。 彼は他人から何らかの菌が感染するのを恐れているのだ。
 
 だが妹のジャネットは、彼がマスクを付けるのは、誰だか判らないようにして他人にじろじろ見られないようにする為だと言う。 
 「私たち、彼に言ったのよ。 そんなの逆効果だって。 でも彼は、絶対だって信じてるの」 
と、彼女は言っている。 
 
- 
 ■ ブレイム・イット・オン・ザ・ブギー
 - 
 マイケル・ジャクソンのように動くことは、誰にも絶対に出来ない。
 
 彼が4歳の時から、彼の人生においてダンスはとても大切なものになった。 
 「どんな時にでも、ダンスを踊るってことは最高に素晴らしいことなんだって思うよ」 
と、彼はハァハァ息を切らせながら言ってくれた。 
  
 
- 
 ■ ネバー・ネバー・ランド
 - 
 本当の意味での子供時代の無かったマイケルは、今、ピーターパンに取り憑かれている。 そう、例の決して大人にならない少年のことだ。
 
 「僕は子供たちが大好きだよ。 レコーディングがうまく行かなくてイライラした時なんかは、一番近くの小学校の校庭に行って、彼らの中に入り込むんだ」。 
 
- 
 
 ■ アイ・ウォント・マッスル
 - 
 マイケルは、ヘビやトカゲのような鱗のある爬虫類も好きである。 実際、マッスルズという名のボアを飼っている。
 
 「ヘビはとっても誤解されているんだ。 彼らはスウィートな動物だって僕は思ってるよ!」 
と、彼はヘビ達のために抗弁している。 
 
- 
 ■ 代用品ではない
 - 
 マリブの丘陵にあるマイケルの新しいおとぎの国の城には、たくさんのマネキン人形のコレクションがある。
 
 ウワサでは、彼は友人たちを家に招待して一緒に過ごすよりも人形たちとおしゃべりする方を好むらしい。 
 
- 
 ■ 愛はすべてのものに勝つ
 - 
 マイケルは 1万2千ポンド(約275万円)を、5歳の日本人少年の家族に贈った。 その少年は、彼の1ヶ月にも及ぶ日本ツアーの最中に誘拐され殺されてしまったのだ。
 
 「このツアーを、功明くんの思い出に捧げます」。 
 
  
"Man In The Mirror" のシングルには、マイケルからの哀悼と その印税すべてを癌に苦しんでいる子供達のために寄付する旨が記されている。 
 DEDICATED TO YOSHIAKI xxx / MAY SUCH A TERRIBLE THING NEVER HAPPEN AGAIN /  
 I WILL ALWAYS LOVE YOU  
 MICHAEL JACKSON
 
 
  
- 
 ■ ホーム・スウィート・ホーム
 - 
 カリフォルニアのエンシノにあるジャクソンズの家は、小さな平屋建ての家とはとても言えないものだ。
 
 そこには35席の映画館,ビデオゲームセンター,さらに庭にはディズニーワールドの乗り物の複製や私設動物園まである。 なんとまぁ! 
 
- 
 ■ セイブ・ザ・チルドレン
 - 
 彼は 12万ポンド(約2,750万円)の大金を、ロンドンのグレート・オーモント・ストリート病院に寄付した。
 
 さらに各病室を見舞い、100個ものプレゼントを子供たちに配ったのだった。 
 
- 
 
 ■ 悲しい現実
 - 
 マイケルは滅多にインタビューに応じないし、公共の場にもごく稀にしか現れない。 それにいつもボディガードがぴったりと付いている。
 
 「僕が僕である限り、誰かと知り合いになるなんて 殆んど不可能なんだ。 ごく普通の友情を築くことが、僕には出来ないんだよ」 
と、悲しげに語っていた。 
 
- 
 ■ 天までのぼれ
 - 
 マイケルは、自分は空を飛べるんだと はっきりと言い切った。
 
 「僕たちはみんな飛べるんだよ。 ただ、身体を浮かせる正しい方法が判らないだけなんだ」。 
 
- 
 ■ フルハウス
 - 
 マイケル狂いのジョージ・ケイナは、ポーカーの賭け金 5,000ポンド(約115万円)を取り損なってしまった。 何故ならゲーム修了時に集金できなかったからである。 その時間に彼は、自分のスーパーヒーローが歌うのを観に行ってしまったのだ。
 
 それにも関わらず、それだけの価値は充分にあったと彼は思っている。 
 
- 
 ■ ハッピーバースディ
 - 
 リズ・テイラーは、それに乗ってピラミッド回りが出来るようにと、マイケルの30歳の誕生日に彼とバブルスに熱気球をプレゼントしたのだった。
 
 
- 
 ■ ライク・ア・バージン
 - 
 マイケルは、婚前交渉をしてはいけないと思っている。
 
 彼の性について、ひと頃タブロイド紙が騒いだことがあった。 ある新聞では彼はゲイだと書き、別の新聞では性転換手術を受けたと書いていた。 
 それらについて、彼は自己弁護している。 
 「全くのデタラメだっていう事は、僕が一番よく知っていますので気にもなりません。 
  確かに、僕のファンの中には大勢ゲイの人たちもいます。 偏見なんてありませんから気にしていません。 
  でも、僕はゲイじゃありません」。 
 
- 
 ■ 確かにそうだ
 - 
 以前Jackoは、大きな遊園地をまるごと借りたことがある。
 
 一晩、アルトン・タワーズは貸し切られ、マイケルと彼の友人たちは好きな時に好きな物に乗ることが出来た。 1万2千ポンド(約280万円)が、まるで電気自動車コーナー(電気自動車に乗って囲いの中でぶつかり合うもの)の小さな坂みたいに扱われている! 
 
  
二兄ティトの息子たち(3T)と遊園地で遊ぶマイケル
                     
 
 
 
 ― 愛と友情 ― 
- 
 ■ ひざまずいて
 - 
 彼は以前、エリザベス・テイラーに結婚を申し込んだ。
 
 が ― 彼女はきっぱりと断わった。 
 
- 
 ■ マテリアル・ガール
 - 
 マドンナは、変人のスーパースターとのディナー・デートを断わったことがある。
 
 「だって退屈しちゃうと思ったのよ」 
と彼女は言っている。 
 
- 
 ■ キスしたJacko
 - 
 公の場でマイケルが初めてキスした女性は、タチアナ・サムツェンであった。 
 
 彼女は、 "The Way You Make Me Feel" のビデオに出演していた女性だ。 
 ステージで彼らが踊っていた最中に、彼はタチアナにキスしたのだった。 
 「今までどんな女性も僕をこんな気持ちにしたことが無かった。 僕は本当に彼女に恋してるんだ」。 
 彼はその時29歳であった。 
 
  
  タチアナは、のちに反省の弁を述べている。 
  「その瞬間、すぐに “しまった!”って後悔したわ。 彼が凍りついちゃったのが判ったから」。 
 
  
- 
 ■ ドリーマー
 - 
 
 マイケルは、ファイブ・スターのドリス・ピアソンをバックステージに招待した。  
 以来 彼は、週に1度彼女に電話しているらしい。 
 ドリスはマイケルについて こう言っている。 
 「彼は私の理想の人にぴったりよ。  
  才能があって、ハンサムで、とっても優しい人なの」。 
 
- 
 ■ 結婚して!
 - 
 マイケルは今まで4千回以上もプロポーズをしている。 それにも関わらず、未だに独身である。
 
 是非そのままでいてほしいものだ! 
 
- 
 
 ■ 大親友
 - 
 ダイアナ・ロスは、マイケルの古い友人のひとりである。 彼は彼女について こう語っていた。
 
 「まず、僕はダイアナを愛しているってことを言わなきゃね」。 
 けれどダイアナがノルウェー人の実業家と結婚した時、ふたりは小さいとは言い難いケンカをしたのだった。 
 
- 
 ■ 子育て
 - 
 マイケルは、子供のパタパタいう足音を聞くのが大好きである。
 
 ウワサでは、人工授精で彼の子供の母親に喜んでなってくれる女性を探すため、彼は100万ポンド(約2億3千万円)以上の金額を提示したらしい。 
 
- 
 ■ メイキング・アイ
 - 
 メイクアップ・ガールのカレン・フェイは、マイケルのメイクをしたという事ではなくて 彼に言い寄ったと噂され、にわかに注目の人になった。
 
 
- 
 ■ 恋の噂?
 - 
 ワークアウト女優ジェーン・フォンダは、ハンサムなポップスターとロマンティックな関係にある幸運な女性のひとりである。
 
 が、彼女は、彼の母親と言ってもおかしくない年齢である! 
  
 
- 
 ■ 黄昏
 - 
 
 何にも増して奇妙なのは、マイケルとエキセントリックな女優キャサリン・ヘップバーンとの関係である。 
 「彼女と初めて会った時、僕はどちらかと言うと彼女のことが怖かったんだ。 彼女は、嫌いなら “私あなたが嫌いよ”って はっきり言う人だから。 
  でも、彼女と僕は似てるんだよ。 僕たち、定期的に手紙や電話のやり取りをしてるんだ」。 
 
           
 
 
 ― ミュージック・アンド・ミー ― 
- 
 ■ 人生はキャバレー
 - 
 「彼女 ― 昔の子役 ― は、僕に似てるんだ。 彼女のことが死ぬほど好きだ」
 
と、マイケルはライザ・ミネリについての気持ちを打ち明けた。 
 彼女は、彼の最も親しい友人のひとりである。 
  
 
- 
 ■ キス&テル
 - 
 その他、マイケルとサンドウィッチをつまみながらおしゃべり出来る(つまり気楽に彼と雑談できる)女性は、リズ・テイラー,テイタム・オニール,ブルック・シールズらであろう。
 
 
- 
 ■ 驚嘆
 - 
 
 歌手で友人のスティービー・ワンダーは、マイケルについて次のように言っている。 
 「マイケルは、あらゆる名声や栄誉を受けるに値する男さ。 彼は素晴らしいパフォーマーであり、最も人間らしい人間なんだ」。 
 
- 
 ■ バッドじゃない
 - 
 マイケルのソロアルバム 『BAD』 は、アメリカのBillboard誌のトップ100で ナンバーワン・シングルを5曲出した最初のレコードとなった。
 
 彼は、ナンバーワン・ヒットを9曲出すという前人未到の記録で、この10年間で最も成功したアーティストになったのだ。 すごい! 
 
- 
 ■ 有名人のファン
 - 
 Wacko Jacko (※原文のまま)のイギリス・ツアーの初日のウェンブリー・スタジアムには、彼を観ようと7万2千人のファンが集まった。
 
 その中には、テレンス・トレント・ダービー,デッド・オア・アライブ,フランク・ブルーノ,ジョン・ピール,バレリー・シングルトン,ラス・アボット、それに彼の家族全員もいたのだった。 
 
- 
 ■ ゴーイング・ソロ
 - 
 '71年にマイケルは、最初のソロ・シングル "Got To Be There" を出した。
 
 この曲はすぐにヒットした。 その後の多くの曲も同様である。 
 
 
 
当時の日本での 『Got To Be There』 アルバム広告
 
  
- 
 ■ トップ・オブ・ザ・クラス
 - 
 '89年にWacko Jackoは、ロンドンのアルバート・ホールで開かれたブリッツ音楽賞で、最優秀国際男性歌手に選ばれた。 さらに最優秀ビデオにも選ばれたのだった。
 
 
- 
 ■ 御一行様
 - 
 マイケルの長い長いロードには、120人のクルーが同行する。
 
 そのうちの20人が彼個人の随行員である。 その中には医者,歯医者,ノドの専門家,マニキュア師,手足の治療医(マメの手入れ等をする),マッサージ師,ヘアドレッサー,2人の秘書,2人のコック,7人の身の回りの係たちが含まれる。 いやはや! 
 
- 
 ■ 耳を傾けて
 - 
 
 音楽はマイケルのハートであり、ソウルである。 それは彼が100万ポンドの寄付をしたことからも判る。  
 マイケルは、恵まれない音楽学校の学生を援助する特別な計画を通じて、40人の学生を援助したのだ。 
 
- 
 ■ ピーター・ポーン
 - 
 イタリア・ツアーの初日の夜ローマで、色気たっぷりのマイケルは、犯罪行為の原因となってしまった。
 
 クラードは、SMの革のコスチュームを身に着けて会場に来たのだった。 タブロイド紙は彼に、ピーターパンに引っかけてピーター・ポーン(ポルノの意)とあだ名をつけた。  
 シラける奴だ! 
 
- 
 ■ 辛くて大変な
 - 
 マイケルの元マネージャー,フランク・ディレオは次のような考えを述べている。
 
 「マイケルがヨーロッパ・ツアーを行なったのは、彼自身を世界中に見せたかったからだと思う。 お金のためなんかじゃないさ」。 
 幸運にも彼は、この辛くて大変な旅をしてくれたのだった。 どうもありがとう! 
 
- 
 ■ あ、そう
 - 
 非常に素晴らしいものであったマイケル・ジャクソンのファースト・ソロ・コンサートは、'87年9月10日に日本から始まった。 ヨーロッパ・ツアーは去年('88年)に 3ヶ月にわたって行なわれた。
 
 イギリスでは、彼1人をひと目見たいという100万人のファン達に求められ、ウェンブリー・アリーナで5日間公演が完売という新記録を樹立した。 
 
- 
 ■ それはすごい
 - 
 彼のアルバム 『BAD』 がリリースされたのは、'87年8月であった。
 
 すごいことに、全世界で1,200万枚ものセールスがあった。 さらに驚異的なことは、『BAD』 が世界24ヶ国でナンバーワンのセールスを上げたことである。 
 
- 
 ■ アラウンド・ザ・ワールド
 - 
 ヨーロッパ・ツアーでは、マイケルは12ヶ国・42の会場で歌い踊ったのであった。
 
  
 
- 
 ■ センターステージ
 - 
 Wacko Jackoは、彼の人生のほとんどの日々をステージの上で過ごしてきた為、そこを家だと思っている。
 
 「僕は、今では普通の人たちとは違う人間になってしまったんだ。 ステージの上だけが僕に生きているって思わせる場なんだ。 そして唯一の安全だと思える場だよ。 
  許されるなら、そこで眠りたいぐらいだ」。 
 
- 
 
 ■ ワイルド・ウーマン
 - 
 キム・ワイルドは、マイケルの'88年のヨーロッパ・ツアーのサポートを務めたセクシーな歌手である。
 
 彼女とマイケルが実際に会ったのは、ツアーが一段落してからであった。 
 「彼がミュンヘンに行ってしまう前にぜひ会いたいって頼んだのよ。 
  彼はね、とってもスウィートで優しかったわ。 それでもって、すごくシャイなの」 
と、彼女は言っている。 
 
- 
 ■ 黄金の重み
 - 
 ある情報筋によれば、マイケルは世界で一番ギャラの高いエンターテイナーであり、年間なんと6千万ポンド(約140億円)の稼ぎがあるそうだ。
 
 彼は、自分の体重の6人分と同じ重さの黄金と同じくらい価値があると言われる大富豪なのである。 すごい! 
 
- 
 ■ チケット・トゥ・ライド
 - 
 我々はマイケル・ジャクソンを愛しているけれど、彼の歌を聴くために175ポンド(約4万円)も出す気になりますか? しかし、何人かの熱狂的なファンは、この高額なチケットを買ったのだった。
 
 このチケットには、夕食代・記念品代・シャンパン付のレセプション代,そしてウェンブリーでのコンサートの席代が含まれていた! 
 
- 
 ■ フォーエバー・ユアーズ
 - 
 '71年~'76年の間に、マイケルは以下のアルバムを出している。
 
 『GOT TO BE THERE』,『BEN』,『MUSIC AND ME』,『FOREVER MICHAEL』。 
  
 
- 
 ■ 売り切れ
 - 
 アルバム 『THRILLER』 は、世界中で4,000万枚以上売れた。
 
 マイケル本人も、その印税が一体どのくらいになるのか 多分わかってはいないだろう。 
 
                     
 
 
 ― 奇妙なファックス ― 
- 
 ■ 過去からの声
 - 
 マイケルは、ジョン・レノンの幽霊が ナイキ・スポーツウェアのTV-CMにビートルズの曲を使用することを許可した、と主張している。
 
 「僕が部屋にいた時、ふと見上げるとジョン・レノンの姿が見えたんだ。 彼は穏やかな様子だったよ。 そして、“俺の音楽を生かし続けてくれないか”って言ったんだよ」。 
 
- 
 
 ■ 少年たちのオモチャ
 - 
 ポップス界のピーターパンことマイケルは、彼自身の作り出した子供っぽい世界に生きている。
 
 彼は先ごろ特別企画のショッピング・パーティで、仲良しのジミー・セイフチャックと共にロンドンのハムレイのオモチャ屋へ行った。 彼はそこで3,000ポンド(約70万円)分のオモチャを買ったのだった! 
 
- 
 ■ 山ほどのお世辞
 - 
 アイルランドの有名なブラーニー・ストーンを訪れた時、 “その石にキスをするとお世辞が上手くなる” とキスを勧められたが、Jackoはきっぱりと断わった。
 
 プレス関係者たちがその石にキスしているのを見て、彼はこう言った。 
 「キスなんてしたくないよ。 エイズとかその他の悪い病気にかかりたくないもの」。 
 
- 
 ■ 変じゃないわけない
 - 
 マイケルは姉ラトーヤと共に かつて、ベル・エアのトム・ジョーンズのマンションを突然訪ねたことがある。
 
 そのマンションの住人はトムだけであった。 にも関わらず、プールサイドにある赤い電話BOXにマイケルは興味津々になった。 
 トム自身はそのことを全く変だと思っていなかったので、 
 「わたしは褒められたんだよ」 
と言っている。 
 
- 
 
 ■ 運転は出来るの?
 - 
 '88年のヨーロッパ・ツアー用のクルーを1人雇うために、彼はまず始めに480人のドイツ人に エイズに罹っていないという証明書を要求した。
 
 その末にお抱え運転手になったカリ・ハーンによれば、 
 「誰も俺に運転免許証を見せろって言わないんだ。 彼らが見せろって言ったのは健康証明書だけだったんだぜ!」。 
 
- 
 ■ セックス・ドラッグ・ロックンロール
 - 
 母親と同様に、彼は熱心な 『エホバの証人』 の信者である。 彼は絶対にドラッグや酒類に手も触れない。
 
 「いわゆる “ハイ”な状態に、僕はなったことがない。 精神を解放するのなら、海岸を散歩したり 美しい内容の本を読んだり 歌を書いたり 子供たちと一緒に過ごしたりするよ」。 
 
- 
 ■ スマッシュ・ヒッツ
 - 
 『OFF THE WALL』 は、クインシー・ジョーンズとマイケルが共同プロデュースした最初のアルバムであった。
 
 そして、それは嵐を巻き起こした。 何しろ "Off The Wall", "Rock With You", "She's Out Of My Life", "Girlfriend" の4曲のヒットソングを生み出したのだから。 
 
- 
 ■ レット・イット・ビー
 - 
 マイケルは、親友(いや彼がビートルズの曲の権利を買って以来は "元"親友であった)ポール・マッカートニーと2曲デュエットしている。 "The Girl Is Mine" と "Say Say Say" である。
 
 2曲ともトップ10入りを果たした。 
 
  
第3弾デュエットシングル "The Man" は SONYに差し止められ、ペルーでのみ公式リリース 
 
- 
 ■ いいですか?
 - 
 映画 『MOONWALKER』 には、今までの数々のヒットソングが収められている。
 
 その中には、"Man In The Mirror" と "Smooth Criminal" も含まれている。 素晴らしい! 
 
- 
 ■ ベスト6
 - 
 『THRILLER』 は、6曲もヒットソングを生み出した。 特筆すべきは、そんな記録を達成したアルバムは今までに無かったということだ。
 
 "Beat It", "Thriller", "Billie Jean", "Wanna Be Startin' Somethin'", "P.Y.T."、それと "Farewell My Summer Love" でしたっけ? 
 
- 
 ■ 筋肉増強
 - 
 '82年にマイケルは、"Muscles" というエッチな曲を親友ダイアナ・ロスのために書いた。
 
 
- 
 
 ■ ピエロの涙
 - 
 "Wanna Be Startin' Somethin'" の中でマイケルは、彼の言動をわざと曲解して書くゴシップ・コラムニスト達を攻撃している。
 
 彼は悲しげにこう言った。 
 「僕について事実と違うことばかり書かれるのは、本当に傷つくんだ」。 
 
- 
 ■ 尊敬するヒーロー
 - 
 マイケルの音楽のヒーローは、スティービー・ワンダー,チャック・ベリー,リトル・リチャード,ジェームス・ブラウン,ジャッキー・ウィルソンである。
 
 
- 
 ■ オペラ座の怪人?
 - 
 
 Wacko Jackoは、スティーブン・スピルバーグに、彼の次回作であるアンドリュー・ロイド・ウェーバーの 『オペラ座の怪人』 の映画版に主演したいと頼んだ。 
 トップ・フィルム・メーカーのスピルバーグも、マイケルの特異な個性は この悲劇的な役にぴったりだと思っているのだった。 
 
- 
 ■ 驚いたな!
 - 
 ペプシの超豪華TV-CMの撮影中、マイケルの髪はご難続きであった。 不運にも裏方のアクシデントで彼の髪が燃え上がってしまったのだ。 おかげで頭皮にレーザー治療を施さなければならなかった。
 
 「絶対ペプシなんか飲まない」 
と言って、CMの中で飲むシーンをきっぱり断わったに違いないだろう。 
 
  
数テイクは撮影済みだっただけに、まさしく不運… 
 
- 
 ■ 大人にならない少年
 - 
 彼は、映画のピーターパンが大好きだ。
 
 「僕の部屋中の壁にはピーターパンの絵が掛けてあるんだよ。 その小さな迷子の永遠の少年は、僕自身のことだって思うんだ」 
と、彼は夢中になって言っている。 
 
- 
 ■ ブラック・ビデオ
 - 
 マイケルは、黒人ファン達が自分から離れてしまうことを悩んでいた。 彼らを取り戻そうと、大作ビデオの中で彼はストリート・ギャングの一員を演じたのだった。 
 
 この16分のビデオ "Bad" の監督は、マーティン・スコセッシである。 
 
- 
 
 ■ ウィズって?
 - 
 Jackoがイエロー・ブリック・ロード(黄色のレンガ道)を通って行ったのは、'78年製作の 『オズの魔法使い』 の黒人版の 『ウィズ』 のNYのセットでだった。
 
 彼の終生の友人、ダイアナ・ロスもそれに主演していた。 
 
- 
 ■ 私たちは楽しくない
 - 
 ダイアナ妃がピアノを弾いているフィルムを入手した後、マイケルは高貴な方々のごく軽い口論を引き起こしてしまった。
 
 というのも、彼が自分の姿をそのフィルムに合成して、一緒に歌っているように見せるビデオを作りたいと言ったからだ。 
 
- 
 ■ ムーンウォーカー
 - 
 マイケルは 1,700ポンド(約40億円)かけて、彼の心の中にあるファンタジー・ワールドを再現した超大作映画 『MOONWALKER』 を製作すると発表した。
 
 「この映画は、僕の夢と空想が基になってるんだ。 ピーターパンみたいな魔法と冒険のミュージカルだよ」。 
  
 
- 
 ■ お気に入りの映画
 - 
 マイケルが一番好きな映画は 『E.T.』 である。
 
 その愛らしい登場人物に会って、「E.T. phone home」 と、彼は言わずにはいられなかったのだ。 
 
- 
 ■ スリラー
 - 
 マイケルはホラーに取り憑かれ、ホラー映画の大御所ジョン・ランディスに "Thriller" のビデオを監督するよう説得した。
 
 そのビデオは製作費と驚異的な特殊効果に 1,000万ポンド(約23億円)もかけているのだ。 
 
- 
 
 ■ ラッツ・トゥ・ユー (そんなばかな)
 - 
 "Ben"  は、心理スリラー映画(映画タイトルも同名)のテーマソングである。
 
 少年とネズミの友情が裂かれるといった内容のものであった。 
 
- 
 ■ ディズニーランド
 - 
 マイケルは以前、『キャプテンEO』 という3-DのSF映画に主演している。
 
 上映時間17分で、超・名監督ジョージ・ルーカスが監督しているその映画は、ディズニーランドとディズニーワールドのみで観られる。 
 
- 
 ■ クインシーに声援を送ろう
 - 
 マイケルがクインシー・ジョーンズ(作曲家でアレンジャーでミュージシャン)に会ったのは、『ウィズ』 のセットであった。
 
 その時彼らは、歴史上最も巨万の富を生み出すことになる友情を築いたのだった。 
 
- 
 ■ ジ・エンターテイナー
 - 
 マイケルは、有名であることがいろいろな苦痛を強いるにも関わらず、人々を映画や音楽でずっと楽しませ続けたいと思っている。
 
 「マジックを考え出すことが大好きなんだ。 変わったこととか意外なものとかを組み合わせて、皆をびっくりさせるんだよ」。 
 我々も、彼がそうしてくれるのを望みます! 
 
  
・・・ END ・・・
                             | 
UPDATE - '09.3.3